第7話 裏切の襲来
日を跨いでしまったけど数分だから許してほしいです。
嘘です。ごめんなさい。
早水の手を掴み僕は朝の八王子を駆けた。行く宛を脳内検索しながら。僕の家に帰るか?否、そんなことが出来るわけがない。もしかしたら金山さんが裏切るかもしれない。それで僕の家をアイツらに密告されては一溜りもない。ならどうする?同じアパートの彼女の号室を借りるか?彼女の存在を知っているのは僕だけだ。モルゲンでちょっとした諍いがあったが、あの空間で住所まで教える馬鹿ではないだろう、早水は。ならとりあえず、あのアパートに向かい、事情は彼女に着いてからだな。僕は早水の手を強く握り急いで近くの小学校の通学路を駆けた。
その時、何人かの小学生の群れとすれ違った。元気そうな小学生に何か違和感を抱きつつ、アパートを目指す。こんな感覚を朝に覚えるのも久々だ。
「相良さん、一体何が起きているんですか?!」
早水が突然質問を打つける。走りながらの質疑応答は控えたいが、仕方ない、一撃で黙らせられる解答はないか。
「警察に行きたくなければ、黙って走れ!」
「?!」
最適解だ。
そこに着いた時には二人とも呼吸が乱れていた。自分の周りだけ空気が薄い。路地裏だからだろうか。いや、そんなはずはない。カラスにも空気は平等だ与えられるはずだろう。
「早水、よく頑張ったな。今から簡単にアイツらについて話す。しっかり自我を持って聞いてくれ」
僕は彼女の肩を両手でガッシリ掴む。華奢な肩だ。やっぱりこんな世界に巻き込むんじゃなかった。僕だって巻き込まれている身なんだろうけど。ダメだ、自我を持てと言って自分の自我を失いかけている。
彼女も小さな肺で呼吸を整えようとしている。僕もそれぐらい小さな努力で守らなければならないものがある。ただの思い上がりかもしれないけど。
「まず、僕らはこの前話した男に目を付けられている。それがどんな人物かは知らないけどとてつもない権力を八王子で奮っていることは間違いないんだ。そして、モルゲンに来たあの2人組。あの2人がその男の手下である可能性は十分にある。今日みたいな接触も予想はしていたが、あまりにも早すぎる。それに僕ではなく早水に接触した。あの時、接触のしやすさを見極めて僕を避けたんだろう。厄介なことになった」
「私たちを知っているってことはこのアパートも危ないんじゃない?」
馬鹿にしては気が利くじゃないか、早水。僕は少し表情を柔らかくする。
「確かに、僕ら二人をカラスと認識したのであれば僕の号室は無理だろう。昨日、僕と早水のいるところを見たなら尚更だ。それに、金山さんが裏切りでもしたらお陀仏だからな。すぐに僕らの居場所が公になる。だから早水の号室に潜伏する」
早水は頷きながら話を聞いていたが、耳を疑ったらしく肩を跳ねさせて疑問符と感嘆符を頭上に並べる。何か問題があるのかと聞くと顔を赤らめながら、「ないですけど」と口籠った。恐らく彼女は男性を部屋に上げるのが初めてなのだろう。なんとなく伝わったがそんなことで躊躇するようではカラスにはなれない。
「あ、あんまりジロジロ見ないでくださいね」
「ああ分かったよ」
とりあえず此処に居座ればアイツらは僕を見つけられないだろう。
早水の号室に恐る恐る邪魔する。自分と同じアパートの住人とは思えない程整っていやがる。馬鹿でも掃除は出来るってことの証明か。節約のためか電球こそ付いていないが、角部屋ということもあってかかなり日当たりがいい。ただ、この窓からの明かりはカーテンで遮ってしまわないといけないな。アイツらが巡回しているかもしれない。
彼女に勧められソファーに腰掛ける。すると、早水は「お茶入れるね」と言って台所に向かった。それなりに料理をするのか適当に整った台所。所々に食器が転がっているのを見ると片付けは苦手のようだ。
僕はジロジロ見るなと言われたが、マジマジと隅々まで目を凝らす。プリクラで友達と撮ったものだろうか、可愛らしい姿の早水が机の柱を覆っている。この友達が早水に不審者の噂を流した張本人だろうか。見た目で判断するのは酷だが、ゴシップニュース好きにしか見えないな、コイツ。
なんだかんだ部屋を見渡しているとお茶を二人前用意した早水が帰って来た。
「ジロジロ見ない約束!」
「あぁ悪かったな、気になるものが多くてな」
「自分勝ですよね、相良さんって」
「そうかな?自分の本能に従って生きているつもりなんだけど」
それが自分勝手なんです、って言おうとしてグッと我慢する早水。お茶の片方を僕に付き出すと「冷めない内に飲んでくださいね」だと。僕はそれを受け取ると少しずつだが冷めない内に飲む努力はした。
「そう言えば早水、あの時あの女に何を吹き込まれた?」
早水は明らかな動揺を見せる。お茶を置き咳き込む。
「え、ええ、な、何も言われてな、ないですよ?」
「無理だ、早水は嘘を吐けないってもうなんとなく分かってるんだから」
「ムゥ……」
早水は僕と目線を逸らしながらその柔らかい唇を開いた。
「て、敵だって言ったんです、あの女の人」
勿論、嘘だ。だが早水はそれでも嘘を吐いた。飼いならされるだけの人間でなどいたくはなかったのだ。そんなことは露知らず、真実を告げられたと思った相良は話を続ける。
「やっぱり、アイツらは敵だと見なしていいようだな」
あっさりと信じ込んだ。相良さんも人間だということ?とりあえずこの場を凌ぎ切ることは出来そうだと少し笑みを浮かべる。
「で?情報はそれだけか?」
「はい、敵だから注意するようにな、との警告を受けたところで相良さんが割って入って来たのでそれ以降は何も」
なんだ、この早水の言動の違和感は。確かにアイツらは敵で間違いない。早水を狙って僕を誘き出そうとしているのか?早水に敢えて敵だと悟らせることで混乱を生まそうとしているのか?でもあの表情は嘘を吐いている時の早水ではないような気がするんだ。でも、もし嘘だったとしたら、アイツらが嘘を吐いているということで……。
「あー、考えるの怠いわー」
僕はソファーに仰向けになる。すべての思考回路に停止信号を送り、脳をスリープモードに落とす。一気に身体の力が抜け、ソファーの柔軟さに埋まる。
そうだ、初めから考える必要は無かったんだ。此処にいる以上見つかることもないし、安全なんだ。外出の用事があったとしても、僕だけが外に赴けばいい。簡単なことじゃないか。
「ちょ、ちょっと相良さん?!ソファーで寝ると身体痛めますよ」
「大丈夫だよ、僕は何処ででも寝られるパッシブスキルを持ってるからね」
「ああそうですかー。スキル全打消しの魔法でもこっそり打っておきますねー」
「いいよ、呪文系統を反射する魔法を先に唱えてあるからね」
「へーへー」
相良さんは眠りに落ちた。結局パッシブスキルも反射魔法もないのは分かっている。私だってスキル全打消しの魔法なんて使えない。それにしたって他人の部屋でよくもこう堂々と寝られるよね。無防備で、私が敵だったらどうするんですかね?
ん?敵?
その時遠くでマナーモードのスマホが机と擦れるようなぎこちない音が聞こえて来た。私のスマホはポケットにあるから違う。相良さんのものだ。しかし、たった今眠ってしまった相良さんを起こすわけにもいかない。というか、この音でも起きないって眠り深すぎないかな?
私は立ち上がり台所付近の小さなテーブルに置かれたまま迷子になっている相良さんのスマホを拾いあげた。スマホ画面には通話を始めるボタンと切るボタンが並んでいた。そしてその上に表示されている名前。名前とは言ってもフルネームとかそんなものではなく、渾名みたいに短いもの。「店長」の文字。
私は察した、モルゲンにいる何者かが此処に掛けてきたのだと。
私が出るまでこのマナーモードは震え続けるだろう。相良さんの起きなさそうな寝相を遠目に見遣り、息を整えた。
「はい……」
「あ、もしもし倉川ですけど、相良君の携帯であってますよね?」
「はい、今は眠ってしまっていますが」
「そうかい。こちら側としては丁度いいみたいで、女がグッドってやってるよ。んじゃあ、ちょっと君が
何者かは知らないけど、今いる場所を教えて貰ってもいいかな」
「え?」
電話に出たのはモルゲンの店長であろう「倉川」という人物。女というのはモルゲンにいたあの女性で間違いないだろう。店長を使って相良さんを誘き出す予定だったのか知らないけど、私が出たのは想定外だったのかな。
「いやぁ、僕も女に脅されていてさ、教えて貰わないと困るんだよね」
「脅されているって?!」
「そのまんまだよ、背中に包丁を押し付けられている、厨房でね」
早水は通話をしながら口を塞ぐような素振りを見せた。勿論誰も見てはいないのだが。遠くで相良さんの鼾が聞こえる。相当疲れているのだろうか。
「わ、分かりました!教えます!相良さんと同じアパートの101号室です!」
「な~るほど!」
声が変わった?倉川の声は消え、聞き覚えのある女性の声で相良のスマホが話し出す。
「あのアパートの角部屋ってわけね五時半くらいにそっち寄るわね?玄関の鍵、かけないでね?あ、そうそう、私あなたの味方だから」
「はい」
通話は此処で途切れた。
そうだ。この女性こそが味方で相良さんが敵だという可能性だってあるんだ。私が執拗に求められているのは利用価値があると相良さんが認識したから?そうだとしたら此処で乗り替えるのも悪くないのかもしれない。
「ごめんなさい、相良さん。私、まだカラスとしての自覚がないのかもしれない」
トボトボと短い廊下を歩く、相良さんのスマホは元の位置に戻した。相良さんの鼾は次第に大きくなる。深い眠りに落ちている証拠だ。
玄関に着いた私は取っ手の下部に付属している鍵を見た。きちんと閉まっている。恐らく相良さんが閉めていたのだろう。私に何か如何わしいことをするために閉めたのだろうか。ちょっと考えて、顔の熱を感じ取ったか、すぐに思考を軌道に戻す。
私は鍵に手を伸ばすとガチャリ。開錠した。
「私は間違ってない、間違ってない、よね」
登場人物
相良修斗 (20)男
早水雪菜 (18)女
紀坂涼真 (22)男
八嶋絵美 (22)女
金山昌幸 (63)男
店長 倉川(?)
短刀を持つ男
次回予告 第8話 開戦の合図