アラウンドなんとか
【登場する人】
・香绿:アラサー地下アイドル。日本のアイドルに憧れて遥々来るが売れてない。十年弱はいるので日本語は問題ない。コンビニでバイトをしながら生き長らえている。
・アヤタカさん:若めに見えるアラフォーリーマン。食生活が不健康。喫煙者なのでもっと不健康。親に嘆かれながらも独身貴族している。
・めるちゃん:香绿と同じユニットの子。年齢非公開だけどアラサー。副業はしてる。
・鈴木くん:コンビニでの同僚。バンドマンをしているが、売れていない。ベーシスト。彼女は今は居ない。
@Xiang_lu…… : 似合ってるし可愛いね、脚の太さが良く再現されてる:)
出た。いつもの煙草と灰皿をアイコンにした失礼な奴!
二年くらい前から私の事をフォローして、可愛いと褒めてくれるのに絶対一言多い。高そうな部屋がアイコンの背景から見え隠れするけど、こいつ絶対女にモテないよ。
女にモテないから、私のような地下アイドルに絡んでるんだ。きっとそう、お金持ってても悲しいね。
「でも、お金があるのは羨ましいねー……」
ライブ後の控え室、横で衣装に消臭スプレーを掛けているメンバーが居るのに、思わず本音が出てしまう。
映っているのは中国人だからって理由で選んだ、某格闘ゲームのキャラクターの格好をした私。それを頑張って加工したのを投稿したのに、真っ先に付いたコメントがあれ。ぐむむむ。
と、スマホを片手に唸っていると、消臭スプレーを片手にめるちゃんが画面を覗き込んできた。
「いつもの人? シャンルーちゃんって、ファンからの扱われ方雑だよね。そのキャラだって似合ってるのに」
可愛く飾った爪が画面をコンコンと叩く。
めるちゃんの言う通り、自分でも分からないけど、私は他の子とも比べて扱いが雑。嫌われてない事は分かっているけど、解せぬというやつ。
「そうだよー! 早く結婚しろとか、衣装きつそうとか、失礼ばっかりだよ!」
彼氏が居るのがバレたら凄く怒られたり叩かれる、じゃなくて『早く作れ』って応援されてるの。実際に私には彼氏が居ないし、衣装も三年前のがきつくなったので、素直に受け止めるしかない。悲しいね。
そして結婚するなら、日本人の彼氏が良いよね。だって……。
「はぁ、結婚して日本国籍欲しいよー」
「うーん、生々しい……ファンと結婚すればすぐいけそうじゃない?」
私の事を生々しいって言うけど、この発想も生々しい気がするよ。ファンと付き合ったりする人も確かに居るけど、私はあんまり良くないと思うなあ。
「それはダメだよー。まだ十七歳のアイドルだからダメ」
「よく言う、もうすぐ二十七歳のくせに」
実際の年齢を言われると胸に刺さる! でも十七歳という設定はまだまだ守っていきたい。その為に海を渡って来たのに。
「哎呀! まだ三年は十七歳出来るよ!」
「三十までやる? 頑張るなあ」
私の台詞にめるちゃんがケラケラ笑っているけど、残念でした。三十歳になったら今度は二十五歳設定で足掻く予定でいるの。だから、まだまだ頑張るよ!
明日のバイトも朝から入っているからね。
***
私が勤めてるコンビニはビジネス街にあるので、朝の出勤ラッシュの間や正午から一時までの間が、とってもとっても忙しい。みんな出勤時間や休憩時間が大体同じだから、仕方ないよね。ビジネス街で働く人って大変。
「いらっしゃいませー」
そんな中、わざと休憩時間をずらしてる人も居て……。
さっきお店に入って来た、スラッと背が高くて、笑っているだけで女の人にモテそうな印象のスーツのお兄さん。んん、お兄さん? うーん、お兄さんだと思う。おじさんって言う程老けてない。格好良い顔してるしね。お金も持ってそう。
「これと、中南海の八ミリひとつ」
カウンターにペットボトルのお茶を置いて、私の後ろに並んでいる煙草に視線をやるお兄さん。
この人、買うお茶の銘柄も煙草の銘柄も、毎日一緒だから、勝手に渾名を付けちゃったの。アヤタカさんって。
三年くらい前からずーっと同じ物買ってるから、そんな風に覚えても仕方ないよね。
「ええっと、いつもの……これでよろしいですか?」
この煙草は、他のコンビニではあまり置いてない銘柄らしい。買う人も少ないから、右上の端っこに陳列している。
私は背伸びしてそれをひとつ取って、パッケージがよく見えるように箱を傾けた。いつも同じ物を買うから、今更確認なんて要らないかもしれないけど。
「ああ。両方ともテープでいいよ。ありがとう」
ちらっと箱と私の顔を見たと思ったら、いつも少し笑ってから、胸ポケットに入れてるICカードを取り出すの。
私、笑われるような事したかな……と思うんだけど『ありがとう』って言ってくれるから、この笑顔に悪い意味は無いんだろう。
現金の行き来がない買い物は、やり取りがとても短い。カードを読み取り部分に当てて、ピピッと電子音が鳴ったらお会計はおしまい。
「ありがとうございました」
言われた通り、コンビニのロゴが入ったテープをバーコードの部分に貼ったら、お茶と煙草を渡して頭を下げるの。
こんな本当に短い時間の筈なのに、妙に印象に残っていて……お店を出て、スラッとした後ろ姿が見えなくなっても、少しだけ考えてしまう。
「アヤタカさんは、いつもお昼がお茶と煙草だけだよ。ちゃんと食べてるのかなー」
みんなお昼には、お弁当でもお菓子でも何か食べる物を買って行くのにな。
すると、かれこれ知り合って、どれ位になるんだろう。五年くらいは経っているかも。私と揃ってこの店では古株になる鈴木くんが、煙草を補充しながら溜め息を吐いた。
「いやあ、流石にアヤタカさんも、晩飯が廃棄のおにぎりで作った雑炊の人に、そういう心配されたくないと思いますよ」
耳に大きなピアス穴や明るいインナーカラーの髪をしている彼は、バンドマンをしてる。お互い本業では稼ぎが足りないので、此処にいる。何かと大変だよね、って話したりするせいか、結構仲良し。
「あれはまだ食べれるの! あと私は毎日野菜ジュースも飲んでるよ!」
「野菜ジュース付けても、粗食は粗食でしょ」
空になったカートンの箱を潰しながら、鈴木くんは鼻で笑っている。
自分だって給料日前は真似する癖に。ツナマヨ雑炊は不味かったって言ってたの、私は覚えてるよ!
「じゃあ、落ち着いたんで、先に休憩いってきまーす」
と、文句のひとつやふたつ考えてる間に、バックヤードに入られてしまった。
あの子より売れたら、もっと良い物食べる生活を送るし、逆に奢ってドヤ顔してやる。ふふん!
その夜、毎日一回は呟きをしようと決めているアイドル活動用のアカウントで、なんとなく思い付いた言葉を適当に投げておいた。
イベントの宣伝でも何でもない、ただの日常的な呟きへの反応は、二桁あれば充分な方。反応する人もいつも決まっている。名前やアイコンってそんなに変わらないからね。分かりやすい。
その中にあの失礼な奴も居る。いつも見てくれるし、良い人なんだろうなあ。少し手の込んだ料理の写真を載せただけでも、褒めてくれるし……まあ、コメントがある時は大体余計な一言があるんだけど。
***
「これ、品出ししてる時から気になってたんだよー」
早上がりの私は、今朝から気になっていた新作の野菜ジュースを手にレジへと向かう。
遅番の鈴木くんは気怠げだ。お客さんの前だとそれなりにしっかりするのに。私だって今はお客さん!
「期間限定のやつ、毎回買いますよね。はい、百十円です」
私は小銭入れの中から百円玉と十円玉を摘まんで、レジトレーに置く。鈴木くんは私が袋なんか要らないのを分かっているので、流れるようにレジに小銭を放り込むと、テープを角の部分にぺたり、と貼った。
そして出て来たレシートも、カウンター脇に置いている不要のレシート用の小さなカゴに勝手に入れる。普通のお客さん相手だったら絶対やっちゃダメだよ、こんな対応。
「お疲れ様、遅番頑張ってね」
「はぁい」
やる気の無い欠伸まじりに手を振って見送る鈴木くんを背に、買った野菜ジュースも手に持ったまま店を後にする。
自動ドアから出た先は、日が落ちてビル風が少し肌寒いかも。もう一枚、多く着て来たらよかったかなあ。
さて駅に向かおう、と右に一歩踏み出した足は、思わず止まってしまった。だってまさか、この時間にアヤタカさんと鉢合わせするなんて。
「…………あ」
ついでに声も出ちゃったよ。お互い顔だけは知ってる所為かな。
「お疲れ様」
すると、いつも会計の時に見せる謎の笑みに労われてしまった。
知り合い未満の人に挨拶された場合、どうしたらいいんだ。こう、アイドル活動のノリだったら明るくハイテンションになれるんだけど。
生憎今はうっすい化粧に適当に結った髪、首から下はお出掛け用から格下げされた古い服なので、営業モードになってもきっと滑稽。無難に行こう無難に。
「お疲れ様です。帰るところ、ですか?」
「……いや、今日はがっつり残業が入ってね。栄養剤でも買おうかな、と」
働く人の味方、栄養剤。お昼はお茶と煙草だし、晩御飯も食べてるのかな、この人。名前も知らないのに心配になっちゃうなあ。
うーん、と返す言葉に悩んでいると、垂れ気味で泣きぼくろが付いた余裕のありそうな目が、私が左手に持っている物を捉えた。
「それ、いつも飲んでるの?」
スラッとした体型に似合った長くて綺麗な指が、視線の先を指す。さっき買った野菜ジュース。
「え、あー……野菜ジュースはいつも飲んでるけど、これは期間限定の……おん、おんしゅう?」
私は素直にこれは期間限定の味だ、と伝えたいんだけど、大変だ! パッケージを見ても読み方が分からない。『温州』ってなんて読めばいいんだ!
「うんしゅう」
アヤタカさんはクスッと微笑ましいものでも見る目で笑って、言葉短く訂正してくれた。
もう、日本の地名は難しいよ! 地名で合ってるかも分からないけど。
「うんしゅう! でも、いつもはこのシリーズの、紫色のを飲んでます」
このシリーズは黄色や緑もあるんだけど、紫が私の舌に一番合っていた。なので、期間限定のが無い時は、いつも紫の野菜ジュースを飲んでいる。
昨日も飲んだよ、健康的だよね。
読めなかった文字を教えて貰って恥ずかしいやら、でも読めてスッキリしたやらで、晴れやかな気持ちになっている私を、アヤタカさんは機嫌が良いのか目を細めて見下ろしている。
「そっか、参考にするよ……帰る時なのに引き止めてごめんな」
そして私と入れ替わるように、店へと向かうアヤタカさん。えっと、さっき言ってたのは……。
自動ドアが反応する一歩手前、私はスタイルのいいスーツ姿の背中に小さく手を振って見送る。ついでに余計な一言かもしれないけど……。
「残業、頑張ってください」
私の台詞に一瞬目を丸くして振り向くも、すぐにいつもレジで見せる気取った笑みより、数段気の抜けた笑顔に変わった。
「……ありがとう、頑張ってくるよ」
ひらり、と手を振って自動ドアの向こうへと消えていくアヤタカさん。お昼に会う時とは違って疲れてそう。どんな職業でも、残業って気が滅入っちゃうもんね。
早く終わるといいなあ、なんて何をしてるかも分からない人を心配しつつ、私は帰路へとついたのであった。
***
「これと、中南海の八ミリひとつ」
今日、レジに置かれたものは、いつものお茶のペットボトルと紫の紙パック野菜ジュース。
流石に三つもあると袋に纏めた方がいいよね。
「かしこまりました、袋にお入れしますね」
「ああ、頼むよ」
小さなコンビニのロゴが入ったビニール袋を一枚取り出し、お茶と野菜ジュースを先に詰めていると、通りかかった鈴木くんがカウンターにアヤタカさんの愛飲の煙草をさり気無く置いて、横のレジのお客さんの対応に移る。
有難い、何気に優しい鈴木くん。
袋に全部詰めれば、あとはいつも通り。ICカードでピピッと支払いを済ませた商品を渡し、ありがとうございましたと頭を下げる。
そして、お客さんも居なくなりひと息ついた頃、鈴木くんがレジのお金を整理しながら、驚いたような感心したような声でボヤく。
「……アヤタカさん、急にどうしたんですかね。野菜ジュース買うの、初めて見たわ」
「さあ? でもお昼食べないより、ずっと良いよー」
この間、普段何飲んでるか聞かれて、紫の野菜ジュースって答えたけど……そんなのと関係あるのかなあ。
けど、働くなら栄養取らないといけないからね! これでアヤタカさんも少し健康に近付いたら良いなあ。
なんて考えながら、私はまだまだ残っている残りの業務にかかるのだった。