エレベーター
真っ黒な建物とは裏腹に、中は綺麗だった。
洋式と言う事しか分からなかったが……。
部屋の隅にはアロマキャンドルか?
由佳がはしゃいでいた。
建物の周りには色とりどりの花。
目で楽しむ。
中はなるほど。
鼻で楽しめる空間と言う訳か。
「建物内全てがこの香りなのよ。ね?」
抱きついてきた楓に鼻の下を伸ばしかけていると、スマホ画面を無表情で俺の目の前にかざす由佳。
西表山猫……うぎゃああああああああああああらめえ!
楓に笑われてしまった。
「楓ちゃんでねーか!」
髭面、恰幅の良いおっさんと呼ぶに相応しい男がやって来た。
「ニ尾部さん、お久し振りですわ」
ニ尾部と呼ばれたおっさんは大声で笑った。
……何かこの施設に似合わない人だな……。
「ありゃ、後ろの2人は」
楓に紹介され、俺と由佳が同時に挨拶を済ませると。
ニ尾部さんはタオルを巻いた頭を抱えた。
「あっちゃー。聞いとらんかったな。 ……一緒の部屋でええか?」
……はい?
一緒……ああ。
いやまずいでしょ!
……実現するなら良いけどおいしいけど……ってそうじゃない!
「それは嫌です!」
「そんな事でしたか。構いませんよ」
全力で拒否する由佳とあっけらかんと言う楓。
由佳が楓を物凄い勢いで睨んでいた。
「じゃあ一緒で良いです!」
待て待ていくらなんでもまずいだろ!
全力で否定(の振り)案を提示するが、野宿が良いかと言われてしまうと、承諾するしかなかった。
嬉しそうに、当たり前のように俺の腕にしがみつく楓。
……由佳の視線が怖い。
花園塔には階段が無く、フロアにあるエレベーター1台が、他の階への移動手段となっていた。
……建物の中央は、エレベーターのスペースと言う訳か。
それにしてもここにまでアロマキャンドルがあるとは……。
徹底していると思うが、果たして必要なのかは疑問だった。
「楓ちゃんたちの部屋は4階だで」
どこの訛りなのだろうかと考えを巡らせ、ニ尾部さんが『4』の階数ボタンを押した。
エレベーターの扉が閉まるが、動く気配が全く無かった。
余りにもそれは静かだった。
「ここの特徴だで!」
ニ尾部さんは大声で笑った。
「特徴?」
由佳と同じ事を考えた。
ヴーンって言うあのエレベーターならではの。
それが無いのが特徴?
「振動あるじゃろ? エレベーター。こん施設は周りに観光地がある訳でねえかんな。んだから拘り持っとるんだで! 地震起きても振動一つせん!」
なるほど……。
客を不快に思わせない気配りが、細部の細部にまで行き渡ってるって訳か。
それで1泊5000円。
いや、正確に言えば1部屋5000円。
俺達は1泊1666円!
来る気持ちが分かる。
あ。階数表示パネルが2、3と変わってるな。
「ちゃんと動いているのよ」
ハイテクさに舌を巻き、扉の反対側の壁にもたれかかった。
階数表示パネルが4を示すと、『チン』と言う音と共に、もたれかかっていた壁が開いた。
うお!
盛大にこける翔太に被りを振った。
何してんのよ……。
「いてて……」
そんなに広くない廊下には、丁寧な『4』のプレートと、部屋の扉があった。
「がっはっは! すまんすまん!」
いえ、大丈夫ですニ尾部さん。
この建物の構造とエレベーター。
分かる筈ですから。
偶数階と奇数階で、違う方の扉が開く位、こいつなら分かる筈ですから……。
「早く言って下さいよ……」
腰を摩りながら立ち上がる翔太。
大声で笑いながらニ尾部さんは鍵を開け、扉を開けた。
部屋の中は4人用の部屋に、薄暗い照明。
この施設をうまく演出していると思った。
合鍵を渡され、ごゆっくりと言って出て行くニ尾部さん。
……ごゆっくりかぁ……。
「どうかしたのかしら?」
楓が早速抱きつき、由佳が俺を睨むの!?
「謎を解いて欲しいんですよね?」
由佳の言葉。
忘れそうだった事は内緒にしておこう……。
「そんなに慌てなくても良いわよ」
頬を摩らないで気持ち良いから!
だから俺を睨まないで!
ええいこのままじゃ埒が明かない。
楓をお姫様のように抱きかかえ、ベッドにゆっくり座らせた。
「あらあら」
謎解きしないと由佳が怖いから。
早く話を進めよう。
ああだからまた頬が摩られる!
……俺、持つかなぁ……。
油断も隙もあったものじゃなかった。
常に翔太を狙っている。
それだけなら許……せないけど、目的が見えなかった。
だから早く解決して帰るのがベストだと判断した。
「それで、幽霊騒動って」
突然だった。
呻き声のような、唸り声のような。
轟音。
楓さんは人差し指を立てた。
翔太は硬直して天井を見ていた。
私は言わずもがなだった。
おおおおおおおおおおおおおおおお!
ナニカの叫び声?
でも、私達のいる4階に、他に人などいなかった……。
だって廊下から見えた扉はここの扉1つだけだったのだから。
音は更に大きくなり、いつまで続くか分からなかった。
何度も聞いているからだろうか。
楓さんは何事も無いように、煙草に火をつけた。
時間にしたら短くても、こんなのが夜中にもと思うと怖かった。
ようやく音が止み、胃が持ち上がるような感覚が無くなった。
「解いて欲しい謎よ」
両小指を絡ませ手を口元にあてる翔太。
今のから、何を汲み取ろうとしているのか。
私には何も分からなかった。
あるとすれば、空気が振動しているだけ?
どこかの天井を抑えつけておけば、止む……かもしれない。
「空気の振動なら、途中で大きくなったりするとは考えにくいな……」
あたしを怖がらせてそんなに楽しいのかとイラッとしたから、カバのスマホ画像を見せると、翔太は鼻水と涙と涎を撒き散らした。
「俺悪くねーよ!」
「解けるかしら?」
また翔太にもたれかかる楓さんを止めようとしたら、翔太が優しく引き剥がした。
良くやった翔太!
何で名残惜しそうなのかは聞かないであげる。
「とりあえず、別の階に行ってみる」
各階も、多少違っている所はあるけれど、構造は大体同じ。
でも、私が翔太君に告げても意味は無い。
彼が実際に見る事に。検証する事に、意味がそして価値があるのだから。
2階、3階と調べて行く。
両小指を絡ませ、口元に当てている翔太君。
奇妙な癖だと思ったけれど、もうその動作にも、心が宿っているのを垣間見た。
きっと最初は意識してはいなかったのでしょうけど、翔太君の無意識では、もう分かっていたのだと思う。
5階で翔太君は首を傾げた。
他の階よりも少しだけ天井が高くなっている。
まあ、だから何?
と言われてしまえばそうなのだけれど。
そして6階、7階。
7階にだけ、扉が2つある。
屋上へ続く扉。
勿論屋上には柵など無い。
地上からでもそれ位の情報は分かる。
危険だから開けられず、確認も出来ないけれど。
「何かおかしい所があるような……」
「翔太。さっきからどうしたの?」
翔太君の邪魔をしないで欲しかった。
けれど、この状況から何を汲み取ろうとしているのか、非常に興味があった。
気付いたら翔太君を抱き締め、至近距離から見ていた。
「楓のお陰で忘れそうなんだけど……」
上品に笑いはしたが、邪魔をしてしまい、私も人の事は言えなかった。残念。
「腹減った」
もう分かったのかと思ったが、こう言う所が可愛らしい。
鮎川さんにプロレス技をかけられ、死にそうになっていたので、頬を撫でてあげたら気持ち良くなってくれた。
すっかり日が傾いていたようだ。
道理で腹も減るわけだ。
時間の感覚も時計が無ければ分からなくなる。
山奥にあるとなれば尚更。
花畑の前に、人がいた。
ここの宿泊客だろうか?
30代になるかならないか、位だろうか。
……涙が一筋見えたような気がした。
「あなた達もこの花を見に来たの?」
気のせいか。
お姉さんは黒田華織と名乗った。
本当の事を言う理由も特に無かったので、言葉を濁すと、興味無さそうに再び花へと視線を移す黒田さん。
「綺麗ですよね。 ……建物はちょっと不気味ですけど」
黒に統一された独特の建物を見上げた。
来た時には気付かなかったが、屋上へ続く階段のためだろうか。
裏の方、7階辺りには出っ張り部分があった。
こんな構造で、果たして倒れないのかが疑問だったが、倒れるなら最初から作らないか……。
嫌でも目に入る構造に、ただ見入るだけだった。
「そうね」
誰かを思い出しているのだろうか。
夕日に照らされた花畑を、俺も見た。
「いつ見ても良いものですね。恵さん」
「こんな所に来たがるなんて。花蓮」
恵さんと花蓮さん?
らしき2人の女性がやって来ると、黒田さんは塔へ戻っていった。
「田村恵と新谷花蓮。毎年この時期に来ているお客よ」
楓が小声で教えてくれる。
この絶景を高い所から見れないのは残念で仕方なかったが、頻繁に来る気持ちも良く分かる。
「こんにちは。素晴らしい建物ですね」
楓は何を思ったのか。
恐らく何かヒントになるようなものをさり気なく、聞きだすつもりなのかもしれない。
幽霊騒動以外の話も詳しいだろうから。
「確かに斬新だとは思うけど、1年中花が咲く。私はそっちに魅力を感じるかな」
「斬新な形よね。面白いわ」
「木の枝が交互に伸びてるみたいで、もう凄いとしか……」
「まるでユグドラシルみたいだわ」
「はいはい恵さんもうその話はうんざり」
しかし、今の話で分かる事と言えば、花蓮さんが花に。
恵さんが花園塔の構造に引かれてここに来ている事位しか分からない。
再度花園塔を見上げる。
ぐぎゅるるるる。
ああ。腹減った……。
「なら戻ろ?」
ちょ、引っ張んなって!
由佳の様子がいつもと違った。
振り向くと、楓が上品に笑っていた。
円卓のテーブルに、宿泊客が全員集まっていた。
黒田さん、恵さん、花蓮さんの他に、男の人も2人宿泊しているようだった。
中央に置いてある白い花は、何の花だろう?
「来てくれてあんがと! 目で見て食べて、味わってくんなされ!」
ニ尾部さんが霧吹きを白い花に吹きかける。
すると、白い花が透明になった。
「すげー!」
皆が拍手するのに釣られ、私と翔太も拍手した。
確かに凄かった。
「初めて見ましたが、美しいですね」
2人の内、年上の男の人がサンカヨウだと教えてくれた。
水をかけると透明に変わる性質を持っているらしい。
皆が思い思いの感想を口にしていた。
「乾杯!」
ニ尾部さんが厨房に一番近い席に座り、夕食が始まった。
「頂きまっす!」
隣では勢い良くサラダを。
フランスパンをひたすら頬張っているアホがいた。
肘打ちをかまそうと思ったら、楓さんが翔太の口周りをナプキンで丁寧に拭いていた。
「あ、悪い……」
何でそんなにデレデレしてんだよ!
怒りともつかない感情に、思わずスプーンを落としてしまった。
私が拾うより先に、若い男の人が拾ってくれた。
「すみません。交換して頂けますか?」
私とした事が恥ずかしかった。
「折角の料理、楽しまないと損ですよ」
そんな爽やかスマイルをされた事が無かったけれど、悪くなかった。
そ、そうですね……と自分でも良く分からない返事をしていた。
そう言う目的で来た訳じゃないんだけど。
何だよ。お前だってデレデレしてんじゃねーかよ……。
だから何だと言う話ではあるが、しいて言うならちくしょーって感じだ。
「気になる?」
楓が指を絡ませて来た。
別にそんな事はねーけど。
顔に出てると言われ、その表情をマジマジと見られると恥ずかしい。
顔を近付け合っている翔太と楓を見て、由佳もまた怒った様子なのだった。
「そうそう。こんエレベーター12時から6 時まで使えんの、覚っとってくれ!」
モヤモヤした夕食が終わり、部屋に戻るエレベーターを待っていると。
ニ尾部さんが言うには節電のため、一時的に部屋から出れなくなるらしい。
振動を抑えるためには、消費電力も通常よりもかかるのだろうか。
由佳と目が合った。
「最上さん、また明日も大学のお話聞かせて下さい」
露骨に視線を逸らされた。
何だよお互い様じゃねーか。
お前だってその最上さんと楽しそうにしてたんだ。
お互い様お互い様……。
そんな気まずいエレベーターに入ろうとすると、楓が抱きついてきた。
「外、歩きましょう」
返事も待たずに連れて行かれる。
由佳の方を見ると、恨めしそうにこっちを見て、そっぽを向いた。
……無理矢理振りほどくのも、躊躇われた。
半ば強引に連れて来たのは、彼女がいない所で話をしたかったから。
いえ。一方的に私がどう思っているかを伝えるだけなのだけれど。
花畑は、暗闇の中でも見られるように、ライトアップされていた。
見事な演出だと思っている。
彼女が気になるか、もう一度聞いた。
翔太君は俯き、どっちともつかない返事をした。
まあ、どちらでも良い。
私が貴方にとても興味があるのは変わらない。
貴方の全てを知りたい事に変わりはないから。
翔太君。戻りましょう?
もう一度強く抱き締め、私は歩き出した。
翔太君には今は彼女(彼氏彼女と言う意味では決して無いけれど)がいる。
だからまずは心を揺さ振らないと、入れる隙は、作れないから。
1階、管理室には、大きなパソコンが置いてある。
エレベーターの管理を主に行う。
そしてメインモニターのすぐ傍には、赤、緑、青のボタンが備え付けられていた。
ニ尾部義之は、異常が無いかの簡単な点検を行う事が日課。
そしてそのままエレベーターの方へ向かうのと同時に12時の鐘が鳴る。
いつもの通り、回数表示のパネルが消え、エレベーターは完全に使用不可になる事を確認。
ボタンの反応が無いのを最後に、部屋へと戻って行った。
同じ刻。
新谷花蓮は暗くなった辺りを見回していた。
花畑を照らしていたライトが消え、暗闇に包まれた中。
鐘の音だけが静かに鳴っていた。
「誰の悪戯よ……この秘密を……」
不安の中、懐中電灯の明かりだけが頼りだった。
ドスッ。
不安は一瞬で無くなった。
背中から心臓を一突きにされ、新谷花蓮は絶命した。
ドレダケノアイダ、マチノゾンダコトダロウ。
黒い影は天を仰いだ。
最後までやり遂げる。
それだけが希望。
雪月花。忘れない。