第2話 鴉面の犯人
1週間周期を目標に投稿します。
冬のカラスってカッコイイですね。
鴉面の向こうの表情が読めない。
僕は金山さんが言っていた不審者と思しき人物と現在対峙している。不穏な空気が僕を押さえ付ける。無音の圧力に従属する星空と街の外観。
時刻は午後6時を過ぎたくらいだ。いつもこの時間は誰もいないではないか、とオーバーヒート寸前の脳がこの状況の打開策を探す。それを悟られないように目は逸らさない。
黒い背景に浮かぶその様相は僕に恐怖を感じさせる、はずだった。
「ひ、ひひ人ォ!?」
間の抜ける声がした。
慌てふためいたのは僕ではない鴉面の方。暗闇でよく見えないが街灯の灯りを頼りにして僅かに垣間見えるのは常人とは思えない動作。
僕の緊張感は何処へやら言ってしまった。脳が冷却を開始する。やはり金山さんは根も葉もない噂を拾ってきたのだ。ただ、あの噂話が全くの虚言であるとは言えない。
何故なら、僕が当てはまっているのだから。
依然として鴉面を被った人影は「こ、こういう時は冷静に威嚇した方が良かったのでは?でも、相手がその威嚇に便乗して来ては私が困るし、アアァアアァァア!!」と、まあこの調子でまるで僕のことが見えていない。いや、僕を見たからこのような事態になったわけなのだが。
よく聞くとその声は男性の声ではないように聞こえる。どちらかと言えば華奢な女性を彷彿とさせる声だ。無論、まだ鴉面の段階であるから声だけで判断するのは鴉面とて失礼に値する。月は欠けている。
「あのー……。」
「ヒィィィ!!ごめんなさい!ごめんなさい!八王子市営ゴミ集積所でこんな不穏な格好で不穏な動きで不穏な状況で不穏な、ええぇとォォ!」
ダメだ、極度の心配性か何かかもしれない。「あのー」だけでこの始末だ。
「大丈夫、落ち着いて。僕は多分君のことを理解出来るかもしれない!とりあえず僕は君を警察に飛ばしたりはしないから」
鴉面に向かって熱弁している自分を三人称視点で見てみたい。それはそれは滑稽なのだろうと思う。僕は鴉面の人影と適度な距離を保ちながら言う。
「私を……理解する?」
恐らく涙目であろう人影は鴉面で僕を見る。声は泣いているのに、無表情の錻力を見ていると何やら変な気分だ。
「そのつもりだよ。だから、とりあえずその鴉面を外して貰えるかな?威圧感が凄くってさ」
一応鴉面を取って貰って素顔も拝もうと試みる。自分は鴉面の内側に女性がいると考えている。しかし、男性の可能性もあれば、顔が無いなんていう可能性だってある。こんな不思議な惑星だ、何が起こるかは誰にも分かるまい。
「あ!ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!今すぐ取ります!」
あれ、どうやって取るんだっけ。こう、こう?あれ?みたいな感じの寸劇がこの後も続き、僕はそれでも仏のような顔で優しく待った。
久しぶりに金山さんと店長以外の人間と話をしたような気がする。全く自分が想像していた会話では無かったけれど、悪くないと思っていた。
「ぶはぁあ」
鴉面を外した人影を見て驚いた。
僕はこれまでに可愛い人間を見たことがなかった。色素の薄い白色の髪に赤い目がよく映える。髪には黄色いメッシュが入っている。異世界の人間かとも思うが、自意識は保っている。これが現実だと冷えた脳内に叩き込む。
「鴉面外してくれてありがとう。やっぱり女性だったんだね」
「あれ?や、やっぱり誤魔化しきれないですかね。このお面だったら人の目は欺けると思ったんですけど……」
「人の耳を欺けなかったんだと思うよ」
「あ、なるほど!声……ですか」
少し話してみて分かる通り、彼女はかなり危ないタイプの子かもしれない。もしかしたら関わらない方が良かったのかもしれない。「君を理解できる」という言葉を是非とも撤回したい。もう後には引けない。
「とりあえず場所を移そうか。こんな場所で立ち話もなんだし……」
「カフェ驕ってくれるんですか!?」
「え?」
「それなら私、駅近カフェのカプチーノでいいですよ。財布に優しいしお口にも優しい飲み物です」
財布を持たない種族の僕はどうすればいいのだろうか。物凄い嫌味を言われた気分になり溶けてしまいそうだ。
「ま、まぁカフェではないけど、とりあえず座れる場所に行こうか」
「カフェ嫌いでしたか?ごめんなさい、気を悪くされたなら謝ります」
「大丈夫、大丈夫!カフェの人混みが嫌いなだけだから。それに、あまり謝らないでいいよ。誰も悪くないんだからさ。行くよ」
適当に口実を作る街灯下の僕。カフェに行きたくない理由は財布以外に別にあるのだ。財布があったとしてもあのカフェには行かないだろう。鴉面を片手に、躓きながら僕の跡を尾ける少し天然混じりの彼女。名前はまだ知らない。
1月の寒さは夕方から急に厳しさを増す。それなのに公園にはココアの缶を片手に持つ彼女と両手を揉みながら指先の暖を取る僕がいる。
寒さ故に澄み切って一等星が幾つか瞬く暗い晴天が広がる。それは彼女がココアの原材料表示を読んでいる時の瞳の輝きと酷似している。ゴミ集積所で拾ったココアの空き缶にそれほど真剣な眼差しを送れるとは意外と純粋なのか。
いや、騙されないぞ。僕はあの常人らしからぬ動きを目撃しているのだ。
「どう、ココアの原材料に変わった点はあった?」
「っ!?あ、ごめんなさい!つい真剣に文字を追っちゃって……」
「いや、だから謝らないでって」
「あ、ごめんなさ、あ、ごめ、あ」
突如女の子を目の前にした高揚感を適当に殺すために今まで黙ってはいたが、そろそろ話し出すべきだ。ベンチの軋みが静寂の間を鳴いている。
「そう言えば、まだ君の名前を聞いていなかったよね」
「そうですね、ごめ、じゃなくて!……えっと、早水雪菜、18です」
「早水?」
聞き覚えがある。こんなに珍しい苗字は滅多にいないはず。何処で……。
「どうかしましたか?」
彼女は考え込む僕を心配そうに覗き込む。本当に仕草が可愛いったらありゃしない。僕の脳内はお花畑に成り代わる。
「いや、可愛い苗字だなって余韻に浸ってただけだよ」
「そうですか。でも私あまり自分の苗字好きではないんです」
まさかの地雷を踏んでしまった。
そのことに少し動揺している僕に気が付いた彼女はあれだけ自主規制が出来ていた「ごめんなさい」をただ弾き飛ばすマシンガンへと変貌した。
少しの沈黙を挟んで次は彼女からの質問。ココアの空き缶を大事に握りしめながら重い唇を動かす。
「そ、そう言えば貴方の名前も聞いていませんでしたよね」
「僕の名前?」
彼女に興味を持ってしまっていた僕は彼女の名前を聞き出すことばかり考えていた。まさか彼女から僕の名前を聞いてくるなんて、天国か此処は。心拍が分かり易い反応をする。
「僕は相良修斗。この辺でカフェ経営をしている人のお手伝いをしながら、こうして市営ゴミ集積所に寄ったりしているフリーターだよ。歳は20ね」
そうカフェに行きたくない理由がこれなのだ。できるだけカフェから遠い公園を選んだんだ。あのジジィだけは現れてくれるなよ。
「フリーター……」
情緒の汲み取れない人間がいたものだ。僕が今まで生きてきた中にこんなに謝る人間はいなかったし、こんなに喜怒哀楽のハッキリする人間もいなかった。今の感情も出会って数分の僕には理解し兼ねる。「君を理解できる」などよくも言えたものだ。
そしてこのまま数時間、公園の片隅のベンチで意味もなく駄弁っていた。1月相応の静けさを保ちつつ、その内容は暖かいものばかり。
その話も終盤になり、直近で聞いたことのある最も不穏な言葉と再会することになる。
「そろそろ帰りますか?不審者が出るなんて噂も聞きますし……。夜の街は長居禁物です」
それは突然で僕は耳を疑った。脳の付属品はなんという言葉を拾ってくれたんだ。早水も不審者についての何らかの情報を握っているのか?
いや、待てよ。
彼女が金山さんの言っていた不審者ではないとすると、誰がこの八王子を脅かす不審者なんだ?
不意に吹いた風が冷たい。
「君もこの街に不審者がいると聞いたのか。誰から聞いたかとかって覚えていたりしない?」
「えーと、八王子に住んでる友達が怖いねって言ってるのを盗み聞いたんです。私も警戒はしておこうと思って」
「なるほど、だからこの鴉面を」
僕は彼女が持つ錻力の鴉面を見ながら呟く。でも何に使うんだ?その疑問の答えはすぐに僕の耳に届いた。
「いえ、これは自分を不審者に見せかけることで、不審者が近寄って来ないようにするための秘策アイテムです」
「不審者は寄って来ないとしても、警察が砂糖を見つけたアリのように寄ってくると思うけど?」
「どうしてですか?不審者ですよ?もしかしたら包丁を持ってるかもしれないんですよ?」
「だからだよ」
彼女の学力の無さには心が折れそうになる。気付けば完全に彼女のペースに持っていかれている。
「いや、話を戻すけど、不審者は君だと僕は思っていた。それが今覆ったんだ」
「ってことは相良さんが不審者ってことになりますよね」
「なんでそうなるんだよ」
「だってほら、黒い服来てるじゃないですか」
僕の時間が停止する。確かにそうだ。僕は市営ゴミ集積所に来る時、いつも闇に紛れるために黒い服を着ている。更に、ゴミを貪るという表現も僕の行動と一致する。朝食と夕食は市営ゴミ集積所で済ましているわけであるのだから。
無音の思考回路を眺める。不審者が自分である可能性はかなり序盤で排除していたが、完全に否定できるわけじゃないことを今更思い出す。それがまさかこの馬鹿の言葉によってというのも腹が立つ。
時間がゆるりと動き出す。
「僕が不審者なわけないじゃないか」
我ながら怪しすぎる反論である。確固たる証拠がない以上この段階で信頼を得るのは難しいか。
「そうですよね。私のことを理解してくれたし、相良さんにとっての不審者は私だったわけですし」
僕は思った、彼女は絶対に詐欺に引っ掛かると。更に一番厄介なのは恐らく詐欺に掛かった自覚がないことだ。彼女は自覚もないタイプだと思う。
夜も更け、街灯が点滅を始める。人通りのない八王子の夜の道。朝はとてつもない量の歯車がネクタイを締めて転がって行くのにも関わらず、今は僕と早水雪菜の2人の空間である。
お互いに不審者ではないことを理解した2人は帰路に付いている。風は依然として強く、マフラーを靡かせている。
「おい、帰るんじゃなかったのか?」
「そっちこそ、私の家までストーキングしようとしてる癖に」
「はーぁ?僕は自分の帰路をきちんと歩いてるんだけど?」
「私だって自分の帰路を辿ってますよーだ」
どれだけ路地に入っても、どれだけ曲がり角を曲がってもお互いがお互いの見える範囲を歩いている。まるで僕が彼女を磁力で引っ張っているかのようにピッタリと。
そして、お互い非を認めない内に家に着いた。何か身が軽い。
「着いたよ、家」
2人で同じ言葉を同時に放った。それは同じアパートを前にして放たれ、それぞれの鼓膜を数秒間揺らした。
「え?」
「え?」
偶然の一致とは奇妙だ。脳の思考を一時的に停止させ、時空間が無音を咬ます。アパートは悠然と2人を見下ろして帰還を歓迎する。
「君は何号室なの?」
こうなれば開き直って現実を受け入れることも手段ではあるだろう。夜這いを考えることもできる年齢だが、彼女を満足させられるほどのテクニックは持ち合わせていないから思考を断絶させる。
「私は101号室ですよ」
「角部屋じゃん」
「角部屋を選んだんです」
「僕は205号室だよ」
「聞いてないですけどね」
「お互いに知っておけば何かの役に立つかもしれないだろ?」
「例えば?」
「例えば?例えば暇な時の話し相手にとかだな……」
「何それ、馬鹿みたい」
馬鹿の早水に言われたくはないわ。急に見下された怒りが沸点に近付く。そして彼女を睨む作業中に違和感がチラつく。
「ねぇ、そう言えば君、鴉面はどうしたの?公園に忘れて来た?」
気が付けば無表情の錻力が見当たらない。両手が楽していることに気付かない彼女に僕が聞いた。彼女は何を質問されているのか理解できずに頭に疑問符を浮かべて恍惚。
「不審者になるための秘策アイテムは何処にやったんだと聞いてるんだけどな」
秘策アイテムというキーワードが彼女の脳を刺激したのか疑問符は感嘆符に変化し周囲を探す。しかし見当たるのは夜更けの風景。街灯がズラリと並ぶ道がアパートの前に通っているだけ。勿論、不審者の話題に没頭した2人は鴉面を公園のベンチに置き忘れてアパートまでやって来たのだ。帰路も下らない話をしていた所為で全く気にも留めなかった。
「相良さん!公園のベンチに鴉面忘れて来ちゃったかもしれない!」
「忘れてきたんだよ。断定だ、断定」
「どど、ど、どうしましょう?こ、このままだと誰かが鴉面を見つけて、それが八王子で噂として広がって、ニュースに取り上げられて、私の指紋が鴉面から出て来て、それで、それで……」
「そこまで理解できるのに、なんで家出る時に鴉面被って来ちゃったんだ?」
しかし、確かに彼女の言う通りだと思う。このまま鴉面を公園に放置していると誰かが発見して不審者の噂に拍車が掛かる。それだけは避けなければ同じ市民として面目が立たない。金山さんの噂話の続きを聞くのも懲り懲りだ。
「仕方ない、早く取りに戻るぞ!」
「またこの暗い道を戻るんですかぁ?!」
「君が忘れたのが悪いんだ。街のパニックだけは避けたいだろ?それとも指紋が証拠で警察行きにでもなりたいのかい?」
「と、取りに行きましょう……」
そう彼女が決意したその時だった。
彼女の後頭部を黒い何かが追突した。勢いよくぶつかったそれは彼女の視線を強制的に下へ落とさせる。「ぐえっ」という声と同時に地面に転がる何か。
鴉面だ。
「鴉面!?」
僕はそれを拾い上げて飛んできた発射源に目を凝らす。
「お前らだな、俺の領地を荒らしているというカラスは?」
ポケットに手を沈ませ、目深にフードを被る何者かが僕らに近付く。適度な距離感を留めた場所で足を止め、ポケットから左手を突き出す。その手には短刀が握られており、既視感のある瞬きを起こす。
「単刀直入に聞く。その鴉面は誰のだ?」
登場人物
相良修斗(20)男
早水雪菜(18)女
金山昌幸(63)男
店長
短刀を持つ男
次回予告 第3話 砂嵐の予感