前編
ご覧いただきありがとうございます。
頭を空っぽにして書いた話なので、頭を空っぽにして読んでいただけるとありがたいです。
「兄です」
そう言って彼女が示した先にあるものを見て、俺は胡乱な目をしてしまった。
日当たりが悪く湿気の多い裏庭に、ぽつんとある井戸。
それが、彼女が俺に紹介した『兄』だったからだ。
だが、そうか。そういうことか。
呪いにかけられたのは、兄ではなく妹の方だったのか。
さて、この状況。どうしようか。
*****
俺の名はベッセル。
職業は医者だ。
巷では、奇跡を呼ぶ男なんて持て囃されてる。
俺にかかれば、どんな難病、奇病、呪いであっても、たちどころに治っちまうからだ。
ま、呪いでもって言うのは、ちっとばかり大げさかもしれん。
なんせ俺が治す病は、呪いではなく『呪いのようなもの』だから。
俺が生まれ育った国は、世界でも類を見ないほど医療水準の高い国だった。
――ということを、俺は国を出て初めて知った。
国を出てまず驚いたのは、他国では衛生の概念がほとんど存在してないってことだった。
手や身体を洗い清める、生ものや腐ったものは食わない、ゴミや排泄物を道端に捨てない。
こんなのは、俺の国じゃガキだって知ってる常識だ。
だが、そのガキでも知ってることが、誰もできていない。
学も金もない貧民だけじゃなく、宝石をじゃらじゃら着けて着飾ってるような金持ちやお偉いさんでもだ。
それだけじゃねえ。
高熱が出たとありゃ、裸に剥いてじゃばじゃば水ぶっかけながら神に祈る。
出血が止まらねえとありゃ、血を固める作用のある毒草を傷口からごりごり擦り込んで、ヘンテコな呪文を唱える。
殺す気か。
実際、そんなだから、単なる風邪や切り傷でも死ぬ人間は大勢いたし、流行病だって相当な頻度で発生してた。
故郷にいた頃は、遠隔手術ができる最新型魔道具や、変異型万能抗体の話題で持ちきりだったってのに、えらい違いだ。
認識が200年……いや、500年はズレてる。
俺はこの地獄のような世界を、それでも医者の端くれとして歩き続けた。
行く先々で、おかしな民間療法や意味のわからない祈祷と戦い、病人や怪我人に少しでもマシな『医療』を施していく。
それでもまだ、わかりやすい病気や怪我ならそこまで苦労はなかった。
特に手を焼いたのは、悪魔や死霊、呪いのせいだと信じられている患者を前にしたときだ。
痙攣発作だの全身の発疹だのは、悪魔憑き。
貧血や低血糖で真っ白になって倒れりゃ、死霊憑き。
アレルギー反応なんて、軽いものから重篤なものまで、もれなく呪いによるもの。
俺に言わせりゃ、どれもこれも原因のはっきりした症状なんだが、医学知識のない人間だとそうはいかねえ。
悪魔憑きや死霊憑きなんて「殺せ」一択。
呪いだって、排除され迫害された挙句、最終的には「殺せ」一直線だ。
だが俺は諦めず、彼らを助け続けた。
最初のうちは俺まで殺されそうになったりもしたが、諦めずに続けているうちに、いつしか『奇跡を呼ぶ男』なんて呼ばれるようになっていた。
俺の職業は医者だ。
だが、そう思ってるのは俺だけなんだろう。
今まで散々、拝み屋だの悪魔祓いだの言われてきたからな。
けど生憎と俺は医者なんで、本物の呪いを解いたり、悪霊を祓ったりする技術はねえ。
俺にできるのはせいぜい『呪いのような』症状を落ち着かせ、治してやることだけ。
……とは言え、だ。
俺は生まれてこのかた、本物の呪いや悪魔なんて見たことがない。
多分、これからもないだろう。
もし俺の目にも呪いに見える症状があるのだとしたら、それはまだ解き明かされてない新たな病気ってだけだ。
少なくともこれまでは、どんな難病、奇病、呪いと言われるものだって、たちどころに治してきた。
だから、これからだって治してやれる。
今となっては恥ずかしい限りだが、俺は傲慢にも、そんなふうに考えていたのだ。
*****
この日、依頼を受けてやって来たのは、とある街の有力者のお屋敷だ。
有力者の屋敷という割に、街からはだいぶ離れた何もない郊外にぽつんと建っている。
近くの村の人たちに話を聞いたところ、屋敷の主である有力者とその妻は、3年ほど前から街の方に住んでいて、ここにはたまにしか戻ってこないらしい。
今この屋敷には、兄と妹の2人が、数人の使用人たちと住んでいる。
兄は幼い頃から屋敷にこもりきりで、村の人たちはその姿を見たことすらない。
だもんで、冗談混じりに「本当に兄がいるのか?」なんて言う人もいるくらいだ。
妹の方は、以前からたまに村に来ているらしく、顔は知られていた。
気になる話を聞いたのは、屋敷に出入りしている配達の少年からだった。
ここ1、2ヶ月、屋敷に届ける食料品が劇的に変わったそうだ。
食材や香辛料は殆ど注文になく、すぐ食べられるような調理済みのものばかり。
なのに料理人が解雇されたわけでもないと、少年は首をひねっていた。
妙な話ではあるが……俺が呼ばれたことと、何か関係があるだろうか。
俺に依頼をしてきたのは、この家の妹だ。
兄の様子がおかしい。もしや呪われているのではないか、と。
「このような遠い所まで、ようこそおいでくださいました」
優雅な礼をして俺を屋敷に招き入れたのは、依頼者である妹本人だった。
「街から離れていて不便でしたでしょう。ここは、両親が兄のために建てた屋敷ですの。兄は、ここから離れられないものですから」
そんな話を聞きながら屋敷を見回して、俺は軽く鼻白む。
これまでの話からして、兄は『呪われる』以前から、病気がちだったのだろう。
ここは、療養のための屋敷だ。
穿った見方をすれば、隔離――もしくは幽閉するための建物なのかもしれない。
だからなのか、街に建つ邸宅なんかと比べると、そこまで大きくはなかった。
中は見栄えが良いよう、小綺麗に整えられている。
とは言うものの、正面口から廊下まで、じめっと湿気がこもっていた。
窓も一応あるようだけれど、どこもかしこも飾り窓で、開くことはできない仕様。
それに分厚いカーテンがかけられて、日の光もろくに入ってこない。
そのせいで、屋敷内はどことなく陰鬱で、どよんと空気が淀んでいる感じがする。
いや、実際に淀んでいるのだろう。
これでは、とてもじゃないが療養環境として良いとは言えない。
更に言えば、ここに来るまでに見てきたものも酷すぎた。
屋敷のすぐ裏手は手入れのされていない雑木林が広がっていて、草も木も生え放題。
野生のネズミやウサギなんかの小動物が道端をウロチョロしたり、蚊だの蜂だの飛び回る虫や野鳥の姿もあちこちで見えた。
少し離れた場所には魔道具工場があり、そこからはもくもくと魔学薬品の煙が絶えず立ち昇っている。
風に流された煙は屋敷の近くまで漂ってきているのか、変な臭いもした。
ここまで酷い環境でどうして平気なのか不思議だが、医学や衛生の知識がなければこんなもんなのかもしれない。
俺を呼んだということは、兄の『呪い』は単純な病気じゃないんだろうが……ここまで原因が多すぎると、どんな病状かあたりをつけることもできん。
単純なところで、肺がやられたか、アレルギー反応か……
俺は、腕を組んで小さく唸った。
「ベッセル様、こちらへどうぞ」
依頼人であるお嬢さんが案内してくれたのは、応接室らしき場所だった。
勧められた豪華なソファに腰掛けたら、やたらとふかふかしていて驚いた。
俺が座るのを待っていたように、控えていた使用人がすぐに茶を用意してくれる。
薄い褐色の、キレイな水色をしていた。
しかし何故かお嬢さんの分は用意されておらず、俺の分だけ。
こんなとき、上流階級のマナーとして口をつけた方がいいのかつけない方がいいのか知らないが、俺はただの医者だ。
躊躇せず、目の前のカップを持ち上げる。
まず、なんとも甘酸っぱい妙な匂いが、鼻腔を擽ってきた。
茶葉にドライフルーツでも混ぜているのだろうか。
個人的にはあまり好きな匂いではない。
無意識に顰めちまった顔を慌てて繕って、カップの液体をほんの少しだけ舌に乗せる。
……やたら甘え。
使用人が砂糖の分量を間違えたかってくらいの激甘だ。
飲めないことはねえが、全部飲み干すのはちっとばかり遠慮したい。
せめてキンキンに冷やしてあればもう少し誤魔化されたんだろうが、残念ながら常温だからな。
まあ、熱ければ熱いで、この匂いと甘さが余計に引き立っていただろうから、まだマシだったと思うしかないか。
意を決して、続けてふた口ほど飲み込んでみる。
舌や喉に、ザラつく感じもヒリつく感じもしないから、水には特に異常なさそうだ。
屋敷内外の環境があまり良くねえから、水にも何かしらの問題があるかと危惧していたんだが、逆に拍子抜けだ。
これで後から、舌が痺れたり血を吐いたり腹を下したりしなけりゃ大丈夫だろう。
ま、そんな危ねえ水なら、既に病人がわんさか出てるわな。
そんなことより、口の中が甘ったるすぎる。
後味が最悪だ。
水がほしい。
そんなことを考えてたら、ぱちりと目が合った。
お嬢さんが穏やかに微笑んでくる。
「お口に合いましたか?」
「ええ、まあ。あまり良い育ちじゃないもので、恥ずかしながら味の良し悪しはわかりませんがね」
「まあ!」
口元に手を当て、お嬢さんがふふと笑う。
「実は、少し甘すぎやしないかと心配していましたの」
「……確かに、俺の舌には甘すぎましたよ。できれば甘くない、水なんか1杯頂けるとありがたいんですがね」
「まあ……」
頬に手を当てて、お嬢さんが微笑む。
「…………………………」
「…………………………」
にこにこにこにこにこ。
以上。
なんだろう。
上流階級特有の、遠回しな冗談だったのだろうか。
取り敢えず、お嬢さんが水を出す気がないことだけはわかった。
「こほん。えー、それじゃあ早速、お兄さんの状態を見せてもらえますか」
「ええ、勿論です。今のでおわかりになったかと思いますが、わたくしども非常に困っておりますの」
ん?
何がわかったんだと?
お嬢さんの言葉の意味がわからず問いかけようとしたが、それよりもお嬢さんが席を立つ方が早かった。
俺も、お嬢さんに続いて席を立つ。
どうせ患者の状態を確認したら、本人からも家族からもあれこれ聞くことになるんだ。
些細な疑問は後でいいか。
「兄のもとへご案内しますわ」
俺たちは、応接室から出て患者の部屋へ向かった。
――と思いきや、お嬢さんは正面口のホールへ向かい、そこから外へ出た。
首を傾げながらも、俺はその後をついて行く。
何故か俺の後ろには、大きな籠を持った使用人もいる。
籠には、これでもかと甘ったるい匂いを放つ焼菓子が、小山のように盛られていた。
……まさか、とは思うが。
これから呑気にガーデンパーティでもしようってんじゃないだろうな。
上流階級の人間の考えはわからん。
ここに来てからずっとわからなすぎて、俺は早くもうんざりし始めていた。
「この奥です」
お嬢さんの目指す目的地は、屋敷の裏庭だった。
広さはかなりあるが、雑木林に近く薄暗い。
日当たりの悪さと水捌けの悪さが相俟っているのか、空気も土もじっとりと湿気を含んでいる。
紛うことなき、黴や菌類の温床だ。
屋敷の中もそこそこ酷かったが、ここは冗談抜きに酷い。
いつもこんなところでガーデンパーティをしてたってんなら、病弱な兄が何らかの感染症に罹って病状が悪化していても不思議はない。
「あのですねえ……」
病気だの呪いだの以前に、まずはこの環境の劣悪さを説明するところから始めなきゃならん。
そう考えた俺が口を開いたのと同時、前を歩くお嬢さんがピタリと立ち止まった。
「ベッセル様。こちらが、兄です」
「は………………」
そして、お嬢さんが指し示す先を見て、俺はぽかんと間抜けな面を晒してしまった。
お嬢さんの手の先には、井戸があった。
大きくて精緻な装飾がついた立派な井戸だが、古ぼけていて、ところどころ縁が欠けている。
意味がわからず、俺はほけっと口を半開きにしたまま、井戸を見ていた。
兄とやらは、井戸に落ちたのだろうか。
それともまさか、枯れ井戸に住んでいるのだろうか。
纏まらない思考のまま、井戸に向かって「お兄さま」と呼びかけるお嬢さんを見て、俺は段々と状況を理解してきた。
恐らく彼女は、冗談や比喩ではなく、本気で裏庭の井戸を兄だと思っている。
なぜなら、彼女こそが『呪われて』いたからだ。
人間の脳ってのは、案外いい加減なもんだ。
ちょっとした思い込みや勘違いで、あるはずのないものが、あたかも本物のように見えてしまうことがある。
枯尾花が幽霊に見えるってやつだ。
ただそれが脳の病気となれば、事はもっと深刻だ。
脳の錯覚――幻覚ってのは、当人にとっては真実そのものなのだ。
だから単なる裏庭の古ぼけた井戸でも、お嬢さんの目にはしっかり『兄』として映っている。
なんなら『兄』の声も聞こえているかもしれない。
専門外だからすぐには思いつかなかったが、考えてみれば有り得ることだ。
俺が知る限り、世の中で呪いと言われているものは2種類に分けられる。
未知の病気と、脳の誤作動。
俺が今まで解決してきた様々な『呪い』は、前者だった。
そして今回の件は、後者だったということだ。
わかったところで、俺は腕を組んで考える。
専門外とはいえ、俺だって一応は医者の端くれ。
対処方法はわかっている。
ただ、この手の病は落ち着くまでにとにかく時間がかかるものだ。
さて、どうしようか。
「あ、どーもどーも。ただいまご紹介にあずかりました、この子の兄です」
突然、思考を全部まっさらに消し飛ばすような、呑気な声が聞こえてきた。
俺の気のせいでなけりゃ、井戸の方から。
「は…………?」
余りに突然のことで、理解が追いつかない。
俺はまたしても、ぽかんと口を開けて間抜けな面を晒してしまった。
「おやぁ、驚いてますねえ。もしかして、井戸男は初めてですか?」
「……井戸、男…………?」
思いっきり不審な顔を顕に、俺は井戸の後ろに回り込んだ。
ついでに、中も覗き込んで見る。
意図はわからねえが、どっかにふざけた野郎が隠れているに違いない。
「あっはっは! いいでしょう、いいでしょう。いくらでも、気の済むまでお調べください。私は逃げも隠れもしませんから。ま、井戸なんで逃げも隠れもできないんですがね、あっはっは!」
「まぁ、お兄さまったら。ほほほ」
なんだか知らねえが、無性にむかっ腹が立つ。
俺はムキになって、声の主を探し続けた。