表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/18

5-1、生徒会長の挨拶

 現生徒会長の安藤和奈がこの世で最初に行った適切なことは、今の時代に生まれてきたことだった、と師匠はしきりに言っていた。

「あたしはひどく間違えちゃったけど」

 この話をしたのは、確か新生徒会の発足直後だったはずだ。その時期から端末室は冷え込む。晩秋だというのに部屋にずらりと並んだ筐体の金属が冷えるせいで、体感気温は相当低くなる、ような気がする。

 そんな部屋の中、いつものように俺は厚着の師匠と二人でモニターを眺めていた。

「きっと彼女は行けるところまで行くよ。もしかしたら、日本初の女首相になっちゃうかも知れない」

「めちゃくちゃ高く買ってますね」

「当然さ。スペック見る?」

 師匠は『スクールパレッド』を立ち上げて、トップニュースから新生徒会発足の記事に飛び、更にそこから生徒会長のアカウントへと飛んだ。その時に初めて、俺は安藤和奈のプロファイルを見たが、思わず「ハックしてるんですか?」と訊いてしまった。師匠は小さく笑って、

「そんなことしたら、積み上げてきた内申点を吹き飛ばすことになる。これは全部事実だよ」

 そこに記載された内容が、怪物級であることは前に説明した。それまで生徒会の役員でも何でもなかった安藤和奈が、突然生徒会長という「役割」に就いたのは、彼女を知る人にしてみれば当たり前過ぎる帰結だったのだ。

「この人にだけは喧嘩売っちゃいけないよ。ヘタしたら……卒業と同時に、『郊外』に行くことになるかも」

 まぁ、これは大袈裟な冗談だ。どんな不良でも、卒業と同時に郊外へ移り住む、なんてことはなかなか無い。でも、それだけの力があるのだと、師匠は俺に伝えたかったんだろう。

 そもそも、喧嘩を売れるだけの土俵に上がることからして難しいだろう。と思うと同時に、死んでも喧嘩を売るまいと、肝に銘じたのを覚えている。


 だからその日、俺が真っ先に思い出したのは、そんな師匠との他愛もない会話だった。

 放課後、俺は少しだけアカペラ有志に顔を出して西村にアドバイスをした後に、B塔の屋上へと向かった。そこではいつものように、千彩都が「ノー・インサイド」を歌っている。千彩都曰く、兄が帰ってきたら真っ先に聞かせてやるつもりで、この二ヶ月間ずっと練習しているらしい。家では近所迷惑になって練習できないし、音楽室も有志の練習で使われているから使えない。だから、仕方なく屋上でやっているんだと。

「この曲、本当は兄から、俺が死んだ時に流してくれって、言われてたの」

「死んだ時って」

「そういうジョークが好きな人だった。鎮魂歌のリクエストってやつ」

 それを帰ってきた兄に聞かせるつもりとは、この妹も一筋縄ではいかない性格をしている。

「なあ……お前っていつから、この社会を選ばなくなったんだ?」

 それは遠回しに、お前はいつから不良と呼ばれるようになったのかと、訊くようなものだった。

 俺がそうやって質問すると、千彩都は少し戸惑ったようにコードを鳴らして、

「具体的にいつとは言えない。けど少なくとも、去年の夏から」

「どうしてまた」

「……兄が、郊外の様子を取材してきたの。郊外はなんとなく、都市での生活よりも少し解放的なイメージがあるでしょう?」

「確かにな。豊かな自然に囲まれた清貧な暮らし、とかなんとか」

 郊外には都市に無いものが全て揃っている、なんてアメリカの広告みたいな言い回しで宣伝がされている。

「でも、郊外というものが具体的にどういうものなのか知ってる?」

「……いや」

 言われてみれば、郊外での具体的な暮らしを想像することができなかった。テレビとか雑誌とかいうメディア(恐らくネットも)が触れて回るのは、いつも抽象的なイメージに彩られた郊外の風景だった。

「その実態を兄はルポルタージュとして、都市で発表しようとした。それが兄のジャーナリストとしての最初の仕事だった。けど、どの出版社や新聞社に原稿を持ち込んでも、取り上げてくれるところはなかった。その度に、こう言われて追い返されたんだって。『そういうのはうちじゃなくて、もっと適当なところがやってくれるよ』。全て、都市にある全てのマスコミが、そう言って兄を追い払った。……これが何を意味するか、分かるでしょう」

 もう一度、今度は悲しげなコードを弾いて、千彩都は言う。

「『郊外』は都市で扱うのに適した話題ではない。そうやって、『都市』が判断したの」

 「都市」は、そのまま俺達の暮らす社会を意味する。つまり、俺達は無意識のうちに「郊外」を、社会の外側として認識していることになる。

「『郊外』はその概念丸ごと、『自然』『清貧』『安穏』という言葉に押し込められて、現実味のないものとして、私の間に流通している。兄は、その言葉に輪郭を与えようとした。兄だけじゃない、過去にも兄と同じことをしようとした人達は居たはず。その人達の試みが失敗したことは……『都市』が『郊外』を体の良い監獄と見なしていることを示している。都市で生活するのに適さない『不良』を収容しておく監獄……」

「それを知って、お前は……」

 千彩都は俺を見た。乱雑に切り揃えられた髪の間から、切れ長の眼が覗く。

「それ以来、私はこの社会を選択しなくなった」

「なるほど、その為には周りに居る人達に迷惑をかけても良いのね」

 不意に割って入ってきたその声を聞いた時、俺は心臓を鷲掴みにされたような気分だった。

 振り向くと、いつからそこにいたのだろうか、一人の女子生徒が立っていた。力強い眼光、きつく結ばれた唇、存在感を醸すツインテール。そして、彼女の二の腕には、瀟洒な腕章がついている。その豪華な装飾が意味すること、それは即ち──この人物が生徒会長であるということだ。

 俺達の間に入ってきたのは、生徒会長、安藤和奈だった。

「会長……今日はどうされましたか」

 心臓がバクバク言って動けない俺と対照的に、千彩都はほとんど動じた様子も見せずに言う。まるで、見るからに只者ではないこの生徒会長と、旧知の間柄であるかのように。

 会長も薄く笑みを浮かべて、千彩都の言葉に鷹揚に答える。

「ちょっと話をしにきたのよ。これ以上、人に迷惑をかけないように」

「人に迷惑をかけた覚えはありませんが」

「いいえ、かけている最中よ。そこの……彼に」

「え……」

 会長の視線は、真っ直ぐに俺に向けられていた。不意に話の矛先をこちらに向けられて、俺はうまく声を出せずに情けない声を出してしまう。

 千彩都はそれでも動じずに、毅然とした態度で応じる。

「私と真は恋人同士です。迷惑をかける、かけない、とかそういう次元の関係ではありません」

「それはあなたの所感での話しょう? 実際のところ、あなたは随分と東御君に迷惑をかけているわ。このまま、あなた達が付き合い続けていたら、東御君は確実に不良になる」

 俺が不良になる……。

 その言葉は、俺をぞっとさせるのに十分な威力を持っていた。

 会長は俺の方へ歩み寄りながら、言う。

「あなたは優秀な人材よ。これから、この社会が発展させていくのには、欠かせない人材。そのポジショニング能力は、必ず、社会の役に立つわ」

「……はあ」

 褒められているのだろうか。俺は一字一句聞き逃さないようにするのに精一杯で、その言葉の意味をうまく飲み込めない。

 が、次の言葉は考えるまでもなく、鋭く俺を貫いた。

「けれども、あなたは人を変える程の才能はないわ、残念ながらね」

「えっ……」

「私は期待していた。あなたが、広垣さんを変えてくれることを、社会に呼び戻してくれることをね。でも、今あなたは、広垣さんの側に寄り添おうとしていた。『不良』の側にね。……相手にその選択の意図を問う、他ならないその行為が、不良への第一歩よ。あなたは確実に、不良化するわ」

 風が吹いた。千彩都と、会長の髪が静かに揺れる。俺は会長の言葉に揺さぶられている。

 相手に選択の意図を問うのが、不良の始まりだって?

 俺は、千彩都に告白したあの日の、千彩都の言葉を思い出した。

『それがあなたの『選択』だったの?』

 安藤会長は続けて言う。

「意識的に『選択』をする人は、この社会では凋落する。私は昔から、そういう人々を見てきたわ。『選択』することを選んだ先輩たちは、高校を卒業してしばらくすると郊外へ去っていった。社会に出てからも、『選択』の虜となった人たちは、皆郊外へ出て行った。誰一人として都市に残らなかったわ。誰一人としても、よ? 私はこれ以上、そういう人を増やしたくないの。だから」

「別れろ、と言うのですか?」

 千彩都が、冷たい声音で訊いた。俺が初めて彼女の隣に立った時も、千彩都はそんな声を出していた。

 そこに宿っているのは、明確な敵意だった。

 この社会で一番、敵に回しちゃいけない人を、千彩都は敵に回していた。

 俺の背中を、冷や汗が伝っていく。師匠との会話がフラッシュバックのように蘇ってきた。

『この人にだけは喧嘩売っちゃいけないよ。ヘタしたら……卒業と同時に、『郊外』に行くことになるかも』

 が、安藤和奈は千彩都の敵意を問題にもせず、

「そうは言ってないわ。曲がりなりにも、『恋人』としての契りを結んでしまったあなた達を、無理やり引き剥がすのは、生徒会長権限でも不可能よ。第一、そんな必要も無いしね」

 俺は息が止まりそうになった。

 「曲がりなりにも」という言葉の鋭利なニュアンスが、俺の喉元に突きつけられているようだった。

 俺が内申点目的で、千彩都と「恋人」となったことを、この人は見抜いている。直接そうは言ってないが、言外に突きつけてきている。そうでなければ、「曲がりなりにも」なんて言ったりはしない。

 それを知っていて尚、この生徒会長は、俺達が「恋人」となった日にあんなメッセージを送ってきたのだ。

 彼女を社会に連れ戻せ、と。

 あれは激励のメッセージではなかった。

 「命令」だった。

 千彩都が傍にいなかったら、とっくにひれ伏して謝っていただろう。ごめんなさい、自分が不甲斐ないばかりにこんなことになって──。

「それでは何を?」

 しかし、千彩都は全く揺らがなかった。鬱陶しい虫を追い払うような態度で、冷然と生徒会長と対峙している。

「広垣さん、私はあなたを買っているのよ。あなたの能力は、必ず、社会の役に立つ。あなたを失うことは、社会にとって大きな損失となるわ」

「だから?」

 生徒会長の譲歩を、千彩都はむごたらしく一蹴する。見ているこっちが冷や冷やとする、正に「不良」とでも言うような態度。

 会長は息を吐いてから、聞き分けのない子どもへ言い聞かすように、

「だから、社会に戻って来いと言っているのよ。私は、あなたと知り合った時から、ずっと、それしか言ってきていないわ。そして、東御君」

「は、はい……」

 再び会長の視線に射すくめられ、反射的にこれ以上伸びるはずのない背筋が伸びる。

「あなたはあなたが最初に求めた通り、『恋人』の『ごっこ』をしていて。彼女に関心を持ってはダメよ、「恋人」らしいことをただ、淡々とこなしなさい。私は、あなたを失いたくはないの」

「……」

 どう答えればいいのか分からなくて、俺はただ呆然と会長の顔を凝視していた。

 「恋人」の「ごっこ」。「恋人」らしいことをするだけの、関係。

 それは最初から俺が求めていたことだった。内申点と可愛い子との関係が手に入れば、それだけで良かったんだ。

 会長は、そんな俺の欲望を恐ろしいほど正確に見抜いていた。

 そして、あろうことかそれを肯定しているんだ。俺が少しだけ罪悪感を覚えた、この政略的ポジショニングを、打算的ポジショニングを。それでいいのよ、とでも言う風に、肯定しているんだ。

 この人は全てわかっている。少なくとも、俺が考えるようなことは全て見抜いている。そしてそれだけではなく、自分の目的のために……千彩都を社会に呼び戻すために、利用しようとさえしていたのだ。

 どうして……どうして、こんな人に歯向かうことができる。

 この人を敵に回すだなんて、そんな無謀な真似──。

 俺は──俺はゆっくりと、白旗を揚げようとした。

 わかりました、と。

 口にしようとする。

 その時。

「真、屈しないで」

 彼女は、確かにそう言った。

「あなたの身体は、この社会のものじゃなくて、あなたのもの。あなたのしたいことは、あなたが決めるべき」

 ギリギリのところで、千彩都は手を差し伸べてきた。

 そして、俺に向かって差し伸べられたその手は、安藤和奈の逆鱗に触れてしまった。

「……広垣さん、自分が何を言っているのか分かってるわけ?」

 生徒会長の顔は笑っていた。しかし、声は怒っていた。その不均衡な取り合わせに、俺は本能的な恐怖を覚えた。

「その身体がこの社会のものじゃない? 未だにそんな次元でものを考えているの? そんなことを言っているから、私達人間は愚劣な行為を繰り返してきたんでしょう? 格差と、搾取と、収奪と、戦争を! 何度繰り返せば済むのよ。誰もが自分の身体を自分のものだと思い込んでいるから、そんなちっぽけな地平で生きているから、いつまで経っても社会が変わっていかないんじゃない!」

 まるで千彩都が悪の代表であるかのように、生徒会長は言葉の奔流をぶつける。

 しかし、千彩都はあくまで冷淡な姿勢を崩さない。

「……社会に支配された身体なんて、奴隷と同じだと思いませんか?」

「何度、同じことを言わせるの? そんな次元の話じゃないって言っているの。私は、1つ上の社会、世界の話をしているのよ、そんな古臭いパラダイムで語られるこっちの身にもなって」

 生徒会長は猛烈な怒気とともに、言葉を吐き捨てる。許されざる罪人に、業火を浴びせるように。

「良い? あなたがなまじ頭が良いために世界の矛盾に気がついて、それに見て見ぬふりをしていられないのはよく分かるわ。確かに、昔からこの手の問題は取り上げられている、正義の戦争と不正義の平和は同質のものだとね。よその戦争に目を背けているお陰で、こちらの私達は平和に生活ができる、という欺瞞。それを、今の「都市」と「郊外」というモデルにも、ぴったり綺麗に当てはめることが出来るばっかりに、その『気持ちよさ』に酔ってしまっているの。その理論の正確さに酔っ払ってるの。ただ、それだけなのよ、あなたのしていることは!」

 千彩都は、痛いとこを突かれたように表情を硬くする。

「……偽善だと?」

「黙って。もうあなたには、ほとほとうんざりだわ。これだけ長い間、私が説得してきたというのに、未だにそんな幻想に浸って自分だけが何かを変えられる気でいる。あなたには素質も能力もあると思ったけれど、私の大誤算だったわ、あなたは不良なんて生易しいもんじゃない、ただの、革命家気取りの視野狭窄の社会不適合者よ。悪いけれども、あなたのお兄さんも同じよ。行方不明っていうけれども、大方、仕事に行き詰まって女の家にでも逃げ込んでいるに決まってるわ。良い? 耳をかっぽじってよく聞きなさい、今、この社会は完成に向かいつつあるの。古代ギリシャで民主制という『呪い』が誕生して以来の大型アップデート、社会の構造のアップデートができそうなところなのよ! それを、あんたみたいな小者に茶々を入れてもらっては非常に困るの。……これが最後の通告よ。広垣千彩都。社会に適応しなさい。あんたが『本当に』、郊外の連中を憐れんでいるのであればね。さもなくば」

「……」

「不幸になるわよ。あなたも……東御君も」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ