二十四
皇宮 真偽の間
真偽の間には、皇帝と元老院が揃い、皇軍からの報告書がそれぞれに置かれていた。
だが、問題はそこでは無かった。
今まで神殿に篭り、姿を見せなかった神子が皇帝と肩を並べ参席している事が、異常である証拠だと言っている様なものだった。
詳細に纏められた報告書には、どれも異変は静まりつつあると、記載されている。どの省も妖魔が湧き続いたが、ある時ぴたりと止まった。枯渇する事こそ無かったが、それでも混乱は徐々に治っていた。
多くの犠牲が出たのは、菫省と緑省だった。只人の兵士が多く、不死も少ない。ましてや、獣人族も少ないと皇軍に頼らざるを得なかった。民にまで被害が出なかったことが救いでもあったが、それに引き換え、丹省に犠牲は殆ど出なかった事が、菫省を治める周公や緑省を治める宗公には恨めしかった。
丹省へ赴いていた皇軍は結局、丹省に帰属する武官に助力を懇願していた。
不周山の異変は他よりも色濃く出た為か、皇軍の手には負える数ではなくなっていた。異変が強まる中、彼らはここぞとばかりに暴れた。共工に至っては、皇軍がいたのでは異能が使えないから邪魔だとまで言ってのけ、不周山に残っていた皇軍を追い出した。
そして、恨むではないものの、皇軍を率いていた玄家の将軍は報告書に事細かく発言を記録していた。
「(あの馬鹿たれ)」
祝融は目の前に用意された報告書に目を通しながら、息子を心中で罵倒するしか無かった。
協力しろとは言ったが、相手を邪魔などと追いやってしまっては、怒らせるだけだとわかってやっているから始末が悪い。剰え、暴言が事細かに記載されるほどの喧嘩を売ったことに呆れた。一応最後には、妖魔は丹省武官の手で一時枯渇されたと記録されていたのが、唯一の救いではあった。
「姜公の御子息は、かなりの手柄を立てられた様ですな」
開口一番の忌々しいと言わんばかりの周公の口調に、裏を読むまでもない嫌味に祝融はうんざりした。
「流石は姜公の御子息と言ったところでしょう。姜公も鼻が高いのでは?」
「他の武官の手柄でもある。今回は皆良い働きをしてくれたと、諸侯より伝え聞いている」
実際に玄瑛からは、ユーリックに負けた事で、相柳も豪雷も奮起したと聞いていた。本音を言えば、お前らの所が盆暗なだけだろうと、言い返してはやりたかったが。
「それで、姜公。今回は何が原因だったのかは判明したのだろうか」
姜家と同じく、一族から多くの不死を排出している風公が、助け舟ではないが詳細を今すぐにでも知りたいと、口を挟んだ。
「それに関しては、まずは私から話そう」
祝融が口を開くより早く、皇帝が言葉を述べると、場は静まり返った。
「姜公に調査をさせていた件だが、丹省に異邦人の来訪があった。これは白仙山を越えてきた存在であった事がわかった」
風公は祝融に目を向けたが、祝融が視線を返すことは無かった。
風公は封印をする準備を整えていたが、結局無用となっていた。大掛かりな封印術の為、やらない事に越した事はないが、封じるべき存在がいた事は確かであり、その対象が異邦人である事は容易に想像できた。
封ずる事なく事は治ったが、その理由は未だ聞いてはいない。今は面倒な周公もいる。敢えて口にする必要はないが、不審には思っていたものの、風公は少昊に目線を戻した。
「陛下、その様な存在がいた事は聞いておりません。いつこちらに来たので?」
「去年の秋にはこちらにいた」
「ではそれが異変の原因と判明したのですか?今どこに?」
皆がどよめく中、祝融がただ一人静かに場を見ていることを訝しんだ周公は再び口を開いた。
「姜公は知っていたのですか?」
「前回の議会では、まだ推測の段階だった。はっきりとわかったのは、一月前のことだ。」
「隠していたのか、それとも何か企みでもあったのでは?」
あいも変わらずと、周公は祝融を糾弾しようとしたが、祝融に至ってはどこ吹く風と態度を変える事は無かった。
「憶測では混乱が生じるだけだ。それにもう解決した。神子の口からの言葉の方が信用があるだろう」
名指しされ、リュカはわざと周公を見て話した。これには、周公も口を閉ざす他無かった。
「異邦人ですが、彼女は白神の導きによりこの国に来ました。この国の封が弱まっている事を知った白神が呼び寄せたのです。異変は、あくまでその影響と言っても良いでしょう」
リュカは終始、笑顔だったが、事の大きさに誰もが口を継ぐんだ。封印が解けるなど、誰も予測していなかった事だった。
「彼女は、その身に神を宿し、この地に辿り着いた事で役目を終えました」
リュカが語り終えると、慌てた様子で宗公は立ち上がった。
「待ってくだされ、では、五十年前の事が原因という事になるのではないか?」
リュカの顔からは笑みは消えた。ゾッとするほどの冷たい表情に宗公はたじろいだ。
「それは、この国が妖魔で溢れかえるか、神を殺すかの判断を間違えたと言っているのですか?」
神子の言葉と共に、宗公に対して皇帝も他の元老院達も鋭い目を向けた。
「あの時、この場に居なかった宗公だから言える事でしょうが、私は間違って居たとは思えません。何より、白神は殺すしかないと力まで貸したのです。神の言葉に異論があるのであれば、どうぞ」
冷たい視線に耐えきれず、宗公は大人しく席に座り口を継ぐむしか無かった。
「それで、その異邦人は?」
「その身に宿していた神が抜け、今は眠っています」
「白仙山を越え、その身に神を宿したとなれば只者ではないでしょう。陛下が保護をされているのでしょうか」
風公が発した言葉に誰もが目の色を変えた。
これからも妖魔が出るとなれば、強い存在はどの省も喉から手が出るほど欲しい存在だ。
「保護しているのは姜公だ。彼女は姜公の養女になったと聞いている」
祝融に視線が集まった。奇異な目で見る者、嫉妬の目を向ける者、そして周公は堪らず声を荒げた。
「どういう事だ、姜公!ひと月前に知った相手を一族に迎え入れるなど、やはり企んでいたのではないのか!?」
「身内が彼女の保護を申し出た。私は、彼女に同情し、手を貸したに過ぎない」
祝融はそう言って、懐から一枚の紙を少昊に渡した。
「手続きは済ませた。名を姜悠李と改め、目を覚まし次第正式に丹省に務める予定だ」
少昊は、それとなく、認められた書類を見た。
「丹諸侯と姜公の印章、どちらも押された正式な証書だ。既に姜公の養女と見て問題なかろう」
しれっと少昊は言ってのけた。他の元老院の目を見ても、祝融の判断は間違っていなかったと思えてならなかったからだ。
そこには丹省への利益も考えての事でもあっただろうが、ユーリックには己を守る事の出来る身分が必要だったのだと、答えは簡単に出た。
「姜公、流石にやりすぎでは?」
それまで、黙っていた蒼公は笑いを堪えているのか、長く伸びた青い髪が揺れ、袖で口元を覆っていた。
「やりすぎなものか。異国に来たばかりで、頼る者もないのだ。この国を彷徨い途方に暮れる事を考えれば、必要な事であったと思っている。彼女の為を思えばこその行動だ」
祝融は自分でも饒舌に詭弁を述べていると思えてならかった。
欲深な人間から遠ざけ守ると言った意味では間違いではないものの、祝融とて利益があると考えてはいた。半分は本音だから強ち間違いでもないと、自分を言い聞かせてはいたが、この場にいる誰とも、大して腹の中は変わらないのではと思えて仕方が無かった。
「では、姜悠李殿の事は後で詳しく聞かせていただこう。それよりも問題は、これからの妖魔の事だ」
少昊が、姜を付けた事で、それ以上の詮索は誰も出来なかった。皇帝が養女であると認めたのなら、下手な発言は醜態を晒すだけとなる。その後も会議は続いた。
――
議会が終わり、祝融は別邸に顔を出した。他の仕事を疎かにする事が出来ない為、別邸に残されたユーリックは蚩尤が任されていた。
ユーリックは眠り続けたままだった。蚩尤が別邸に残り、ユーリックの様子を見守っていたが、眠っている姿は穏やかそのもので、イルドに来たばかりのユーリックを彷彿とさせた。
あの時も、目覚めるのに十日かかった。今度もそうだろうと予想していたが、時は既に二週間を越えていた。
「まだ目覚めないか」
「ええ。先日、神子も来ましたが。いつ目覚めるかは分からないそうです」
皇宮ではなく、別邸に移動した判断は正しかった。皇宮では早速と顔も合わせた事のない官吏達から書状が別邸へと届いていたが、蚩尤が代理で文を開けては会わせる事は無いと返答を出していた。
「こちらにも直接尋ねてくる強者もおりましたが、そちらは私が相手したのち、お帰り頂きました」
「元老院の邸宅に直接出向くとは……しかも相手がお前ときた。そいつに同情する」
蚩尤は場合によっては嫌味を包み隠す事がない。訪ねてきた官吏は、蚩尤の冷たい形相と対応に逃げるように帰っていった事だろう。
祝融はお茶を一口啜ると、蚩尤を見た。ユーリックが気掛かりなのか、あまり眠れていないのが疲れた顔が浮き出ている。
「少し休んだらどうだ」
「問題ありません」
女官によれば、殆どの時間を悠李に付き添っているとの事だった。女官達も、蚩尤の身を案じていたが、彼女達がそれを口にした所で気にもとめない。
相変わらず意固地な男だ。祝融が言った所で、聞く耳は持たない事もわかっていた。
「不周山は落ち着いたが、今後は調査では無く討伐が必要になる。これからの課題は武官と兵士達の育成だな。武官を増やす事にはなる」
「それを私に育てろと?」
蚩尤の目つきが変わった。冷徹と呼ばれる所以でもあったが、人嫌いは相変わらずのようで、怯える者の姿が祝融の目に浮んだ。
「お前の指導で逃げ出す様な者など要らん。篩を掛けるには丁度良い」
蚩尤は現在武官を務める者はともかく、新任される者に期待などしていない。命じられたならば仕方がないと、諦めるしか無かった。
「私の処遇は如何されます」
「……これと言って考えていなかったが、お前にとっては、それ自体が処罰の様なものだ。今迄休んでいた分も含めて、存分に働け」
はっきりという祝融に、蚩尤は苦い顔を見せた。謹慎処分にでもしてくれれば、暫く本でも読んで過ごした事だろう。せめて面白みのある人物がいる事を期待するだけだった。
「悠李も武官として働いてもらう予定だ。贔屓はするなよ」
「加減など、彼女の矜持を傷付けるだけだ」
「悠李が目覚めてからになるが、お前を伯の位に戻す。悠李には……」
祝融が話し終わる前に、突如として応接間に女官が青い顔で飛び込んできた。
「悠李様がお目覚めになられました」
女官の言葉を聞くなり、蚩尤は悠李の部屋へと向かった。
「漸くか……」
慌てた蚩尤とは違い、祝融は落ち着いた様子で蚩尤の後を追った。
――
雪が降る度に、誰かに呼ばれている気がした。
小さな村の中で、少女はいつも山を見ていた。
はるか先に在る神様が住むという白い山は、その村の信仰の対象だった。女神が舞い降りた地として語り継がれ、各家々の中には崇拝する女神の像を祀っていた。
村は貧しく、冬は厳しい寒さに晒されてもなお、その村に住む者達は信仰を捨てなかった。少女も、女神がいるから貧しくとも生きて行けると両親に教わり、日々の感謝と祈りを忘れなかった。
時折、少女は奇妙な事を口走った。
「山に誰かいる」
誰も住むことが出来ない山である事は、村の誰もが知っていた。そんな筈がないと、両親は怪訝な顔つきで、そんな者はいないと度々少女を諭した。
村の誰に言っても信じてもらえず奇妙な目で見られるだけだった。少女は、自分にしか聞こえないのだと、口にするのを止めた。
雪が降ると、声はより一層強くなった。何故自分を呼ぶのかが気になって、少女は両親の目を盗み、こっそりと山へ向かった。
少女は走った。
子供の浅知恵でもあったが、声が聞こえるのだから、そう遠くはない。走って行けばきっと日が沈む前には帰って来れるだろうと考えていた。
半刻程走り続け、流石に息が切れて足を止めた。山の麓まではまだ遠く、子供の足では、いつになったら辿り着けるのかも分からない。それでも、少女は諦めなかった。一歩、また一歩と進んでいった。
それから間も無くして、背後から微かに声が聞こえた。
少女は、それが両親だとはわかっていたが、歩みを止める事はなかった。
「(早く行かないと、追いつかれる)」
何故、追いつかれてはいけないのだろうか。少女は自分の思考が不思議でならなかった。
後ろから自分を追いかけてきているのは、きっと知らない間に姿を消した自分を心配した両親だろうとは理解していた。
少女は進み続けた。声は近づき、背後まで迫っていたのにも関わらず、振り返る事もなかった。
「カナン!」
父親の声と共に少女の体は抱えられ、宙に浮いた。
少女は行かなければならないと、父親の腕の中で必死に踠いたが、それも叶わなかった。
「カナン!良い加減にしろ!」
少女の耳元に響いた父親の怒声で、少女は漸く大人しくなった。
「帰りましょう」
顔を歪め、自身と同じ赤い瞳が揺れ、今にも泣きそうな母親の姿が少女の目に入った。別に母親を泣かせたい訳ではない。少女には諦める選択しかなかった。
少女は、父親の肩越しに、山を見た。誰もいない山からは相変わらず声が響く。
悲し気な女の声が少女の耳に響き続けていた。
「(ごめんね、また今度ね)」
少女は心の中で呟くと、父親の腕に抱かれた暖かさからか、次第に瞼が重くなり瞳を閉じると眠ってしまった。




