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『冥府の河の向こうは綺麗かな。』  作者: 朧塚
冥府の河の向こうは綺麗かな。
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CASE 夜市場の島 ‐魔窟綺譚‐ 1


「依頼では無いんだが、私と一緒に行って欲しい場所がある」

 デス・ウィングは鶏飯(カオマンガイ)のチキンにナンプラーと砂糖を注ぐ。そして、備え付けられているキュウリとチキンを同時に口に入れて、咀嚼した。


「なんだよ。しばらくは汚い場所には行きたくないぜ」

 セルジュはシーフード・ヌードルを啜る。

 海老(シュリンプ)の触感が絶妙に、麺と調和している。


 猛暑が続く中、店内には幾つもの扇風機が回っていた。

 デス・ウィングはココナッツ・ジュースを口にしながら、案外、実が無いなあ、とぼやく。

「それにしても暑いな。飯に誘ってくれたのはいいが。エアコン付いてねえぇぜ。俺はお前と違って、暑さや寒さは苦手なんだよ」

 そう言うと、彼はヌードルのスープを啜り始める。


 テーブルの上には、蝿が飛び回る。

 床も壁も酷く薄汚れている食堂だった。


 二人はいつも通りの格好だった。

 デス・ウィングは肌の露出の無いニットのセーターに、長ズボンにマフラー。

 セルジュは両肩を露出させたカットソーに、両腕には緑色のアーム・カバー。長い真っ黒なドレス。今日はコルセットを外していた。


「見てみたい景色があるんだ。この世のものとは思えない景色をな」

 バニラ・アイスを追加注文する。


「ほう? 何処だ? だが、お前の言う美しいってのは、一般的な人間の感性からしてみると、グロテスク極まりないものばかりだろ? しかも、最低最悪に悪趣味のな」

 セルジュはコーラを飲みながら、炒飯を追加注文する。


「で、私の話は聞くのか? 聞かないのか?」

「聞くだけは聞くよ。一体、何処に行くつもりだ?」

「ああ。この国のある地区なんだが。夜市場(ナイト・バザール)だ。ボートから海を渡って、行く事が出来る」

 彼女は薄らと笑う。



「クソ忌々しいぜ。この国は公衆トイレで金を払うのかよ」

「まあ。私には関係ないけどな」

「便利な身体していていいよな」

 セルジュは悪態を付く。


 虹色のネオンライトによって輝く小船(ボート)に乗りながら、二人はナイト・バザールへと向かう事になった。


 天龍弓(ティエンロウ)

 それは、この国が誇る歓楽街だった。

 闇の中で、光り輝く都市は、島になっており、ボートを使って向かう事になる。


 海の中には、巨大な魚が泳いでいた。

 まるで、死の国へと渡る為の船の上にいるみたいだった。


 昼は市場を閉めている。

 岸に辿り着くと、街の住民達が屋台や露店を並べていた。


 屋台では、火を通した、巨大な魚や海老が串に刺さって売られている。

 屋台を抜けると、蓮の香の匂いが漂ってきた。

 そこでは、様々な雑貨が売られている。


「美しい景色たって。どうせ、お前の事だから。ろくなものじゃねぇんだろ」

 セルジュは悪態を付く。

「私もよく分からない。だから、興味が湧いた。この世のものとは思えないものだそうだ」

 デス・ウィングは鼻歌を歌う。


 鮮やかな花模様の団扇を手にしたチャイナ・ドレスの女達が歩いている。

 火吹き芸やジャグリングを行っている、サーカス団もいた。

 ワニや蛇などを飼育して、それを見世物にしているBARも存在した。


 所々には、謎の生き物が売られているペット・ショップが点在している。

 麒麟の子供、入りました、と謎の貼り紙が貼られている。


 市場はかなり、混沌としていた。


「情報によると、この夜の街の路地裏だな」

 デス・ウィングは言う。



 奴隷商人だろうか。

 人買い達が、集まってきた客に、檻に入った少年達を売っていた。少年達の背中には天使の翼が移植されていた。彼らは性器を切除されて、カストラートのような美声で歌い始める。


 この夜市場の裏路地は実質的に闇市場(ブラック・マーケット)と化していた。

 そういえば、途中、マリファナからヘロイン、LSDなどが売られている売店もあった。銃器を売りさばいている男達もいる。


「なんだ。チャイニーズ・マフィアの溜まり場か?」

 セルジュは首を傾げる。

「まあ、そんな処だろうな。しかし、この国の悪巣だろうな」

 この路地に入るには、特殊な通行証が必要だったが、二人は平然と、見るかる事もなく、門番の横を通り抜けて、この路地の中に入ったのだった。


「此処では臓器も取引されているらしい」

 デス・ウィングは言う。

「典型的な腐った場所じゃねぇか」

 セルジュはゲンナリとした顔になる。



「シャラツァア。それがわたくしの名前」

 豹の毛皮のソファーに寝転がりながら、薄着のチャイナ・ドレスを着た女が妖艶に笑っていた。彼女の両隣には、何名もの首輪をした半裸の少年達がいた。


 彼女は路地裏で、娼館の女主人をやっているみたいだった。


「彼らは?」

 セルジュは訊ねる。

「ああ。この子達の事? 彼らは幼児性愛者(ペドファイル)用の商品。貴方達はどう見ても、客じゃないでしょう。さっさと帰ってくれないかしら?」

 シャラツァアは、扇を振りながら、二人を見ていた。


 デス・ウィングはバナナ・チップスの袋を開けながら、ぼりぼりと女を見る。

「お前もペドファイルだろ?」

「悪い?」

「気持ち悪い女だな」

 デス・ウィングは珍しく冷たく言い放つ。


 チャイナ・ドレスの女は、タガメの串焼きを取り出して、口の中へと放り込んだ。そして、首輪を付けられた少年の頬に接吻する。

 彼らは脚の骨を砕かれ、小さな靴を履かされていた。

 艶めかしい少年の脚には、皮膚に糸を通した、コルセット・ピアスが施されている。ピアスの先には、吊るし飾りが付いていた。


「もう一度、訊ねるが。このナイト・バザールで“一番、美しい景色”を探している。それが何なのか知らないか?」

 デス・ウィングは、女に訊ねる。

 その際に、チップを渡す。


 女は満足して、指で道案内をした。



「醜さがあるからこそ、美しさが映える。つまり、醜悪さの上に、美が成り立っているのかもしれないな」

 港から吹く風が、デス・ウィングのくすんだ髪を靡かせる。

 彼女は波止場のベンチに腰掛けながら、そう言った。

 汽笛の音が聞こえる。

 彼女はノン・アルコールのビールを口にしていた。

 潮の匂いが鼻を過ぎる。


 鮮やかな色とりどりの千紫万紅の光を放つ遊覧船が国と島を結ぶ海を行き来していた。

 そして、海の向こうには、ネオンライトの光り輝くビル群が無数の宝石のように並んでいる。


 此処は背徳の街。

 天龍弓の闇市場。


 最高に美しく、最低に醜悪な街だ。


 所謂、人間が豊かさを享楽する為には、必ずダークな経歴が存在する。贅沢を貪る者達がいる一方で、資源を略奪され、貧困に蹂躙される者達が存在する。


「この島は、児童や性転換者まで扱う売春窟でもあるし、違法薬物が売りさばかれている。黄金の享楽の水面下に、人間のドス黒いエゴが渦巻いている。他人を搾取して、贅沢を貪りたいっていうエゴがな」

 そう言いながら、デス・ウィングは夜の闇の海の底を凝視していた。


「まあ、チョコレートの経歴調べるだけでも、途上国の奴らを奴隷にしてカカオ栽培させてやがるもんなあ」

 セルジュは露店で売っていた、桃饅頭(ももまんじゅう)を口にする。甘い餡子(あんこ)の味が口の中に広がる。


 先程の娼館の女主人いわく、この波止場の奥にある坂道の上から、その景色は観えるらしい。


 暗い闇の空には、巨大な月が照らしている。

 坂の隣には、月光浴(げっこうよく)の展望、と書かれた看板が貼られている。


 二人は坂道を歩く。

 セルジュは、まるで、登っているようでいて、奈落の底へと歩いているような気分になった。

 坂の途中には、二胡(にこ)という弦楽器を奏でる美少年がベンチの上に座っていた。淡い金髪をしている。上は白いTシャツ、下は青いサバーイ・パンツを履いている。


「おや? お前はなんだ?」

 デス・ウィングは訊ねる。

「ああ。俺?」

 少年は弦楽器を置いて、二人を見た。

 透き通るような、ソプラノの声だった。

 よく見ると、少年には大きくふくよかな胸があった。


「女だったのか?」

 セルジュは訊ねる。

 少年は首を横に振る。


「残念だけど、俺は男だ。男の下半身をしている。胸はホルモン注射を打たれた」

 少年は少しもの哀しげに言う。


「はん? それで、お前はそこで何をやっている?」

「ストリート・ミュージシャン。そこにお金を置いていってくれないかな? 俺は祖国に帰りたい」


 デス・ウィングは少年の座っている場所に置かれている、金属のコップに小銭を放り込む。セルジュは少し眉をしかめた。


「憐れみか? デス・ウィング。そんな奴に金なんて、やらなくていい」

 彼は珍しく、不快そうな顔で相棒に言う、

「どうした?」

 彼女は首を傾げる。


「お前、同情で金せびっているだろ? 不愉快だ」

 そう言うと、セルジュは少年の金の入ったコップを蹴り飛ばして、坂道の上へと登っていった。


 少年は呆気に取られた顔をしながら、散らばった小銭と紙幣をかき集める。


「ツレが悪い事をしたな」

 デス・ウィングは、少年と一緒に小銭を拾ってやる。


「仕方ないよ。俺は異国の地で稼ぎにいってさ。そして、性転換したら、ニュー・ハーフ専用の風俗で稼げるって言われてさ。色々あって、逃げてきた」

「ほう。しかし、この辺りは、闇市場の区画だと思うけどな?」

「大丈夫。この辺りは、奴らは自由な場所だと指定している。それに、俺が逃げてきた場所はこの島じゃなくて、陸地の方。此処にいるのは、結構、坂道を登る者達が金を落としてくれる。表の露店よりも稼げるよ。この坂道を登る巡礼者達は特殊な人間が多いんだ」

「成る程…………」

 デス・ウィングは、少年の腕をつかんでいた。

 彼の腕は、デス・ウィングのズックに手を伸ばそうとしていた。


「財布をスろうとしたな?」

 彼女は楽しそうに笑う。

「痛ぇえ。謝るから…………」

 めりっ、と、音がした。

「まあ。許してやる。ストリート・ミュージシャンは偽装で、本当はお前、スリが本業か?」

 デス・ウィングは、楽しげに少年を見下ろしていた。


「い、痛ぇな。骨にヒビが入ったかも…………」

「この上に何がある?」

「上? 知らないのかい?」

「知らないから来た」

「この展望台の上は、花火が観えるんだ。爛漫に。それがこの世のものとは思えない程の美しい景色として映るんだ。……それを観る為の通行証として、売り(バイヤー)から、薬を買わないといけないんだけどさ」

 少年はそんな事を言う。


「つまり、この世のものとは思えない美しい景色というものは……」

 デス・ウィングは少し唇を震わせながら、顔を引き攣らせていた。


「そう。薬物(ドラッグ)の過剰摂取によって観える景色が、脳の色々な器官を操って、歓楽街のネオンライトが、薬物の症状によって“この世のものとは思えない桃源郷”に映るんだ。それが、世界一美しい絶景の秘密だよ。俺は坂の帰り道のジャンキー共を狙っている。財布がゆるゆるだから」

 少年は言った。


 デス・ウィングは、それを聞いて、呆然とした顔で、しばし硬直していた。


 そして。

 デス・ウィングは、腹立たしそうに少年の顔面を勢いよくブーツで蹴り飛ばす。少年の顔が血塗れになる。彼女は腹にもブーツで、一撃、めりこませる。

 少年は、地面に倒れて嘔吐する。


「手癖が悪いぞ。私の隙を狙って」

 デス・ウィングは、彼の手にあった財布を取り戻す。



「なんだ、これ?」

 セルジュは、裏返った声で、その坂の展望台を見ていた。

 そこには、薬物に漬かった者達が、楽しそうに夜景を眺めていた。


「これが……、世界一美しい景色、とかいうものの正体か!?」

 セルジュは、ぷるぷる、と震える。


 近くでは、バイヤーが様々な薬を売りさばいていた。


「悪かったな、邪魔をした。俺のいる場所じゃ無さそうだ」

 セルジュは坂道を後にする。



「蹴って悪かったな。お前も生きる為に金が必要だものな」

 そう言いながら、デス・ウィングは少年の頭を踏み付けながら、ブーツをぐりぐり、と揺らす。少年は口から血を吐き続ける。そして、デス・ウィングは財布から何枚か紙幣を取り出すと、缶の中へと投げ付ける。


「珍しいな。荒れているな」

 そう言いながら、セルジュの姿が見えた。


「ああ。どうだった?」

 デス・ウィングは訊ねる。

「最低だ。観てくるか? 薬中ばかりだった」

「いや、いい。セルジュ、悪かったな。付き合わせて。私のリサーチ不足だ」

「ああ、いい。表の通りに行って食べ歩きをして帰ろうぜ。途中も、色々、食えたし、俺はそこまで気にしていない」


 そう言いながら、二人は展望台へと登る坂道を後にする。


「待ってよ。お姉さん達…………」

 少年は立ち上がって、血塗れのTシャツをめくり上げる。

 黒いブラジャーに覆われた、ふくよかな胸が現れた。肌はきめ細かい。


「まだ何か用があるのか?」

 デス・ウィングは腕を組んで、冷たく訊ねる。

 セルジュが不快な顔で、彼女に坂を降りる事を催促する。


「金は払うから。麻薬窟に入っている、妹分を助けて欲しい。写真渡すから……」

「自分で助けないのかよ」

 セルジュは冷たく言い放つ。


「俺の力では駄目だ。俺は…………、だから逃げた。一人で。で、情報によると、彼女は、この島で身体を売っているらしい。檻の中で」

 少年は口元を押さえていた。

 

「何をくれる?」

 デス・ウィングは…………。

 …………底知れない悪意に、満ちた眼で訊ねた。


「金はいらない。お前か、お前が助けたがっている人間の“不幸な品物”が欲しい。奪われた臓器でも、お前の大切な人間を虐待した刃物でも。なんていうか、私の心を満たせるものを提示してくれたら、行き掛けの駄賃(ひまつぶし)で、助けてやる」

 デス・ウィングは、風に揺れる自らの首に巻かれたマフラーを撫でる。


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