二十一
凰省 皇都シンラン
祝融は別邸に着くと、邸宅の状況に、女官を問い詰めるしか無かった。
荒らされてこそいなかったが、庭園の足跡から大勢が不法に邸宅に乗り込んだことだけが、祝融の目にも明らかだった。
「突如禁軍が現れ、蚩尤様達を連れて行ったのです」
「いつだ」
「二日前の事です」
女官に怒りをぶつけても仕方が無いのは分かってはいたが、それでも祝融は怒りを抑えられなかった。
「神殿から返答は来たか」
「未だ来ておりません」
これ程までに怒りを露わにする主人の姿など未だかつて見た事など無い。女官は気圧されそうになりながらも、気丈に振る舞っていた。
祝融は踵を返して、外に出ると、後ろに付き従っていた、朱家の若い男の慈唱の顔を見た。
「悪いが、皇宮まで飛んでくれ」
「承りました」
男は龍に姿を変え、祝融を背に乗せると、颯爽と飛び立った。
龍に乗れば皇宮など直ぐそこだった。祝融は、元老院の権限も有り、直接皇宮の内部に飛べる。禁軍が動いたとなれば、事は慎重に運ぶべきだが、悠長にはしていられなかった。
祝融は元老院としての離宮の前に降り立つと、慈唱に中で待つ様に言うと、そのままの足で皇宮に向かった。
皇宮は祝融の姿にどよめいた。
顔を知る文官が祝融を嗜めようとするも、祝融は皇帝に面会を申し出るだけだった。
「今直ぐには無理です」
「では、出直せと言うことか」
無茶な要求である事は祝融にもわかっていた。こう言った場では手順がある。それを全て放り出しているのだから、今している行為は全てにおいて、皇帝に対しての無礼に当たるが、押し通そうと、強気に出るしか無かった。
「先に此方を軽んじたのは其方だ。無理をしてでも押し通せ」
文官は祝融の怒りに触れ、逃げ出したい一心で皇帝がいる部屋へと走っていった。
それでもどれだけ待つ事になるかと祝融は考えていたが、意外にも文官は直ぐに戻って来た。
「陛下がお会いになるそうです」
少し青ざめた顔に、息切れまでしている。文官には申し訳なく思ったが、祝融は文官に案内されるまま従った。
通された部屋は皇帝の執務室。少昊は待っていたと言わんばかりに、来客用の卓の上にはお茶まで用意されて悠長に長椅子に腰掛けていた。
文官は案内は済んだと、頭を下げ足速に去っていった。
「座らないのか」
少昊は祝融に顔を向けた。怒りを隠す様子も無い祝融を嗜める事もない。
祝融は、少昊の対面に座ると、開口一番に怒りを見せた。
「俺は少し待てと言ったはずだ」
「待っただろう。あれ以上は待てなかった」
少昊は祝融の態度に平然とした様子を見せる。何食わぬ顔で、淡々と返すばかり。
「姜公、神殿からの返事は幾ら待っても来ない。神子は動かん」
「そちらに返事を寄越したのか」
「当てが外れたか?神子はここ数年、神事を執り行うのみで表に顔を出さない。異邦人も異形と決めつける手紙を寄越した」
「悠李をどうするつもりだ」
「養女にしたらしいな。彼女の最後の望みは姜一族に温情を向けてくれとの事だった。蚩尤殿や連れの朱家の者は返そう。連れて帰ると良い。異変の助長の手助けをしたと咎められる事も無い」
祝融は無表情を貫く少昊に掴みかかりそうになった。
「俺の義娘はどうなるのかと聞いている」
「通りすがりの旅人と思え。そうすれば、心は痛まない」
感情の篭っていない言葉が、祝融の怒りを煽っていた。わざとでは無かったが、実際少昊はユーリックに対して思い入れの一つもない。それでも、この国の事情で助けてやれない事に関しては申し訳がないとは思っていた。
「私も心が痛まないわけでは無い。だが事が大き過ぎる上に、神子の力も望めならば、手段は一つしかあるまい」
「悠李が望んで起こした事では無い」
「それを証明出来るのが神子ただ一人だと言っているのだ」
「召喚は出来んのか」
「一度、異邦人の事で申請したが、良い返事は無かった」
祝融は自身の腹の中がどす黒い感情でいっぱいになりそうだった。
神殿も神子も最初から頼りになどしてはいけなかったのだと、他に手立てを考えなかった自身すら恨めしく思った。
「首を斬って封じれば、恨みを溜めて大きくなるだけだと分かっているはずだ」
「だが、今は手段が無い。龍人族ですら、妖魔に手を焼いている状況と言うのに、業魔でも出てみろ。それこそ手に負えなくなる。百年か二百年、その間に力を蓄えることができればそれで良い」
「誰が封ずる」
祝融の言葉に少昊は、ただ前を見据えた。
「……姜公、そなたしか居るまい。一度、面と向かって話したが、異様だ。あれと対時した時を思い出した。そなたとて分かっていただろう」
「わかっていたからこそ、神子に頼らざるを得なかった。悠李の心は澱んでなどいない」
「……彼女はそなたを信頼しているな」
「多分な」
「ならば、抵抗もされないだろう。封印はより強固なものになるな」
「俺はやらんぞ」
「では、蚩尤殿にやって貰うとしよう」
突如、卓に置かれたお茶がこぽこぽと音を立て始めた。徐々に泡は大きくなり、火にかけられているかの様に沸騰している。祝融の怒りを表す様に湯呑みの中身は煮えたぎっていた。
「姜公、抑えろ」
少昊には、それが祝融の仕業とわかっていた。時に異能は心身に影響される。相手が皇帝である事も忘れ、祝融の顔には怒りが満ちていた。
「抑えている」
「姜公が身内を大事に思っているのは知っている。蚩尤殿にやらせたく無いならば、姜公自ら手を下す事だ」
蚩尤は皇帝の命ならば、ユーリックの首を斬るだろう。
祝融の名誉の為に、ユーリックも自分も犠牲にする道を選ぶと、祝融にとって簡単に導き出せる答えではあったが、そうなれば蚩尤は今度こそ心が壊れるか或いは……。
だが、それは祝融が行っても同じに思えた。ユーリックを喪えば、同じ結果が待っているのでは無いのかと思えてならなかった。
「ならば、三日待て。神子を説得する」
「出来るのか?姜公、是はそなたの信用問題でも有る。今回の騒動が姜家主導の下、行われたと思われても仕方のない状況だ。そなたが異邦人を養女とした事で、より顕著となった。彼女を封じれば、元老院としての信用は取り戻せる」
祝融は、元老院創設の一人でもある。そんな人物が今回の騒動に関わっていたとなれば、祝融の信用は地に落ちるだろう。少昊は皇帝として、祝融に立場を確立したままでいて欲しいというのが本音でもあった。
だが、祝融は、それが気に入らなかった。
「一人を犠牲にした信用など、捨てる」
祝融は煮立った湯呑みの中身を一気に飲み干すと、時間が無いと言わんばかりに、早々に立ち上がり、荒々しく扉を開けて出ていった。
少昊は、そんな祝融の姿に不審に思えて仕方が無かった。
「(たかが異邦人に、こだわる必要など無い筈だろう)」
出会ってまだ間も無い筈なのに、既に娘として扱っている姿は異常とも思えた。
「祝融、何を感情的になっているのだ」
既に居ない人物に問いかけた言葉は空虚へ消えていった。
「誰かいるか」
少昊が呼びかけると、祝融が締めなかった戸の向こうより現れたのは、白髪金眼の若い姿の文官が一人。先程までの事態を隣で聞いていたのか、少昊が無事な姿を見て胸を撫で下ろしていた。
文官が一歩足を踏み入れると、異常な熱気に眉を顰めている。入口の扉を開放したまま、一目散に窓に駆け寄ると、大きく窓を開けた。
「姜公が、いつ陛下に向かっていかれるのでは無いかと、冷や冷やしていました」
「……彼は怒りを人にぶつける様な方では無い」
威嚇はされたがなと、少昊は湯呑みを見た。未だ湯気が治らないそれに、彼だけが持つ異能の力の片鱗を見た。
「そういえば、元は御友人でしたね」
「出来れば敵に回したくは無い方だ。何より、これからも、あの方の力が必要だ」
祝融もまた、英雄と称された一人だった。男もそれを知っていたし、祝融の大柄な体躯に何度も威圧は感じていた。ただ、武官では無い祝融の姿からは想像出来るものでは無かった。
「それで、御用命は」
「捕らえられた姜蚩尤殿と連れの朱家の女性を姜公に明け渡せ。これで彼も多少は鎮まる」
「承知致しました」
「異邦人はどうだ」
「大人しいものです。寝台に座って微動だにしません。落ち着きすぎて気味が悪いくらいですよ。食事も手をつけていないそうです」
少昊の胸が僅かに痛んだ。昨日面と向かっていた彼女の堂々とした姿が目に焼き付いていただけに、彼女は動じる事なく、受け入れたと言う事が心を締め付けた。
少昊は自身を律し、頭を切り替えるしか無かった。
「三日後に封印の儀式を執り行う。準備に取り掛かれ」
「封印の手順を知っている者は……」
龍人族で封印術を知るのは、少昊ただ一人だったが、皇帝の身である少昊が、安易に執り行う訳にもいかなかった。
「風公がその一人だ。既に風一族に伝達役は送ってある。時期に此方に着く頃だ。手筈は風公に聞くが良い」
それを聞いた男は風公の鋭い目つきの厳格な老人の姿を思い浮かべた。国で二番目に永く生きているのは風公だとも噂されるが、彼の栄光は遥か彼方の古い記録のみ。
「風公が封印するわけにはいかないのですか」
「彼は歳を取った。姜公の様に強い肉体でなければ失敗の恐れが有る」
「他に居ないのですか?」
男は祝融の態度が不安でしか無かった。少昊の言い分通りなら、姜蚩尤も風公より見た目が若いと言うぐらいだ。
このまま言う通りに祝融が動くとも思えなかった。
「封印術は姜家、風家、黄家にのみ伝わる術だ。何より伝わっていた所で、儀式を執り行った事が無い一族に任せられん」
「……分かりました。風公が到着次第、準備に取り掛かります」
「最悪、刑は私自らが執り行う事も視野に入れておく様に」
「……御意」
本来なら皇帝が自ら手を下すなどあってはならない。男はそれだけの異常事態なのだと受け取るしか無かった。
「とりあえず、姜蚩尤様と朱家の方の所まで行ってきます」
「ああ、任せる」
男は頭を下げると、足早にその場を去っていった。
少昊は未だ湯気が立ち込める湯呑みをじっと見つめるだけだった。
――
祝融が少昊と別れ半刻も経たないうちに蚩尤と明凛は解放され、祝融の離宮へと連れられた。姜一族を敬う態度を見せる文官が蚩尤には気に入らなかったが、文官も仕事なのだと心を宥めた。
離宮の外では、既に祝融と慈唱が待ち構えていた。祝融の姿を見るや否や、文官は慌てて頭を下げた。先程までの少昊との会話を聞いていたのも有り、面と向かうことだけは避けたかったが、どうやら失敗に終わった様だ。
「姜公、皇帝陛下の命により姜蚩尤様並びに朱明凛様を引き渡します、では」
用は済んだと、その場から逃げるように文官は立ち去った。些か失礼にも見えるが、その姿を蚩尤は気にする様子もなく、祝融に向かった。
「祝融様、悠李は我々とは別の場所に軟禁されている様で……」
「知っている」
怒りが鎮まったわけでは無い。蚩尤と明凛の姿に安心した様子を見せたが、腹の虫の居所は悪いままだ。
「神殿から返答は」
「……此処では話せん。別邸に戻るぞ」
「ですが、悠李は」
「戻るぞ。話はそれからだ」
蚩尤が何を言おうとも、祝融は言葉を遮った。一度、本城を目に捉えるも堪えるしか無かった。
明凛と慈唱は龍へと転じ、皇宮から祝融の別邸へと飛び立った。
別邸に着くと、女官達は居間で不安げな面持ちで待っていた。
「先程は済まなかった。今日は仕事は良い。休んでくれ」
祝融の落ち着きに安堵した様に女官達は胸を撫で下ろし、下がっていったが、蚩尤は女官達の後ろ姿に顔を顰めた。
「口止めしなくて宜しかったので?」
「今更だ。どの道、この家に禁軍が差し向けられた事など周知されているだろう」
祝融は慈唱に顔を向けた。龍人族ともあって、落ち着いた様子で祝融を見ていた。
「慈唱は申し訳無いが、状況を玄瑛に伝えてくれ。手は出すなとも伝えろ」
「承知しました」
「休み無く悪いな」
「私も姜一族に仕える身です。祝融様の御命令とあれば、何処まででも、ついて行く所存に御座います」
明凛こそ、武官として丹に勤めていたが、慈唱は文官だった。それでも、志は同じであると、祝融に頭を下げ忠義を示した。
「では、私はこれで」
命を受け、早速と慈唱は邸宅を後にした。
祝融が椅子に腰掛けると、蚩尤と明凛も同じ卓に着く。不安ばかりの状況に、焦る蚩尤は口を開いた。
「悠李はどうなりますか」
「率直に言うと、このままでは封じられる」
蚩尤には、耐えられない怒りが込み上げていた。
「神殿は何もしないのですか」
「見てもいない悠李を異形と決めつけた」
蚩尤は敵意にも近い怒りを、どこに向けて良いかが分からなかった。だが、腹を立てているのは祝融も同じだ。
「蚩尤、封印は俺が拒否した場合、お前に役が回ってくる。お前が拒否した所で、風公か少昊が執り行うだろうから、俺達が何もしない事に意味は無い」
「……何か考えが有りますか」
祝融は躊躇いながらも、腹は決めたと口を開いた。
「神殿に乗り込む。直接、神子に会うしか方法は無い」
明凛は驚いて蚩尤を見たが、当の蚩尤は含んだ笑を浮かべていた。
「……それは、なかなか豪胆ですな」
笑う蚩尤を見て、明凛は焦った。
「それはやり過ぎでは?皇宮と同等の権威ある機関を蔑ろにするなど、あってはなりません」
「どの道、他に手段は無い。少昊に取り付けた期間は三日。間に合わなければ、俺は悠李の首を斬るしか無くなるとだけ言っておく」
明凛からしてみれば、昨日今日主人の一族に加わった女よりも、永く仕えた主人の方が心配でしか無い。
「どの道、俺は悠李を犠牲にするなら元老院の席は降りる。明凛、協力する気が無いのであれば、丹に帰れ」
明凛は止める事も出来なければ、主人を置いて帰るほど、愚かにも慣れなかった。
「いえ、お二人だけだと無茶をなさいます。私もご一緒します」
「一番若い明凛に言われてしまいましたな」
「全くだ。俺が無分別みたいではないか」
今まさに無分別な行いを口にしていると言うのに、意に介さずと二人は笑っていた。
「侵入なら夜が良いでしょう。今でも、縛りの術程度なら使えます」
悠李の事だと蚩尤は焦りを見せるかと思われたが、祝融の無謀な行いに僅かばかり悪巧みに心湧かせていた。
「お前は置いていくぞ。一応、元老院の後継だ」
「神子は私の弟子でも有ります。久々に顔も見たい」
適当では無いにしても、言い訳を並べ、譲る気は無いと示す蚩尤に祝融が折れるしかなかった。
「お前、何としてでも着いてくる気だな」
「神子が気掛かりなのは本心です。暫く会っていないが、彼女らしからぬ行動に思えてならない」
「確かにな。そもそも、何故白神が導いた存在を放っておいた……」
祝融は不意に言葉を詰まらせた。蚩尤は一度として、導かれた存在の主を口にはしなかった。白神であるなら、蚩尤は手順を踏んだ事になる。神殿が悠李を異形のものと決めつけた事が辻褄が合わなくなっていた。
「蚩尤お前は何に導かれた」
「……分かりません。ただ、声がしたのです」
「それは神託か」
「声はありましたが、言葉とは思えぬ物でした。判別は付きません。しかし、悠李が白神に導かれたのは確かでしょう。どうやら、白神と神子、そして知り得ぬ何かの意見が食い違っている様にも見えます」
ユーリックは、白銀の龍に会ったと言った。この国を知らず、神をも信じていなかった彼女が嘘を付いているとは思えない。そして、蚩尤もまた、それを導きと言った。何かが欠けている。
「いずれにしろ、神子がいなければ推測の域を出ないな」
「いつ決行されますか」
「明日の夜、神殿に侵入する。出来る限り、神官達に接触はしない。良いな」
二人は頷いた。
祝融も不安が無いわけではなかった。神殿に侵入したとなれば、不敬罪に当たる。神子が応じなければ、その罰としてユーリックを封じるだけでは事は済まなくなる。いくら、神子が知人とは言え、綱渡りの状態である事に変わりはない。
「(出来れば、白神に味方して欲しい所だが)」
せめて、ユーリックが無情な命運を背負わされていない事を願うのみ。




