駐車場の氷結(後編)
どう見たってサルにしか見えないのに、サルを弥生と淡々と呼んで、呼んだあとには一人で満足して桐生は急にニヤニヤとしている。滋も日野原も笑って悪いやら、でも可笑しいやらで、頬が緩むのも我慢するものの結局失笑となって、そのまま三人とも声に出して笑いだす。どこが似ているというわけではないが、雰囲気が似ているというのが桐生の手前味噌な自己評価であった。怒った時のあいつはこんなものだと失礼ながら言い切ると、今度はケラケラと仰け反って一人抱腹する。滋や日野原には、それはさすがに笑い過ぎであった。よほど鬱憤がたまっているのだろうけれど、発散の仕方が幼稚である。ほどほどにしておかなければ、ここに弥生がいきなり現れないとも限らない。そうなるとまた喧嘩が始まりそうだから、滋たちも次第にそわそわとし始めてしまう。
さて、調子に乗って人を陰でコケにしているときこそ、運命はいざこざを好むもので、ザシュッと靴が地面を踏み擦る音を背後で耳にして、ゆっくり振り返ってみた先には、いやはや本当に弥生が立っているものだから、ひんやり冷たい汗が滋たちの背中に流れた。珍しくスカートなんか穿いて、上も小洒落たモノクロでマーブル柄のカットソーと、街に出かけていたであろう格好である。しかも、いままさに到着したばかりというわけでもなさそうで、三人で笑っていたのも目撃したのか、真一文字に閉じられている口のその奥で歯をぎりぎりとさせて屈辱をかみしめて、額には憤怒のシンボル青筋を立てていた。気のせいか妖気のようなものが陽炎のように全身から立ち上っているようにも見えた。いつものまっすぐ降りた茶髪の前髪や後ろ髪が、静電気を当てたようにふわりと浮いて、毛先をことごとく天に向けていた。
「ひぃっっ」と、滋と日野原の声が上ずってしまうほど、その目つきも冷やかであった。
桐生だけはいまだ弥生本人がそこにいると気づかずに、自作に満足して胸を高く突き上げながら誇らしげに構えている。日野原が彼の腕を小突いて振り向かせてようやく気付いたが、それによって口喧嘩のゴングが鳴ったわけで…
「仕事だからって友達との用事もキャンセルして急いで走ってタクシーまで使って来てやれば、また悪ふざけをして調子に乗って、あろうことか私をサル呼ばわりして愚弄してくれて… あんたって奴は、いっぺん死んでしまえ!」
開始直後の先制口撃と共に、弥生は火球まで桐生に向かって投げつけている。桐生もそれを難なく飛んでかわしてみせるが、外れたものはそのまま車を氷結している氷の彫刻に直撃すると、表面を融かし、みるみるサルの型を失っていく。
「ああ、俺の芸術が!」
そう嘆くが、本来、こう融かせるために弥生を呼んだはずであろうに… ここでまた文句を言っても、ただ失礼に失礼を重ねてひたすら侮辱にしかならないのだが、弥生が相手だと殊更言いやすいのか、これが慣れか、
「お前、せっかく彫ったんだから少しは堪能してから融かせばいいだろ! 写真だってまだ撮っていないのに!」
と怒鳴って、火に油。まあ日野原のいうように確かに面倒な性格をしている。
「ふざけんじゃないわよ! どこまで馬鹿なの、あんたって! ここは悪ふざけし過ぎてスミマセンって、土下座して見せるところでしょうが!」
「なんで、俺がお前に土下座しなきゃいけないんだよ。場違いなフェミニズム翳してないで、さっさとお前の能力でこの氷を上手いこと融かせ!」
「自分でやればいいでしょう! あんたの遊びになんか付き合ってられないわ!」
「これは誰か能力者による仕業だ! そんな事件なら俺たちの仕事だ! 遊びじゃない! れっきとした任務だ!」
「遊びながらする仕事の何が任務だっていうのよ! 隊長自ら真面目の欠片もないなんて私たち部下は可哀想すぎるわ!」
とまあ、こんなやりとりをしばらく続けて、今回ばかりは明らかに桐生に非があるものだから、いったんは彼が折れてみせて、いいから融かしてくれと頼んでいた。もっとも、
「おい! お前! 少しは加減して融かせよ! あんまりやりすぎると車のボディが焦げるだろ!」
「うるさい! 頼んでいるなら少し黙っていれば!」
「ああ! やっぱり、焦げた! お前、コントロールできないのはその可愛くない性格だけにしろよ」
と、折れても口は悪い。ギロリと睨む弥生は、怒りに任せて桐生の尻にも引火させていた。それは当然の罰だと、滋も日野原もうんうんと唸った。




