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4-2、趣味同人の反応

 去年、俺が高校1年生の時、夏休みが終わった時点でポジショニングが済んでいたのは「師匠」の水方瑞恵、「趣味同人」の氷野啓、「兄貴分/弟分」として中川の三人だけだった。もっと他にも話せるような奴らは居たが、まだ高校生活は始まったばかりだし、すぐ申請に踏み出せるほど環境に慣れていたわけではなかったから、その時点ではこの三人。それでも、人と比べて多い方だったらしい。

 で、夏休みを謳歌し、新学期が始まったあたりで、そろそろ彼女が欲しいと思い始めてきた。こんな風に言ってしまうと、「恋人」という枠ありきで彼女を欲しがってるように思うかもしれないが、もちろん順序は逆だ。とても単純な話で、好きな子ができたんだ

 その子は陽木崎ちなつという。須々木からリークのあった日、中川がちらっと名前を挙げていた。

 元々、俺と陽木崎は、それほど頻繁に会話を交わす仲ではなかった。けれども、ちょっとでも話すチャンスに恵まれたら、その日一日、その幸運をありがたく思うくらいには、彼女に惹かれていた。笑うときに覗かせる小ぶりな八重歯を、もっと近くでもっとたくさん見てみたい、とか常々思うくらいに。

 で、10月の頭に俺は告白した。確か、放課後にひと目の無い廊下に呼び出して、小声で告げたのだった。

「俺さ、陽木崎のことが好き、みたいなんだ」

「えッ……」

 その時の反応を俺はしっかりと覚えている。

 えっ? ではなく、えッ、だ。

 確かに少し仲は良いけど、それでもこのタイミングでコクっちゃうのはナイでしょ、みたいなニュアンスを滲ませた反応だった。それから慌てて取り繕うように、せわしなく視線をあちこちに向けながら、

「あ、あたしさー、まだ……その時じゃないって思っててさ。う、嬉しいんだけどー……、気持ちだけ、受け取っておく、ネ!」

 それだけ言って、陽木崎は俺の前から逃げ出した。俺はぼんやりと、その後姿を見送った。

 そういうわけで、俺は失恋したのである。ごく普通の失恋である。その時はまあショックだったけれども、たったそれだけの出来事で、もう恋人を作らないと宣言はしない。

 それから一週間ほど経って、俺は恋人らしき相手と一緒に、陽木崎が歩いているところを目撃した。

 相手の名前はパッと出てこないが、文句なしのイケメンだった。彼女は背の高い彼を、特徴的な上目遣いで見上げ、ねえねえ、ととびきりの笑顔で話しかける。その時の俺の位置からは見えなかったが、きっとあの可愛らしい八重歯も覗かせていたことだろう。

 彼女と会話するイケメンは、デレデレだった。彼女があんなに可愛ければ、誰だってそうなる。役割が違えば、俺もああやってデレデレとした表情で、陽木崎と肩を並べて歩いていたかもしれない。

 ──いや、そうじゃない、と、俺は思ってしまった。

 俺が告った時点で、彼女はあのイケメンのことを恋人にしたいくらい好きだったはずだ。そうでなければ、たかだか俺が告白してから一週間で、あれほどの仲の良さになれる筈がない。

 そうだとしたら、俺がそれまで惹かれていた陽木崎というのは、あのイケメンの気を惹くための「彼女」だったのかも知れない。あの、上目遣いも、八重歯も、甘えるような声音も──。

 だとすると、俺はそのエサにつられて「間違って」呼び寄せられた獲物だったわけだ。俺の告白を聞いた時、彼女は内心「お前じゃねぇよ!」とツッコんでいたことだろう。

 そう考えるだけで胸が痛むのだが、その痛みが直接、「恋人」枠を空欄にしておく理由だったわけじゃない。

 最後のひと押しをしたのは、師匠だった。

「あっははは! あんたフラれたんだ!」

 俺と師匠、二人だけの端末室に笑い声が響き渡った。その頃の師匠の髪色はまだ真っ黒だった。俺はその予想通り過ぎる反応にムッとしながら、

「フラれるところまでは良いんですけどね……、その後、彼女が彼氏と一緒にいるところを見ちゃって」

 その時に感じた引っかかりを、あれこれ言葉を選びながら説明すると、ふーむ、と師匠はアゴに指を当てた。

「……例えばさ、マンガとか深夜アニメってあるけど、ああいう平面上の女の子って、どう考えても現実の女の子と違うじゃない。でも、みんな許容している。何でだと思う?」

「さあ、そういうものだからじゃないですか」

「昔、とある精神学者は、ああいう美少女はオタクのリビドーの執着を投影したものだ、って論じたことがあるの。意味分かる?」

「全然」

「つまり、自分の欲望を反映させた美少女像っていうこと。自分の欲望通りの『形』に作り上げることによって、キャラとしての美しさや愛らしさが生まれてくる。これは、女性に人気の美男子キャラも一緒ね」

 ずっと画面上のまとめサイトを見ていた師匠は、そこで俺の方を見やって、「つまり、あんたがその女の子に見た『何か』っていうのは、そのイケメン君の欲望の『形』なのかも」

「欲望の『形』……?」

「平たく言うとちんこだよ。あんたが好きだったのは、ちんこみたいな女の子だったの」

 おおよそ女子高生が年下の男子高生に言うのには似つかわしくない単語を、師匠は笑顔で俺に言ってのけた。まあ、フラれて傷心していた俺を笑わせて、和ませようとしていたのかもしれない。

 ただ、俺にとってはとんでもない衝撃だった。

 あんなに可愛くて、上目遣いが反則的で、口の端に覗く小ぶりな八重歯が愛くるしい、あの子が、実はあのイケメンの欲望を忠実に再現して演じていた『形』だったとは。

 仮に今後、誰かが俺のことを好きになって恋人となったとしても、その子の振る舞いは俺の欲望を反映させただけの『形』なのかも知れない。また、その逆だってあり得る、俺がその子の欲望の『形』になってしまうかも知れない。

 なんだか、それはイヤだった。

 俺はそのことを想像して、嫌悪感を覚えたのだった。

 だから、俺は「恋人」の枠を空けたままにすることにした。その欄の白色こそが、俺の純粋な恋心の表れであるかのように。そのポジショニングの価値が最も高いと、須々木から教えてもらうその時まで──。


「谷崎潤一郎の『刺青』ね」

 俺の話を聞き終わった千彩都は、真っ先にそう言ったが、意味のある言葉として脳内で処理されなかった。

「たにざき……の、しせい?」

「そのくらい自分で読んで。文科省のデータベースに全文載ってるから」

 それを聞いて、谷崎という作家の「刺青」という作品なんだ、と思い至った。そして、この感覚を千彩都が理解してくれたらしいことも分かってホッとした。

「それを聞く限り、今の私にはあなたの欲望が投影されているということになるけど?」

 そして、千彩都は紅茶を一口含み、静かに飲んでから言った。俺は少しだけ黙ってから、正直に答える。

「……内申点に色がついてると聞いたら、そんなこと構ってられなかった」

「とてもあなたらしい。そして、残念ながらきっと私にあなたの欲望は投影されてない」

 千彩都はその綺麗な顔をまっすぐ俺に向けて言い放つ。「内申点で結びついた恋人関係に欲望なんてありっこないでしょ?」

「……」

「あなたは可愛ければ誰でも良かった。つまり、私でなくても良かった。けれども、可愛い子にはふつう、彼氏がいるもの──恋人候補のプールには私しか残ってなかった。だから、私を選んだ。そんな消極的な選択に、積極的な欲望があるはずないでしょう。だから、安心して」

 千彩都はにっこりと笑って、「私はあなたのものではないから」

「……そうか、それなら良かった」

 俺も彼女を真似るように口角を上げ、そう返した。

 そもそも「可愛い子」という基準からして、もはや欲望しかないようなものなのだが、そこを切り口に千彩都が俺の欲望の投影であることを証明したところで、何の意味もなさない。それよりは、この千彩都の気遣いを大事にした方が良いと思ったから、俺は素直に頷いておいたのだ。

 このなんとも千彩都らしい慰め方に、俺は──ちょっと救われていた。誰かに理解されるということが、これだけ心強いものなのかと、優しい言葉をかけてもらうのが、これほど心地よいものなのかと、初めて思い知った。

 そして、もともと内申点と顔だけが目当てで、不良でも何でも良いから、と破れかぶれに告白して「恋人」となった子なのに、俺はいつの間にか、もっと彼女と一緒に居たいと思い始めていたのだ。


「そんな理由で恋人作ってこなかったの」

「俺には切実な問題だったんだ」

 ──俺は最後の方の内省だけは端折った上で、氷野に失恋談を含めたデートの顛末を話した。

 俺の話を聞き終えた氷野は、そうかあ、と呟きながら立ち上がり、空のコーラ瓶を近くの回収箱に入れた。戻ってきて俺の隣に腰掛けながら、

「でも、僕達まだ子どもだしさ、そんなの気にすることないと思うんだけどなあ」

「どういうことだよ?」

「だから……こう言っちゃなんだけど、『ごっこ』だよね、恋人なんて。そういう難しいことは、将来結婚して家庭を作るって時に、改めて考えれば良いことだと……思うんだよね。だから、今はさ、思いっきり遊ぶ。欲望でもなんでもいいからさ……高校生ってそれが許されてる、年頃だと思うんだ」

 俺は思わずぽかんとして、氷野の顔を見つめていた。すると氷野は慌てたように、

「も、もちろん考えは人それぞれだから──」

「お前、ゲーセンに入り浸ってるだけじゃなかったんだな」

「待ち時間は暇だから、ね……って、真、あれ見てよ」

 氷野にいきなり肩を掴まれて、ぐいぐいと揺さぶられる。

「な、何だよ」

「あそこでやってるのって……広垣さんじゃない?」

「ええ?」

 俺は何かの間違いじゃないかと思いながら、氷野の指差す方向に目を凝らす。

 そして、びっくりした。氷野の言う通り、そこには音ゲー筐体の前に佇み、おっかなびっくりという風に音ゲーをプレイしている広垣千彩都の姿があった。

「えええ! 何で居るんだ!」

「しかもプレイサイド右側だよ。真が左側だから、一緒にできるように右側にしたんじゃないかな」

 驚きを隠すことのない俺に対して、氷野はすごく冷静だった。確かに、千彩都は画面に対して右側に立ってプレイしている。

 今、千彩都がプレイしている音ゲーは、プレイサイドによって操作感覚が大きく変わる。なので熟練した左側のプレイヤーでも、右側でプレイすると低いレベルの譜面もままならない、というのがザラにあるのだ。だから、誰かと一緒にやりたくともプレイサイドが被っていると、その人と一緒にプレイすることは難しい。

 というか、そもそも音ゲーとしてのハードルが高くて、誰かから勧められない限り、初心者が始めようと思わない機種でもある。友人の居ない千彩都が、俺以外の誰かから影響を受けて始めたとは考えにくい。でも今のところ、俺はこの趣味のことを、彼女に話したことはなかった。

 つまり、『スクールパレッド』か何かで俺の趣味を知って、俺とプレイするためにこそこそと練習しているんだ。

 そう思い至った俺は、思わず氷野の顔を見て問うた。

「……お前、あいつを不良だと思うか?」

「えっと……不良だと思ってたけど」

 氷野は歯切れ悪く、困ったような笑みを浮かべた。「もしかしたら、普通の人なのかも」

「普通どころか、めちゃくちゃ良い子じゃねえか」

 ──俺は千彩都がプレイを終えるのを待ってから、近づいていって声をかけた。

「よう」

 そんな簡単な挨拶だったので、最初は自分にかけられた声とは思わなかったらしく、千彩都は少しキョロキョロしてから俺に気がつき、びくりと胸に手を当てて、

「っ……、びっくりした」

「俺もだよ。いつの間に始めたんだ」

 そう言って筐体を指さすと、、千彩都はきまり悪そうにそっぽを向いた。

「……一週間くらい前に」

「こういうところ、嫌いだと思ってた」

「嫌いじゃないし……恋人は相手の趣味を好きになるよう努力するものだから」

 そうやって恥ずかしそうに言う千彩都の姿は、本当に俺の彼女みたいだった。いや、まあ実際に「恋人」なんだけど、なんていうんだろうか、そういうんじゃない胸を膨らませていくような、曖昧なこの気持ちは──。

 あー!

 なんだかまだるっこしくなって、俺は千彩都の左側に立った。

「それならそんなコソコソやってないで一緒にやろうぜ、色々アドバイスしてやるから」

「え、ちょ、ちょっと……」

 千彩都はしどろもどろになって、俺に頼りなさそうな視線を向けた。まだ始めたばかりだから、自信が無いのだろう。俺も始めたばかりの頃は、そうだった。

 と、背後から氷野の声が飛んできた。

「真! 僕、別の機種やってくるから」

「おーう」

 気を利かせてくれた氷野に、俺は手を振って応える。それから千彩都の方に向き直って言った。

「じゃあ、始めるか」

「う、うん……」

 案の定、何にも知らないでやっていた千彩都に、各プレイモードの説明から、曲フォルダの説明、運指の種類、譜面の選択の仕方、ノーツが落ちる速さの調節方法、リザルト画面の見方などを懇切丁寧に教えていった。

「……ヘタだからあんまり見ないで」

 で、いざプレイをする時になって、千彩都はそんなことを言ってきたので笑ってしまった。

「一緒にやるんだから、お前の方を見る余裕なんてないよ。それに、俺だって始めた時はヘタだったし、気にするなって」

「うん……わかった」

 千彩都はしおらしく頷いた。

 突発的ではあったけれど、一応これが家以外でした、初めてのデートということになる。

 こういうものを楽しめないから、家に呼んだり行ったりするのかと思っていたが、全然そんなことはなく、千彩都はおっかなびっくりだったけれども、彼女なりに楽しんでいるようだった。

 あれほど意地を張って埋めてこなかった「恋人」という枠に、こんなにも健気な子が収まるとは、俺は相当な幸せ者なんじゃないか、と心の片隅で思う。もうこの際、「不良」だとかいうレッテルは、どうでも良かった。形式的な「恋人」であっても、「恋人」らしくいてくれる彼女に──俺の心は揺れ動いていた。

「じゃあ、また」

「ああ。またな」

 別れ際、そんな風に小さく手を振って、家路につく千彩都の後ろ姿を見た瞬間、胸の内に湧いた寂しさのようなものを、俺は気味悪く思った。

 何なんだ、これ。

 そんなよく分からない感情を抱え、俺は俺の家路を辿る。


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