天使の迷路
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、懐かしい。パチンコ玉迷路じゃんか、それ。小さいころ、ちょっと遠出した美術館のお土産とかで、よく並んでいたよ。他の知的パズルとかと一緒にね。
こういう手軽にできるパズル系というか操作系というか……ミニゲームってついつい手を出しちゃうんだよねえ。手持無沙汰な時にさ。サイズもそこまで大きくないし、この着想は携帯ゲームに生かされていると個人的には思うんだけど、どうなんだろう? 今どきの人は、寸暇を惜しんで小さい画面とにらめっこするのも珍しくないだろ?
僕も小さいころ、この手のゲームで遊んだ記憶があるんだけど、そのおかげか妙な体験をすることになってね。それ以来、すっかり遠ざかってしまった。その時の話、聞いてみないかい?
小学校低学年の僕たちの間でも、パチンコ玉の立体迷路はそれなりに流行っていた。箱のパチンコ玉をいかにしてゴールに導くか。途中での曲がり角なども、上手いこと箱の傾け方を調整して、玉の勢いを制御しないとクリアはおぼつかない。
お互いに交換し合って、いつも新鮮な迷路に挑むことを生きがいとしていた僕たち。いささか邪道に感じたけれど、友達のひとりが電池の力で道中の仕掛けが動くタイプのものを持ってきた時は、新鮮さを覚えたものさ。
この手のゲームは僕の周りだと、もっぱら男子がやっていた。だから、これをやっている女子がいたりすると、「男のテリトリーに入ってきやがって」とあまりいい気分はしない。中には徹底的に女子を攻撃する過激な奴もいて、ついにその手は学校の外にも及ぶように。
そんなやりすぎな奴らがいたからこそ、僕は件の体験をすることになったんだ。
夏休みの近づいたある日のこと。いつものように朝の学活が始まる時間、迷路に没頭していた僕たち。だが、いつも真っ先に学校へ来ているはずの奴が、なかなかやってこない。これまで休んだところは、一度も見たことはない。
休むとか、誰か聞いている? と顔を見合わせ始めた時、彼が教室のドアから顔を出した。
いつもは元気有り余っている彼が、今日はげっそりしている。体調が悪いのかと尋ねてみると、こう答えてくれたよ。「公園で、女だてらにパチンコ玉迷路をしている女を見た」と。
歳は僕たちと同じくらい。ベンチに座って、立体迷路をいじっていたようだ。過激派の彼にとっては見過ごしがたい事態だったようで、彼女に詰め寄っていったらしい。
彼女の持っていた立体迷路は、一番外の縁の部分までところどころが歯抜け。少しでも傾き具合を誤れば場外へ転落する、という危うい作りだったらしい。
彼女は「うー、うー」と言葉にならない声を出しながら、そろりそろりと玉を動かしているらしい。その懸命さが、「遊びは男のこと」と決めていた彼にとってますます癪に障るものだった。
「おい、てめえ。何をしてやがる!」
激情の赴くまま、公園へずかずか入り込み、彼女の座るベンチへ押しかける友達。その声に驚いたのか、彼女は「あっ」と声を出す。
箱が妙な角度を向く。パチンコ玉が外枠の隙間を縫って、外へ飛び出した。ぽとん、ころころと、公園に敷かれた砂の上を転がって行ってしまった。
その直後だ。ベンチ脇に立っていたクヌギの木。その枝の一本が唐突に折れて、近づく友達の頭を打ったらしい。枝は僕たち子どもの腕の太さほどあった。それに側頭部を殴打されたとのこと。その衝撃は思いのほか大きく、地面に倒れこむ羽目になった上、手足がしばらくいうことを利かなくなってしまったんだ。
息だけはどうにかできる。必死にあえぐ友達の前を、あの箱を持った彼女が「ごめんね」とつぶやきつつ、通り過ぎていく。転がってしまったパチンコ玉を拾い上げると、もう友達には見向きせず、公園の外へ出ていったしまう。
彼女の姿が消えてほどなく、身体の自由が戻った友達は、すぐさま家に逃げ帰ったとのことだった。
「もしあの女を見かけたら、近寄らない方がいいぜ。ひょっとすると呪いをかけているのかもしんねえ」
自分から突っかかっていった態度の悪さを棚に上げ、彼はまくしたてる。その割に顔色はよくないままで、内心、ずいぶんときつかったのだと見える。
僕たちの間では、呪い派と偶然派が真っ二つに分かれた。僕は偶然派のひとりだったけど、その友達としては、自分の意見である呪いこそが正しいと信じて疑わない。
「疑うんだったら、自分で確かめてみろ」と、見かけた場所と彼女の格好を伝えてきたんだ。
それから数日後。友達が見かけたという公園からはなんとなく距離を取るようにしていたけど、僕はおそらく、彼が話していたと思しき少女を見かけた。
聞いていたのとは別の公園だったけど、茂み近くの白いベンチに腰掛けて、立体迷路の箱を傾けている。セーラー服にスカートで、髪をサイドテールにしている、目のぱっちりした女の子と、容姿も合っていた。
その箱からころんとパチンコ玉が転げ落ちて、彼女の足元に。「またやっちゃった」とぼやきながら、彼女は玉を拾い上げてまた箱に戻していく。十数メートル離れている僕には気づいていないようだった。
僕は彼ほど神経質じゃない。このまま楽しんでいる分には構わない、と横を通り過ぎようとしたところで、いきなり彼女の声が聞こえる。
「そこの人、よけて!」
とっさに、僕に呼びかけられていると判断ができなかったよ。「何が?」と思った時、足先にコツンとぶつかってくるものがあったんだ。
さっき彼女が拾い上げていた、パチンコ玉。それが靴に触ったらしい。相当、勢いがついていたみたいで、僕の靴から離れてもなお、アスファルトの上を転がっていこうとする。駆けつけた彼女が、がばっと覆いかぶさるようにしてパチンコ玉をとらえると、僕の方へずかずかと歩み寄ってくる。
「ごめん。大変なことになっちゃった。ちょっと付き合って。いや、ずっと長い付き合いになるかもしれないけど」
何がなんだかわからない。彼女が僕の腕をつかむ力は予想以上に強く、振りほどけなかった。そのまま、彼女がベンチに置いていた立体迷路の前まで連れてこられる。
先ほども触れたように、彼女の立体迷路は一番外側の枠にさえ穴が開いている。ちょうど迷路の十字路の一方が当たる、意地悪い作りのところが何ヶ所か見受けられた。
「突然で悪いんだけど、これを書いて」
彼女がセーラー服の裾をまくると、スカートにボールペンと数枚の便せんが挟まっている。その便せんを一枚と、ペンを持って僕に手渡してきた。
「書くって、何を?」
「遺書。これからあなた、下手すると死ぬかもしれないから」
「はあ? 遺書って、死ぬ人が書き残す、あれ?」
「うん。このパチンコ玉、手の届く範囲に、近よっただけでもまずいのに、よりにもよってあなた触っちゃったから。あなたの運命を決める時が、来ちゃったの」
「――かっこつけすぎだよ、その言い方。運命を決めるって、君、何者?」
「天使。まあ見習いだけどね」
ここまでいけば妄想も大したもの……と思いつつも、彼女の眼には一切の遊びの色が見えない。
「私たち見習いはね。これを使って人の運命を定めるの。ほんのいっときだけどね。君、聞いたことある? こうしている今も、世界では人が死んだり生まれたりしているの。死ぬのは、私たちがこれを失敗した時。生まれるのは、これをクリアできた時ってわけ。
そして今、君自身が触れたことで強制的に、君の運命を決める時が来てしまったの。だから君に見届けてほしい。全力を尽くすと誓うわ。でも及ばなかったら……ごめんなさい。私があなたを看取る」
「そんなの勝手にしてくれよ! 僕は知らない!」
逃げ出そうとして一歩後ずさったけど、とたんに右足から「ブチン」と何かが切れる音と激痛。思わずうずくまると、ふくらはぎの一点から、目に見える速さでじわじわと青タンが広がっていく。
「お願い、それ以上動かないで。さもないと、確実に死んじゃう」
彼女はまた僕に遺書を書くように勧め、しぶしぶ僕はありったけ、家族や友達に伝えたいことを書く。それを見届けた彼女は、パチンコ玉をスタート地点に落とす。目を閉じて深呼吸をすると、彼女は箱を傾け始める。
僕はかたずを飲んで、彼女の動きを見守っていた。というのも、玉が迷路内の壁にこすれるだけで、心臓がドクンと不自然に跳ね上がるんだ。離れていくと、鼓動もまたそれに合わせて収まっていく。
――本当に、僕の命と玉がつながっている?
彼女はじわじわと先へ進めていく。懸念した十字路もかろうじて通過。でも、そこから右折した先は長いストレート。玉が壁に勢いよく激突する。
僕は見えない何かに押されて、数メートルも吹き飛ぶ。背中から地面に叩きつけられた上に、体中がしびれる。彼女は「ごめん」とつぶやきながらも箱から目を離さなかった。
僕ももう何も言わない。彼女の集中を乱したら、その瞬間が僕の最期になるかもしれなかったから。
「ふう」と彼女が額をぬぐいながら顔をあげたのは、それから何分が経ってからだったろうか。直接、迷路を見ることはできなかったが、ふくらはぎの青タンが一気に引っ込んだことで、僕は悟る。彼女がゲームをクリアしたのだと。
彼女は箱をベンチに置くと、僕から遺書を回収する。「これはもう必要なくなったから」と。立ち上がれるようになっていた僕が迷路を見ると、先に見たコースとはすっかり内容が変わっている。別の人の運命の迷路かな、と僕はぼんやり思った。
「重ね重ね、ごめんなさいね。とんでもないことに巻き込んじゃって。もっと人気のないところでやるようにする。
君の顔、覚えたから。もし、君が死ぬ時までに一人前の天使になれたら、迎えに行く。その時はたっぷりサービスするから」
彼女はそういって、悠然と公園を後にしたよ。証拠が消えてしまった以上、このことはみんなに話しても、僕自身が嘘つき野郎呼ばわりされるばかりだったんだ。




