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ヘスペリデスの園で 第1章-後を負う者-  作者: 葛宮 真琴。
─序─
2/6

第1話.愚者

 イギリスを束ねる王族が住まう城。その城内の長い廊下を、私は進む。王族の一人として、華やかな衣装ドレスを身に纏い、ヒールの音を響かせながら、進む。群青広がる絨毯を踏みつけて。


 ...帝王の間の重厚な扉が開かれた。奥に座するはこの国の統治者。現・女帝、アンリエット。その隣には、女帝の妹・エディス様が佇んで居らした。

 女帝様の口から欠伸が漏れる。私は、その御前にひざまづき、朝の挨拶を述べた。


「お早う御座います。」


 私の挨拶に女帝様は応えて下さった。

「お早う。...朝から固いな。」


 エディス様が笑う。

「フフッ...、お前らしい。」


 私は二人の《《姉》》に答えた。


「...御姉様おねえさま方が王族に相応しい態度でないだけでしょう。エディスお姉さまはまだしも、アンリエット御姉おねえさま様はこの国の女帝なのです。」


 ─そう、 私の御姉様おねえさまこそ我が国の象徴。城下の中心に そびえる城のあるじ。斜めに冠した王冠は、薄暗い帝王の間に差し込む朝日を浴びて艶やかに光輝く。この王冠こそ、統治者の証。この国の女帝たる彼女こそ、私の誇れる御姉様おねえさま


  この『帝王の間』は、我が国の中枢。壁には、天井からから垂れ下がる藍色に染められたビロードの幕が、外部からの光を遮り厳かな空間を作る。 御姉様おねえさまの座る玉座の背後には、歴代統治者の肖像画が今日こんにちの統治を見守り、威厳溢れるそのお姿は、変わらず来客を快く迎え、招かざる者を拒む。

 玉座の右横には御姉様おねえさま御愛用の水晶玉が幻想的な変色、左の小さなガラス製のテーブルには、グラスに注がれた御姉様おねえさまお気に入りの葡萄酒ワインあかく鈍く煌めいている。


 半ば呆れながらに私は言った。

「...また、朝から葡萄酒ワインを飲まれて。」


 アンリエット御姉様おねえさまの、ウェーブ掛かった艶やかな金の長髪が揺らぐ。

「別に良いだろう。まだ、私の中では今日の公務は始まっていない。」

 そう答えながら、また一口グラスに手を伸ばす。


 それから二言、三言...。姉たちとの雑談を切り上げ、私は早々に立ち去った。三姉妹の中でも末であろうと、わたしにもまた御姉様おねえさまの雑事を手伝う義務がある。雑事以外でも、やらなければならないことは山積みだ。


 ─気紛れな晴天の元に1日が始まる。─






 ......。

 冬の終わりを告げる風が全身を突き刺しながら通り過ぎてゆく。わたしにとっては久しぶりの城下町。時代を感じさせる石造りの街並みは、雅に夕刻の時を刻む。角のパン屋から流れる、容易に程好い焼き色のパンが想像出来る美味しそうな匂いに食欲をそそられる。城下の中でも歴史あるその店の店主は、来店する客を穏やかな微笑みで迎える。パン屋の先には、以前と変わらぬ憩いの場。 先日、御姉様おねえさまから頼まれた使いが終わった。少し休もうと、装飾の施された噴水を背に向けベンチに座り込む。少し前ならば凍てついていたであろう自然に出来た彫刻は、もうこの時期にはせせらぐ音を立て始める。目前に広がる花壇に植えられた花の蕾は、新しい季節の到来を待っている。周りでは、人々がゆったりとした時間を楽しんでいた。


 しかし、それを壊す者がいる。突如、罵声のような声が聞こえてきたのだ。見ると、憩いの場の一角に人だかりができていた。 いつもは穏やかに流れていくこの場所で、こんなことがあるのは珍しい。人々の中心から、またも罵声が続く。何があったのか気になり、様子を見に行くことにした。


 罵声を放つ中年の男性は、 わたしが先ほど通りがかった パン屋、ベイカー・ベイカリーの店主であった。形容し難い変わりようだ。その周りを取り囲むのは、恐らくお店の常連であろう。老若男女問わず、取り囲まれている人物を責め立てる。その野次から察するに、どうやら、先程から暴行を受けているのは、盗みを働いた少年のようだ。


「おい、お めぇの親は 何処どこに居んだぁ?  他人ひともん盗むのが正しいことだなんて教わったか。」


 その接客態度はいつも好印象だった。今はまるで別人のようだ。


「─オィ、返事もできねぇか。」


「......。」


 少年は店主の問いには答えず、 《《き》》っと店主を睨み付けているが、その顔面に大きな拳が振り落とされた。


 これは近付くにつれ気付いたことだが、少年が着ているシャツやズボンは少し汚れていて、口元からは血が滲んでいるようである。顔には一ヵ所、痣まである。わたしが思っていた以上に、酷い仕打ちを受けているようだ。パンを一つ万引きしたくらいで此処までするのだろうか。私が一般との感覚がずれているだけにも思えない。


「... なんも答えねぇなぁ?」


 取り囲む者たちの一人が、少年に問うように呟いた。


  わたしと少年との距離は一層縮まり、近づいて来るわたしに気が付いたのか、少年は目で私の存在を追っているようである。


 そして、目が合ってしまった。

 ──透き通った美しい金の前髪の隙間から覗く、彼の蒼い瞳は澄んでいた。 何処どこまでも、 何処どこまでも蒼く広がる空のように。


 その時、私は確信した。

  ─やっていない─

 そう、やっていないのだと。 


 そう思わされる ほどに、彼の瞳は澄んでいた。


 この国では、今日のようにすっきりとした青空を見ることはあまり無い。彼の瞳のそれは、まるで、この日の晴天を映し込んだ宇宙そらの色だ。宇宙そらは真っ直ぐと、その先の大地を見上げる。心は雲に覆われて、太陽の眩しささえも知らない愚かで陰鬱な汚泥を。否、きっと彼らが泥沼の如く汚れきっているのではない。彼らは極普通の人間だ。彼らはただ、ありのままに怒りや疑心を現しているだけに過ぎない。


 このまま私が離れた後、彼は一体どうなるだろう。


 ......家を出た時はどこまでも深かった青空が、今ではすっかり暗くなっている。立ち並ぶ建物の合間から見える奥の空は、うっすらと紫がかっていた。

 最近はこの時間も暗くなくなってきた。それでも、私のような者が外を彷徨うろついていれば、 家人かじんらも心配しよう。


 憩いの場の周囲に佇む木々が、風に吹かれてざわざわと音を立てる。まるで不平を こぼしているようだ。


 私は、これからも暫く責め立てられ続けるであろう少年を背に、後ろ髪を引かれる思いではあったものの、その場を立ち去ることにした。






 それから程なくして、帰宅した私は、外出用 服装ドレスから普段の服に着替え、頼まれ事の報告をする為に、帝王の間へと向かった。


 白亜の石材により築かれたこの城の廊下は、長い藍色の絨毯じゅうたんが果てまで続き、両側の壁の上部には少し単調シンプルな作りの照明ライトが等間隔に備え付けられ、ほのかにあかりが点っている。左側の壁には、照明ライトの真下に、わたしの身長でも充分に外の景色を一望出来る、縦に細くくり貫いたような長方形の窓が並ぶ。それぞれ窓が多彩な色合いを描いて、廊下の“主役”を華々しく自己主張している。


 窓から少し強めの風が吹いた。先日まで土砂降りだった荒天が、まるで嘘のように美しい夕空を魅せる。毎日歩くこの廊下でも、普段は見られない世界だ。

 美しい景色を眺められるこんな日には、見飽きた廊下などには もくれてやらずに空を覗く。空に浮かぶ雲は赤みを帯びていた。奥に見える深い夜空、奇妙な紫に鮮やかな赤、全体を覆う程広がる黄色。この絶妙な階調グラデーションを 堪能しつつ廊下を進んでいると、前方の窓の隅でうごめく生き物が視界に入った。


 ネコ科のその生物は、どうやら爪を研いでいるようだ。...よりによって、窓を塞ぐように張られたつるつるとしたシートで。ただただ、ひたすらに。


「...キャシー、おいで。」


 その見知った生き物は、名前を呼ぶとすぐ反応して、私の足下に歩み寄って来てくれた。私に呼ばれて少し驚いていたようだが、どれだけ無心で爪研ぎしていたのだろうか...。

 ごろごろと甘えて、足にすり寄って来た。


「あなたが居るということは、 御夫人ごふじんもいらっしゃっているのね。」


 私によくなついてくれるが、彼女はこの城で飼われている子ではない。

 そっと抱き寄せ、腕の中で撫でてやると気持ち良さそうにしている。こうされるのが、キャシーは大好きなのだ。


「...まぁ、キャシー様、いけませんわ。」


  わたしが向かおうとしていた方向から、女性の声がした。


「お嬢様の衣装ドレスを傷付けてしまいます。」


  わたしが見ると直ぐ、その女性は丁寧な挨拶をした。城の使用人メイドの服装とは違い、彼女は 御夫人ごふじんの住まれる邸宅の使用人のようだ。


何方どなたか存じ上げませんが、ご機嫌よう。このような場所で如何なさいましたか?」


 ...この廊下は、城を自由に出入りすることが許された者たちの中でも、ほんのわずか、選ばれた者のみが利用を許される廊下だ。勿論、この使用人メイドも本来はこの廊下に居ること自体が不自然である。しかし、 御姉様おねえさまのことである。 御夫人ごふじんのペットを探す目的の為に使用許可を出したのだろう。彼女のことはあまり言及しないことにした。


わたしも許可を得てここに居ます。此れから、帝王の間に向かおうとして居たのです。」


 相手からすると、この城の使用人用の服を着ていなければ付き添いのない子ども、...ましてや、御披露目アンベーリングセレモニーにより私の容姿が公開となっていない以上は、素性が解らないように振る舞う必要がある。兎に角、城の者だと気取られてはいけない。キャシーのことも知らない振りをする。


「あら、大切なお話をなさっておりますので、残念ながらご入室されることは出来ませんわ。宜しければ、お城の方にお伝え致しましょう。」


  わたしが持っていく話もまた御姉様おねえさま直々の頼み事で重要なもの故、人伝ひとづてで伝えられるものではないのだが...。


「いえ、お話しが終わるのを待ちましょう。」


「畏まりました。」


 私が断ると、ふと、彼女は何かに気が付いたようだ。


「...おやおや、キャシー様。珍しく初対面のお方の前で大人しくされていらっしゃいますわね。」


「? この子はずっと大人しいわ。」


 彼女は、表情や身振りなどに「本当に困った」といった動きを織り混ぜながら、普段のキャシーの様子を話した。


「いつもは初めてお見掛けするようなお相手には、知らない振りをしてそのまま何処どこかへと行ってしまうのです。それどころか、見掛けだけでお気に召さないお相手には、引っ掻いてしまわれることだってあるのですよ。」


(キャシー......。)


「さぁ、お嬢様、 御令嬢レディにお怪我なさられてはいけません。こちらのキャシー様は我が主人の大切なご家族です。主人のお顔に泥を塗るような真似は出来ませんわ。キャシー様をわたくしめにお預け頂きとうございます。」


「えぇ、分かりました。」


 胸に抱いたキャシーを優しく手渡す。が、キャシーは私の腕からするりと消えた。

 彼女は、差し出した腕は何事もなかったかの如く引き、ゆっくりとお辞儀をし、キャシーに視線を落としながら言った。


「それでは、失礼ながらそろそろわたくしめは戻らなくてはなりま...ッ!!」


 ...束の間の静寂。ただ、使用人メイドの表情だけが凍りついていく。


「あ...、あの、...その、お嬢様......? その窓の傷は......!?」


(あ...。)


 その時、 わたしも初めて気付く。窓のシートにはしっかりと傷が付けられていた。明らかに動物が引っ掻いたような傷である。...とは言っても、この程度の傷なら暫く放置すれば目立たなくなっていく。


「ど...ど、どうしましょう。 わたくしの監督不行き届きですわ!!」


 取り乱す彼女。


  窓に貼り付けられたこのシートは、紫外線も雨水も細かな埃も受け付けずに空気のみを通す。その構造上、簡単に破れるようなこともなければ、多少傷が付いても自然に治っていくものだが、国内でも使われている建物は数少ない。彼女もまた知らないのだろう。とはいえ、ここでわたしがシートの効能を話してしまうのも...。


「この件は、わたくしの方からお城の方にお伝えします...! お嬢様にもご迷惑が...」


「ご心配なさらずとも、動物がしたことなのですから...。きっと、あまり咎められはしないでしょう。落ち着いてください...!」


 キャシーはいつの間にか彼女の背後へと回り、きょとんとした顔でこちらを見ていた。...そんな顔をされても困る。そもそも、これはお前が原因ではないか。


 使用人メイドは尚も謝罪を繰り返す。そんなことなどお構い無く、キャシーはすたすたとわたしがもと来た方向へと向かった。


(なんて気紛れな...。)


 また、キャシーが行ってしまうことに気が付いた使用人メイドは、急いで追いかける。


「そ、それでは、失礼させていただきます......キャシー様! お待ちを...っ!!」


 使用人メイドとキャシーが見えなくなった後、 わたし何気なにげなくぼんやりと空を見上げた。...一介の使用人にしては細かな所作や言葉遣いが品のある女性ではあったが、使用人メイドとしての経験はあまりなさそうだった。...特にキャシーのような動物の扱いには。


(動物にだって心はあるもの、嫌われていることくらい分かるわ。)


 あの子は賢いのだ。度々、あの使用人メイドの表情には、隠しきることが出来ない“感情”が読み取れた。


(それにしても...あんなに謝らなくてもいいのに。)


 ......。今日の夕景は、格別綺麗なものだ。


 ─あの少年は、こんなに美しい空を見上げる余裕もなく、今頃は収容所にでも連れられているのだろうか。

 ふと、先程見た光景を思い返す。問い詰めても陳謝も他の言葉もない少年の前髪を掴み上げ、罵声を放つパン屋の主人。体勢を崩し、身動きの取れなくなった少年の脇腹を蹴り上げる若い男性に、少年の身なりのみすぼらしさを口汚く罵る、 わたしと同じくらいの少女たち。私よりも幼い少年たちは、下品な笑い声を上げながら野次を飛ばす。


 ─ここは、こんなに荒んだ街だっただろうか?

 違う。由緒正しい歴史的建造物や人々洗練された姿が気品を感じさせる、城下町の筈だ。この国の首都の筈だ。


 ...一種の狂気を見せたあの場所で、彼の瞳だけが歪んではいなかったようだった。


 この話も 御姉様おねえさまにするべきだろうか...。城下町があんな状態では、この国の品格や政府と王家の力量が問われてしまう。そうなっては、真っ先に白羽の矢が立つのは御姉様おねえさまだ。


 私の足は、自然と動いた。廊下のその奥、帝王の間へ、真っ直ぐと。




 帝王の間には、四方しほうに幾つもの扉がある。部屋の奥に据えられた玉座の正面の先には来客用の豪華な大扉。玉座の両側には、付き人や王族が利用する為の木製の簡素な扉が一つずつ。そして、玉座の背後に隠し扉が存在する。わたしが向かうのは、普通の扉がある入り口である。

 しかし、帝王の間の扉の変わりに、もう一つある扉が少し開いていた。それは、玉座の後ろの隠し扉にも通じる奥の部屋と繋がる。本当に信頼ある者しか入室を許可されない、御姉様おねえさまの隠し部屋の中から話し声が聞こえて来る。


「...また、殺人事件か。」


 それは御姉様おねえさまの声だった。城下の話をしているのだろう。この頃頻繁に起きている殺人事件。御姉様おねえさまは頭が痛いようだ。

 御姉様おねえさまの話し相手は、予想通りキャシーの飼い主、例の御夫人ごふじんであり、次に聞こえる声の主も彼女だ。


「数年前の連続殺人事件と同じ犯行です。」


「最近、城下、どうなっている?」


 御姉様おねえさま御夫人ごふじんとは別の、初老らしき男性の声が聞こえる。「...と、申されております。」彼は更に言葉を付け足した。

 “あの子”だ。

 彼女は普段、言葉を発することが出来ない。とは言っても、「言葉を発することが出来ない」というのは語弊が生じる。彼女と会話が出来る者は限られているのである。彼女の母である御夫人ごふじんは問題ないが、人種の違う者とは会話が出来ない。それ故に、言葉を代弁してもらう為、日常の殆どの時間を付き添いの者と共に過ごしている。今のは、彼女の付き添いの声だったのだ。


「そうね、百年くらい城下を見る機会は無かったわね。」


 彼女たち親子は、わたしたちとは異種族である。容姿の差もあるが、寿命も私たちより長く、老いがあまり進まない。そんな彼女たちも縁あって私たち血族に関与しているわけであり、他の来訪者と比べて頻繁にこの城を訪れる。


 御夫人ごふじんは城の者を呼んだ。


「地図を持ってきて頂戴。大まかなもので構わないわ。ロンドンの全体像が分かるものを。」


「畏まりました。」


 この部屋は御姉様おねえさまが普段、書斎としても利用している部屋であり、大体のものは揃っている。馴染みの声の、命じられた彼女はすぐに地図を取り出してきたようだ。


御夫人ごふじんはこの城に来ると、折々城下を散策していると聞くが。」


「えぇ、その通りですわ。しかしなながら、この子は特に、直射日光には弱いので...。」


「...。」


「それに、わたくしたちの種族はあまり人目につかない方が良いのです...。無理に姿を見せる必要もありませんので、移動時も車窓にカーテンを。」


「だから、知らないのか。」


 御姉様おねえさまは一呼吸置くと、続けた。


「...城下がどうなっているのか、何処どこまで知っている?」


「『中央、城。周り、森、囲まれた、城下。』」


[中央に城があり、その周りは森に囲まれた城下がある。]

 言いたいことはこんなところだろう。


 彼女らは本来、単語のみを伝えて会話する。私たちの人種には理解し難いが、単語のみでも、まるで私たちが英語を話し、滑らかに意志疎通が出来るようになっていると聞いた。他人種と会話が成り立たないのは彼女らの人種内では珍しいことではなく、ご夫人や付き添いの者のように言葉を扱える者の方が少ないとも言われている。


 この話し方にはわたし御姉様おねえさまも慣れている。通常の会話と同じくスムーズに進む。


「それは変わっていないぞ。...他には?」


[城下と森の間に川がある。]


 付き添いを仲介とした彼女の返答に、今度は御夫人ごふじんが言った。


「えぇ、そうね。丁度、お前が産まれた頃に、城下と森の間に人工的な川が作られたのね。」


 歴史上、昔の話だが、ご夫人の声振りは懐かしそうだ。今度は御姉様おねえさまの声が聞こえる。


「森やその周りの土地を含めて、ここまでがロンドン。これは、この《《国が出来てから》》ずっと変わらない。そして、ここにあるのが城下町とこの城だ。形が円形で、大きさもバチカン並みだな。森と川がロンドンの半分を占めていて、残りが城下とこの城だ。城と城下も½に別れる。」


 そのくらいのことは知っていて当然だろう。彼女も不平を溢している。ご夫人は気に止めることなく、記憶を辿った。


「60年前...だったかしら。今よりも広かった森を削って、城下の守りを固め給水力を高めるために、川幅の拡張が完了したわね。それは知っているでしょう。」


 声の主は御姉様おねえさまに変わる。


「川の拡張と共に、この四本の橋も建設された。それまでは、城下と城へ来るには城門の先に掛けられた大橋が繋いでいた。きっと記憶にあるのは城門を目の前に橋を渡る景色だろう。」


「『そう。』」


 地図を見れば分かるが、今は城を中心に十字を描くように四本の橋がある。どれも石造りの大きな立派な橋だ。城門以外にも交通手段を増やしたのは、国力増強が叶い、より良い豊かさを求めた故のことだ。当時の王の努力も実り、今日こんにちでは各国とは比べ物にならない程総合的に豊かな国となった。


 そんな我が国の城下町。ロンドンの¼程の面積の中に、城下に住む者たちの居住区がある。他の町と比べるととても狭い面積だが、人口密度は高い。そんな中で、類似した手口で起こる殺人事件。春を待ちわびるこの季節、城下の者たちを凍てつかせるこの連続殺人事件は、数か月前の一大ニュースが世間を騒がせたのが発端だ。

 捕まっていた筈の猟奇殺人犯が脱走し、今も尚、人々を恐怖に貶めている。


「...話しは変わるが、今日1日、妹たちを見掛けてないだろうか? 昼頃から見ていないのだが...。」


 話題はいつの間にやら、 わたしたちの話へと逸れていた。


「あら...? 知らないの?  わたしが 城内ここに着いた時には、二人とも外出していると聞いたけれど...。」


  御婦人ごふじんの口調が変わった。これが 御婦人ごふじんの、普段私わたしたちと他愛ない話をする時の親戚としての接し方だ。


「...何も聞いていないのだが。」


(いけない。こんなところで盗み聞きなんて...。)


  わたしが少し後悔していると、室内からこの扉の方へと向かって来る、ヒールの高い靴を履いた音が聞こえてきた。


(しまった...。)


 ご夫人の声に紛れて、足音はどんどん近づいて来る。扉の向こうからは、話題が変わりつつも声が聞こえ続けていた。


「それにしても...あの子も、もう少し感情を表に出してもいと思うの。...お母様を亡くされてから、あの子、本当に笑わなくなってしまって...。」


 思わず後退りするも、間に合わないかもしれない。しかし、 わたしはどうにか逃げ道を探した。この部屋の前となると、隠れられる場所は...。


 ご夫人が何かを察したのか、束の間の沈黙が私を襲う。


「...ごめんなさい。もう、この話は止めましょうか。」


 ──そのまま、ドアは開け放たれた。


 ...出て来たのはこの城の使用人メイドのようだ。先程会った女性の服装とは違う。城の者たちの中でも特によく知る人物だった。─ 侍女長、エイミーだ。


「......構わない。夫人の想いを聞かせてもらうとしよう。」


 今度は御姉様おねえさまの声が聞こえた。


「いいえ。止めておきますわ。お互いに嫌な思いを...」


 そして、扉は閉ざされてしまったようだ。


 それにしても間一髪である。 わたしは近くにある、ドアの両側に据え置かれていた壺の片方へと身を隠していた。

 彼女は わたしに気が付いた様子もなく、 わたしが来た方へと向かって去って行った。もし、隠れた先にあった壺が、 わたしの身長よりも小さなものであったなら今頃見つかって居たかもしれない。



 ─御婦人ごふじんが仰った「あの子」。...私のことだろう。


 御婦人ごふじんとのお話の邪魔をするわけにはいかない。それにもし、 わたしがこんな所で盗み聞きだなんてはしたない真似をしていたと知られれば、 御姉様おねえさまに叱られてしまう。


 ...私は、その場を後にした。



 ─小さな歯車の存在に、気付くことはなかった。


【1話.始まり 終】

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