座禅すると、勇者に進化して、聖剣を抜くことができるっていう噂だけど……マジ?
◆1
座禅を組み、瞑想に耽る冒険者がいた。
名を、〈十字架の剣士〉ルークという。
ある夏の日の深夜、彼は一日のノルマである七回目のザゼンを終え、廊下を渡って寝室へと向かっていた。
その折、ザゼン道場主のエノウ翁が、ルークに親しげに語りかけた。
「精が出ますな」
弟子となっているルークは、お辞儀をする。
「一刻でも早く〈聖剣〉を引き抜いて、〈勇者〉になりたいですからね」
エノウ翁は、弟子の額に刻まれた十字架傷に目を遣り、改めて問いかける。
「額の傷は、まだ痛みますか?」
冒険者ルークの二つ名〈十字架の剣士〉は、魔族との戦闘で得た額傷の形に由来する。
彼は自らの額に手を当てながら、不敵な笑みをこぼした。
「時折ーー雨の降る日などは。
でも、この古傷の痛みを感じるたびに、魔族への怒りがーー『必ず魔王を討ち果たしてみせる』という闘志が湧き上がるので、悪いことではありませんよ」
ここは、ノンマルト王国の国境付近にあるザゼン道場ーー。
ザゼン道場があるとはいっても、ここは日本ではない。
さらにいえば、アジアでも、地球ですらない。
地球人からすれば、異世界である。
この異世界では、人類社会が魔族に圧迫されまくっていた。
魔族勢力の方がはるかに強大になっている。
魔族の支配領域が、全世界の半分以上を占めていた。
人類が弱い立場に追い込まれていたのである。
それでも、人類に希望はあった。
この世界では、神様の恩寵により、およそ百年ごとに〈勇者〉が現れ、魔王討伐を果たすサイクルになっている、と言われている。
一時期は、全世界の八割以上を、人類社会が占めたこともあったという。
ところが、今現在、世界の七割強を占めているのは、魔族の圏域だ。
人類社会は、三割以下の広さしかない。
しかも寒暖差の激しい僻地へと、人類は追いやられてしまっていた。
そのうえ、前回〈勇者〉が現われてから、百二十年以上が経過している。
それなのに、いまだに、神様から召命を受けた〈勇者〉が現われない。
だからこそ、人類社会において、かつてないほど、新たな〈勇者〉を求める気運が昂まっていた。
ルークは、ザゼン道場主に向かって、胸を張った。
「ご心配には及びません。
自分の魂が浄化されつつある実感があります。
今度こそ〈聖剣〉を抜き放ち、俺が新たな〈勇者〉になってみせます!」
「それは頼もしい。
儂もザゼン道場を切り盛りしてきた甲斐があります」
勇者だけに扱うことができる〈聖剣〉というものがある。
〈聖剣〉は、強大な魔力で心身が固められた魔王ですらも、一刀両断できる。
その〈聖剣〉が、聖なる岩に突き刺さっており、その剣が抜けたものが〈勇者〉であるという。
当然、神様から〈勇者〉として召命された者でないと、その〈聖剣〉は抜けない。
だから、たいていの人が抜けない。
力自慢の者が力いっぱい引いてもダメだし、魔法を使って、土台となっている岩場を丸ごと破壊しようとした者も、ことごとく魔力が奪われて力が出せなくなってしまう。
したがって、人々が信奉するテトラ教会では、〈聖剣〉を抜くには、まず神様から召命される必要がある、と教えていた。
でも、神様の姿は見えない。
一向に、人類を救済してくれる気配がない。
魔族国に貢物をするため、重税を課された人類の恨みは募るばかり。
おまけに、魔族が人攫いをして、人間を奴隷にしていると知り、人々の間で、憤懣が溜まっていた。
いつあるとも知れない、神様の恩寵や召命を待っていられなかった。
とはいえ、〈勇者〉が生まれないことには、魔族に対抗することができない。
それゆえ、今からおよそ百年前、王国からの資金援助を得て、画期的な道場が生まれた。
〈聖剣〉を岩から引き抜くための修行場ーーザゼン道場である。
ルークは改めて、道場主に頭を下げた。
「『姿の見えぬ神様に縋るよりも、自らの心身を鍛えるべし』
ーーまことに師の教えは素晴らしい」
「いえいえ。私個人の主張ではありませぬ。
百年を超える祖師からの教えです」
従来では、神様からの召命によって〈勇者〉となると言われてきた。
神様からの召命があってはじめて、岩から〈聖剣〉を引き抜くことができるのだ、と。
〈勇者〉とは、あくまで神様からの賜物として人類社会に与えられるものだと、教会は説いていた。
ところが、百年ほど前、発想の転換をした者が登場した。
人間が精神を高め、魂を清くしたら、〈勇者〉へと進化することができる。
そして、進化の結果、神にも等しい精神的境地に達すれば、神様からの寵愛などなくとも、自力で〈聖剣〉を抜けるようになるはずだ、と主張する者が現われた。
ーーそう訴えた人物こそが、初代ザゼン道場主となった、ダルマである。
ダルマ思想のポイントは、物理力や魔力ではなく、精神力ーー『心の清らかさ』を高めることで、〈勇者〉に進化しようというものであった。
だから〈聖剣〉を抜くための力を養う道場は、今までの努力方針とは全く違い、魂のステージを高めるという発想で出来ていた。
〈十字架の剣士〉ルークは、そのダルマ思想の熱心な信奉者である。
今夜も、道場主と対面しながら食事を摂り、初代道場主を賞賛した。
「〈自力思想〉こそ、我ら人類に相応しい。
自然と勇気が湧き上がってきます」
「ありがたきこと。
それこそ、ザゼンによる効用ですじゃ」
発想の転換を主張し、その道場を作ったダルマは、チキュウという異世界からやってきた渡来人であった。
彼は、神様の召命を待つ従来の発想法を「他力思想」と呼び、自らの、精神を高めて〈勇者〉へと至る発想法を「自力思想」と称した。
彼が提唱したのは〈メイソウ〉、または〈ザゼン〉と呼ばれる方法であった。
両脚を組んで、目を半分閉じ、鼻で息をして、静かに座り続ける。
試しにやってみたものは大勢いるが、初めは脚が痛くて仕方がない。
やがて慣れるようになっても、それによって精神が研ぎ澄まされたように感じた者はほとんどいなかった。
だが、その渡来人の主張が、教会による反対にも関わらず、一般に信じられ始めたのには理由があった。
なぜなら、その渡来人が、百年以上前に現われた、前回の〈勇者〉であったからだ。
彼が〈聖剣〉を岩から抜き放ち、魔王討伐を果たした。
そして、自ら聖なる岩に〈聖剣〉を突き立て、引退を宣言。
即座に、その岩場近くに〈ザゼン道場〉を開いた。
それから百二十年以上ーー。
何人もの強者がザゼン道場に通い、〈メイソウ〉をして精神を高める努力をしてきた。
ところが、彼が〈聖剣〉を岩に突き刺して以降、誰ひとり〈聖剣〉を抜ける者が現われなかった。
しかし、百二十数年ぶりに、見込みのある男が登場した。
それこそが、今、道場で修行している、〈十字架の剣士〉ルークであった。
彼は豪剣を揮う剣士であり、魔力も豊富に持っていた。
彼個人、冒険者としてS級と言われ、これまで百頭以上もの魔物を退治している。
彼がリーダーとして率いている冒険者パーティー《明けの明星》もS級パーティーであった。
彼らは王命を帯びて、対魔族戦争に参加したこともあり、そこで魔族の軍勢を一部隊ごと壊滅させ、退かせたという実績を持っている。
その激戦中に、ルークは、魔王軍の幹部によって、頭蓋骨にまで達する刃物傷を受けたが、奇跡的に生命を取り留めている。
骨にまで達した刃物傷が、ちょうど十字架の形になっていた。
ルークは魔王を討つための〈願掛け〉として、その額の十字架傷を敢えて残した。
おかげで、ルークは〈十字架の剣士〉という二つ名を得て、さらには〈聖剣を抜き放つ男〉〈最も勇者に近い男〉とも言われるようになった。
その彼が〈ザゼン道場〉に通うと宣言したのだ。
ザゼンをすると、〈聖剣〉を岩から抜けるようになるらしいーーそういった噂が、人々の間で取り沙汰されるようになっていた。
ちなみに、すでに彼は〈聖剣〉を岩から抜こうとしたことがあった。
魔族軍を蹴散らした後、戦争が小康状態になった折、ルーク自身、
「魔王を討つことができる力を、人類がーーいや、自分自身が持つべきだ」
と痛切に感じ、自ら勇者たらんと〈聖剣〉を手にし、引き抜こうとした。
が、抜けなかった。
ルークは、自分の力で〈聖剣〉が抜けなかった事実に衝撃を受けた。
今でも、当時を回想すれば、苦い思いが込み上げてくる。
(あの時は、正直、意気消沈したものだ。
でも今では、希望が持てた。
この道場がーーザゼンという精神修養の方法があって、ほんとうに良かった……)
〈聖剣〉が抜けず、当時のルークはガックリした。
だが、同時に、それでも、自分はいずれは〈聖剣〉が抜けるようになれるという感触を得ていた。
そして〈ザゼン道場〉に通い詰めても脚が痛くなることはなく、スムーズに両脚を組み、目を半分閉じ、何時間も座り続けることができた。
ザゼンを何度も繰り返し、数年を経ても、身体の不調を訴えることなく、健やかな精神状態であり続けた。
ルークにとって、〈ザゼン〉〈メイソウ〉は体質にあっていた。
元勇者であるダルマが提唱した〈魂の向上〉〈悟りの境地〉といったものを、彼は実感していた。
ザゼン道場は〈聖剣〉が突き刺さった岩場のすぐ近くにある。
悟りの境地に達するやいなや、いつでも〈聖剣〉を抜き放てるように。
勇者ルークは拳を強く握り締め、心に誓った。
(俺が〈聖剣〉を引き抜いて、人類社会の強者をすべて糾合してみせる。
人類による大軍団を組織し、人類の宿願である魔族殲滅、魔王討伐を果たしてやる!)
人類のみなが期待し、そしてなによりルーク本人がそれを信じていた。
第六代ザゼン道場主エノウは、白い顎髭を撫でつけながら、ルークに言った。
「さぁ、〈十字架の剣士〉ルークよ。
〈聖剣〉を見事、引き抜いて、史上初の〈自力による勇者〉になってみせよ。
儂も国王に嘆願して、大勢の騎士や冒険者といった、腕に覚えのある者どもを大勢集めて、君が〈聖剣〉を抜く試みをーーひとりの冒険者が、自力で〈勇者〉となる儀式を、目撃させようぞ!
実際、儂の弟子が〈勇者〉となれば、我が道場の誇りにもなるでのう」
◆2
一ヶ月後ーー。
ルークの願う盛大な儀式が、現実となった。
魔族の圧迫からの解放をかけた、〈勇者誕生〉の儀式ーー。
これを一目見ようと、〈聖剣〉が突き刺さった岩場を、何万もの大群衆が取り囲んだ。
人類社会の救済を願う一般大衆だけではない。
道場主が国王に働きかけた結果、世界中の傑物たちが参集していた。
著名な武将や戦士、S級、A級の冒険者たちもこぞって集まり、名を馳せた当代の列強が勢ぞろいしていた。
国王陛下臨席のもと、上級貴族や騎士などのほか、他国からの賓客までもが、ルークの勇姿に目を凝らす。
「さぁ、抜くぞ!」
ルークは〈聖剣〉に手をやり、ガッと引き抜く。
ほとんど力を入れることなく、すんなりと抜けた。
拍子抜けするほどであった。
周囲で固唾を飲んで見守っていた人々は、呆気に取られた。
しばしの沈黙の後ーー。
ルークは〈聖剣〉を天に向けて掲げ、白く輝かせながら宣言した。
「私は〈聖剣〉を自力で抜いた、初めての〈勇者〉である。
人類の時代をこの世にもたらすことを、私、勇者ルークが宣言する。
誓って魔族どもを蹴散らし、魔王を討ち果たしてみせましょうぞ!」
大観衆が、わっと歓声をあげる。
同じく、居並ぶ武将や騎士、剣士たち、そして冒険者たちが、ルークに見習い、拳を天に向けて突き上げた。
「我らも、勇者ルークと共にあらんことを!」
オオオオオーー!
人類の英傑たちによる雄叫びが、天にこだまする。
感極まって、涙を流す者もいた。
その時であるーー。
突然、大地が揺れた。
ゴゴゴゴ……!!
地響きとともに、〈聖剣〉が刺さっていた岩場が崩れた。
そして、地面にポッカリと空いた大穴の中へと落下してゆく。
もちろん、岩だけではない。
〈聖剣〉を掲げた勇者ルークも、大勢の著名な参列者ーー武将や戦士、騎士や冒険者、さらには国王までもが、その大穴へと落下していった。
まるで地獄の淵が、突然、開いたかのようであった。
かくて、人類社会を代表する高貴な者たち、屈強な者どもが、一気に死んでしまった。
歴史上初の〈自力勇者〉となったルークですら、奈落の底へと落ちた。
みんな死んでしまったのである。
王国は一瞬で強者を軒並み失い、国王すら不在となってしまった。
王国の叡智と武力の過半を一挙に失った人類社会は、以降、魔族軍の侵攻によって、さらに生活圏を奪われ、魔族の奴隷となる人間も多数出てきた。
結果、人類は塗炭の苦しみを味わうこととなったーー。
◇◇◇
大陸中央に位置する、魔王国ーー。
魔王城では、珍しい客人を〈謁見の間〉に迎えていた。
玉座にある魔王は、満足げに黒い顎髭を撫でつけた。
「しかし、想定以上にうまくいったものだな」
魔王を相手に、片膝立ちで面を上げ、ニタリと笑ったのは、第六代ザゼン道場主エノウ翁であった。
「はい。まさか、ここまでうまくいくとは」
初代道場主ダルマ以来、歴代の道場主が魔王の配下になっていた。
魔王の祖先が、チキュウからの転移者であったから、歴代の道場主らとは同郷の誼がある。
初代ダルマが〈勇者〉となっていながら、当代の魔王と示し合わせて、「魔王討伐を果たす」という茶番を演じてくれた。
そのことが、百二十年後の現代にまで、功を奏していた。
魔王は白いボール状の器を手に取って傾け、中身を啜る。
「それは?」
エノウの問いに、魔王は舌舐めずりしながら答えた。
「人間の脳味噌よ」
〈聖剣〉を抜いた際に出来上がった巨大な穴は、魔王が百年以上も前に仕掛けた落とし穴であった。
二十キロもの深さをもつ、文字通りの〈地獄の大穴〉だ。
いくら鍛え抜かれた武人であっても、人体では、到底、落下の衝撃に耐えられない。
しかも、穴の底には針の山が林立している。
穴に落ちたが最後、人間は串刺しになって、絶命する運命だ。
そして、事件後、大勢の魔族兵を動員し、大量に手に入った人間の死体を回収し、保存魔法をかける。
それから、何ヶ月にも渡って、少しずつ人肉を食らう。
それが現在の魔王の楽しみとなっていた。
エノウ翁は小首をかしげつつ、魔王に問うた。
「しかし、魔王様。
また新たに、〈聖剣が刺さった岩場〉を拵えるとのことですがーー果たして必要でしょうか。
魔王様は力押しだけで、十分、人類を滅ぼせますでしょうに」
魔王は王座で片肘をつきつつ、ギラリと叡智の光を両眼に宿した。
「仕掛けは、あるに越したことはない。
実際、人類社会の名だたる者どもを、一挙に討ち滅ぼすことができたのだ。
今、我ら魔族の領土が拡張し、大勢の人間が新たに奴隷と化しつつあるのは、あの事件のおかげと言って良い。
かといって、人類種を絶滅させれば、貢物を得ることができなくなる。
ゆえに、人類を相手にするには『生かさぬよう、殺さぬよう』遇するのが良い。
抵抗できなくなるよう、人類から、定期的に強者を間引くことが肝要なのだ。
再び、『〈聖剣〉を引き抜ければ、魔王を討てる』とでも噂を立てておけば、大勢の人間どもが此度のように釣られてこよう。
ーーそして、ザゼン道場だ。
エノウよ、さっそく新たな道場の建設に取り掛かるのだ。
知っているか?
ザゼンとかメイソウなんぞで、精神集中に励んだニンゲンの脳味噌は清らかで、雑念が無いせいか、すっきりとした味わいでな。余の好物だ。
〈勇者〉だのと持て囃され、〈聖剣〉などという紛い物を振り回すより、こうして余の舌を悦ばす方が、よほど価値ある仕事といえる」
魔王は再度、舌を舐め回し、喉を鳴らす。
魔王が手にした器には、十字架の刻印が残っていた。
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