とある施設の幽霊騒動
山深き暗闇。
建物が燃えていた。
10m四方の花畑が、建物の周りに映えた。
仰向けに倒れた一人の、中性的な顔立ちの死体があった。
ザッザッ。
ひたすら走った。
作ってくれた千載一遇の好機。
涙を流しながら叫んだ。
走った。
一緒に逃げようと言ってくれたのが嬉しかったのに。
叶わなかった。
転んでも尚叫んだ。
仰向けになると、木の葉の間から月が見えた。
12月の寒さなど、憎悪だった。
涙に塗れた頬に、雪が降った。
花園塔。月。雪。
まさしく雪月花に刺さる劫火。
「激情。劫火となり心を燃やす」
様々な感情が渦を巻いた。
ゲームのキャラクター。
夢の中では無双出来る。
そしてチクリと胸が痛み、そして暗闇の空間。
口を開けて鼾をかいていたらしい。
強引にまどろみから覚醒を超え、現実に強制される。
「くおらぁ起きろ穀潰し!」
あああああああ止めて止めて止めて!
口の中に拳が詰め込まれていた。
尋常じゃない怪力でそのまま片手で持ち上げられ、まともに喋る事が出来なかった。
あああああああああ(何すんだ姉ちゃん)!
「早く起きろご飯を食え何言ってるか分かんない!」
ああああああああああああああああああ(それは姉ちゃんがこんな事してるから)!
「今から胃の中朝飯塗れにする?」
やめてええええええええええええええ!
……俺の姉。
吉野優子は優しくない。
まだ顎が……いや口の中のトラウマが……。
家事全部を投げ、仕事へ向かった姉ちゃんをよそに、せっせと洗濯物を……って姉ちゃん二十歳にもなって縞パンはくなよ……。
マンション4階からの見慣れた風景。
この隣に、由佳が住んでいる。
……俺に両親はいない。
幼い頃に死に、以来ここに姉ちゃんと2人で暮らしていた。
姉ちゃんが仕事、俺が家事全般をやる、至って普通の協力関係だと思う。
……姉ちゃんの暴力は、由佳に悪い意味で伝染した。
既に作られた和食をのんびりと食べながら、手紙を整理するのも面倒だが、やらなかったら容赦無い制裁。
あの手のトラウマ製造は、お手の物だから。
……にしても宗教勧誘が、今の時代になっても来るのか。
そして電気代と水道代……ん?
その茶封筒には、『吉野翔太様』と確かに書かれていた。
指定されたのは、お洒落なカフェ。
俺が一人で入ることは一生無いと思った。
お客がちらほらいるが、各々が落ち着いたひと時を過ごしていた。
場違い感が半端なかったが、当の本人はまだ来ていないようだった。
……15分前に来てしまったから何も言えないが。
窓際の席が空いていたので陣取ったが、どうにも落ち着かない。
不審者の如くキョロキョロしていると、視界が塞がれた。
「来てくれて嬉しいわ」
背中に感触が……すんごく柔らかい。
この人こんなに胸があった……ってそうじゃなくて!
何なのこの展開!
上品に笑い、視界が明るくなった。
振り返ると美女がいた。
ミニスカートがとても良く似合っていた。
メイドさんのメイドじゃない格好って、良いよな……いかん。
楓さんが笑顔を向けて俺を見ていた。
楓さんは首を傾げると、自分の格好を確認していた。
「どこか変かしら?」
いえ。
どこも変じゃありません。
メイド服だったじゃないですか。
この間は。
「あら。男性と会うのにお洒落をしない女性は、魅力的?」
何か俺、やったっけ……。
さっきから髪を触ったり着ている服を意味も無くアイロンみたいに伸ばしたり。
いえ、綺麗ですけどね。とても。
何を思ったのか楓さんは向かい側ではなく、隣に座って俺の両頬を掴み……って顔近いですって。
「貴方に興味があるわ。吉野君?」
お、俺に? どうして?
いや凄い良い匂いしますけど!
周りに暴力女しかいないから緊張しますよ流石に!
「敬語は駄目。楓って呼んで?」
だから頬を撫でないで!
気持ち良過ぎま……何でもないです。
楓さんと呼ぶと、体を密着させ、きつく抱き締めてきた。
温かくて柔らかい。息遣いまで聞こえてきそうな距離。
楓さん……いや楓が少し動けば、唇が触れる距離だった。
何か用なのか?
……楓。
「貴方にお願いがあるわ」
お願い?
唾を飲み込む音が響いた気がした。
抱きつかれたまま、上目遣いにお願いされれば……股間がとても痛い。
「ある宿泊施設の謎を解いて欲しいの」
表情の豹変振りに、俺はただ引き込まれた。
何とか立ち直ってくれたみたいでホッとした。
あのままにしておくわけにはいかなかった。
多分、優子さんだって同じ事をしたと思った。
ちょっとした買い物の帰り道。
ふとそんな事を考えていた。
……ただの夕飯の材料を買いに行かされただけ。
大した物は何も買っていない。
何度か入ってみたいと思いながらも翔太と入るのも……と思っていたカフェを、いつもの如く見ながら通り過ぎようとした。
良く見る顔が。何故かいた。
「何で翔太がここにいるのよ……」
しかも誰かに抱きつかれて……その人を見て信じられなかった。
異質と思った人がそこにいたから。
何で!?
目を見開いた。
ああ。
可愛らしいわ翔太君。
敬語はダメと言ったのは、私が翔太君と呼びたいから。
まだ呼ばないけれど。
心音が胸を伝って来た。
先日の貴方の推理、素晴らしかったわ。
「そんな事……」
俯いてはダメ。
貴方はもっと輝ける人だから。
私が認める男性。
少ないわよ?
ネガティブな口元を、人差し指で遮った。
ダメ。
貴方は私が知っているから。
ミニスカートの裾がはだけかかっていたのだろう。
翔太君は私のお尻を抱いてくれた。
もっと強く抱いてくれても良い。
とても優しい人。
ますます興味が湧く。
幽霊騒動って言えば、興味が湧く?
「幽霊騒動?」
何人も聞いている。
もう噂では無い。
貴方なら何か分かると踏んでいる。
あの事件をきっかけにして。
翔太君の運命は大きく変わる筈だから。
「んー……」
私は翔太君から離れ、後ろで歯軋りしている子に視線を向けた。
本当にこの2人は、固い何かで繋がっているのが嫌だった。
何してんだよあのバカ!
彼女は異質。
それも見抜けないの?
……暴力しか振るっていなかった事を少しだけ反省した。
「一緒に行ってくれる?」
ダメよ行っちゃ。
……行くならあたしも行くけれど。
どんな手を使っても!
目が痛くなる位に楓さんを睨んでいた。
「一つ聞いても良いか?」
「何かしら?」
「楓、あんた何者だ?」
よく言った翔太!
「謎を解いてくれたら、教えるわ」
俺ん家の住所を教えた覚えは無いし、ストーカーじゃなければ、調べるのに経済力を持っているって言う条件が必要になるから……かな?
資産家令嬢って所だったり?
多分合っているかもしれない程度の推論。
それなのに楓は何故か微笑んでいた。
「内緒よ」
耳元で囁かれ、硬直した。
止めて欲しいとは言えないが、あんまりやらないでくれ……。
いや、どうだろう。
「彼女も連れて来てくれると嬉しいわ」
レシートを持ち、その場を離れようと立ち上がる楓の後ろに、物凄い剣幕を見つけた。
由佳だった。
うん。
何故か死を覚悟した。
劫火を忘れない。
もう遥か昔に皹割れてしまった日々を、思い出すだけで、心の炎が激しく燃えた。
こんな山奥に、宿泊施設は果たして意味を成すのだろうか。
しかも、観光客がしばしば訪れるのだと楓は言う。
一体何時間かかるのか。
俺達以外に運転手しかいないバス。
そして同乗者の楓と、何故か由佳。
「ごめんなさいね。こんな遠い所まで」
楓が腕にしがみついて来る。
反対側の手を由佳がしがみ返してきた。
「いえいえ、お安い御用ですよ」
2人の間に、一触即発。
由佳を宥めようとするが、楓は由佳を常に挑発しているようだった。
「体調でも悪い?」
はい。もうバッチリデス。
頬を撫でられて股間が痛いです。
「にやけんな!」
アイアンクローは止めて!
ヘブンズオアヘル!
「見えてきたわよ」
真顔になった楓は、ただまっすぐを見た。
正面から見たそれは異様な建物だった。
真っ黒な建物自体は7階建てに屋上だろうか。
真ん中の幹から、左右交互に突き出したのは部屋だろうか(静岡新聞東京支社参照)。
ああ。テトリスのzが積み重なった構造って言うのが一番か。
7階の部分には時計、午後1時を告げる古びた音が鳴った。
無駄な空間を一切省いたら、こんな形になるのだろうか。
……設計した理由は知らないが、幽霊がいかにも出そうな場所。
異様な建物見たさに来る人もいるかもしれない。
宿泊料は1泊5000円。
ビジネスホテル並みの値段だ。
高校生には痛すぎる出費ではあるが、楓が支払いを済ませてくれたらしい。
更に建物を囲むように、10m四方位だろうか。
花畑には色とりどり、種類豊富な花が咲き乱れていた。
そして花畑の周りに、高く聳え立った楠。
この景色を、各部屋から見たらどんな風景が見えるのか……と思いを馳せるが、窓らしきものが見当たらなかった。
残念。
既に先客がいるようだ。
車が3台止まっている。
「すっげえ建物だな」
確かに凄い。
奇数階が左側。
偶数階が右側。なのかな?
真っ黒さが際立って恐怖を煽っていた。
「いかがかしら?」
何て言うか……凄いですね。
って何普通に会話してるのよ……。
「花園塔と呼ばれているわ」
翔太が反芻した。
本当に幽霊なんて出るのかな……何でついて来ちゃったんだろうホント……。
翔太が行かないって言わないから……。
「出るのではなく、聞こえるのよ」
楓さんは虚ろに笑っていた。
「昼夜関係無く呻き声が」
息を呑んだ。
この人はやっぱり異質。
私が来たのも、この人がいたから。
「楓から垣間見えた表情は、ただ冷えていた。まるでこれから起こる惨劇を、予感していたかのように」