十五
丹省 省都キアン
祝融は、一時城へ戻っていた。朱家から届いた情報を聞きつつ、他領からの情報を待った。朱家の当主で有り、最年長でもある江念は朱家を取りまとめる存在だった。
普段は玄瑛に付いて文官長として働き、非常時には取りまとめ役として祝融に付いた。
「蚩尤様らしき人物が、赤目の女性とご一緒に雲省アコウの宿に泊まられた事は確かです。その後は柑省へ向かわれています」
「……柑省か。どこまで行く気やら」
祝融は江念の話を聞きながら、未だ進み続ける蚩尤に不信感を通り越して呆れを見せた。今一度志鳥を送ったが、やはり返事は無い。沈黙を貫く理由は何なのか。
「山賊の方はどうだった」
「半分は蚩尤様と思われる切り傷。半数は切り傷、殴り傷様々ですが、軽い火傷のみの死体が幾つか。異能と思われますが、検討もつきません」
江念も兵士が死体を回収する前に、その場に居た。恐怖を帯びたままのその姿は奇怪としか言いようが無い。武器を振り上げ、今にも攻撃せんとする姿のまま倒れ、動きを止められたとしか思えなかった。
「相手の動きを止める力と思えなくも無いが……何とも言えないな。他に情報は有るか?」
「お二人は、行く先々で印象が違いました。主と従者と言う者、祖父と孫と言う者、歳の離れた夫婦と言う者と様々でしたが、どの者も女が従順である印象を受けたと言っております」
「惑わされているわけでは無いか」
「主導権は蚩尤様に有るかと」
「女に不審な行動は?」
「総じて、赤目が珍しいと言った程度しか情報は有りません」
「それだけでは、女の目的もよく分からんな。」
「どうされますか?」
祝融は椅子に深く腰掛け目を閉じた。思考を巡らせ、せめて目的だけでも解ればと思ったが、部屋の外から聞こえた声に、それも止まった。
「祝融様、宜しいですか」
祝融が入れと言うと、怪訝な顔を見せつけ、共工は来客用の椅子に腰掛けた。
「何用だ?皇軍が不周山に入って暇になったからと言って、仕事が無いわけでは無いだろう?」
「蚩尤の事を耳にしまして。状況をお聞きしたい」
何処から話が漏れたかなど考える必要など無かった。
大方、朱家の者か玄瑛にでも圧を掛けたのだろう。現状城の中を忙しく走り回っている朱家の動きを考えれば、何かしら事が起こっているのは誰でも予想は付く。
祝融は呆れた顔で息子を見た。正直、共工と蚩尤は相性が悪い。
どちらも厳格な性格ではあったが、考えの相違から意見が対立する事がよくあった。
すぐ答えを見出そうとする共工と思慮深い蚩尤。共工が浅慮な訳でもなく、蚩尤が考え方過ぎていると言うわけでも無い。
ただ、譲り合う事が無かった。
立場が同じなだけに、止める事が出来るのは祝融ただ一人。二人をかち合わせれば、問題が大きくなる様な気がしてならなかった。
「まだ何も起こっていない。様子見だ」
「これだけ朱家を動かしておきながら、様子見で終わるわけでは無いでしょう」
「暇になったのなら、兵士達が妖魔と戦える様に叩き込んでやれ」
「また、厄介払いですか?」
「いつ俺が、お前を厄介者扱いした。子供ではないのだから、阿呆な事を吐かすな」
実際には、それに近い事はあった。厄介払いでは無いが、玄瑛が諸侯に着任した時に共工には皇宮へ務める事を勧めた。共工も玄瑛が上では、何かとやり難いだろうと考えての事であったが、捉えようによっては厄介払いと思えるものでもあった。
共工の実力を知った皇軍から誘いがあっての事だったが、共工はそれが気に入らなかった。ならば、祝融の跡を継ぐかと聞いても共工は丹省に留まり、祝融の下に仕える事を望んだ為、話は断ち消えた。
「では、教えていただいても良いのでは?」
祝融は溜め息混じりに答えた。
「蚩尤は今、イルドを出て何処かへ向かっている。目的を探っているが、検討もつかん。それだけだ」
「それだけの為に、朱家は使わないでしょう。蚩尤も祝融様に真意を隠しているのなら尚更だ」
「まだ推測の段階だ」
「その推測を迷わせているのが蚩尤自身ならば、連れ戻せば良い。隠居させたとは言え、あれも姜一族です。義務を果たさねばなりません」
祝融としては、それも真っ当な意見とは思えた。
だが、蚩尤を想えば好きにさせてやりたいとも思えたが、それはあくまで個人的な意見に過ぎない。
「祝融様は蚩尤に甘いところがあります。当主の意向に逆らい、返答もしないのであれば、反逆と見なしても良いのでは」
祝融は身内に対して、寛仁である様をよく見せた。家族を思っての事と言ってしまえばそれまでだが、祝融には当主や丹省代表の元老院としての立場がある。
共工は冷厳にも見えるが、その甘さで祝融の足元が掬われるのが心配なだけだった。
「……俺は甘いか」
「祝融様は身内だからと手を出さずにいるのでしょうが、それでは他の者に示しが付きません」
尤もな意見だった。祝融も丹省を預かる一族の当主としては、決断せねばならないところまで来ていた。ふと、何処からともなく志鳥が現れ、祝融が手を差し出すと指に留まった。
声の主は少昊だった。
『他領でも妖魔が増え始めた。雲省で丹省と同数の妖魔が確認されている。原因がわからぬ今、異邦人の件に関して手を拱いているならば、此方からも手を出す。宜しいな』
志鳥は消え、時間が無くなったと告げられた様なものだった。
「……連れ戻すしか、無くなったか」
「誰からだったのですか」
「陛下だ。他領でも妖魔が増えつつある。あちらが蚩尤を見つける前に動かねば」
祝融は白玉に手を伸ばした。
「此方で処理する。出来る限り待って頂きたい」
彼ならば少しは憂慮してくれるだろうと期待して、言葉を飛ばす。祝融は立ち上がり、江念を見た。
「江念。豪雷、明凛、相柳を呼べ。柑省へ向かう。それなりの準備はしておけ」
「御意」
江念は足早に部屋を出た。
「どうするおつもりで」
共工の顔は怪訝なままだった。蚩尤の身を案じるのであれば、行動に移すしか無い。
「お前も来い。手荒な真似は避けるつもりだが、蚩尤次第だ」
「承知しました」
祝融の部屋に各々が集まった。祝融の厳しい顔に何かしら事が起こったのだと、それぞれが悟った。
「蚩尤が異邦人を連れ立って、何処かへ向かっている。恐らく皇都と思われるが目的は知れない上に、こちらから幾度か志鳥を送ったが返答は無い。これを由々しき事態とし、蚩尤を捕らえる」
皆がどよめいた。蚩尤は祝融が最も信頼を置く人物なのは誰もが知る事。異様な事態ではあったが、反論する者はいなかった。
「今回ばかりは場合によっては、手荒な真似も辞さない。相手は蚩尤だ、油断はするな」
蚩尤の実力を知らない者はいない。彼の剣は国一番とされ、一対一では敵うものはいないだろうと言われるほどだった。
祝融を除いて。
「共にいる異邦人は女だ。技量は知れんが、蚩尤と剣を交えた事を鑑みると、手練れだと思った方が良い。だが、殺すな。今回の不周山での出来事に関わっている恐れがある。良いな」
皆が頷く中、共工は異論を口にした。
「殺してしまった方が早いのでは?」
これには、祝融は共工を睨んだ。
「原因と決まった訳ではない。生かして捕らえろ。良いな」
共工は不服な顔を見せたが、承知しましたと返事した。
「では、まず柑省を目指す」
祝融は立ち上がった。
豪雷は部屋に掲げられた大刀を手に取ると、祝融に差し出した。祝融は、それを手に取り、帯刀する。
「穏便に済めば良いが……」
祝融は帯刀した大刀に触れた。決して敵対する事など考えていなかった男を斬りたくはない。何よりも、これ以上、一族の血を流したくは無かった。
まだ決まった訳ではない。祝融は、四人を引き連れ柑省を目指した。