制約のアート「マンガ編」(前編)
3、4年まえのことです。たまたまテレビを点けると、とある外国人アーティストがプレゼン番組に出ていました。
故スティーヴ・ジョブズ氏が出演していたようなアメリカの番組です。たしかN○KかEテレの放送だったと思います。
毎度すみませんが、その外国人アーティストの名前をオレはおぼえていません。かりにAさんとお呼びしましょうか。アーティストだけにね!
Aさんは絵画や造形などの創作活動をするとき、かならず制約を設けるのです。たとえば絵画だったら、今回はうずまきしか描かない、とかね。
うずまき、いったい何個描けるでしょうか競争ちゃいますよ?
ゆうたら、うずまきが点や線の代わりになるんです。AAのうずまきバージョンをイメージするとわかりやすい、かもしれません。
ちゃーっす、大原です。
前回の「○○のアート」が意外と好評だったので、気をよくして第2弾と洒落込みたいと思います。
今回は制約のアート「マンガ編」です。
おい待て大原、マンガ=制約のアートちゃうんかい! マンガ編てどういうことやねん、と思ったそこのあなた。慌てない慌てない。
そう言われると思って冒頭のエピソード話を持ってきたわけですよ(ちなみに「エピソード話」は雨あがり宮迫の常套句です。オレは好きで使っています)。
制約のアートという大ジャンルがあって、その一派としてマンガがある。そういう位置づけです。異論は認めません(笑)
もしマンガの神さま手塚先生が、「私たちはそんなくくり(大ジャンル)には属さない」と天国で言われたら、それはもう仕方ないと。
あくまでこれは大原の意見だと。さ、はじめるよ?
ご覧いただいたのは、典型的なマンガのコマ割りです。このコマ割りがマンガに課せられた最初で最後の、そして最大の制約です。
断ち切りといって、枠線を紙面の端ぎりぎりまで延ばす手法もあるにはありますが、それでも紙のないところに画は描けません。
画や文字を入れるスペースには限界がある。もっと言えば、コマのひとつひとつに大きさの限界があり、コマ同士にも連続性や目線移動の制約がある。
これがマンガにとって最強の壁であり、それゆえに挑戦しがいがあるとボクは思います。
あ、またボクゆうてもうた(笑)
ところで小説の場合は、どうでしょう?
小説にももちろん制約はあります。1ページに詰め込める文字数には限界があるからです。
ただし、だからといって、1ページ真っ黒になるほどに文字を詰め込む人は今日日なかなかいないでしょう。昔の文豪じゃあるまいし(笑)
小説もマンガ同様、適量の文字数(言い換えればスペース)というものがありそうです。でも、どこまで区切って読むかは、マンガほど明確じゃない気がします。
そういう意味では小説のほうが無限ですね。
マンガはページを開いたときのインパクト、いわゆる「見開き」に重点が偏りがちです。そのインパクト勝負みたいなところ、ありますね。