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ヘスペリデスの園で 第1章-後を負う者-  作者: 葛宮 真琴。
─序─
6/6

第5話.別世界

 双子の使用人、ディックとリサとの会話は続いていた。


 今日はもまた、モーリスと約束して会う日だった。あの公園で待ち合わせて、2人で遊ぶ約束なんだ。


「そろそろ、準備しないといけないんだけど...。4時までには戻らなきゃいけないでしょ?」


 いつも城下を散策するのは許されているけど、門限がある。今は午前9時だ。

 複雑な表情で居ると、ディックが意外なことを言った。


「4時以降になってもいのです。」


「え、...なんで?」


 その答えは、単純なものだった。

 城下外への外出許可は降りたけれど、僕はディックと一緒に歩いていた。城下外へ行くのには、このことが条件だったんだ。


 ディックはただ黙って付いて来るだけで、少し気まずい。ローズマリーもあまりあの付き人と話しながら歩いて居なかったし、そういうものなんだろうか。ディックは、一歩下がったその距離感を保ちながら付いてくる。

 少し会話が有ってものに。そんなことを思っている内に、あの公園に着いてしまった。此処ここが待ち合わせだ。


 まだモーリスは来て居ないみたいだ。距離感をそのままに、僕と使用人の子は立っていた。


「ジェド、遅くなってごめん...!」


 少しして、モーリスは現れた。今日も胸元の宝石は輝いている。それを見ると、い暮らしをしているのは羨ましいと、どうしても思ってしまう。モーリスからすれば嫌味にしか聞こえないと思うけど。


「あ、お世話になってるって言う、お屋敷の使用人かな...?」


 育ちがいだけあって、服装から直ぐに使用人だと見分ける。ディックは特別 制服ユニフォームを着ている訳じゃないのに。


「そうだよ。」


「本日はジェド様の“監視”を任命されました、ディックと申します。宜しくお願い致します。」


 僕の今の立場上のこともあって、あのお屋敷に仕える人たちはみんな、他の人には僕に対してよりも扱いが丁寧だ。


 ディックに一言だけ挨拶し返すと、モーリスははにかみながら言う。


「宜しく。...ふふふ、“監視”だなんて、使用人に厳しいこと言われてるね。」


「あ...あぁ、うん、まぁ。」


 そう。僕の立場は、表向きでは“リチャードさんの親戚の子”。だけど、屋敷のお客様ではあるけれども“監視される対象”でもある。苦笑いで返すしかない。

 使用人たちはみんな、他のお客さんと対応を使い分けている。僕には少し砕けた態度だ。...とは言っても、この双子は、他の使用人とは違う雰囲気がある。


「あ、実は...さ。今日、急に用事が出来て、行かなきゃいけない処があるから...」


 僕が言い切る前に、ディックがモーリスに提案した。


「ご一緒されては如何いかがですか?」


 僕もモーリスも、目が点になる。モーリスなんか、僕の言葉に残念そうな顔をしかけたところだった。拍子抜けた表情で聞く。


「......」

「...何処どこに?」




 ......。

 木造で老朽化の激しい、家というよりも小屋と呼べる小さな建物が、目の前に立っている。僕らは例のお爺さんの家を訪ねた。廃材をいだ造りの、あまりにも粗末なその家の扉をノックする。


 中から床を軋ませながら近付く音が聞こえてくると、傷んだ木材を強く押し出すようにして扉が開かれた。約一週間とはいえ、暫く来なかった家をまじまじと眺めていた僕は、咄嗟に扉の方を見て、そこから不審そうに顔を出すお爺さんを呼ぼうとした。


「おじ、...!?」


 ...けれど、目の前に立つディックと目を合わせたまま見つめ合っている。


「......。」

「......。」


 横顔を扉から覗かせて、眉毛がピクついた。


「あの、お爺さ...」


「誰じゃ、お前さん。何処どこの坊じゃ。」


 もう一度呼んでみたけれど、今度はお爺さんの低い声に遮られる。ディックしか視界に入っていないらしい。きっと、このディックが悪戯にノックしたと思ってるに違いない。声の調子から物凄く不機嫌そうだ。


(悪戯にしては大分無表情過ぎるけど...。)


 ディックは全く表情を崩さずに用件を伝えてくれた。


「...突然の参上、申し訳ありません。わたくし、ジェド・マカリスター様の御用に同行させて頂いた者でございます。」


 そう言って、ディックが丁寧に僕を指すと、お爺さんはこっちを見て呟いた。


「...ジェド...マカリスター...。」


「あ、あの...お爺さん...」


 やっと気が付いたらしい。

 お爺さんは勢い良く扉を開け放って、驚いた顔で僕に叫んだ。


「マカリスターの坊か!」


 ...同時に扉が壊れる音が響く。破壊音も気にせず、3、4歩外に出て、辺りをぐるぐると見回すと、意外とすぐ近くに居た僕を見つけ出した。


 僕は一先ず、お爺さんに謝罪した。


「......う、うん。ごめんね。いきなり居なくなったりして。」


「いやぁ...てっきり川から落っこちて死んじまったかと思っておった。」


「......。」


 一応、謝ってはみたけれど、やっぱりお爺さんは予想通り、この調子だ。


「...少しは心配してくれたって...。」


「何? 儂が、人が死のうがなんとも思わん薄情者はくじょうもんだとでも言いたいのか。」


「いや、...僕が死んだ前提で言わないでよ。」


「儂の中では死んでたも同然じゃあ。墓の代わりになれるようなもんくらいは造ってやったぞ。」


「......。」


「......。取り敢えずは中に入れ、坊。」


 僕が返事して中に入って行くと、お爺さんは2人にも、「坊らも、早く。」と声掛けて扉から手を離す。全員が中に入って、扉を閉めようとするも、さっきの衝撃のせいでまともに閉まらない。扉としては使い物にならなくなってしまった...。


 お爺さんはそのまま奥の部屋に入って行く。それを見ると、モーリスが耳元で囁いた。ディックはいつもみたいに礼儀正しく立っている。


「ねぇ、ジェド。あのお爺さんが...?」


 僕はモーリスに小さな声で答えた。


「うん。...口は悪いけれど、悪い人じゃないから、安心してよ。」


(い人って言うのも微妙だけど。)


 僕の返事に、モーリスは小さく「分かった。」とだけ答えた。いきなり連れて来たのは良くなかったかもしれないけど、お爺さんもそこまで気にしていなさそうだし、きっと大丈夫だ。...多分。


 モーリスはそれから、驚いた顔をしながら周りを見回した。それも無理はないと思う。お爺さんの家は散らかっていて、相変わらず掃除もあまりしていない。いろいろな所が誇りまみれだ。ちゃんとごみ箱の中にれないで変な所にごみが転がっているのも、お爺さんの家ではいつも通りのことだった。


 少しだけ近くのゴミを片付けていると、お爺さんは奥の部屋から出て来て、カップを4つ運んできた。


「ほれ、牛乳ミルクは飲むか? 坊ども。」


 お爺さんが丁度良く温まった牛乳ミルクをそれぞれのカップの中に注ぐ。音を立てて流れていく牛乳ミルクは、静かに湯気を放って温かみを伝える。


「「...頂きます。」」


 モーリスが牛乳ミルクを飲み始めて、僕も口を付けると、ディックがカップに手を伸ばした。


 ただの温かな牛乳ミルクじゃない。ほんのりと自然な甘さを感じる牛乳ミルクが口の中に広がっていく。お爺さんが出す牛乳ミルクはいつも、蜂蜜が融けていて美味しい。2人も、普通の牛乳ミルクじゃないことに気が付いたらしい。


わしゃぁ、甘党でな。蜂蜜を入れておる。」


 二人は飲みながら、納得した表情をした。


 牛乳ミルクを飲みながら、僕は早速本題に入る。


「......お爺さん、あのね...。」


 あまりゆったりとはしていられない。先ずは、僕が収容所に連れて行かれた時の話だ。

 僕は、お婆さんの道案内をしたその時からの経緯を話していった...。


 ............。

 .........。

 ......。

 ...3人は、静かに聞いてくれていた。モーリスは特に、僕が話す度に頷いたりして沢山反応してくれた。ディックはいつも通り、リチャードさんの命令を聞く時の態度のまま、無表情で姿勢良く立ちながらだった。


「...でさ、お爺さん、どう思う?」


 お爺さんは何を思っているのか、表情が全然分からない。彼らの目的がどんなものか、推測を話すとお爺さんは唸った。


「...かもしれんな。」


 お爺さんが答えながら何かを考える素振りでいる。モーリスは申し訳無さそうに会話に入って来た。


「...あの、僕、城下に住んでるんですが、僕は貴方のこと、知っています。...その、有名...なので。」


「...。例えば、どんな話が出回っておるのか、話す気にはならんか。」


 モーリスは少し尻込みしている。このお爺さんの噂と言えば、本人には言いにくいものが多い。僕もこの1週間で、...お爺さんの家に居候していた間も、沢山聞いた。


 噂の1つを思い出して、僕は思わず心の声を出してしまった。


「......お爺さん、本当に学者だったんだね。」


わしゃ、昔、考古学を中心に調べておった。儂の研究内容はいつも特異での。石頭の研究者たちには理解されんかったわ。」


 お爺さんは、城下では“狂人”として有名だった。


 この国では、...いや、きっとどの国でも常識的に考えられている話がある。それをお爺さんは、研究者として否定した。それは、僕らの祖先についてのことだった。


 モーリスが一般的に言われていることを挙げてくれた。


「ずっと昔に大きな戦争があって、その頃に人類の大部分は死滅した。それも、東洋を中心に。戦争が終わってから長い年月が経った今でも、東側には近付くことも出来なくて、東洋人の末裔も、もう殆どいない。...というのが定説、ですよね。」


「坊は、モーリスと言ったか。東洋人の末裔が今、どうなっているかは国によって伝えられ方が違う。必ずしもイギリスの教育が正しくはないことは、確認しておこう。」


「もしかして、この前言ってた話が、お爺さんの説? 今でも東洋には人が居るとか、偉い人たちがデマを流してるから本当のことが揉み消されたとか。」


 僕の質問にお爺さんは頷いた。すると、モーリスがさりげなく凄いことを言いながら話を続けた。


「その学術書、多分読んだことがあります。東洋人の末裔が...、僕と同じ黒髪ブルネットが沢山生き残っていて、向こうも西側には何かの理由で来れなくなっているとか。」


「...モーリス、そんな難しそうな文読んだの...?」


 これには、僕もお爺さんも驚いた。


「そうじゃ。世界地図を見れば分かるが、此方側から見ると、特にアジアの方は昔出来た溝とかのせいで陸路では絶対に行けん。海の方は、どの国も勝手に近付かせないようにされておる。きっと向こうからもじゃ。...モーリスよ、何故そんなものを読んだ?」


「......。お爺さんは、考古学だけじゃなく生物学的な研究にも関わったことありますよね?」


 なんとなく、モーリスの目が輝いているような気がする。お爺さんが静かに頷くと、モーリスは続けた。


「今の人類は、昔よりも人種が細かく別れていて、目や髪、肌の色の組み合わせで直ぐに何処どこの血筋か大体分かる。それなのに、昔は種類が少なすぎてあまり分からなかったって、僕の家庭教師が言っていました。」


 マシンガンのように放たれる言葉に、お爺さんが相槌を打ちながら付け加えた。


「そうじゃ。髪は黒、茶、金、目は黒、青、緑、肌は黄色、白、黒、その組み合わせだけだったという。体つきも人種によるばらつきが見られないとされておる。」


 僕は少しだけ疑問に思って、自分の腕を眺めた。


「...。黄色い肌...?」


 そう言って腕を見ると、みんな同じように腕を伸ばした。

 ...僕の腕は白い。でも、よく見るとモーリスとお爺さんの腕は、白というよりも、黄色がかっている。この色のことだろうか。少し黄色とは違うような...。


「特に東洋人の特徴だったと言われておる。今は目も髪も肌も、多様化しておるから、あまり気にすることはないじゃろう。」


「...へぇ。後、体つきがあまり違わないってどういうこと?」


 僕はもう1つ聞いてみた。僕らの周りだと、人種によって体つきが違うのは当然だし、肌の色みたいにいちいち気にするものじゃない。でも、みんな同じような姿ってどんなだろう。


「例えば、今では耳の形にしても、人種によって違うじゃろ。尖っている、丸みがある、獣に近い、耳たぶがない。質感でも違うじゃろう。それが昔の人々はみな、丸い形じゃった。手足の長さも大体同じ、顔の作りも似ているのじゃ。今と比べると、な。」


 耳の形以外なら、鼻、手や足の形とかも人によって違う。指の数だって。今ではそれが当たり前。


「それと、昔は翼のある人間がいなかった。尻尾も、角も、鱗も。進化の過程で、必要な人種だけが備わったものだと言われておるが...」


 お爺さんの説明に続けて、モーリスが話す。


「一度、要らなくなってなくしてしまったけれど、結局は必要になって復活した。っていうのが、定説。」


「そうじゃ。...じゃがな、ヒトという生き物は長い間翼や尻尾なぞ持たなかった。尻尾があったのはサルと区別出来るようになる頃のこと。翼なんぞ最初から持っとらん。霊長類に別れた時からな。」


 僕はすっかり話に置いてかれていた。ディックなんて、最初からそこまで真剣に聞いていない。

 お爺さんは話続ける。


「どの生物も、ゆっくり時間を掛けながら進化して姿を変えてきた。それなのに、一部の人種だけ、ある時を境に突然翼を持ち始めたり、他の動物たちの特徴を併せ持つ種族が現れ出すのはおかしいじゃろう?」


「...何時いつから?」


「最後の世界大戦からじゃ。」


 飛び出た僕の質問にお爺さんが答えると、今度はモーリスが確認を取る。


「だから貴方は、僕たち人間が、“体の《《ある》》部分に他の生物のそれと同じものを持つようになったのは、かつて人体実験が為された結果だ”と考えた。」


 きっとモーリスは、黒髪ブルネットについて調べている内に、お爺さんの学術書に行き着いたのかもしれない。そこまでして調べるのも凄い。でも、お爺さんは? 僕はなんとなく聞いてみた。


なんでお爺さんは、そういうことばかり研究してたの?」


 僕が質問すると、白熱している間にいつの間にか立ち上がっていた2人が静かに座り始めた。


「...わしゃあ、今でこそこんな白髪になっちまったが、若い頃は黒じゃった。“ブルネット”というものじゃ。」


「「...!?」」


 座ったモーリスは、すかさず立ち上がる。その口から、自然と言葉が洩れた。


「...もしかして、」


「儂の家系は元々、東洋の血じゃ。」


 そんなこと、初めて知った。...そしたら、きっとお爺さんも...


「お爺さんは若い頃、どうだった?」


 僕の問いに、お爺さんは怪訝な表情で質問を重ねた。


「...『どうだった』じゃと?」


 モーリスが質問を改めた。


「...黒髪ブルネットが理由で、理不尽な扱いを受けたことは?」


「このご時世、髪の色ごときでそんなことをするもんはおらんじゃろ。」


「......。城下で僕だけが黒い髪で、疎まれているんです。」


「...確かに、城下で一人だけ黒、というのは目立つじゃろうなぁ。城壁に囲まれている分、城下あそこはどこか閉鎖的じゃ。わしも若い頃はよく出入りしておったから分かる。店の中じゃない限りは、人の目を気にすることなんざよくあったことじゃの。」


 今度は、それまで黙っていたディックが、姿勢も変えずに2人の会話に入ってきた。


「貴方がこのロンドンで、人の目を気にする本当の原因は、研究内容が“異常”とされたから。...と、城下では伺っております。」


 それまで、何処どこに視線を置いているのか分からなかったお爺さんがディックを見た。


「実のところ、わたくしの髪が明るめの茶髪なのは、染めている為です。元の色は濃いブラウンでした。城下では、黒だけでなく濃い茶色も忌み嫌われている髪色ですので、主であるリチャード様に、染めるよう命じられました。これは、双子の妹のリサも同じです。」


 僕は驚いたけれど、モーリスはあまり動じないで、話した。


「城下に住むのは、厳しい条件に合うほんの一握りの人だけで、その使用人や従業員には、期間限定で住み込みが許されているだけ、だよね? そういう人で、目立つような場合は、雇い主から命令されて髪を染めたりとかしているのが多いのは聞いたことがある。うちはブルネットの人を雇わないって決めてるみたいだけど...。」


 僕はよく分からなかったから、後で聞いてみた。「城下に家を構える為には、幾つもの厳しい特令に従うことを条件に居住権を得る必要がある。その権利は国民の中でもごく僅かの人にしか無くて、その人たちのお店の店員や使用人は特別、仕事を辞めるまで城下に住むことが出来る。」ということらしい。本当に居住権のある人は家族を呼べたりとかも出来るけど、働いてる人はその人だけとか、そんな違いなんだとか。


 ディックが話を続ける。


「その通りです。ですから、使用人などの格ではありますが、実は黒や茶などのブルネットの人は、城下の中でも結構居るのです。」


 ディックをずっと見ていたお爺さんが聞いた。


「それがなんじゃと...?」


わたくしたち使用人や従業員の中には、はっきりと東洋人の末裔であることが分かっている人もいます。その当時、城下の中では、貴方が掲げた説に夢を見る人も少なくなかったと聞いております。」


「...そんな夢なぞなんになる。わしゃ、あの論文を出すまでは普通に『充実』してたわい。」


 お爺さんの口から“充実”なんて単語......、黙っておこう。


わたくしの世代にもなると、残念ながら信じられてはいませんが、未だに当時の夢を密かに抱き続ける者が居るのです。貴方はあの人たちに、希望を与えた。」


 研究が認められずに、世間から見放されたお爺さんは、自分もまた孤立した。それでも、ロンドンから離れずに居るのはなんでだろう。


 ...そういえば、東洋人のことなんて、田舎ではあまり聞かなかった。それに、世界大戦の時に実験がされた...?


「......。ねぇ、お爺さん、ちょっと聞きたいんだけど、さっきから話してる東洋系の人と世界大戦の時の人体実験って関係あるの? この2つを研究するのって...」


 お爺さんの代わりに、モーリスが下を向きながら答えた。


「大戦の時、一番実験を受けたのは東洋人だったって、あの論文に書いてあった。」


「...?」


わしは、東洋人の末裔への差別意識が未だに続いていると思っておる。だからこそ、この国は東洋の過去と今の何かを隠したがっているのじゃ。そう考えておる。」


 ......。

 僕がお爺さんに話した、パン屋での事件。僕はその裏に、お爺さんへの嫌がらせがあると思った。父さんのことを探している内に、お爺さんと城下の人や周りの人たちとの関係が見えていたから。

 1ヶ月近く、お爺さんの家に居候していた僕を、あの人たちはきっと、お爺さんの孫だと思ったんだ。お爺さんの孫を陥れる。そうすることで、何かをしたかったんだ。

 ...そこまでは考え付いていた。けれど、東洋人の末裔に対する差別意識...? 


 この時の僕には、「人種差別」なんて聞いたって、何もピンと来るものが無かった。



 僕らがお爺さんの家を出る時には夕方になっていた。曇り空がロンドンを覆う。あんなに難しい話を沢山していたのに、夜になっていなかったことが不思議だった。

 お爺さんの家を出る前に、置きっ放しになっていた荷物を返してもらった。お爺さんは僕の荷物を、ちゃんと保管してくれていたみたいだ。妹の描いた似顔絵も、他のものも、綺麗に入っている。


「何、それ?」


 お爺さんの家から離れて、橋の上を歩きながら布を握っていると、モーリスが聞いた。


「これ?」


 聞き返す僕に、モーリスが頷く。


「家を出る時に、母さんがサンドウィッチを作って渡してくれたんだ。その時くるんでた布。」


 そう言いながら渡すと、布を受け取ったモーリスは呟いた。


「...これ、水気のあるものでもくるめるよね。」


「...そういえば、サンドウィッチの中にトマト入ってた。」


「......。もしかして、ジェドの家って裕福じゃない?」


「え...」


 聞くと、それは特殊な布で、普通の人は買えない値段らしい。そんな凄いもの持ってたんだ...。

 僕のうちにお金があったって、モーリスのうちにはどうしても敵わないと思うけど...。午前中と変わらず、モーリスの胸では宝石が光っている。


 城下の中に入ると、僕らはリチャードさんの屋敷の前で別れた。モーリスの背中を見送ると、屋敷の扉を開けないで、ディックがこっちを見ている。


「先程のお話、ジェド様はどれだけご理解頂けたでしょうか?」


「? ...あ、うん、」


 元からロンドンに住んでいる人になら直ぐに分かる話だったんだろうけど、僕にはまだはっきりと理解出来ない。...とも、言いにくいから濁してしまう。


なんとなく、...ね。」


 僕がそう答えると、ディックは予想外の言葉を口にする。


「...あの方とモーリス様には、これ以上関わるべきではない。ということはご理解頂きたい。」


「...何、言ってるの?」


「貴方は今後、巻き込まれますよ。...これは、リチャード様からの言伝ことづてです。」


(リチャードさんから...?)


 リチャードさんが言ったことの意味が分からないでいると、後ろから聞き覚えのある声がした。


「ジェド、少し話があるの。」


 振り向くとそこには、1周間振りの再会になるローズマリーが立っている。また軽装備だ。もう一度ディックに目を向けると、彼は礼をして屋敷の中へと入っていった。


「...来て。」


 言われるままに、ローズマリーの後を付いていく。


 今日のディックの言動がよく分からない。お爺さんの家にモーリスも行くように薦めたり、今だってタイミング良くローズマリーが来る。何か違和感があった。


 ローズマリーの足が止まった。振り向いて、僕に話し掛ける。


「ジェド、リチャードから何か話を聞いていないかしら?」


「...? 特に。」


 ローズマリーは目を剃らして瞬きすると、歩き始めた。


「ねぇ、ローズマリーは黒髪の人、どう思う?」


「? 特に何も...。どうして?」


 歩きながら、僕はモーリスのことを話した。黙り込んで歩くのは、少し嫌だった。


「...そうね、わたしにもその差別意識は分からない。あまり城下には下りないから、そんな状況も知らなかったわ...。」


「僕、ロンドンに来る前はよく近所の子たちと遊んでたんだ。中には黒髪ブルネットの子も居たけど、髪の色なんて気にしないでさ。そんなことで差別するなんて、可笑しいよね。」


「...。例えば、貴方は、私と初めて会った時、私の格好を見てなんて言ったか覚えているかしら。」


「え...」


 ─...その格好だって変だよ。何処どこかのお嬢様っぽいこと言ってる君が、なんで軽装備なんか...。


「あれは女性への差別と捉えられかねないわね。身分の差別とも。」


「え...、そんなつもりは...」


「『例えば』の話よ。」


「......ごめん。」


「無意識のうちに、“差別”は起こるもの。...東洋人への差別は、最早根拠なく根付いた“伝統”ね。悪習だわ。」


「...。」


「...ジェド、一言言わせてもらうけれど、此処ここは城下町よ。夜になっても、何処どこで誰が聞いているか分からない。本当にモーリスのことを心配しているならば、この話はもう止めた方がい。」


 何処どこかで窓の扉が閉まる音がする。同時にいくつも。


「貴方は言葉だけでなく、これから色々なことに気を付けるべきだわ。まだ城下に留まると言うのなら。」



 ......。

 僕は自分が、そこまで鈍感な人間だとは思っていなかった。地元では勉強だって出来た方だったし、何でも知っているつもりだった。

 ...でも、僕は何に気付けた? 何をそこまで知っていた? 



 僕らは城に向かって、無言のまま歩いて行った。



 ─部品パーツの揃った機械仕掛けの箱なんて、あとねじを回してしまえば簡単だ─




【第5話.別世界 終】

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