CASE 『冥婚』‐溺死した死者が裁かれ続ける湖畔へ。‐ 1
‐それは常世と異界を行き来する物語。‐
1
セルジュはいつものように、イリーザの住まう闇の古城に誘われて食事を取っていた。
イリーザの家に住まう彼女の“家族達”の誰かが料理したものだ。料理長なる者がいるらしいが、そもそも人間なのか分からない。
イリーザは黄色いマリー・ゴールドの花を愛でていた。
メキシコには死者の日に多くのマリー・ゴールドを飾るらしい。
イリーザはマリー・ゴールドが最近、お気に入りだそうだ。
「そうだ。今度、例の骨董屋から頼まれたビジネスにお前も付いてくるか?」
セルジュは羊肉のスープを口にしながら訊ねる。
イリーザはもしゃもしゃとシーザーサラダを頬張りながら、少し不快そうな顔をする。
「なに、それ、私に何のメリットがあるのよ?」
「無いだろうけど、暇だろ?」
「…………。まあ、暇だけど」
イリーザは敷地内の土地代で生活している。所謂、地主という奴だ。
十代なのだろうが、学校には通っていない。
毎日、やる事が無くて暇そうにしている。
セルジュは本音では、イイ身分だと思っている。
「そう言えば、貴方の仕事って、何に分類されるんだっけ?」
「んん。運び屋みたいなもんだろうなぁ。何でも屋に近いかも」
「あー。今、流行りのフリーランスって奴か」
「そういう奴だな」
セルジュは少し下品な音を立てて、スープを飲み終わる。
「なんか知らないけど、私も付いていくわよ。まあ、その暇だし」
イリーザはサラダを食べ終わると、くるくるとナイフを弄んでいた。
†
セルジュはいつものように、ゴシック・ドレスを纏った。頭に真っ赤な薔薇のカチューシャを付ける。
イリーザは最近、流行りの紫と水色を基調として真っ赤なクマの絵が描かれた、所謂、地雷系と呼ばれるファッション・スタイルだった。彼女は今、ピンクに髪色を染めてツインテールにしている。胸元には“死ね”の文字が記されたペンダントが吊り下げられている。
「おい。処で、そのバッグは何なんだよ?」
セルジュはイリーザの手にする奇妙な形のバッグを眼にして訊ねる。
それは、人間の皮を素材として色を塗り、水色と紫とピンクをツギハギにしたグロテスクなバッグだった。遠目にはお洒落にも映るような気もするから、ファッションというものはよく分からない。
「ん。猟奇犯罪者風、地雷系バッグ!」
「新しいジャンルだな!」
セルジュは苦笑する。
場所は竜屍山脈に属する場所で、小山並の大きさである『寄生樹』が生えている湖畔だった。湖は不気味な薄緑色の霧に覆われている。
闇の骨董屋からの依頼で、この湖畔の深部に群生する『毒亡き草』の採取だった。
「自然ドラッグか何かなの? その草?」
イリーザは訊ねる。
「主に暗殺に使われるそうだ。要人暗殺にも使われるらしい。矢尻に塗るとか爆弾の素材とか、吸引させるとか。食事にも混ぜられるらしい。採取の際に、専用の手袋を渡された」
「やべぇー草じゃんっ!」
「本当に汚れ仕事だな。売りさばく発想も頭がおかしいが。買い物袋一杯に入れてこいってよ。しばらくの生活費になる」
セルジュはいつものようにニヒルな顔で、少しくたびれた顔をしていた。
「まあ、何にしろ。観光出来ないかな。私、ナイフの素材とか欲しい」
「モンスター狩るゲームのノリかよぉ。まあ、誘ったのは、俺だけどな」
この辺りでタクシーをしている、巨大骸骨鳥の気球に乗りながら二人は寄生樹の湖畔へと向かう。骸骨鳥は蒸気機関のように煙を吐き出しながら、上空を飛んでいた。湖畔の前に辿り着くと、運賃を喋るオウムの頭蓋骨に渡す。
「安い方だったな」
「ねぇ」
湖畔は、ごぽり、ごぽりと、溶岩のように水面が泡を吹き出していた。
有毒ガスは散布していないとは聞いていたが、ガスマスクを携帯してきた方が良かったかもしれない。
二人は寄生樹の幹を目指す。
寄生樹は巨大で、枝がそこら一帯に広がっていた。
遥か上空にある枝には、何か実のようなものが実っている。
実が落下したら、直撃したら危険かもしれない。
セルジュとイリーザの二人は、上空に気を付けながら、入り組んだ根の道を歩いていた。
途中、何者かに尾行されている気配を感じる。
セルジュはいぶかし気に、辺りを見渡す。
尾行者は、あっさりと姿を現した。
真っ赤な着物の童女だった。
おかっぱの黒髪だ。
明らかに人間では無い。
年齢は人間でいえば、十三、四と言った処か…………。
「何者じゃ? 主ら?」
童女は二人に訊ねる。
「こっちのセリフだ。この辺りに住んでいるのか?」
「いんや。主らは二人おるのか。此処に『冥婚』の目的で来た者達か?」
「なんだ? そのメーコンってのは?」
聞かされていない。
この辺りで行われている風習なのか。
そもそも、この辺りに人は住んでいるのか。
「いや。儂は『冥婚』目的で来た連中に一応、声掛けする為に、この樹の上におるのよ。まあ、つまる処、恋人に先立たれた者が、この湖に入水して死ぬと、死後の世界で邂逅出来るという誤った伝承が伝わってのう。湖へ飛び込む馬鹿者共が後を絶たん」
「それは、また迷惑な話だな」
「じゃろう。お主らは二人で来たみたいじゃしなあ。別の目的か?」
「毒亡き草というものを採取しに来た」
セルジュは童女を見上げて睨んでいた。
「ああ。あの草か。それもまた物好きで……。食んだ虫を片端から殺した。生態系を破壊しておる」
童女はくっくっと、笑っていた。
「で。いい加減、お前はなんだ? 名前を名乗れ。俺はセルジュ。このクソガキはイリーザと言う」
「儂は土蜘蛛」
童女は、ゆらりと、地面へと降り立つ。
着地音がしない。
幽鬼を思わせた。
「案内してやろう。邪な者共よ」
土蜘蛛と名乗った童女は薄笑いを浮かべていた。
「ババア、あんたを信用していいの?」
イリーザは胡散臭そうな顔をしていた。
「どの道、道中は苦労するぞ? 儂が道案内をしてもいいじゃろう。人の親切を無下にするで無いぞ」
「うるせぇーな。ババア。若作りしているババアは気持ち悪いんだわ。隠し切れない加齢臭がするのよね。どんな化粧品を使ったら、若作り出来るのよ? アンチエイジングの秘訣を教えてくれない?」
土蜘蛛は、少しだけ不機嫌そうな顔をし始める。
「おい、イリーザ。テメェ、本当に同性嫌いだな。仲良くしろよな」
セルジュはイリーザの口を物理的に手で塞ぐ。
「まあ。マジで助かるわ。礼を言うよ、バアさん」
セルジュは間に割って、二人を仲裁する事にした。
土蜘蛛は、そんなセルジュに微妙そうな顔をする。
2
ごぽり、ごぽりと、湯気が立つ湖には陸路があり、土蜘蛛は丁寧に道案内を行っていく。
セルジュは途中から気付いたのだが、木の枝になっている実は、どうやら人の顔をしていた。湖に身を投げた者達が成仏出来ずに、巨大樹木と一体化した姿だろう。
「百年くらい前から、この辺りで冥婚の伝承が広まって、入水者が後を絶たない。わざわざ、遠くの国から此処に身を投げる狂人まで存在する。つまり、此処は百年分の怨霊が彷徨っている、というわけじゃな」
「湖にとって迷惑な話だな」
「湖の主も迷惑しておる。この一帯は性質上、成仏出来ない。永遠にこの辺りを彷徨っている亡者共じゃな」
陸路を進んでいくと、木の実となった怨霊達の啜り泣き声が聞こえてきた。
イリーザはここぞとばかりに、グロテスクなバッグの中からICレコーダーを取り出して、怨霊達の声を録音していた。……後で、彼女の住んでいる古城の楽曲職人にデータを渡すらしい。人間の阿鼻叫喚で創られた音楽制作の為に……。
「すぐに気付かれたが、儂は物の怪の類なのじゃが。主らも大概じゃな。そこのオナゴは頭がイカれておるのか?」
土蜘蛛は、イリーザの行動に少し引いているみたいだった。
「ああ。正常な道徳観と倫理観を持ち合わせている常人なら、このサイコ女と一時間いるだけで発狂するだろ。行動の一つ一つが生き恥みたいなもんだからな」
セルジュはイリーザに対して、容赦の無い毒を吐き散らす。
「なによ。それが仕事で付いてきてくれた、愛しい女の子への態度?」
「貴様のせいで、俺は死にかけて。貴様のせいで、俺は変な呪詛を身に受けようとして。一銭も金が入らないのに、散々な目にあってきたんだがなっ!」
「今、生きているから問題無いじゃない!」
「死にかけた事実は変わらんだろ」
イリーザは少しだけ、気まずそうな表情をする。
「睦まじいな。良い事じゃな」
土蜘蛛はふと、辺りを見渡す。
陸路は両端が水面に囲まれていた。
水面から、何かが這いずり出してくる。
それは、巨大な人の頭部だった。
グラグラとうねり、まるで水棲昆虫のようだった。
頭部は大口を開く。すると、口の中から、新たな同じ顔が現れる。更に顔が口を開く、また同じ顔が現れる。気味の悪い金太郎飴のようだった。
巨大な頭部は、三名へと襲い掛かってくる。
セルジュはダークなロングスカートの下に隠して持っている刃物の柄に手を伸ばそうとする。
それよりも、素早く土蜘蛛は右腕を振るっていた。
土蜘蛛の右腕は、巨大な蜘蛛の脚へと変わり、巨大な頭部を薙ぎ払い湖の底へと沈める。
ごぽり、と、怨霊は沈んでいく。
「時が経ち、熟れ過ぎて木の枝から落ちた実共は、ああやって、湖の中を彷徨い続ける。此処は無限の奈落なのよ」
土蜘蛛は淡々と語りながら、再び、二名の道案内を進める。
「バ……、おばあさん。凄いっ!」
イリーザは素直に感嘆していた。
「お前、非力だもんなぁ」
セルジュはイリーザに対して少し呆れる。
「ねえ。ねえ、おばあさん、アンチエイジングとか、どうやってやってるの?」
「若さを保つ秘訣か? 儂は、老いたくても老えない身体じゃからのう。まあ、一種の呪いと思ってくれ」
土蜘蛛は淡々と告げる。
「どれくらい生きているんだ?」
セルジュは訊ねる。
「平安の世じゃったかのう。和の国の出身じゃな」
そう言うと、土蜘蛛はしばらく黙った。
やがて、三名はある草むらに辿り着いた。
「この辺りじゃな。毒亡き草は紫色をしておる。踏まぬように。地肌で触れれば、そこから壊死が始まる」
「ありがとうな。一応、専用の携帯パックと手袋を持ってきている」
セルジュは自身のバッグから袋と手袋を取り出すと、目当ての草をパックに詰めていく。周辺の雑草を滅ぼし尽くさんがごとく、孤高に生えているので、すぐに目当てのものは分かった。骨董屋から写真で渡されている。
「湖の主に会ってくるか?」
古き、蜘蛛の物の怪は二人に訊ねる。
セルジュは頷いた。
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