CASE ドリーム・キラー -夢の中の怪異譚‐ 2
気付くと、神社の建物の中らしき場所にいた。
中には、障子があり、神棚も飾られている。
障子を開くと、別の部屋へと続いているのだろうか。
別の場所へと向かうべきなのだろうか……。
それよりも……。
鞠だ。
大量の鞠が床に転がっている。
紅も蒼も黄色も翠も、様々な色彩の鞠が転がっていた。全部で二十数個程度はある。
「何? これ?」
イリーザは眼をこすりながら、周りを見回していた。
セルジュは鞠の一つを手に取ろうか悩む。
この悪夢世界の中にある物体は何が危害を加えてくるか分からない……。
「これ多分、人間の魂が入っている」
イリーザは鞠を神妙に見つめながら言った。
「魂?」
「人間の精神エネルギーをムリヤリ引き剥がして、この鞠の中にいれている…………」
「ヤベェ奴だな。触れずに正解ってわけか」
精神を引き剥がされて、所謂、魂を抜かれた人間は一体、どのような状態になっているのだろうか。抜け殻となって植物人間みたいになっているのだろうか。
ころころ、と、鞠が畳の床を転がってくる。
セルジュは不覚にも、鞠の一つが足に触れてしまう。
「触らないで。それ、爆弾と化しているからっ!」
イリーザは思わず叫ぶ。
セルジュは足に触れた鞠を手にする。
鞠は瞬く間に発光を始めていた。
セルジュは咄嗟に、それを勢いよく障子を開き、障子の向こう側へと投げ付けた。そして、即座に障子を閉める。
鞠は閃光を迸らせ、途中、盛大な花火となった。障子越しにも、光と爆音がこちらの部屋に伝わってくる。
「…………。先に言えよな、おい」
セルジュはぴくぴくと、頬とこめかみを震わせていた。
鞠はゆらゆらと揺れながら、セルジュとイリーザの足元へと転がってくる。
セルジュは咄嗟にイリーザを抱き抱えると、鞠を投げ付けた場所とは反対方向の障子を開いて、部屋の外を出た。
視界が、ぐにゃり、と暗転する。
†
障子の向こう側は、廊下になっていた。
その廊下には向こう側が見えなく、久遠に続いているように思えた。
「目的地が分からねぇえ。今回の俺のミッションは、夢から出られなくなった少年を夢の中から助け出す、って依頼だったんだがな……」
廊下の途中を歩いていくと、唄が聞こえ続ける。
それは悲鳴にも笑い声にも聞こえる。
…………、これは悪夢世界。
もしかすると、誰かの悪夢の中へと迷い込んでしまったのかもしれない。
夢は記憶の断片を寄せ集めたものだと聞く。
ならば。此処は何者かの記憶を寄せ集めたものなのか……。
途中、草むらのような色彩の着物を着た老婆が屈みこんで座っていた。
セルジュは老婆を一瞥すると、彼女に質問する。
「此処は夢の中だろう? お前がこの夢の主か? この夢を見ている者なのか?」
老婆は答えない。
代わりに、指先を指し示す。
廊下の途中に、別の廊下が出現した。
二人は出現した廊下の方へと向かう。
現れた廊下をしばらく歩き続けると、扉のようなものが見えてきた。そして、その扉の辺りには角の生えた鬼の面が大口を開いて浮遊している。
セルジュとイリーザは大口を開いて飲み込もうとしてくる鬼の頭を避けて、扉を開く。扉の向こう側に行くと、また、世界が暗転した。
3
これまでの和風な世界とは一転して、奇妙な場所に出た。
セルジュとイリーザの服は元通りになっている。
眠る前に着ていた赤い浴衣だ。
つまり、現実世界、という事になる。
そこは研究所の中だった。
金属製の壁によく分からないパイプ。
奇妙なモニターなどが壁には取り付けられている。
セルジュは辺りにトラップの類が無いか探す。
監視カメラらしきものを発見した場合、ナイフを投擲してカメラを破壊して回った。
途中に休憩室やトイレ・ルームも見つかる。
いかにも、現代風の研究所だ。
先ほど、夢世界の中を彷徨っていた時のように、不気味で土着的な印象は無い。
通路を歩いて行くと、意外にも、すぐにこの研究室の主らしき人物を見つけた。
痩せた男で、年齢は二十代か三十代。
白衣を身に纏った、眼鏡を掛けた端正な顔の男だった。
「お前は?」
セルジュは訪ねる。
男は振り返る。
「私の名はアナタージャと言う。通称・不死の使徒。此処で不老不死に関する研究を続けている。君達は客人だね。その横のドアを開けば、私が此処で研究しているものが見つかるよ。開けてみて、入ってごらん」
アナタージャと名乗った男に言われて、二人は横のドアへと向かう。ドアは半開きになっていた。
中は冷凍室だった。
まるで精肉所のように、寒い。
中には、無数の培養液が置かれていた。
培養液の中には、人間の脳が入っていた。
完全に脳の全てが入っているものから、中には脳の一部だけが入っているもの、果ては女の子の生首が入っているものまであった。
「おい、何だよ? こりゃ?」
セルジュは裏返った声で、この研究所の主に訊ねる。
「延命の為の冷凍保存だよ。彼らは死ぬ前に永遠の命を願って、冷凍保存の実験にサインをした。主に病死の人間が多いな。もっとも、半数以上は遺族から私に届けられている。脳の一部でもあれば、生命を復元されると願って私に託した者もいる。まあ、ありていに言えば、ある種の宗教的なものにさえなっているんだよ」
アナタージャは部屋の中へと入ってくる。
「研究の成果はどうなんだ?」
セルジュは訝しげに訊ねた。
アナタージャは首を横に振る。
「クローン作成なら可能だ。だけれど、それは同じ姿形をした別人なんだ。彼らの命はとっくに潰えているし、彼らの魂は、とっくに霧散しているんだ。記憶をコンピューターのデータのように移す事はまだ不可能なんだ。幽霊だって、残留思念のようなものだ。それをクローン体に移しても生きていた頃の本人が戻るわけじゃあない。ただのゾンビのように断片的な記憶だけで存在する生き物になった。それでも喜ぶ遺族もいたが」
白衣の男は淡々と述べる。
彼の瞳は空ろで、声音には単なる好奇心のようなものを帯びていた。
少なくとも、慈悲のようなものでこの研究を行っていないのは確かだった。
「この少年に見覚えはあるか?」
セルジュは懐の中から、一枚の写真を取り出す。
アナタージャは手に取って、写真をまじまじと眺めた。
「キヨノリ君だね。彼は別の部屋にいるよ。見てみるかい?」
セルジュとイリーザは、別の部屋へと案内される。
アナタージャは侵入してきたセルジュ達に対して、害意も敵意もなく、案内してくれた。
その余りにも協力的過ぎる態度に、少しだけ、セルジュは不気味ささえ覚えた。
その部屋は、真っ白な部屋だった。
部屋の温度は平温だ。
その部屋には、先ほどの冷凍室とは違ったものが、無数に置かれていた。
それは、人間の顔に見える靄のような気体の入ったカプセルだった。
「所謂、『霊魂』と呼ばれるものを、そのカプセルの中には入れてある。『精神体』とも呼ぶし単純に『魂』とも呼ばれるものだね。君達の探しているものは、キヨノリ君で当たっているね?」
アナタージャはそう言うと、カプセルの一つを手に取る。
確かに、カプセルの中に入っている靄は、写真の少年に似ていた。
「これが欲しいのかい?」
科学者は訊ねる。
「ああ、両親が息子が夢から目覚めずに、植物状態なのだそうだ…………」
「私はこう聞かされている。キヨノリ君の両親は共に狂っていて、交通事故で脳死状態になったキヨノリ君の死をどうしても受け入れられないそうだ。私は彼らに懇願されて、私の実験で、キヨノリ君の霊魂を手に入れて、このカプセルの中に入れる事にした。……脳がグチャグチャに損壊していた為に、脳保存は断ったんだけどね。残念ながら、脳の一部だけを保管する席は満席だったからね」
アナタージャの口調はまるで、他人事だった。
セルジュは…………。
…………、デス・ウィングに嘘を付かれた事に憤る。いや、彼女は虚言を言っていたというよりも、重要な事を口にしてなかったという事か。そもそも、どういった仕事の案件なのか、詳しく質問しなかったセルジュの方にも問題があった。……探している少年が既に、脳死状態で死んでいて、両親は狂った宗教に縋り付いている事なんて、聞かされていない。
「俺はキヨノリ君とやらを持ち帰らなければならない……。金を貰える予定だからな」
「どうぞ。私は一向に構わないよ」
アナタージャはやはり、不気味な程に協力的だった。
このタイプの人間は経験から分かる…………どちらだって構わないのだ。ビジネスや利益という名目で動いているというよりも、面白ければ、どっちだって構わない。心の底からどうだってよいのだろう。アナタージャという男が目的としている狂った何かにおいては、セルジュ達への協力など取るに足らないものなのだろう。
セルジュは渡されたカプセルを手にする。
アナタージャは話を続けていく。
「それにしても、君達が此処に来たのは……“彼ら”の見る、夢の世界を通って、此処にやってきたんだね?」
アナタージャの瞳には、強い好奇心と喜びのようなものが感じられた。
「彼らの見る、夢?」
「そう。先ほどの冷凍保存した脳達。そして、このカプセルの中に入っている霊魂達。彼らはみなで巨大な夢の世界を作り上げているみたいなんだ。私もその夢の世界の中を、よく散策している。色々な夢が混ざり合って、とても心地よいテーマ・パークになっているんだよ。素晴らしい事だよ」
男はうっとりとした表情を浮かべていた。
端正な顔立ちが、なお、不気味な印象を強く与えてきた。
「23番通路の出口から、夢の世界を通って、現実世界へ戻る事が出来るよ。キヨノリ君を持って帰るといいよ。ただし、此処に来る時に分かったと思うけれども、夢世界は狂暴で、夢を作り出している“彼ら”は侵入者を喰い殺そうと、様々な怪物達を生んでいる。気を付けて帰って貰いたい」
何処までも、楽しげに男は抑揚の無い声で饒舌に話していた。
間違いなく、デス・ウィングと同じタイプの人間だな、とセルジュは感じた。
アナタージャは帰り道に関して、意外にも親切に注意事項を話してくれた。
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