十一
雲省へ行くには、山を越えなければならない。
四つの省境を通る道は大きいが、この時期は人が多い。それと比べ、山間部を通る昔からある小さな道は、距離こそ変わらないが、今では主流でなくなった為、静かだ。
ウジより更に二つの村を通って、山道を向かうと、山の手前にある村で休息を取る為、宿をとった。
大通りが出来た為か、活気もなく小さな村。昔は宿場だったらしいが、寂れてしまい、宿は一軒だけだ。
そこも、宿だけでは立ち行かないのか、一階は食事処になっている。空いている席に座ると、蚩尤は適当に注文をした。
店は異様な雰囲気が漂っていた。薄暗いのもあるが、陰鬱な空気に他の席に座る数少ない客達は、蚩尤とユーリックを値踏みするかの様にじろじろと見る。どう見ても不成者だが、二人は視線を気にする事なく食事を済ませると早々に部屋へと戻った。
「……先程の者達は、何だったのでしょうか?」
「気にする事はない。放っておけば良い」
明らかに怪しい者達だったが、気にする素振りはなく、明日からは山道で野宿になるからと早めに休む様にとだけ言った。
蚩尤の意図は読めないものの、指示に従うしか無かった。
早朝には宿を出るも、特に後をつけられるという事もなく、何事も起こら無かった。ユーリックは村を振り返りながら杞憂だったかと、前を向いた。
山道は多くの人は通らず、木も多く茂っていた。少しばかり薄暗いが、街の喧騒が嘘だったかの様に静かな道のりだ。
虫の音や鳥の声、遠くに此方を伺う獣の気配だけが二人を囲んでいる。高く聳える僅かな隙間から差し込む木漏れ日を眺めながら、ゆっくりと進んだ。
「静かな山ですね」
「大きな街道が出来てからは、あまり使われなくなったが、私はこの道が好きだ」
ユーリックは前を行く蚩尤を見た。
まるで、辰で師の共をしていた時の様だと、その姿に師が重なって見えていた。似ても似つかぬ姿ではあったが、今の関係も師弟に近い物がある様にも思えていたのも、一因だろう。
懐かしいと言う感情はなく、虚しさがユーリックの中に込み上げていた。ユーリックは過去の記憶から目を背ける様に蚩尤から目を逸らし、ゆっくりと過ぎ去る木々に視線を移した。
どれぐらい進んだ頃か、蚩尤は一つの方向に目を向けた。ユーリックも同様に何かの気配を感じていた。
「シエイ、囲まれています」
「その様だ」
気づいた事を悟られない様にと、馬を進め続けた。馬を速めれば逃げられるだろうが、蚩尤はそのまま進む様に言った。
辺りの薄暗さが増した頃、前方に松明を持った人影が見えた。数人の男達が二人を待ち伏せする様に道を塞ぎ、二人が馬を降りると、後を付けていた者達が次々と姿を表した。
逃げ道を断つ為か、背後にも数人が現れ、男達はそれぞれが得物を手に、明らかな敵意を二人に向けていた。
口を開いたのは頭目と思しき男だった。
「爺さん、金と女を置いていけば助けてやる」
明らかな山賊行為にユーリックは溜め息しか出なかった。横目で蚩尤を見ると、穏やかな表情は消え去り、敵意を示している。
「シエイ、どうしますか」
「後ろは任せる。せっかくこれだけ集まったのだ、一人も逃さぬ様に」
「生死は?」
「問わない」
淡々と言ってのける蚩尤の目は冷ややかな物だった。
もはや殺せと言っているも同然に聞こえるも、逃さぬ様にするのならば、そうするのが手っ取り早いだろう。
焦れた不成者達が動くと同時に、二人は前に出た。
ユーリックは短剣を抜き、背後にいた男達に向かった。
姿勢を低くし、一人の男の足に短剣を突き立て、左手で顔面を殴りつけた。相手は勢いよく倒れ、そのまま気を失ったのか、ピクリとも動かない。
ユーリックはそのまま、呆然と突っ立ったままになっていた隣の男の首を切り裂く。
近くにいた男が慌てて棍棒を振り上げるが、ユーリックはそれを視界に入れる事なく避けると、身を返し勢いをつけ踵で男の右頬を蹴り飛ばした。
ユーリックは別の者に標的を変え、怯えて逃げ腰になっている者に向かって剣を投げつけると、剣は喉元に命中し、男はその場に倒れ込んだ。その姿を見た者達は後ずさったが、ユーリックに得物が無いと考えたのか手に持つ武器を再度握り締め、ユーリックに一斉に立ち向かった。
ユーリックはその場に佇み、それらが近づくのを、ただ待った。
口からは冷気が溢れ、足元に赤い陣が浮かぶ。
それを踏んだ瞬間、男達は動けなくなった。
何が起こったかも分からずに、慌てるばかり。陣を踏んだ足からじわじわと体が凍りついていった。
凡そ、味わう事の無い苦痛に男達は悲鳴をあげ、もがこうとするも、次第にそれすら凍った。恐怖の顔色だけを残し、男達は呼吸すら止まってしまった。
ユーリックは自身の短剣を倒れた男の首から引き抜くと、腰を抜かした者や伸びて動けなくなっている者達に止めを刺していった。
蚩尤の方を振り返れば、既に終わっていた様で、ユーリックを見定めていたかとでも言う様な、厳しい顔付きだった。
「見事だ」
「いえ、シエイの方が余程お強いかと」
ユーリックは蚩尤が相手していた者達を見た。既に全員が事切れており、全てが一撃で殺されていた。
「シエイはこれを狙っていたのですか?」
「ついでにと思ってな。あの村で手を出すと、仲間が出てこない。ユウリの容姿も良い餌になった様だ」
「……シエイの身なりも十分な餌だったのでしょうね」
「老人と女なら容易いと思ったのだろう。利用するようで申し訳なかった」
「構いません。しかし、これらはどうしましょう」
辺りは血にまみれ、無惨な光景が広がっていた。死体を処理するにしても数が多過ぎて、時間がかかりすぎる上に、面倒でしかない。
死体の山をざっと見て、蚩尤は荷物から白玉を取り出した。白玉は鈍く光ると白い鳥が飛び出し、蚩尤の指に留まった。
「現在、クギ村付近の雲省と丹省の山間に居る。山賊を討伐したので、処理を任せたい」
言葉を伝えると、白い鳥は飛び立った。
ユーリックは奇異なものを見ている様で、暗闇を迷い無く飛ぶ白い鳥を見えなくなるまで見つめていた。
「……今のは」
「言葉を伝えるものだ。知人に処理を任せた。もう少し先へ進もうか」
ユーリックは不可解に思いながらも言葉を飲み込んだ。
その知り合いとは何なのか。軽々しく、山賊とはいえ、死体の処理を任せられるとなると、限られて来る。
「(御実家が、軍を動かせるとでも言うのだろうか)」
その日は、省境を越えるどころか夜通し進み続けた。蚩尤は何も語らず、ユーリックは悶々とした気持ちを抱えたまま蚩尤の背中を見つめる他無かった。
それ以外方法が無かったのも有るが、蚩尤はわざとユーリックに伝える様を見せた。死体の処理を任せたと言う事は、あの鳥は大した時間も掛からずに、言葉を伝える事が出来るのだろう。
そして相手は直ぐ様、それが実行出来る人物だ。ならば何故、蚩尤は隠すような言動をするのだろうか。
ユーリックには蚩尤がわからなくなっていた。
不意に蚩尤は振り返り、後方にいたユーリックを見た。角灯の灯りで蚩尤の顔が仄かに橙色を帯びて、先程の山賊に対する冷ややかな表情とは違い、穏やかな好好爺然とした表情を見せる。
そのまま馬の速度を下げ、ユーリックに並ぶ様に進んだが、特に蚩尤からは口を開かない。また、試しているのだろうか。ユーリックは悩みながらも、今迄溜め込んだものを吐き出したくなった。
蚩尤の様子を伺いながら、言葉を選んだ。
「先程の鳥は、シエイの言葉を届けたと言う事でしょうか」
「そうだ。志鳥と言う。神が作った代物で、鳥が言葉を運ぶ」
「……何故、山賊の事を知っていたのですか?」
「数年前から、省間に山賊が潜伏すると言う噂は耳にしていた」
当たり障りのない答えだった。以前は省都に住んでいたのなら、知っていて当然と言う回答にも聞こえる。
「……そんな事を聞きたかったのでは、無いだろう」
腹を探れるほど、ユーリックが口が回る訳では無い。その程度の生易しい相手では無い事は理解していた。
「蚩尤様は、何者なのですか?」
蚩尤は良い機会だと、一息つくと、口を開いた。
「私の姓は姜、丹省を治める姜一族の一人だ。先程連絡したのは、丹省の諸侯で私の義理の息子だ」
ユーリックは然程驚かなかった。姜と言う名に覚えは無くとも、山賊をすぐ様対処出来る者などそうはいないと考えていた。丹省の諸侯と言うならば、軍をすぐ動かせるのも得心が行く。
「では、蚩尤様は元丹諸侯で今もそれなりの権限を所有している。と言う事でしょうか」
「権限は無いに等しい。姜姓を名乗ってはいるが、一時的に家を出た身となっている」
「御子息に私の事を伝えなかったのは何故ですか?」
「身内に面倒なのがいる。貴女の事を伝えると、その者にも伝わってしまう。それだけは避けたかった」
ユーリックは目を伏せ、考えるも、思い当たる事は一つしかなかった。
「……私が不死身だから?」
「そうだ。だからこそ、私で判断する事にした。人によっては不死身は危険という者もいる。だが、最初から危険視すれば、それこそ心を澱ませるだけだ」
ユーリックは胸に突き刺す様な痛みが走った。また、同じ事が起こるのではないかと、脳裏に過去の記憶が鮮明に蘇った。
冷えた石の地下牢。鎖に繋がれ、まともに動く事も叶わない。下卑た笑みを浮かべる男の手が、ユーリックに伸び、毎日の様に苦痛を与え続けた。
「……リ、ユウリ」
ユーリックは蚩尤の声に、はっとして顔を上げると、蚩尤が心配そうな顔を向けていた。
「少し休むか?」
「問題ありません」
蚩尤に心配掛けまいと、作り笑いを浮かる。そんなもの、蚩尤になど、簡単に見通されてしまう事など分かっていても、心中を悟られたくは無かった。
「シエイ、他にも心配事が有るのでは?」
ユーリックは、ウジで蚩尤が浮かべていた表情がずっと気になっていた。聞くなら今しかないと、勢い混じりに言葉が飛び出た。
「姜家当主から、報せがあった。異変が起こってしまった……と」
それは、以前蚩尤が言っていた、白仙山や鎮守の森で起こると言っていたものだった。
「不周山という、イルドからも近い山だ。神域では無いが、何かしら影響があったようだ」
「それが、以前恐れていた事なのですね……」
何が起こったかなど、ユーリックには想像もつかない。だが、蚩尤の顔色を見れば、事が深刻だという事だけが伺えた。
「詳しくは、分からないが、当主ならば、貴女を探そうとするだろう」
「私の事を知らせていないのにですか?」
「そういう方だ。先程、義息に報せを出したのは、隠れているつもりは無いと示したつもりではあるが……果たしてどう受け取るか」
あくまで、詳細は伝えない。
敵意も、隠れるつもりは無いが、姿を表すつもりも無い。
蚩尤のやり方なりに、ユーリックを守っている様にも見えた。
「……私を信用できなくなったか?」
「正直、分かりません。どう考えても、私をあちらに差し出す方が簡単で、今の状況は、シエイの立場を危ぶませている様にしか見えません」
蚩尤が異変を見守る立場にいて、そういう役目があるのならば、蚩尤は命令に反している事になる。
何故、一族を裏切る行為をしてまで、ユーリックを守ろうとするのかが、理解出来ない。疑心暗鬼で顔を歪ませながらも、蚩尤の本意が知りたくて、目を逸らす事は無かった。
「何が目的かも、分かりません」
蚩尤は、静かに答えた。
「……同じ不死として、力になりたいと思った」
その言葉に、ユーリックは、目を丸くするも、胸の支えが取れた気がした。蚩尤はいとも簡単にユーリックの話を信じた事が不可解でしかなかった。幾ら、不死や神が居ようが、そう易々と飲み込めるものでも無いだろう。
「……そうだったのですね」
「不死は孤独だ。永く生きる中で道を失う事も良くある。何より、貴女が誰もいない場所に行きたかったと、言った事が、他人事に思えなかった」
また、ずきりと胸が痛んだ。
誰もいない場所を選んで置きながら、差し出された手に縋り付き、疑いながらも、見捨てられる事が怖くて共にいる。情けないまでに、優柔不断な自分に、いい加減に腹立たしさすら覚えた。
「ユウリ、今は信用しなくて良い。だが、逃げるな。逃げれば、手を貸す事も、助ける事も出来なくなる」
ユーリックは、自分が最低な思考が巡り、腹の中で、蟠りが大きくなるのを感じながらも、蚩尤の言葉にただ頷くだけだった。