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幻想の異邦人  作者:
6/27

 土が茶色から、白に変わった頃、白い息を吐きながら、ユーリックは蚩尤と共に外に出た。

 外に行くと告げられ、いつもの散歩に誘われたのだろうとユーリックは考えていた。

 いつもと違ったのは、蚩尤の手には彼の愛用の剣と、見慣れた短剣が握られていた事。人目に付かないところを選んだのか、屋敷の裏側に回ると、短剣をユーリックに手渡した。


「……蚩尤様、これはどう言った事でしょうか」


 急に短剣を手渡され、驚くも、蚩尤がある程度の距離を取った事で、それが何を意味するかは分かった。


「何、毎回外に出る都合が散歩だけでは詰まらんだろうと思ってな」


 ユーリックは手渡された短剣に見覚えはあった。

 磨かれてはいたが、染み付いた汚れで、それが手荷物の一つであった事は確かだった。


「私は、何かしら武芸を嗜んでいると言った覚えは無いのですが……」

「歩き方や、体付きでそれと無く分かる」


 ユーリックは、その言葉で蚩尤又、武芸を嗜む者なのだと悟った。

 ただ、ユーリックには蚩尤の実力が分からない。体躯こそ良いが、六十前後と思われる年齢の人物に本気で挑んでも良いものだろうか。

 そんな事を考えながら、ユーリックは、右手に短剣を持つと逆手に構えた。ユーリックの顔付きが変わった事で、蚩尤も剣を腰に携えたが、構える様子は無い。それでも気迫だけがユーリックに伝わっていた。

 手練れだろうか。

 いまいち掴み難い。蚩尤の実力を伺うつもりで、一歩踏み出そうとした時だった。目にも止まらぬ速さで蚩尤は剣を抜き、ユーリックに剣を向けた。顔付きは変わり、今まで仮面を被ってはいたのだろうかと思う程様変わりし、まるで修羅の様。

 初手をなんとか防いだが、衝撃で短剣が弾き飛ばされそうになっていた。

 金属が激しくぶつかった振動で、腕が痺れそうになるのを堪えながら、振り払われない様にと更に強く握り締める。その後もユーリックを追撃し幾重にも及ぶ剣撃が押し寄せるも、防ぐのが手一杯で後ろに下がるばかりで攻撃する隙など与えては貰え無い。

 より一層強い力で振られた剣を、防いだつもりだったが、短剣は弾き飛ばされ、首元には蚩尤の剣が向けられていた。

 ユーリックは両手を上げ、負けを認めるしかなかった。

 恐ろしく強い。己と蚩尤の力量の差を遠く感じた。

 緊迫感の所為か息が上がり、僅かな時間で疲れを感じた事など、ユーリックには経験の無いことだった。


「参りました」


 蚩尤を見れば、鞘に剣を納め、平然とした顔つきで、ユーリックを捉えるだけ。


「良い動きだった」


 誉められるなど、いつ振りだろうか。

 ユーリックは蚩尤が護衛も無しに、こんな辺鄙な場所に居る事に納得が出来た。護衛など必要としない実力を持ち、ユーリックの様に身元の分からない者でも平気に屋敷に滞在させられるのだと。


「この国の方は、皆、蚩尤様の様に強いのですか?」


 冗談混じりの言葉に、蚩尤は笑った。


「そんな事はないが、それなりの強さを持つ者なら何人か知っているな」


 気になる言い方ではあったが、ユーリックよりも強い者など、まだ居ると言っている様なものだった。

 ユーリックは、自分の強さに自信があった。

 辰帝国に居た頃は、師や兄弟子以外には、負けた事も無く、目の前にいる齢六十程度の男に武芸で負ける事もそう無いだろうと、甘い考えが僅かに浮かんではいた。どうやらそれも傲慢な考えだったと思うより無い。


「しかし、面白い構えだ。それは、辰国独自のものか?」

「これは、私の師が考案したものです。右手に軽い短剣を持ち、左手は常に開けておく。体術と並行して、魔術を使う事を前提としており、辰独自のものとは到底言えません」


 そうか、と呟き強さ故の余裕だろうか、またも蚩尤は愉しげに笑みを浮かべた。


「此処にいると腕が鈍る。出来れば、時々こうやって相手をして欲しい」

「それは構いませんが……蚩尤様は、私を試されているのでしょうか」

「ある意味ではそうだな。異国の者は珍しい。貴女に実力があるかどうかは、見てみたかった」


 可もなく不可もない答えではあった。

 嗜んでいるのであれば、相手取ってみたいと思えなくも無い。


「何か、思うところがありそうだな」


 鬱憤が溜まっていた訳では無い。ただ、心の片隅に溜まった痼を外してしまいたいという思いからか、自然と口は動いた。


「私は、今、どういった状況なのでしょうか」

「行く宛の無い異邦人が、暇な老人の相手をしている、だろうか」


 茶化しているとも思える答えに、漠然とした質問では意味はないと悟った。ユーリックは、息を吐くと、再度口を開いた。


「その異邦人を、客人として扱うのが、この国の習わしなのですか?」

「異邦人が来るのは稀だから、何とも言えないな。客人として扱っている事に他意は無い。不満でもあるか?」

「不満は有りません。良くして頂いている事に感謝しております」

「ならば、何に疑念を抱いている」

「……この先を見通せずにいます。いつまでも、ここにお世話になるわけにもいきません」

「私は一向に構わない。貴女は礼儀正しく、実に誠実だ。何より、退屈しなくて済む」


 不躾な質問にも関わらず、即答で答える蚩尤に、本音か嘘かを見抜く術をユーリックは持ち合わせてはいなかった。


「ここは、嫌いか。」

「いいえ、心穏やかに居られる良い土地です」


 ユーリックにとって、これ以上無い事だった。誰も自分の事を知らず、思惑も何もない。

 だがそれも、只の異邦人ならば、違っただろう。蚩尤の客人だから村人も使用人も何も言わず、此処にいる事に疑念を抱かずにいるだけだ。


「ですが、借り物の生活を続けるわけにもいきません」


 借り物の生活など、心苦しくなるばかりで、居心地が良いものでもない。

 出来れば、蚩尤の事を、他意無く、唯の優しさと思いたいのもあった。


「勇み足だな。行く当ても無く、国を彷徨うか?」


 厳しい顔つきを見せる蚩尤に、ユーリックは返す言葉が無かった。

 俯き苦渋を浮かべ、自分が置かれている境遇が、幸運である事は、ユーリック自身理解していた。それを見兼ねてか、蚩尤は踵を返すと、ユーリックに着いて来る様にと促した。


「少し、中で話そう」


 蚩尤の自室に招かれ、使用人が淹れた茶を前に、ユーリックは顔を上げられなかった。無礼を承知で言葉を発し、ぶつけてしまった事を、只管に、後悔していた。

 不満が無いという事が、嘘だった。

 他人の家の中を自由に歩き回る事も出来ず、外に出る時は、蚩尤が常に側にいる。逃げる気はないが、窮屈に感じる様にはなっていた。


「……先程は、失礼しました」

「構わない。貴女の状況で、心身に影響がない訳では無いだろう。私も、説明をしなかった」


 穏やかな表情に戻った蚩尤に安堵するも、気まずく、目を見る事が出来ない。

 平然とする蚩尤は、一口茶を啜ると、口を開いた。


「異邦人は、保護の対象だ。だからこそ、貴女を無条件で迎え入れた」

「保護?」

「青海から、稀に外界の者が流れ着く。大体は、異国の言葉を話し、意思疎通もままならないと聞く。それらは、国か省が保護し、国に馴染むと、婚姻関係や養子縁組で戸籍を得る」

「では……」

「それはあくまで、()()から来た者達の話だ」


 蚩尤は、茶器に目を落とし、何かを迷う様に間を置いたかと思うと、再び、ユーリックに目線を移した。


「貴女が、白仙山から来た事が問題だ。」


 顔は穏やかだが、強い口調に、ユーリックは肩を竦ませた。


「前例が無い。何より、どんな影響があるかも分からない者を、おいそれと、此処から出すわけにはいかない」

「……では、私は監視の対象だったのでしょうか。」

「正確には観察対象だろうか。まあ、あまり監視と変わらないかもしれないが」

「では、客人として扱うのでは無く、最初からそう言って頂ければ……」

「貴女自身には、何の問題も無い。礼儀ある者を客人として扱うのは当然だ」


 ユーリックが礼儀を示したのは、蚩尤の出方を窺う為だ。唯の好意だと知ると、それが申し訳なく思えてならなかった。


「此処は穏やかだが退屈だ。貴女の様な見識有る者が、来てくれて好都合と思ったのもある」

「何故、この様な辺鄙な場所に?」

「人が多いと、煩わしい。此処なら、面倒な連中の相手をせずに済む。それだけだ」


 嫌な相手でも思い出したのか、眉間に皺を寄せ、珍しく心情をはっきりと見せた。


「ユーリック、白仙山に身を置く程の事があったのだろう。此処では好きに過ごせば良い」


 蚩尤は、ユーリックが全てを語らずとも、何の意味も無く白仙山を登った訳では無いのだと解していた。

 ユーリックは蚩尤を疑い続けた自分を恥じた。善意を企みと決めつけ、蚩尤を寄せ付けまいと決め込んでいた。本当に此処が嫌なら、最初から出て行けばよかっただけだ。 

 逃げ出す事など容易で、一人に戻りたいなら、山を目指せば良いだけの事。それにも関わらず、心の底で人寂しいと感じ、淡い期待を抱いていた。

 裏切られる事ばかり畏れ、愚かな心根を持つ自分が嫌になりそうだった。


「出来れば、話し相手は続けてくれると助かるが」


 ぽろりと溢れた本音に、ユーリックはつい笑ってしまい、慌てて口許を抑えた。僅かに綻んだ表情は、一瞬の事だったが、人らしい穏やかで温和な女の顔があった。


「申し訳ありません。」

「いや、感情を失っていた訳では無いのだと、知れた。」


 ユーリックは姿勢を正し、蚩尤の目を見た。真意や本意など、疑うべきでは無い。逃げる意志を持たないのなら、曖昧な考えは捨て、向き合って見る事も必要なのだと、心に決めた。


「実の所、身体が鈍っていたのは、私も同じです。蚩尤様の様に、お強い方に手合わせ願えるなど、光栄な事です。」


漸く心を開いた言葉に、蚩尤は穏やかに頷いた。


「出来れば、この国をもっと知りたいと思います。」

「この屋敷に有る本は好きに読むと良い。貴女には、懐疑的かも知れないが、どれも真実だ。」


 蚩尤は窓を見た。また、ちらほらと雪が舞い始めていた。


「直に吹雪が来る。暫くは家に篭る日が多くなるが、春になったら、少しばかり出掛けてみようか。」


 白仙山から、冬が来る。

 イルドは、厳しい寒さと共に白く染まり、雪で埋もれていった。

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