○○のアート
ちゃーっす、大原です。
めっきり冬らしくなりましたね。最近はパチスロをせず部屋でマンガ製作に励んでおります。
マジメか。いや小説を書いていない時点で、なろう的にはマジメじゃないかもしれませんが。
今日は○○の芸術について語ろうと思います。語っちゃいたいと思います。
○○のアートって何でしょうか? 例えば小説は「時間」の芸術と言われています。そういうことです。
意味がわからへん、て? わからへんこと、ないやろ。ええ、急に関西弁になりましたけど(笑)
どこかの作家が文芸雑誌で言ってたんすよ、小説は時間の芸術だって。時間を操作する芸術、だったかもしれません。
その発言にオレは、いたく感銘を受けたわけですよ。ああ、ホンマやなて。
あらゆる物語には「はじまり」があります。まあまあ、ゆうたら最初の1ページですわ。よほどの変わり者じゃないかぎり、最後の1ページから読む人はいないでしょう。
で。最初の1ページ、最初の1行を読んだ段階で、もうすでに時系列がアタマのなかにでき上がると思うんです。
主人公が登場した。主人公は15歳の少年らしい。
すると読者は、その少年のこれまでの15年間について、何となくだけど想像します。え、しないって? するんだよ(笑)
いい加減にするんだよ(by小峠fromバイきんぐ)!
物語が進むにつれ、読者はより多くの情報を獲得して行きます。つまり、虫食いのようになっていた過去の時系列が、どんどん補完されて行くわけですね。
もちろん作中で明かされない過去もあります。それはどうでもいい過去(情報)だったり、逆に超重要な情報だったりします。
その見せる見せないの塩梅だったり焦らし具合は、まさに作者の腕の見せどころですし、物語そのものの醍醐味だったりします。
どストレートに表現するなら「謎」です。謎というのは時間の操作なんです(川平慈英風に)!
ここに男性の死体がひとつ、あるとします。
謎です。彼はなぜ死んだのか? あるいは誰かに殺害されたのか? ですが皆さん、よく考えてみてください。
この男性が死ぬまたは殺される前まで時間軸を戻したら、どうなるでしょう。たちまち謎は消えてしまいますよね。
もちろん、そんなことは現実では不可能です。できればお巡りさん、必要ありません。
この時間的な操作は小説、ってゆうか虚構に与えられた最大の特権だとボクは思います。ボク、ゆうてもうた。
じゃあ大原よ、べつに時間的操作は小説にかぎったことじゃない。マンガでも何でもいいじゃないか、と思ったそこのあなた!
ちょっと待ってくださいよ……そのとおりです。
まあまあ、オレはマンガを「制約」の芸術だと思ってるんですけどね。その話はまた次回!(あるのか)