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『冥府の河の向こうは綺麗かな。』  作者: 朧塚
新約・冥府の河の向こうは綺麗かな。
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CASE 月光浴‐幽霊船の残骸‐ 2


 プリム・ローズは帆船を動かしてくれた。

 彼を纏っている影達は、彼に付いていった。それは不気味な集合体だった。

 帆船は海原へ向かって動き始める。

 風も無いのに、帆が靡き続ける。


「最低でも、海原を渡るのに、五、六時間は掛かる。まあ、何とか時間潰さないとな」

 プリム・ローズは船の甲板に出て、周囲を見渡していた。

 陸がどんどん遠ざかっていく。


 時間潰しの為に、プリム・ローズとイリーザの二人は倉庫に大量にあった画用紙にシャーペンやボールペンなどを使って熱心に落書きを使っていた。それは察そう、絵と呼べるものでは無かった。ぐちゃぐちゃな象形文字や意味不明な人間。バラバラになった人間などが幼稚園児レベルの画力で熱心に描かれている。首が千切れている子供の絵。顔を塗り潰された父親と母親の絵。十字架や仏像などの宗教的な絵。


「おい。凶悪犯罪者の絵やらを展示するイベントがあるそうだ。お前ら出したらどうだ。きっと、バカな大衆が興味本位でカップルとか団体様とかで見に来るぜ」

 セルジュはありったけの皮肉を込めて言うが、プリムとイリーザの二人はよく分からない、といった顔をしていた。何故か互いの絵を褒め合っていた。


 それから、二、三時間が過ぎた頃だろうか。

 大海原の中心部を、三名を乗せた船は進んでいた。

 何やら、おぞましい気配を感じ取る。

 ボコボコと、海原の中に巨大な生物の陰が現れる。

 一体、その生物の体長はどれくらいなのか。

 気付けば、巨大な大イカの脚が水面から大木のように伸びていた。帆船の数十倍の大きさはある。


「所謂、大海蛇とかクラーケンとか棲息しているからな。肉食大クジラとか。その辺りにあたったんだろ」


 水面から巨大な鉤爪のようなものが現れる。

 爪の一本、一本が船の何倍もの大きさがある。

 辺りを探っているみたいだった。

 一体、この生物は何百メートルの体躯を……いや、何キロ、下手をすると何十キロの大きさを有しているのだろうか? 分からない。

「大海蛇や他の巨大海洋生物共は、俺達を認識しちゃいない。奴らは自分達よりも少し小さいデカい化け物を捕食する。こんな幽霊船、興味なんざ示しちゃいないさ。ただ…………」

 プリム・ローズは重力操作によって船を動かしていた。

「俺達は大海に落とされたプランクトンみえぇなもんだ。だから簡単に沈められる。俺がいて本当に良かったな。気付けば、遥か数百キロの深海で海の藻屑と化しているだろうよ」

 このロリータ服の男は何が可笑しいのか、くっくっと笑う。

「まるで人生みたいよね」

「この世の理そのものが、この海に凝縮されているのよね」

 船倉で幽霊の女達がきゃっきゃっと、彼女達にしか分からない会話を始めて楽しんでいた。

 何度も、渦潮や大竜巻に飲まれて、船が上下していく。

 プリムはその度に、船自体の重力で動かして安全に水面に着地させていく。

 海の怪物はまるで、三人の乗っている船に興味を示していないみたいだった。だからこそ、なお恐ろしい…………。イリーザは倉庫の中で半泣きになっていた。


 それから、二時間程、経過した頃だろうか。

 陸地が見えてきた。

 大量の鬼火が宙を舞っていた。

 ボロボロの衣を纏った様々な国の者達が、生気の無い表情で行く当てもなく徘徊していた。中には完全に骨だけの者もいた。

 海兵や海賊の衣装を纏った幽霊達もいた。

 彼らは互いを牽制しながら、今にも刃を抜きそうだったが、その瞳は何処までも空ろだった。

 

 廃れた漁村のようなものがある。

 魚などを売っている商人や、釣り人などがいた。

 みな、幽霊だ。

 彼らは生前と同じ行動を繰り返しているのか、あるいは新たな人生を再出発しているのか。それはセルジュには知るよしも無い。先ほど船の上でプリム・ローズに訊ねた処、彼も他の幽霊達の事はよく分からないと言っていた。


「目当てのものは、こっちでいいんだな? プリム」

「どうだろう? ………………。あー。こっちだよ、睨むなって」

「俺は早く帰りたい。潮の臭いが服にこびり付いている。実に不快だ」



漁村を跨いだ後、新たな地区に出た。

幽霊達の姿が少なくなっていく。


水棲の恐竜達の白骨の道を歩いていく。

骨の道だ。地面がぐらつく筈だが、巨大な怪物の屍の上である為に屍自体が一つの島と化している。もはや、海そのものの死体のようにも思えた。

 

「緑色の辺りには行くなよ。有毒ガスが発生している」

 プリム・ローズは慎重に道案内をしてくれた。

「もう少しか?」

「もう少しだな。此処を通り抜けると、綺麗な海岸が見える。その辺りに真珠を生む貝がいる」


 数十分掛けて、白骨の道を通り抜ける。

 やがて、月明かりに照らされた砂浜があった。

 砂浜には透明な薔薇が咲いていた。

 薔薇の所々に貝があった。

 イリーザは貝に刃物を伸ばす。

 貝からは、威嚇するように牙のようなものが生えた。

 イリーザは刃物を突き立てる。

「こいつ。多分、毒持っているでしょ」

「ああ。死に至る毒だ。それも全身が腐る」

「でも」

 イリーザはナイフで刺した貝を開く。

 中から、綺麗な真珠が出てきた。

 真珠は光の球のように薄っすらと輝き続けている。

 まるで松明のようだった。


「こうやって。ようやくハンター達はこの宝石を手に入れるのね」

 イリーザは月光に真珠を照らす。

 真珠は美しい海の色彩のコントラストを放っていた。


「無事、帰還するまでが、狩人の仕事だ。イリーザ、そしてプリム・ローズ、俺達を嵌めたな………………」

 セルジュは貝を殺して大量の真珠を手に入れ、バッグの中に丁寧に入れていた。

「嵌めた、っていうか。俺は“此処の一部”なんだ。案内人としての役目を担っている。この海の残骸の執着地点から、何かモノを持ち帰ろうとした者を連中は付け狙うんだ。そして…………」

 プリム・ローズは小さく溜め息を吐く。

「俺は案内人としての役割しか出来ない。この海の一部だから。それが“ルール”なんだ。後はお前達、次第だよ。無事、帰れるかどうかはな。だが、帰り道は大丈夫だろう?」

「大海蛇の上をどう横切るかは、分からねぇがな。他は大丈夫だ」

 セルジュは周辺の気配を察していた。


 潮が引いていく。

 月明かりに照らされて、全身に鱗が生えた人型の者や、軟体の身体を持つ者が陸へと上がっていく。セルジュはイリーザのパーカーの襟を掴むと、逃げるように催促する。


「じゃあな。プリム・ローズ。此処までありがとうな」

 セルジュは手を振る。

 プリム・ローズは少し嬉しげに笑っていた。


 水棲の化け物達が、二人へと襲い掛かっていく。

 イリーザがナイフを投擲する。

 化物の一体の眼に突き刺さり、負傷した化け物は蹲る。

「こいつら弱いわ」

「そうか。だが、気を付けろよな。毒針を飛ばされたりしたら面倒だ」

「でも。こういう事は初めてじゃないわね」

「ああ。段取りがもう出来ている。問題は海原の方だな、どうする?」

「逃げている間に考えよう」


 イリーザは髪留めから何本かの暗器を取り出すと、適当な怪物の何体かに投げ付ける。負傷した怪物の血の臭いを嗅ぎ付けたのか、仲間内で共食いが起こり始める。イリーザの何回かの攻撃で隊列は崩れ始めた。毒のガスを放つ海竜の骨の辺りにくると、一気に引き離していく。やはり、二足歩行する怪物達は決まった統率を持てておらず、個体によっては毒にも耐性が無いみたいだった。


「おそらく。出口は海原を渡る以外にもあるよな」

「この世界から抜け出す出口は別の場所にある筈」

「まさか。漁村とか無いよな?」

「ありえるわね」


 空を見る。

 骨だけのウミガメが空を滑空していた。

 月が見える。

 月の周りには、星々の大運河があった。色取り取りの宝石のように闇の空に散りばめられている。


 イリーザはロマンティックな景色ね、と呟く。


「月に近付けば、何処に行けるのかしら?」

「空か。海原を渡る以外のルートだとすれば、空だな」


 大海原ではプリム・ローズの重力操作が無ければ、何度も乗っていた船が深海に沈んでいただろう。

 二人は大海原を船以外で渡る方法を考えていた。

 漁村の辺りに見つかるかもしれない…………。

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