六
イルドに一面雪景色が広がっていた。何日も続いた吹雪が止み、久方ぶりの晴天が顔を見せ、眩しいほどの日差しが雪を照らす。
晴れた隙にと、ユーリックはジオウと共に屋根から雪を落としていた。ジオウは歳の割に動きが活発で、屋根の上では落ちる心配など必要のない様に動き回る。ユーリックも雪かきは慣れてはいたが、ジオウ程では無かった。
二人がかりというのもあり、広い屋根の雪はあっという間に無くなった。それが終わると、次は下だ。家の付近から屋敷の敷地の隅へ雪を運ぶ。
重労働ではあるが、力にも体力にも自信が有るユーリックには苦ではなかった。ジオウには、女性だから娘達の仕事を手伝ったらどうかと言われたが、ユーリックには体を動かす仕事の方が向いていた。
雪を屋敷の隅に運び終わると、村の子供が敷地の入り口からひょっこりと顔を出して覗いていた。旅人自体が珍しく、こうやって時々子供が珍しいもの見たさに屋敷までやって来る。
子供が嫌いなわけでは無いが、どう相手して良いかが分からないユーリックは試しに一歩近づいた。すると、子供達は悲鳴にも似た声をあげて、逃げていった。楽しげにも聞こえたが、ユーリックには判断もつかない。
子供達が逃げ去った方を何気なく眺めていると、ジオウが屋敷に入ろうと言っているのが聞こえ、適当に自身に付いた雪を払うと屋敷の中に戻った。
雪の中を歩き回った所為か、靴も裾も見事に濡れている。屋敷を汚す前に着替えようと自室に戻ろうとすると、背後から蚩尤が呼び止めた。
「貴女は客人だ。そんな事をする必要は無かったが……」
「体を動かすのが好きなだけです」
世話になるばかりでは、やはり心苦しいと、ユーリックは屋敷の手伝いをする様になった。
専ら、ジオウの力仕事が性に合い、割合は多かったが、ジオウの妻と娘二人や料理人等の雑用を手伝っては、僅かながらに会話を交わす様にもなっていた。
少しでも人らしくある様にと、ユーリックなりに考えた結果でもあった。
「何か温かい飲み物でも用意させよう。後で、居間にくると良い。」
ユーリックが自室で着替えを済ませ、居間に向かうと暖炉のお陰か暖かい。それに加え、香ばしい香りが漂い、蚩尤が座る卓に二つ置かれていた。
用意された茶器を当たり前に自分の分と認識出来る程、蚩尤と会話を重ねた。対等な関係では無いが、この時ばかりは友人にも近い関係になり、遠慮する事は無くなっていた。只、蚩尤に聞かれた事を語るだけでなく、ユーリックからも、国の事、本の内容を繰り返し尋ねる様にもなっていた。
龍人族や、獣人族なる姿を変える者達が実在する事、この国でも不死が存在する事、異能を持つ者の英雄伝、神と言葉を交わす事ができる神子なる存在。
そのどれもが、真実で、ユーリックの興味を駆り立てた。未だ、神という曖昧な存在に懐疑的では、あったものの、自分が居るのは未知の国だと思うより無かった。
ユーリックは蚩尤の対面に座ると、湯気が上るそれを僅かに啜った。染み込む温かさに、ほっと息を吐くと、口を開いた。
「昨日読んだ本に、焔という国が出てきたのですが、以前は国が分かれていたのでしょうか。」
「陽国は現在八百八十六年。それ以前が焔皇国となる。」
「国名と元号が変わった理由は何なのでしょう?」
「単純に国を治める一族が変わったにすぎない。今は黄龍一族が国主を務めている。」
「それは、皇帝陛下が龍人族という事でしょうか。」
「そうだ。龍人族は五つの一族が存在している。黄龍一族、蒼龍一族、黒龍一族、白龍一族、赤竜一族。その内の黄龍一族の黄家が皇族とし黄帝の位を賜り、黄家分家が領地を治めている。蒼龍一族、黒龍一族、白龍一族も同様に代表格の家が領地を治め、赤竜一族だけが領主の臣下として人に仕える道を選んだ。」
「焔も龍人族が国を?」
「いや、人だ。」
「皇帝の座を奪われたのですか?」
「謀反の記録は無い。当時の皇帝は、何の前触れも無く皇位を黄龍一族に譲位したと記録に有る。その方は焔皇国二代目で赤帝と言う。在位は僅か二一年。初代の炎帝は一代で千二百年近い歴史を持つとされる。」
途方も無い年月にも思われた。蚩尤が言うには、この国の不死も死なないわけでは無い。死は精神に左右されると言われ、それは永く生きれば生きる程顕著に現れる。千二百ともなれば永遠に近い時間にも思えた。
「……二代も続けて不死が生まれるのは当たり前なのでしょうか。」
「正確には、初代炎帝神農の孫が二代目の赤帝だ。炎帝は不死の血を持つ者とされていた。不死の一族であれば、続けて不死の存在が生まれるのは、然程珍しい事でも無い。」
蚩尤はユーリックの質問に歴史書を暗記でもしているかのごとく、迷い無く答えた。
「それはこの国ならば誰でも知っている事なのでしょうか。」
「読み書きが出来て、歴史書を読んだことがあれば答えられるだろう。私は暇にかまけて、色々な本を読み漁っただけだ。」
屋敷には多くの本があった。屋敷の一室は書庫になっており、壁一面が本で埋め尽くされていた。それでも本を置く場所が足りず、居間もまた多くの本が隙間を埋める様に置かれていた。蚩尤の部屋にも書棚が有り、既に本を置く場所は無い。
「この屋敷に有る本は全て読んでしまった。春になると商人が売りに来たり、私の実家が本を送ってくれるが、それも直ぐに読み終わってしまう。」
その言葉に、蚩尤の不満が見て取れ、望んでこの地に暮らしているわけでは無い様に思えた。
イルドは何も無い。穏やかではあるが、近隣の村や街までは距離があり、簡単に村を出る事も出来ない。わざわざこの地に定住する理由が有る様にも思えなかった。
「蚩尤様は、何年この地に住んでいるのですか?」
「五年と言ったところか。それ以前は省都に住んでいた。」
省都はイルドより南に山と川を越えた先に有る丹省の都だと言った。
「朱色の屋根が並び美しい都ではあるが、人が多くて煩わしい。不便では有るが、此処は静かだ。」
イルドは人が少ない。丹でも一番人口の少ない村でもあった。山々に囲まれ、春から初秋にかけてしか出入りは出来ない。出来たとしても、来るのは商人か手紙を届けに来る者ぐらいだ。
「……何故不便なこの地に?」
「白仙山や鎮守の森に異変が起こらないかを見る為。何も起きなければ、是と言ってやる事もない暇な仕事だ。」
力有るとされる地を重要視し、国がそれを認めている。
蚩尤の身分も、この国の身分制度も分からない。それでも、身分ある者が引き受ける、又は任命され、何か起こる前提として割り振られた仕事ならば、やはり意味があるのだろう。
「私は隠居するつもりだったが、仕事を押し付けられただけだ」
不満気に語る蚩尤にユーリックは思わず笑みが溢れた。会話らしい会話になってきた。お互い、本音かどうかも分からないが、穏やかと言える日々に、ユーリックは満足していた。
やがて、また吹雪が酷くなった。
外に出る機会はめっきりと減り、手合わせどころか、散歩も儘ならない日々が続いたが、前程の息苦しさは感じなくなっていた。
本を読んだり、蚩尤と会話を重ねたり、陽皇国について学んだりと、その日々は、ユーリックにとって充実したものだった。
そして、次第に吹雪は徐々に弱くなり、雪解けの季節が来た。
青々とした若葉が芽吹き、景色を春一面へと変えていった。