CASE 潮騒の人魚 -虫、喰う人々。- 2
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とっくに気付いていた事だが。
村全体が異常者ばかりだ。
「ああ。あそこの爺さんは、口の中で虫を養殖しているからなあ」
ユキヒトは、とても楽しそうな顔で笑っていた。
「それから、ほら。みんな若い女好きだからな。みんな、あんたを気にしているんだよ」
セルジュは、本当に嫌そうな顔になる。
「もう、殆ど全員に配り終えて、後、一つだけどさあ」
セルジュはブーツの紐も結び直していた。
「単刀直入に聞く。この村の奴ら、人じゃないだろ? それから、人魚みたいな死体を見た。あれはなんだ?」
「俺達は人間だよ。外の世界では、分からないけどな」
「そうかよ。まあ、人間の定義なんて知らないけどな。まったく、吸血鬼やゾンビに囲まれている方が気が楽だぜ」
ユキヒトは、セルジュの後者の質問には答えなかった。
最後の届け先は、村から少し離れた孤島に住んでいる。
なんでも、村の祭事を担う長老的な存在の男らしい。
その孤島に上陸する為には、ボートが必要らしかった。
「さっき見てきたけど。小舟の残骸もあったぜ。なんだあれは?」
「岩礁の影響でね。此処の海は、本当に危険だ。俺が時刻を教えてやる、その時間まで俺の家で待たないか?」
「はあ。最後の一人だぜ。もうお前が代わりに渡してくれないか?」
「駄目だ。長老はお前さんに会いたがっている」
「はっ。知らねぇよ。いい加減に、この薄気味悪い村から出たい」
「好奇心は無いのかい?」
ユキヒトは訊ねた。
「何も無い。身を滅ぼすのはゴメンだ」
これ以上いると、取って喰われるか。何かの生贄の儀式にでもされそうだ。
セルジュは、そんな気分でいっぱいだった。
「まあ、いいさ。何時間でも待ってやる。ただし、そのボートの前でだ。悪いが、俺はお前の家は無理だ」
「何故?」
「理由は二つあるが。まあ、なんだ、虫料理を見るよりも、潮の匂いを嗅いでいた方がいいって事だ」
理由の一つは、ユキヒト達の食事風景を見たくない。
もう一つの方は、……もし、家という狭い場所で囲まれた場合、逃げるのが困難になるかもしれない事だった。
そして、セルジュは海を見ながら、待つ事になった。
ユキヒトは、彼に合わせて隣で立ち続けた。
数時間が経過した。
辺りはすっかり、夜の闇に閉ざされていた。
「そろそろ、時間だ。海流が安全になる」
「そうか。じゃあ、頼むぜ」
ユキヒトは小舟に案内する。
セルジュは舟の上に乗る。
ユキヒトは、舟を漕ぐ。
それから、十数分後。
島の上へと辿り着いた。
「此処だ。長老は待っている」
ユキヒトは道案内を行う。
島の上には、森があった。
そして。
森の所々に、奇妙なものが吊るされていた。
セルジュは、それを“見なかった事”にする。
森の木々には、大量の藁人形が打ち付けられていた。
五寸釘が執拗に、執拗に、人形の全身に突き刺さっている。
そして、セルジュは孤島の家へと案内される。
中から、使用人である初老の老婆が出てきて、二人を中へと案内した。
「長老様は奥の部屋にいます」
セルジュは奥の部屋へと連れて行かれる。
壁や天井に、虫が這っている。
“見なかった事”にする。
そして、彼は地下へと案内された。
何処からか、啜り泣く声がする。
セルジュは“聞こえなかった事”にする。
地下には檻が幾つもあり、檻の中には誰もいないが、中に無数の藁人形が釘を打たれて磔にされていたり、爪で血文字が描かれて、折れた爪が刺さっているのが見えたが。セルジュは、とにかく黙止するようにした。そこに存在しないように考えた。
やがて、長老がいるという部屋まで案内される。
「では、お入りください」
使用人は、襖を開ける。
中には、全身、包帯に包まった老人がいた。
仰向けで寝ていた。
彼には両腕がなかった。
まるで、陸にあげられた魚のように、天井を見ている。
「届け物を、しに来ました……」
セルジュはそう言うと、バッグから虫の卵の入った瓶を出す。
老人は、うきゃきゃ、と、とても嬉しそうな顔をしていた。
老人の両脚は、火傷か何かによって張り付き、癒着し、魚の尾のようになっていた。
老人の全身は、火傷か何かによって醜く爛れて、赤黒い魚の鱗のように見えた。
彼は、魚にしか見えなかった。
†
「あー、つまり。そのなんだ」
セルジュは、長老の家の帰り道で、ユキヒトが色々、教えてくれた。
「あの長老の嫉妬によって、色々な若い女達が、あるいは若者達が“人魚”にされていると」
「そういう事ですね。そういうしきたりなんです。長老は村で一番、偉い。だから、時折、慰めものとして、若い娘さんを檻に閉じ込めて、全身を焼き、あるいは両足を砕いているわけですねえ」
ユキヒトは、ひひっ、ひひっ、と笑う。
藁人形は、長老と、村の男達への怨嗟の証として、犠牲にされた女達が打ち込んでいるのだと言う。それを見て、更に、男達は歓喜の声を上げるのだと。
「本当に気持ちが悪い文化だな」
セルジュは、率直に言う。
「まあ、仕方ありません。わたしだって、この村に来るまでよく知りませんでしたから」
「何故、今の女房と結婚した?」
「ええっ。菊世とは、ある旅館で出会ったのです。彼女は車椅子に乗り、それは、それは彼女の顔と、あの小さな足は美しかった。それで、気付いたらプロポーズをしていたわけですねえ」
ユキヒトは、とても幸せそうな笑みを浮かべていた。
二人は、小舟の上に乗る。
セルジュは、闇に包まれた海の中、何かの歌声を耳にする。
それは、セイレーンのような声だった。海の上に住む魔物で、聞いた者を取り殺す歌を歌い、数多の船を沈めると。
何者かが、セルジュの乗るボートを見ていた。
無数にいる。
「あれは?」
「目を合わせてはいけませんよ。女達です。長老の欲望の犠牲になった」
「生きているのか? 人間なのか?」
「さあ? わたしにも、分かりません。今の彼女達が何者なのか。ただ一つ分かっているのは、彼女達は海に住んでいて、そして、五体満足な身体の者達を憎んでいるという事だけですなあ」
昔、昔、この村は、食糧難にあった。
大飢饉で、農作物は台風にやられ、家畜は死に、海で漁も出来なくなった。
その時に、編み出したのが、昆虫食だった。
飢餓で死んだ人間を見て、人の肉を食べるか、たかる蛆の肉を食べるのかの選択を迫られたらしい。そして、その時の村人達は、蛆の肉を食べる事を選んだ。人間の腐肉をたっぷり啜った、蛆の肉を…………。
それから、この村で、昆虫食の文化がはじまった。
もし、虫を喰う事を選ばなければ、人を喰う文化になっていただろうと、ユキヒトは言う。
この村の長老は、その時の飢饉で蛆の肉を率先して食べる事を選んだ若い衆の子孫なのだと言う。歴史はよく分からない。
「あのな。ユキヒト」
セルジュは、溜め息を吐く。
「なんですかな?」
「この村を巡って、たまに、臭うんだが。その、……お前ら、やっぱり人間の肉を喰っているだろ? 死臭がした」
「人間の肉じゃないです。蛆の肉です」
「でも、死体を漁っていた蛆だろ?」
「ええ、そうです。蛆に食べさせるのが、弔いですので…………」
セルジュが、デス・ウィングから渡されたもの。
それは、大量の蛆の卵だった。
この村には、謎が多い。
謎を追う趣味、……他人の秘密を探る趣味は、セルジュには無い。
小舟から降りて、陸に上がる。
「じゃあ、俺はそろそろ、この村を出るぜ」
彼はそう言って、村の入り口へと向かう。
「ええっ、また、今度、遊びに来てくださいよ」
「さあな、…………」
……二度と、こんな場所来るものか。
セルジュは、心に誓ったのだった。
そして、セルジュは、村の中を歩いていく。
大量の気配がした。
村の住民達だろう。
セルジュは、舌打ちを行う。
やはり、何がなんでも、夜を待たずに長老へ渡す虫の卵は、別の人間に代わりに渡させるべきだった。
夜の村を、村人達は徘徊していた。
見ると、どうも正気を失っているみたいだった。
あるいは、元々、彼らに正気なんて無かったのかもしれない。
彼らは舌を出して、口から羽虫を吐き出していた。
黒い蝿だ。
身体の中で、蛆が消化されずに、孵化したのだろうか……。
そして、村人達の全身の肌は、爛れて魚の鱗のようになっていた。
彼らは誰かを探し回っているみたいだった。
考えるまでもない。
セルジュを探している。
若い娘を、襲おうとしている……。
セルジュは、ある家の屋根へと登って、息を潜めた。
……正直、本気で関わりたくない。
彼は、村人の動きをしばらく観察する事にした。
ユキヒトは言っていた……。
長老は不死である、と。
その時の飢饉は、三百年も昔の話なのだと。
そして、海に住む魔物達もまた、三百年近く前から生きているのだ、と。
人魚の肉を食べれば、不死になる。
彼らは、……一体、どれだけの間、生きているのだろう?
……纏足の女達。あれらは、生贄となった女達だろうな。彼女達は蛆に喰わせた。そして、村人達は、蛆の肉を喰った。
村人達は、セルジュを探している。
若い娘を……。
この村に、若い娘は見なかった。
ユキヒトの女房が、少しだけ若い。彼女は纏足だ。
……俺を捕まえて、足でも潰して喰うつもりなのか?
セルジュはゲンナリした顔をしながら、屋根から虫のように蠢く村人達を見下ろしていた。