9話
灰色の青年は湖から立ち上る霧の中、一人で釣り竿を持って行った。
肌寒い風が顔に優しく吹き付け髪がなびく。
ようやく大きく温かい太陽が山々から顔をだしたのか、霧は晴れ始め、その隙間から幻想的な光の槍が湖を照らした。
「遂に……魚は釣れなかったか」
青年は釣り竿を引き、糸を巻き始める。
そんな彼へ声が掛かる。
「やぁ御仁。少しお話をよろしいかね?」
青年は声の元に振り返る。そこには深紅のフルプレートを着込んだ騎士。
サテリーゼ法国が誇る最高戦力“教会の槍”の長──ローレンス・オスヴィン・ヴィンクラーは兜を右腕で持ち、そう言った。
「話も何も……僕を殺しに来たのでは無いか? 先にちょっかいを出したのはキミ達だが、僕は法国の斥候を殺している」
「確かにそうだが……1人、取り逃がして頂けた。そのお陰で法国は慎重になれたというか何と言うか……。まぁ、お上の老人は保守派なもんで」
「いつの時代もそうさ。長く生きる老人は頭が固く、若いヤツほど頭は柔らかい。まぁだからと言って、永遠の繁栄など出来ぬわけだが……」
「そりゃあそうだな。栄華を誇った巨大な国も何時かは滅ぶ。どんなに優秀な人間がトップに居ても、相対する敵が強大ならば負け戦だ。……分かるかい御仁。アンタは我々、法国にとって──」
イレギュラーなんだよ、アンタは。我々を挑発するかのように斥候を殺した。それが全てだ──
それを聞いた灰色髪の青年はニヒルに笑った。
「小魚は釣れたかい、グレイさんよ? ……ま、アンタのその溢れんばかりの殺意の所為で、この辺りにゃあ虫一匹いやしない」
「だが……僕の思惑通り、美味しそうなご馳走が此処に来た。僕を失望させないでおくれよ?」
「それは、かなり難しい案件だな。だがまぁ……全力で相手させていただくよ」
ローレンスは竜を模った深紅の兜を被り、背中全体で背負っていた大剣を引き抜いた。
霧が完全に晴れると、騎士団長の後ろには重厚な鎧を纏った戦士、軽装で杖を持った魔術師などが居た。そのどれもが聖竜騎士の上澄み……猛者たちだ。
「じゃあ始めよう」
青年はそう呟くと、彼の身体に魔法の鎧が現れた。
真正面から途轍もない程の業火を浴びされられたと思わしき鎧はひしゃげ、形を変形させていて、奇しくも恐ろしい古竜の姿を連想させた。
漆黒──。しかし光の当たり具合で、様々な宝石が溶け混ざったような霞んだオパール色を輝かせた。
右腕をさし伸ばしたグレイは、法国の騎士たちを挑発するように手招をする。
それが開戦の合図であった。
◇◇
ウィルとアルドラの安全を想うマリナは焦燥に駆られていた。
黒衣を纏い、レイクと不滅の兄弟の合計4人で気配を殺し裏口からログハウスへ侵入した。
表扉側では騎士団長と部下が戦っており、業火が立ち上る音、白い稲光、身を刺す程の冷気が伝わり、窓ガラスが易々と割れていく。
「ここだな……?」
アルバートは微かに残る魔力を察知しドアを開いた。
「魔法陣……。じゃあ兄さん……あの2人はもう」
「そうらしいな。……この魔法に使った文字は、今や滅んだ古い時代のものだ。……解読には時間が掛かるぞ」
「はっ!? じゃ、じゃあ……!! アイツらは……!?」
「そうだねレイクくん……。あの2人の行方はもう不明だ。……って!?」
ヘンリーは一歩前に出ていたレイクを押しのけた。
その直後、レイクが居た場所にナニカが勢いよく飛んできた。ログハウスの壁を貫き、戸棚を崩し、音を立てて。
埃をまき散らしながら壁に衝突し、ベタッと床に落ちた人に向かってヘンリーは、先程の衝撃で失った右腕を見せびらかすように口を開けた。
「ちょっと序列1位さん……。もう少し器用に戦えないの?」
「無理ですよ……あのヒト? 強すぎて……。あっ、ボクの腕、付いてますか?」
白色のふんわりとした髪。くるりとした真ん丸の目。しかし額から汗を流し、息を少し切らせて彼はそう言った。
細身ながら鍛錬された美しい筋肉が浮かぶ腕を回し「おー付いてる!!」と嬉しそうに笑った。
純白。そう思わせる彼の雰囲気は天使の様だと、マリナはふと思った。
腕が祝福によって完治したヘンリーは、手記に魔法陣の特徴を書き込み「一旦、報告してきます」と裏口へ向かって駆けて行った。
4人きりとなった部屋。マリナはその天使に視線を送りつつアルバートに質問した。
「この人が……序列1位……ですか?」
「あぁ、そうだ。ほら、休憩は済んだだろう? もう出ていけ。コッチまで彼のヘイトを買いたくない……」
「そうですねー。あっ! これが魔法陣……!! でも……んんん?」
「どうした1位……。なにか見えたか?」
「はい。これ『トラップ』です。もう起動しますねコレ。ヤバいっス」
「ッ!? クソッたれ……!!」
そう叫んだアルバートは、部屋にいる3名を掬う様に持ち上げ窓へ押し投げた。
窓が割れ外に投げ出されたマリナは顔を直ぐに上げた。その刹那、先程まで居た部屋から光が溢れた。
今まさにトラップが起動しようとする最中、颯爽と駆けてきたヘンリーが2人の前へ大盾を構えて立ち塞がった。
直後、降りかかる爆音と熱波に襲われた。飛んでくる大小の木片、身を焦がす炎、強い衝撃……
それらを防ぎ切ったヘンリーは安堵のため息を漏らし振り返った。
「ケガは無いかい?」
「えぇ……なんとか」
「大丈夫です!!」
「良かっ……いや、良くないね……この状況は……。立てるかい!?」
マリナとレイクは宝剣を構えながら立ち上がる。
この音を聞きつけたのか、グレイが作製したと思わしきゴーレムがぞろぞろと集まり続けていた。
重装歩兵を模した人型や獣、赤熱した鋭い鎌を持った蟲の様なもの……
「数が多いな……。何とか死んだ兄さんに触れたいが……困ったな」
「ヘンリーさん! 俺がそれまでの道を……!!」
「ダメ! レイク落ち着いて……。アルバートさん方向には巨人が……」
3人は背中を合わせ、じりじりと迫るゴーレムたちに切っ先を向ける。
作戦を練る余裕は無く、今まさに飛び掛からんと人型の数個のゴーレムは腕を回した。まるで彼らに意志が有るかのように……
そんな時だった。「とう!!」と影が彼らに飛び込み、ゴーレムたちの硬質な腕や脚が空に飛んだ。みるみる内に数が減り、地には残骸が積もっていった。
「お礼です序列3位さん、お陰で助かりました。お兄さんに『よろしく』と、願います」
ペンのように、黄金色に輝く刃をもったダガーを器用に回す天使はヘンリーにそう言い、戻っていった。
「全く人騒がせな……。……行こう! 兄さんを生き返らせたら、当初の計画通りボク達はバックアップだ。ウィルくんとアルドラちゃんに関しては……残念だったね」
眉を潜ませ、本気で心配するヘンリーにマリナは返した。
「いえ……! 生きている限りまた会えます!!」
「あぁ……そうだなマリナ!! 今はグレイ……!! ヤツの使い魔と戦う皆を助けないと!!」
「逞しい事を言うねレイクくん! でも此処は騎士団長が抑えているだけの危険地帯だ。さっさと後退しよう……! キミ達程度では幾つ命が有っても足りやしない……!!」
◇◇
「お待たせしましたー!! 復帰しますよー、団長!!」
「おせぇよジョシュア!! こっちは……死にそうだ!!! ……レティシア、防御壁だせるか!?」
「無理っス!! 詠唱したとたん……邪魔されます……!!!」
天使の様な美貌を持つジョシュアは、身軽にグレイの攻撃を避け本物の聖剣であるダガーを斬り付けた。普通の剣による一刀は、彼が着込む鎧によって弾かれてしまう。だが彼の聖剣は違った。
空間ごと切り付けた一線は、漆黒の鎧を着込む男の左腕を易々と切断した──
しかし腕を落とした程度ではグレイは止まらなかった。右手に持つロングロードをジョシュアの首へと振り上げた。
「ッ……!! ……ハハッ、死ぬところでした……」
だがジョシュアの目に宿る祝福が、彼の死を拒んだ。即死に至る攻撃のみを彼に伝える『未来視の祝福』。
それによってグレイの一撃をかわしたジョシュアは2度3度切り付けた後、ローレンスの下に大きく下がった。
「無理ですよ団長ー!! あの人の一振り、全部即死級ですよ……!! どんな怪力してるんですかね……!? あ……腕、再生しましたね。ショックです……」
「あぁ……俺も普通に力負けしている……。まるで……巨大な生物の一撃を受け止めている様な重さだ……」
「うひょー! じゃあ、次の騎士団長の座はボクですね!! やりーです!! 小休憩終わり!! いってきますね!!!」
「俺はまだ死んじゃあ居ねぇよ……つうか元気だなぁ、ジョシュアは……。しかし……」
滴る汗を拭いグレイへと視線を合わせる。
序列6位『不敗不動』の名を持つセブリアン。彼が持つ巨大な大盾を難なく崩し、序列4位のクィンシーの重厚な一刀をグレイは細い剣で受け止めた。剣を弾き返すと漆黒の鎧は瞬時に屈み魔法を唱えた。その瞬間、2人の屈強な男は空を舞った。
衝撃波を自身から発するモノだろう。その場に居た誰もがその魔法を知らず、故に彼が独自に編み出した魔法だとローレンスはそう頭に入れた。
宙に浮かび無防備なセブリアンとクィンシーに向かってグレイは剣を投げつけた。だがその剣は、男たちを突き刺す前にレティシアとミルシュカの2人の女魔術師が間一髪食い止めた。
その様を見たローレンスは「ジリ貧だ」と呟いた。
ソティスは大魔法の準備をしているらしいが、彼が生み出したゴーレムなどに阻まれ苦戦していると報告が入っている。
聖竜騎士の下に位置する聖騎士からは負傷者が出ている、と同時に聞かされた。
この男は聖竜騎士のトップと戦いながら、魔法による遠隔操作でゴーレムを操り適格に聖騎士を戦闘不能にしている。
「……何という男だ……!! ソティスの一撃が遅れてしまうが……背に腹は代えられない……!! ……マルティナちゃん!!」
「こんな死線で『ちゃん』って……。まぁいいわ、何?」
聖竜騎士の序列5位に座する『白雷の聖女』マルティナ・アンデ・ノイラート・クリスタラは、幼さが残る顔を少し歪ませて言った。
マルティナは法国を改宗させた英雄『聖女』の血筋であり、唯一の一人娘。少女が手にもつ聖鈴は魔法の触媒であり、そして英雄『聖女』の得物でもあった。
「マルティナちゃん……『アレ』やって……! あの……『魔法が使えなくなる魔法』をさ!!」
「良いけど……正気? コレを使ったら15分間の間、魔法の使用が一切出来なくなるんだよ? 相手は勿論、周りの皆も。それは『致命傷を食らったら回復魔法が使用できない』とも解釈出来るんだけど?」
「どうやらソティスちゃんも苦戦している様だ。ここはグレイとゴーレムの魔術的繋がりを切断する為にやる」
「ほぉ、そうきましたか……。確かに一理ありますが……此処に居る魔術師のレティシアさん、ミルシュカさんは結構危ないんじゃないですか? 聖剣の持ち主といえど、彼女たちの場合は魔法の触媒にしか使っていないので」
「……俺が守る」
「うわーかっこいいー、ほれそーですわー」
「なんだその棒読みは……」
マルティナは頬に着いた泥と汗を拭い、右手に持つ聖鈴を高く上げた。
そして詠唱を始める。その魔法は祖母と南の魔女が魔王打倒の為に考案した諸刃の刃ともいえる魔法──
だがその詠唱を漆黒の男は許さなかった。眼前で相対するジョシュアを投げ捨てると、一本の槍を拵え投擲した。
古い時代からある人間の技である「槍投げ」。そのシンプルかつ単純な一投はマルティナを非常に困らせた。
詠唱は進み、今まさに発動できる一歩手前だが、唱え終わる前に槍が自身の頭を貫く。しかし回避したとて、この魔法を相手に晒した以上脅威を見なされ、確実に自身にヘイトが向くだろう。それは2度と彼の前では、この魔法を唱える事が出来ない事を意味する。
そんなような事を一瞬だけ考え、結論に辿り付いた。
「死者の沈黙、生者の宴。古の神々は今や空の彼方へ!! 神秘の失活!!!」
チリン、と鈴を鳴らし完全に魔法を唱え切った。その瞬間、地面が一瞬だけ白く光りを上げ、天には黒色の魔法陣が展開した。
その魔法陣の見えぬ影に浸かった者は、魔法の使用を『許されない』。今回マルティナが発動した範囲は、この森と湖を丸々覆いかぶされる程。今までで最大の範囲となった。
しかし魔法を唱えた代償は、投擲された槍による応報だ。だがそれを騎士団長ローレンスの得物である大剣によって防いだ。しかし威力が強大だった為、大柄の彼でも体勢を大きく崩してしまった。
それを始めから狙っていたのか漆黒は、地面に刺さったロングソードを引き抜き駆け寄った。そして切っ先を天に上げた。
ヘルムの隙間から見える彼の目は、ローレンスに語り掛けた。『少女か、左腕か』と──
それを感じ取ったローレンスは叫んだ。
「腕ぇ!!!」
それを聞き取った男は一つ頷き、深紅の鎧を身に着けた屈強な左腕を斬り落とし、踏みつけた。
その昔、その深紅の鎧は『竜血帝』という男の物であった。故に有象無象の鎧とは一線を画す程の強度があった。それを着込んだ者は、巨人に踏まれても無傷で居られる。だがその鎧ですら彼にとっては紙の様に腕ごと切断した。
ローレンスの背後にいるマルティナは間髪入れずに『魔法で』対応した。聖鈴を鳴らし、幾つもの白雷の槍を地面から出現させて貫こうとした。だが、彼は器用に避け距離を取った。まるで『仕事を果てせた』とでも言いたげに。
「くっそ……」
「いま焼きます。あの人、団長の切り落とした腕を『使い物にならない様に』踏んでいきましたから。腕が健在ならば、くっつけて治癒魔法で治せたんですが……ホント、器用な人ですね」
「辛辣なマルティナちゃんがヤツを褒めるとは……。こりゃあ男としての威厳がねぇな」
「……? もともと無いでしょ?」
マルティナは再度鈴を鳴らし魔法を唱え、ローレンスの腕を焼いて止血した。
彼女もまた、ジョシュアと同様に祝福を受けている。それは『反逆の祝福』と言うものだ。己に掛かるデバフや状態異常を防ぎ、かつその領域内ならば魔力量と出力を増大させる事が出来る。
故に魔法の使用を制限する『神秘の失活』内の領域でも、己だけは魔法が使え、なお祝福の追加効果で自身の強化も出来る。
対魔術師戦では圧倒的なアドバンテージを誇るマルティナであったが、今回の場合はそうはいかなかった。
「ありがとう……マルティナちゃん」
「はいはい……お給料弾んでくださいね?」
「教会の人間なのだから、お給料は一律なのだけどね……。まぁ」
ローレンスは剣を握り締め、魔術師のレティシアとミルシュカに撤退の命令を下した。
現在3名の男共、ジョシュア、セブリアン、クィンシーの息の合った連携で、漆黒騎士を押させている。
そこに……
「よぉ、ローレンス……。腕が無くなって身軽になったな?」
「やぁ団長。ソティス姐さん周りの障害は全部潰しといたよ。あとは……耐久戦だね」
黒い鎧に深紅と群青色のスカーフを撒いた聖竜騎士が現れた。深紅は斧槍を、群青は大盾を。
それを見たローレンスは一つため息を吐いた。
「よく来てくれた兄弟。あの新人は? ソティスちゃんの方か?」
「うん、そうだよ。そのまま護衛に当たらせた。此処に来たとて、足手まといになるのは確定だから……」
「爽やかな声で『足手まとい』なんて物騒な事を言うわね? 流石は3位さん、言う事が大胆ね」
「大胆も何も……真実を言っただけだ。それでマルティナ、まだ動けるか?」
「当り前よ、余り舐めて貰っちゃあ困るわ」
アルバートとマルティナの双方からバチバチと火花が上がる。
それをローレンスは宥め、赤銅色の大剣を握った。
◇◇
「ぬぅッ!!!」
「ッう!!!」
ローレンスの大剣とアルバートの斧槍の渾身の切り上げをロングソードで受け止めた漆黒騎士は、遂に体勢を大きく崩した。
幾度どなく打ち付けられたロングソードは疲労が溜まり、2人の一撃で遂に役目を全うした。空中に飛ぶ金属片は光を反射しキラキラと輝いた。
「チャンス……!!」
ジョシュアは透かさず駆け、彼の首へと聖剣の切っ先を狙いすまた。
その動きに合わせるようにマルティナも聖鈴を鳴らし魔法を唱える。『白雷の聖女』の二つ名、その由来となった一撃を──
「|地下より出づる白雷の聖槍!!」
騎士の地面が青白く光りその直後、白い雷を纏った3本の槍が突き出た。
背中には槍が、正面には全てを貫く聖剣が。絶対絶命の状況。しかし漆黒騎士はコレを待っていたと言わんばかりに口角を上げた。
「ッ!? マジか……!!??」
「竜の火柱」
何の触媒も無く唱えた漆黒騎士。彼自身が魔法の触媒だとも言うように、魔法陣が彼を中心に広がり灼熱の炎が吹き上げた。
一気に影が消え失せ、肌を熱が焼く。間一髪、祝福によって命からがら避ける事が出来たジョシュアであったが、事前に見ていた斥候の遺体の様に、細く白い左足が炭と化していた。
片足で着地したがバランスを崩し、そのまま地面に倒れ込んだ。その後ジョシュアは空を見上げた。
「マズいっすね……団長……。もう15分、経ってるみたいです……」
「マルティナちゃんの魔法が切れる事を知っていて……敢えて誘ったのか……!? ヤツは魔法で武器を創り出すぞ!! なにが来ても良い様に構えとけ! ……ワリィ、ジョシュア!! 恨み言は地獄でな!!!」
「ぶへ」
ローレンスは横たわるジョシュアを蹴り上げ、グレイとの距離を取らせた。丁寧に抱き上げ、セーフティゾーンへ運ぶ時間は無かったからだ。
ジョシュアはまだ若く、将来を期待されている。ローレンスは瞬時に天秤を掛けて、己よりもジョシュア生存の道を選んだ。
「マルティナちゃん!! ジョシュアを……って!?」
隻腕の騎士団長はマルティナへ、ジョシュアと共に撤退の命令を下そうとした。
しかし視線を動かすと、肝心のマルティナがグレイによって拘束させていた。彼女の細い首へナイフを突きつけられ、暴れられない様に右腕を押さえられていた。
泥と埃で汚れた美しい金髪は揺れ、頬からは汗が一つ垂れている。そして彼は背を丸め、少女に何か耳打ちするかのように告げた。
「──。──。────」
「……!? どうして私にソレを……?」
「ただの博打さ。と、言うか──もう時間だ。楽しかったよ」
「……」
ナイフを投げ捨て、拘束を解いたグレイは両手を上にあげた。
その背後にはソティスが居た。泥の様に鎧が剥がれ、露わになった灰色髪の青年は技術顧問の方へ振り向いた。
「遅かったじゃ無いか? ソティス嬢」
「貴方を倒す魔法の構築に、時間が掛かりましてね」
「嘘を付け……。僕が消耗するまで、待っていたでは無いのか……?」
その場に居た聖竜騎士は皆、武器を下ろした。
先程まで、獲物を食らわんとする殺気は消え、むしろ一般人以下の魔力しか男から感じなかったからだ。
そして青年の身体は、乾いた泥人形のようにボロボロと指先から瓦解していった。
「アレ……団長? ボクたち、蚊帳の外ってやつですかね?」
「知らねぇよ……。つうか……脚、痛くねぇのか……?」
「ボク、痛覚死んでるので大丈夫です。てかあの人、崩れてってますね? ソティスさんが言っていた魔法ですかね? クソ強です!」
「いや、多分違うと思うが……分かんね。俺、魔術師じゃ無いからな」
ジョシュアとローレンスは隣で地に座りながら対話した。
どうやら彼との戦闘は終わった様だ。両足が灰となり地に落ちる。完全に倒れる前にソティスの魔法、フワフワと浮かぶ泡のような所へ彼を仕舞い込み、ローレンスの方へ顔を向けた。
「私は一足早く法国に帰還します。彼からは、色々と聞かねばならない事がありますから」
「分かった。てか、ソティスちゃんだけでいいのか? ソイツは……」
「もう大丈夫です。闇を照らす灯一つ出せない程に消耗していようです。それと聖騎士たちですが、負傷者はいるものの死者は居りません。聖竜騎士のレティシアさんとミルシュカさんが治癒魔法で手当て中です」
「そうか。ならば今回は……誰も死ななかったんだな」
ローレンスはグレイとの戦闘を思い出した。
圧倒的な火力を有する魔法と、卓越した武器捌き。もし彼が、悪意をもって法国を攻めていたら、どれだけ人が死んでいたのだろうか、と。
当初の見積もりでは5割以上の死者を覚悟していたが、蓋を開ければ彼からの直接的な被害は『腕1本』『脚1本』の損失で済んだ。……いや、戦いの中で理解したのだが彼は本調子ですら無かったのだろう。
それどころか彼は、我々を試す様に幾度となく選択肢を与えた。そのうち一つ、マルティナを守った際、彼は微かに頷いた。まるで『女の子を守るのは当たり前だよな?』と言わんばかりに……
だとしても彼の真意が分からない。何の意図があって彼はそんな事をしたんだ?
戦死者0。これは喜ばしい事だが、同時に負傷者への介抱という、法国の足並みを崩す意味でもある。当分は彼の弟子である2人を追う事は難しいだろう。
ソティスは転移魔法を唱えたとき、マルティナが声を掛け止めた。
幾つか言葉を交わし、どうやら金髪の少女もソティスに付いていく事が決まったようだ。
「転移」
そう告げて2人は光に中に消えて行った。
兜を脱いだローレンスは立ち上がり、湖の畔まで歩いて行った。そして彼が握っていた釣り竿を手に取った。
その背後では片足で器用に駆け寄ったジョシュアがローレンスを弄るように言った。
「釣りなんて出来るんですか団長?」
「無理だな、そもそもやった事が無い。だが……やってみなきゃ、分からんもんさ」
針に虫の死骸が貫かれているのを確認したローレンスは、竿を振るい糸を飛ばした。
あんなに大騒ぎした後だというのに、遠くで魚が跳ねた。
ここに獲物が来るのは、時間の問題なのだろうか。
◇◇◇◇
「──で、御仁……。貴方が私に言った事は本当なんですか?」
「本当も何も……僕は嘘を付いたことが無くてね」
声を枯らす様に笑ったグレイは、マルティナの方に顔を向けた。もはや彼の視覚は無く、耳だけが頼りだった。
身体の感覚は消え失せ、今や崩れんばかりの古城。しかし城内には、溢れんばかりの知識、本があった。それは彼自身の人生とでもいえようか。
その本をゆっくりと、ページを捲る様に彼は回想してゆく。……案外、悪くは無い人生だったな、と。
「そう……ですね。わかりました。ソティスさま、私はもう結構です。機会を頂き、ありがとうございます」
「いえ。それで……何かあったのですか?」
「別に大した事では有りません。ただの小言、その確認でして。では」
マルティナは純白の聖布を翻し、ドアを開けた。そして一言、
「私も楽しかったです!」
と、笑顔で言い残し後にした。
防音魔法のスクロールが幾つも貼られた部屋の中。
その中央の台に寝かされているグレイは、最後の弟子の姿を想っていた。とはいえ博打には成功した様で、これでようやく本命と相対できる、と感じた。
ソティスは、かの英雄ミリアムの遺志を継いだ人間。この先下手に喋る事は、彼女にヒントを与えてしまう事になる。
かと言って抽象的な事を言う訳にもいかない。彼女が今、何処まで知っているかを理解し、巧みにミスリードを誘わなければならない。
手を脚は回復している。しかしもう1ミリも動かせない。
グレイは天井に顔を向け、2人きりの部屋。その1人、ソティスの言葉に耳を傾けた。
「お久しぶりですね。……この姿で会うのは初めてですけど」
「そうかな……? 僕は何度か、法国に足を運んだことがある。もしかしたら、そうなる前のキミに出会っているかもよ?」
「いえいえ、そんな事はありません。私の様な存在は、法国の寵愛の中で過ごしますから。決してその様な事は」
「寵愛ねぇ……。それは先代の事だろう? 次なる依り代を……都合の良い様に育てているだけだろう?」
「いえ、そんな事はありません。私は私の意志で、自ら進んで巫女となりました。賛同したのです。ミリアム様の遺志に……」
ソティスは後ろを向いた。
今や2人きりの部屋。外にはマルティナこそ居るが、音は決して漏れやしない。
だからこそソティスは、彼の崩れかけている肩に手を置き声高らかに言った。
「全てが一つに……苦しみも痛みも無い世界……!! 素晴らしいと思いませんか? その術を、ミリアム様は閃いたのです!! ……私は貴方様の正体を知っています。憧れ、その身を百をも殺す痛みに耐え、狂い、裏切られ、そして失望した……。そんな貴方が何故、望まぬのです……!? それを味わってなお、どうして『この世は美しい』と言えるのでしょうか……?」
それを聞いたグレイはため息を吐いた。
「それこそが……生きると言う行為だからだ。ミリアム、お前は……お前の遺志は何年生きた? ……もう大人になれよ。お前自身も重々分かっているだろう? 永遠の繁栄なんて有り得ない、と。国が興り、そして滅ぶ。それと同様に生命もまた、産まれ死ぬ。それがこの世の摂理なんだよ。生があるから死があって、死があるからこそ生者は涙を流すんだ。だから、どうして……」
この世を否定しているお前が泣くんだよ──
そう言われたソティスは、自身の目から溢れる涙を手を受け止めた。
濡れた手のひらを握り、彼女は口を開けた。
「ミリアム様は巫女へと移す際、大きな失態をしました。その失態とは、全ての記憶を持ちこせない事。継がせられる記憶は、ごく少数の出来事だけ。『全てを一つにする』という彼女の遺志は健在ですが、記憶は欠損している。それは貴方もご存じのはず。それでミリアム様は、一体何の記憶を残したかお分かりですか?」
「……」
「それは、貴方様との記憶です。病弱な迷い子であるミリアム様を、貴方は拾われ師となった。……覚えていますでしょうか?」
──夜闇に怯える私に、天井いっぱいに瞬く星の名を教えてくれたこと
──病に伏した私へ、調合した薬と温かい食事を作ってくれたこと
──膨大な自然の知識を、何度も理解できるまで根気よく教えてくれたこと
──寒い冬の夜。身を寄せ合って共に眠ったこと
「失態だと……思いますか? ……私はそうは思いません。『全てを一つにする』という目標、それは時間と禁書が解決してくれる事です。彼女は……ミリアス様は、この記憶を残された。それが、私が進むべき全てです」
「……」
「聞こえますか……? ……私は、必ず成し遂げます。誰もが悲しまない世界を創るために──。ですので賢者様、どうか私を……肯定して頂けませんか?」
「……」
ソティスは彼の手を取った。肌は灰色で生気は無く、既に冷え切っていた。
徐々に体は灰となり最後は骨となった頭蓋だけが残った。それを丁寧に拾い上げたソティスは霊廟の奥。名もなき棺の中に仕舞った。
苦しみ溢れる現実に、彼がもう二度と目覚めぬ様に。
◇◇◇◇
その日の夜、聖都セルフォーテは慌てていた。
長老という最高職に就く、法国建立に携わった猫の獣人のヴィルシーナが亡くなった。前から肺を患い医者からは長くはない、と申告させていたが、遂にこと切れた。
それを察していたのか『聖女』の直系の娘マルティナは数日前、ヴィルシーナと最期の挨拶を交わしたらしい。
英雄『聖女』と共に奔走したヴィルシーナは、似た金髪のマルティナをよく可愛がっていた。そのため法国の聖職者たちは皆、喜んだ。
そして彼女は今──
「巡礼ぃ? ヴィルシーナ殿が亡くなったばかりでは無いか? 元気だな……」
ローレンスは鎮痛効果のある薬草が入った噛みタバコを口に放り込んだ。
失った左腕には包帯が巻かれ、残った右腕で器用に大剣の整備をしていた。
「余りにも早すぎます……! 騎士団がこの様になった今日も今日……!! マルティナさんにはその理由を──」
「なぁ、ソティスちゃん……。何をそんなに急いでいるんだ?」
「えっ……それは……」
ソティスは長い髪を揺らし顔を背けた。彼女にはどうしても拭えない問題が発生した。
彼の頭蓋が……マルティナによって奪取された。あの少女の犯行だと決めつけるのはいささか早計だが、それ以外ソティスには考えられる候補は無かった。
別に、だからと言って自身の計画を妨げる問題では無い。けれどミリアムの遺志を受け継いだソティスは苛立った。最愛の彼の遺体は、自身の近くにあるべき──だと。
「巡礼ってそれ……今や亡き『賢者』や『竜狩り』の生きた痕跡を巡る旅だろう? 現にマルティナちゃんの熱心な巡礼のお陰で聖騎士団……聖剣に適性が無い逸材へ『賢者』『竜狩り』の得物を渡せているだろう? 時期は時期だが……ヴィルシーナ殿にとって彼女は特別な存在。もう生前に、別れを済ませていると聞いた。……ならば、彼女にどんな非が有る?」
ローレンスの一言は正論だった。
現に序列3位の『不滅の兄弟』を含む聖竜騎士までもが、彼ら英雄の武器を手にしている事もある。
それほど巡礼と言う行為は尊いものであった。大英雄らの武器を持ち魔を狩る姿は、民を安眠へと誘う事が出来るからだ。
「……私の早とちりでした。ヴィルシーナ殿が亡くなり、気が動転していたようです……。では失礼、明日は早くなりますから」
ソティスはローレンスの自室を出ると、親指の爪を噛んだ。
今わの際。長老ヴィルシーナは、マルティナに何かを吹き込んだのだ。
あの獣人の事だ。ほくそ笑んで死んでいったに違いない。
「全く以て……苛立たしい。あの泥棒猫め……!!」
◇◇
馬車の荷台で腰を下ろし、遠くなっていく聖都を一目見た少女マルティナは、金色の髪を風に揺らした。
「良いのですか? お嬢様……。葬儀は数日にわたって行わる、と有りましたが……」
「いいの。ヴィルシーナ様とは日中に、お話しを終えましたから。爺、夜道は辛いと思いますが……頑張ってください」
「おほほほ。何の戯言を言いますかお嬢様。この爺、昔は聖竜騎士として法国に仕えていた身。この程度、苦では有りませぬ」
白い髪をオールバックにした老人トーレは、馬の手綱を握った。
トーレは改宗したて、つまりは英雄『聖女』がトップに居た時代の聖竜騎士であった。大怪我をし一線を引いた時、彼女から自身の子への執事を任命された。民を第一とするその姿勢と重ねた信頼によるものだ。
そこからは何十年と働き、現在はマルティナの執事として生きて来た。昔から『古竜狩り』『賢者』の絵本が好きだった彼女はトーレを従え、よく巡礼の旅をした。
故に今回の『わがまま』もいつも通りに「はいはい」と従った。マルティナとの確固たる信頼関係が築けているからだ。
「今日はお疲れでしょう? ここは爺に任せ、お眠りください」
「……うん」
マルティナはブランケット被り、馬車の振動の中で目を瞑った。
人形のように抱きかかえるは、日中に戦った男の頭蓋骨が入った麻袋。それを胸に、自身の中へ溶かすように抱きしめた。
「聖女マルレーネの末裔。聖竜騎士マルティナは、遂に貴方様を見つけることが出来ました……! ずっと……ずぅぅぅっと、貴方様は私の憧れでした……神さまの様な存在でした」
彼が自身の言い放った『楽しかったよ』と言う言葉を、何度も脳内に反芻する。それを思い出す内に、顔が火照ってくる。
圧倒的な実力不足なのは重々承知だったが、それでも彼に実際に会い、腕比べをし、褒められたのは最高の出来事だった。
全ての絵本、全ての伝記では彼と言う存在は死んでいる。しかし現実はどうだ? ……彼は生きていた。
これに至った経緯は、ヴィルシーナが生前に渡してくれた『マルレーネの日記』と『彼の耳打ち』だった。
その情報でマルティナはグレイの正体を暴いた。そして彼の遺言通りに行動に移った。
頭蓋の奪取に関しては、この娘の暴走であったが、確実にグレイの残した言葉の方向に馬を走らせていた。
隣国。その少しさびれた街へ向かって。
その街の南には、恐ろしい魔女が住んでいる森があるという。
「あぁ……私だけの英雄様……。このマルティナが傍にいます。いつまでも……いつまでも」
そう言って金髪の少女は眠りについた。
その街に、何が待ち受けているかなど分からぬまま。
お疲れさまでした。
誤字脱字など有りましたら報告頂けると嬉しいです。
色々と法国の聖竜騎士が出てきましたので、軽く紹介だけ残します。
ミドル、ラストネームは省略します!!名前の横の『』が二つ名です!
序列1位 ジョシュア 『純白の天使』 細身童顔。20歳手前。男。
宝剣:本物。 未来視の祝福。
序列2位 リーンハルト ~法国でお留守番中~
序列3位 アルバート&ヘンリー 『不滅の兄弟』
宝剣:適正なし。『竜狩り』の得物を使用。 ――の祝福。
序列4位 クィンシー 『断頭台』 30代の男。無口。
宝剣:偽物(ソティス製)。 祝福無し
序列5位 マルティナ 『白雷の聖女』 17歳。女。
宝剣:ない、英雄『聖女』の聖鈴を使用。 反逆の祝福
序列6位 セブリアン 『不敗不動』 20代後半。男。筋肉の塊のような奴。
宝剣:偽物(盾に変形)。 祝福無し
序列7位 ミルシュカ 『血茨の魔女』 20代前半。女。
宝剣:偽物(杖に変形)。 祝福無し
序列8位 レティシア 『冷花結晶』 30代後半。女。
宝剣:偽物(杖に変形)。 祝福無し