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幻想の異邦人  作者:
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 目覚めてから数日、ユーリックは何をして良いかも分からず、部屋から外を見て過ごすばかりだった。窓の外を眺めては、白仙山や村人の様子を伺うばかり。最初こそ、何日も眠っていた事や、鎮守の森から出て来た後遺症で動き回れないだけなのかと、蚩尤も気に掛けなかったが、聞くと身体に不調は無いと言う。

 ユーリックが蚩尤に申し出たことといえば、長く伸びた髪を切りたいと、鋏を貸して欲しい言った事だけ。

 何かを探る様子も無ければ、これと言って要求も無かった。

 見兼ねた蚩尤が散歩がてらにと、屋敷から連れ出して、漸く行動を起こすといった具合だった。


「体の調子はどうだ?」

「問題有りません」


 ユーリックは常に一歩後ろをついて歩いた。その様は、さながら主人と従者の様でもあった。蚩尤が話しかければ答えるが、それ以外は目を配り、物珍しそうに小さな家や、村人、田畑を眺めていた。

 村人は冬を越える支度の為、忙しく働いている。イルド村は北部という事と、白仙山の影響で冬が長く凍える寒さが続く。吹雪で幾日も外に出られないなど、ざらに在る。準備に手を抜けば、家族丸ごと凍死する事すらあるのだ。 

 ユーリックは、彼らの着ている衣や、穏やかで貧しくもない暮らしを見ると、漸く此処が異国の地であると、得心できた。村の住人は少ないが、田畑は広く、何処までも広がっていた。時折、ユーリックと目が合う者もいたが、その度に村人等は目線を逸らした。


「此処は北の果てだ、旅人自体が珍しい。余り気にする事は無い」


 村人達には、偶々迷い込んだ旅人だと説明したと蚩尤は言った。陰気ではないが、排他的とも取れる行動ではあった。小さな村などそんなものだろうと、特に気にも留めなかったし、ユーリックにとっては、自身の事を誰も知らないという事を思えば、小さく他愛のない事だった。

 秋の終わりを告げる様に、白仙山から冷たい風が降り注ぎ、イルドにちらほらと雪が舞った。紅葉も終わり、葉が落ちる山々ばかりの景色になった頃、蚩尤は踵を返した。同様にユーリックも振り返ると、今迄身を置いていた屋敷が見えた。

 小さな村にそぐわない、大きな屋敷。蚩尤の身なりから考えても、高貴な身分である事が窺える。隠居して、この村に住んだというが、少々、屋敷も蚩尤の身なりも、この北の果てには似合わないと、ユーリックには思えていた。

 ふと、見慣れた白い色が目に入った。広大に広がる森の、そのまた向こうに白仙山が変わらぬ姿を見せる。遥か遠く、あの山にいた事に現実味は無く、夢か幻にも思えていたが、今踏み締めている大地が現実へと引き戻した。ユーリックにとっては、今この状況が、今いる国が現実で無ければならなかった。


「この国の名は、何というのでしょうか」


 答えるのでは無く、珍しくユーリックから投げかけた疑問だった。


「この国は、陽皇国と言う」


 ユーリックは地理に詳しいとまではいかなくとも、隣国や知識に留めておく程度の規模の国なら覚えがあったが、蚩尤が口にした国の名は、聞き覚えのないものだった。

 蚩尤によれば、この国は入る事もできなければ、出ることも出来ないというのだ。その存在を知られる事なく今日まで、外界と隔たれた国として存在してきた。実際、白仙山を挟んではいるが、辰帝国と隣り合った国だというのに、ユーリックもその国の存在を知らないどころか地図にも載ってはいない。

 何故入れないのか、何故出れないのか、そもそも、神域とは何なのか。蚩尤は閉ざされた国だと言ったが、そんな事は有り得るのだろうか。理解出来ない事ばかりを口にする蚩尤に、疑問ばかりが募っていった。

 屋敷に戻り、蚩尤が地図を見せるも、そもそも、陽皇国しかない為、白い山の近くとしか分からない。白い山の位置を考えれば、辰帝国の南に位置する程度の情報しか無く、異国を思わせる地に、山を越えたのだと考えるしか無かった。

 此処が異国という事だけが、ユーリックにとって安心材料とも言えた。望んだ地では無いが、誰もユーリックの事を知らない、誰も自身が不死身であると知らない。唯一知っている人物も、軽々と受け入れた。

 そればかりは、ユーリックにとっての、安らぎの地とすら言えた。

 ただ、ユーリックには、目的が無い。そもそも、何処かに辿り着く予定でも無かった為、人知れず生きて行こうと考えて居ただけに、何をして良いかも、これからどうすれば良いのかもが分からなかった。

 行く当てが無いと分かっているからか、蚩尤は、この屋敷に滞在する期間は特に告げる事も無く、暫く様子を見るしか無かった。

 蚩尤はただ、暫くこの屋敷で過ごし、話し相手にでもなってくれれば良いとだけ答えた。

 何より、冬が近い。

 丹省の冬は厳しく、白仙山がより近いイルド村は特に雪が積もるのだという。

 白仙山の影響で冬が長く、旅路など到底無理だと、蚩尤はきっぱりと答えた。

 客人として迎えられた為か、豪奢な部屋を与えられ、身に余ると言えば、気にするなと言われ、せめて、何か仕事をしたいと言えば、人手は足りていると断られた。質素に生きてきたユーリックにとって、上等な暮らしだったが、全てが借り物でしかなく、戸惑いは隠せなかった。

 せめてもの恩返しは、暇だと言ってのける男の話し相手ぐらいしか残っていなかった。



 次の日も気を遣ってか、蚩尤はユーリックを応接間に呼び出した。蚩尤が座る卓には、二つの茶器が用意されている。

 一方は蚩尤の前に、もう一つはユーリックが座るであろう椅子の前。対面に座る事を示唆されていると、その椅子に座った。

 ユーリックが何者かも分からないのに、何故こうも客人として扱うのかが疑問でしか無かったが、今は、その扱いに応えるしか手段は無い。蚩尤の望む通り、話し相手とやらに徹するしか無いのだが、何から話せばいいか、ユーリックは悩んだ。


「貴女の故郷の話で構わない」


 正直、大して面白味のないどころか、陰鬱な国。それが、ユーリックが故郷に抱く感想だった。思い入れもなければ、帰りたいとすら思わない。

 だが、この屋敷の主が望むならと、ユーリックは、姿勢を正し、蚩尤に向かって自信が知る知識を話た。


「良い国とは言えませんが……」


 辰帝国。

 陽皇国よりも、北に位置し、冬が長い。五つの地に分かれ、中央を皇帝が、残り四つを親王が治めている国である。辰帝国西部に位置する(とう)国を沈めれ、大陸全土を手中に納めようと画策するが、内乱が絶えない。

 皇帝、王族、貴族といった高位の者達ばかりが富を独占し、民達は貧しい暮らしを強いられ、大地が凍る程の寒さに冬を凌げず、凍死や餓死するものが後を絶たないのが実情だ。

 ユーリックが暮らしていたのは、辰帝国の南部地帯だった。北部に比べれば、幾分か寒さはましだが、それでも冬の寒さは厳しいものだった。

 その国で、ユーリックは魔術師として暮らし、技量を磨き、妖魔を討伐するのが主な仕事だった。


 ユーリックは淡々と語ったが、蚩尤は、何かに疑問を持ったのか、顎に手を当て、考え込む仕草を見せたかと思うと、その口から出た言葉にユーリックは唖然とするしか無かった。


「魔術師……とは?」


 ユーリックにとっての常識が、蚩尤にとって未知のものと言っている様なものだった。山を隔てているだけと、ユーリックは認識していたが、閉ざされているとは、完全に世界から孤立しているのだと、思わざるを得なかった。

 何も、魔術師は辰帝国だけのものではない。元々、エンディルと呼ばれる国から広まったとされるそれは、今や知らぬ者など無知か常識知らずと言われる程だ。

 陰鬱な国を、より凄惨なものに変える程の力を持ち、不死の存在として君臨してると言っても過言では無かった。


「魔術師は、不死の存在です。全てがそれに値する訳では有りませんが、特有の術を使い、時に妖魔を狩り、時に戦に利用されます」


 本来ならば、魔術師の事を話すのは、裏切り行為に当たるが、故郷を捨てた今、何も気にする事はないと、ユーリックは続けた。


「魔素と呼ばれる、魔術の素が存在します。それは、核、魔素の器、第二の心臓と呼び名は様々ですが、研鑽を重ねる事で大きくし、技量を高め、二つ目の命の流れを作り出す事で、不死の存在へと成り得るのです」


 蚩尤は未知の話に興味を持ったのか、ただ話をする事自体に面白味を感じているのか、終始満足気だった。


「それは、誰しもが力を得る事が出来ると?」

「理論上は可能ですが、実際は十を満たない幼少時に、魔素の器を引き出し、確立させる必要が有ります。でなければ、十を過ぎた頃から生命の流れに溶けてしまい、引き出す事は不可能とされています」


 ユーリックは、只管に知識を披露した。それは信頼を得る為でも有ったが、元より性格もあった。

 従順。その一言に尽きた。


「貴女は先天的に不死身か?」

「そうです」

「では、魔術師なるものに縋る必要は無かっただろう。何故その道を選んだ」


 不死身であるならば、元より不死だ。わざわざそれに頼らずとも、その力を持っていた筈。


「私自身が不死身だと知ったのは、不死の術を会得した後でした。何より、魔術師は、孤児を弟子とします。選択権など、有りません」


 だとすれば、ユーリックも孤児であり、自ら選んだ道では無い。にも関わらず、それが当たり前とでもいう様に、表情に変化も無く答える。


「正直に申し上げますと、平民として生きるよりも、魔術師の方が、余程良い暮らしが望めるのも確かです。そして、それが我々にとっての常識でもあり、孤児が生き残る手段の一つでも有る」


 元より孤児の集まり。それを考えれば、最初から決められた人生を非情と言う者もいなかった。

 決して、楽では無い。修行は厳しく、命を落とす事すら有る。不死になったからと言って、死が無くなる訳でも無い。ユーリックはその厳しさを知っても尚、魔術師という存在の生き方を否定する事だけはしなかった。

 だが、魔術師が存在しない国で、果たして受けれられる話だろうか。いくら、興味があったとしても、嫌悪しないわけでは無いだろう。

 ユーリックは時折、蚩尤の顔色を伺ったが、別段に嫌悪感を表している様子は無く、興味ばかりが優先されている様にも取れた。


「面白いな。これ程までに、見る世界が異なるとは思ってもみなかった」

「御気分を害されるかと、思いました」

「自分から話せと言って、それを否定するでは、見識は広がらない。貴女の様に知識の有る者に出会えたことを幸運に思わねば」


 懐が広いのか、知識欲か。どちらかと言えば、後者にも思えた。


「その魔術師がどういったものかを、この場で見せる事は可能だろうか」


 好奇心の塊でもあった。

 ユーリックは、暫し迷ったが、ふと目の前の茶器が目に留まり、それに触れた。すると、忽ち茶器の中の茶が白く濁り、凍り付いた。それを蚩尤に手渡すと、蚩尤は大して驚く事は無かったものの、眉を顰め、まじまじとそれを見つめた。


「魔術は、魔素を源に、物質を変化させたり、作り出したりしますが、そのままでは唯の幻に過ぎません。ですが、知識や体感が伴う事で、現実により近いものに変化するのです」


 蚩尤は茶器を握り締め、揺らし、それが本物で有るかを確認している様だった。一頻り観察が終わると、それをユーリックの前に置いた。

 また、ユーリックがそれに触れると、氷は溶け、更には湯気が立った。


「まるで、異能の様だな」


 ぽつりと溢した蚩尤の言葉に、ユーリックは聞き覚えのが無いと、首を傾げた。この国にも、魔術に似たものが存在するという事だろうか。

 今度ばかりは、ユーリックの好奇心が疼いてしまった。


「異能というものを、伺っても宜しいでしょうか」


 ユーリックが又も、問い掛けた事に蚩尤はさらりと答えた。


「神が与えし祝福を受けた者だけが使える力だ。自然に身を委ね、操るが、生み出す事は殆ど無い」


 神の祝福という曖昧な表現に、ユーリックは今ひとつ、受け入れ難かった。

 それを汲み取ってか、蚩尤は言葉を続けた。


「貴女の国は、魔術が成る存在だと言ったが、此方では、生まれる存在だと言う事だ」


 ユーリックは驚きを隠せなかった。

 常識の違いが明確になったのもあったが、魔術師が極め成るものが、いとも簡単に生まれると言う。ただ一つの山の隔たりが、ここまで大きな違いを生むという事が、甚だ理解が出来なかった。


「私も、その一人だ。残念ながら、此処で見せる事は出来ないが」

「それは、遺伝……血によって伝えられるものなのでしょうか」

「突発的だな。続けて生まれる事もあるが、神の采配によるものだと言われている」


 今度ばかりは、あまりの常識の違いに、ユーリックが目線を落とし、頭を悩ませた。

 神が存在すると言われ、それが力を与えると言う。とても、容易に許容出来るものでは無かった。


「恐れながら、蚩尤様は、神が存在し得ると思っておいでですか」


 その問いに、蚩尤は確固たる自信を持って、ユーリックに答えた。


「神は、存在する。ユーリックは、目に見えない存在を信じられぬか?」

「目に見えぬもの程、不確かなものは無いと考えています」


 信仰を否定する訳では無いが、ユーリックにも信じているものがある。

 蚩尤が信仰を持っているならば、失礼に当たるかもしれないと考えたが、自分の考えを否定する程、愚かにも成れなかった。


「私は奇跡を信じません。事柄には理由があり、事象には原理がある。例えば、妖魔は陰から生まれるとされていますが、原理は未だ解明されていないだけだと考えています。此方の異能も、神と理屈を付け、誰も解明をしていないだけなのではないでしょうか」


 辰帝国には、妖魔と言われる存在がいた。姿こそ、獣と変わらないが、獣よりも大きく闇の様に黒い体をしている。そして、それは陰という、暗闇から生まれる存在と言われていた。

 陰に生きる存在で有り、増えすぎると山を出て人を襲う。

 ユーリックは、妖魔の存在を否定されなかった事から、此方にもそれに連なる存在がいるのだと、確信していた。

 あまりにも、きっぱりと蚩尤の考えを否定した事が、不安でもあったが、考えを捻じ曲げる事も出来なかった。

 ふと、蚩尤の顔色を伺うも、穏やかな顔つきどころか、嬉しそうな表情を見せていた。


「成程、此方には無い考え方だ」

「本来なら、そちらの考えを否定する様な発言は、失礼であるのは、知っています」

「先程も言っただろう。見識は広がらないと」


 満足だと、蚩尤は言った。


「この国は、理屈で説明できない物を、神の領域と言って事象を明かすことはしない。神の怒りに触れるのだと。」

「信仰が、そうさせるのでしょうか」

「いや、それ程強い存在が、すぐ傍に存在するからだ」

「例えば……白仙山が該当すると?」


 蚩尤は、白仙山を神域と言った。ユーリックは不死身だからこそ、永く山に留まったが、そもそも、とても人が生きて居られる場所では無い。簡単に凍え死ぬ事など、容易に想像できる。


「それも有るが……ならば、ユーリック。貴女は、自分が死ねない事をどう考えている」


 ユーリックは押し黙ってしまった。

 何をどう考えても、原理を追い求めても、死ねないなど、あり得ない事だと、理解していた。

 幾度と無く、死を体験し、理解せざるを得なかった。

 ユーリックはその身に死が無いと説明したが、実際は死んでいないわけでは無い。胸を刺されれば、その肉体は一時的だが死を迎える。そして、時が経つと傷が癒えると同時に生き返ってしまうのだ。


「人は死ぬ。命が途絶え、土に還る。それが世の常だ。だが、貴女はそれに反する存在だ。どう説明する?」


 反論など、出来る筈も無かった。


「……屁理屈を捏ねているのは、私の方だった様です」

「いや、構わない。中々に興味深い事ばかりだった」


 蚩尤の態度は変わらなかった。満足と言った表情を見せ、また話を聞かせて欲しいとも言った。

 そして、用意していた数冊の本をユーリックに手渡した。


「興味が有るかは分からないが、読んでみると良い」


 時間は有る。蚩尤が知識を追い求める者ならば、ユーリックは探究心溢れる者だった。僅かでも、この国を知れたならばと、快くそれを受け取った。

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