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3-2、師匠の反応

 時間は少し遡って、今日の昼に戻る。

 「日曜日にデートしましょう。待ち合わせは昼過ぎに駅前。ご飯は食べてきて。行き先は私が決めるから」

 師匠に話したように、広垣千彩都がそう提案してきた。生徒会長からのメッセージが来た、少し後のことだ。正直言って、これからあの不良女子と、どうやっていくか全くビジョンが見えていなかったので、これには驚いた。

 で、当日の今日、私服姿の千彩都に連れられて、どこへ行かれるのかと思ったら、「広垣」と表札のついた庭付きの一戸建てだったので、俺は最早何も言えなかった。駐車場にはCMでよく見る車が収められ、芝生の敷き詰められた庭では、繋がれた一匹の犬がもそもそと歩きまわっていた。飼い犬らしい柴犬は、千彩都の姿を認めるとしっぽをふりふり近寄ってきた。千彩都は犬の頭をぽんぽんと叩くように撫でると、さっさと玄関へと向かう。「誰? 誰?」みたいな犬の視線を受けながら、俺も彼女の後に続いた。

「おじゃまします」

「気にしないで。誰もいないから」

 千彩都はそう言いながら、玄関入ってすぐの階段をすたすたと上っていく。置いていくぞ、という意志をその背中に感じた俺は、急いでその後を追おうとしたが、半分ほど開いたドアの向こう側がつい気になって立ち止まってしまった。 

 隙間からは、ワイドショーが流れるテレビ、それを見つめる中年男性の後頭部が見える。そして、近くのテーブルで何か作業する中年女性の姿があり、俺の視線に気がつくと、にっこりと笑ってきた。俺は慌てて会釈してから、階段を上っていく。誰もいないから、って言っていたけど、思い切り両親がいるじゃないか。どうしてそんな素っ気ない嘘を吐いたんだ。

 そして、普段不良の娘がいきなり男を連れてきたというのに、両親のあの自然な受け入れ方は何だろう。

 俺はもやもやとした気分を抱きながら、階段を上っていく。

 千彩都の家は、俺の夢見る典型的な中流階級の家だった。車を持ち庭を持ちペットを持ち、2階建てで広い居間があって子どもには専用の部屋がある。けれども……なんだろう、この感じ。

 2階には3つの部屋とトイレがあって、そのうちの1つの部屋に千彩都は入っていった。他にもきょうだいが居そうな間取りだが、人のいる気配はない。

 俺はおずおずと、千彩都の入っていった部屋へ足を踏み入れた。サイバーな師匠の部屋には何度か入ったことがあるが、本格的な女子の部屋に入るなんて、生まれて初めてだったから、曲がりなりにも緊張していたのだ。

 ……でも、その緊張は一瞬で吹っ飛んだ。

「ごめん、ちょっと汚くて」

 千彩都のセリフは別に謙遜でもなんでもなく、むしろ過小評価だった。

 えらく汚かったのだ。

 まず教科書を始めとする本の群れや、服が床に散乱していた。その散らかりようをみるだけで、どれだけ彼女がガサツなのかがハッキリと分かってしまうほど。壁際にはチェーンの家具屋で買ってきたような本棚が無造作に置かれ、その上には遠目で分かるほど埃が積もっている。部屋の角に置かれた勉強机には、無造作に小物が載っかっていて、残ったスペースには大判の本が積み重なっていた。窓際には、まるで病院のような真っ白なシーツに覆われたベッドがあり、そのほぼ全域がシワに蹂躙されている。篭ったような空気感は、なんとなく師匠の部屋と似たものを感じた。

 千彩都は床に散らばったものを器用に避けていくと、ベッドの下から小さな机を引っ張りだして広げ始めた。

「分かった」

 俺がそう小さい声で言うと、千彩都は俺の方を向いて首を小さく傾げる。「掃除を手伝わせるために、俺を連れてきたんだ」

「掃除なんてしないし、させない」

 その言い方は妙に決まっていて格好良かったんだけど、お世辞にも片付いているとは言えない部屋で言われても。俺は閉口する。

 黄緑色のシンプルな小机を自立させると、その脇へ千彩都はすとんと腰をおろした。俺も慎重に床を踏んでいき、彼女の向かい側に座る。でも、なんとコメントをすれば良いか分からず、口が開かない。

「……えっと」

「恋人は相手の家に遊びに行くでしょ」

 千彩都はさもありなんとでも言う風に、言った。いや、それはそうなんだけど、それにしたってこの部屋のコンディションってどうなんだ。

 俺はできるだけ強い調子にならないように、

「付き合い始めて一週間もしないうちに家に遊びに行く? っていうかこの部屋……」

「恋人は相手の短所を許容するものでしょう」

「でももうちょっと片付けたほうが良くない?」

「片付けても2日で元通りだし、無駄骨になるからいい」

 そんな、のび太くんみたいなことを言うのか、この子。

 ……俺が潔癖症じゃなくて良かった、と俺は胸中で呟いた。

「それで、何をしようか」

 俺はちらちらと部屋の中を見渡しながら訊ねる。雑多にものが転がっている印象を受けるが、遊べそうなものが見当たらない。トランプすらない。

「お茶持ってくる」

 そう告げて、千彩都は立ち上がった。これまた器用に床を踏んでいって、部屋から出ていく。

 ──普段は几帳面で礼儀正しい子が、実はうちでは怠け者でした、というギャップなら可愛いものだが、千彩都の場合は外でもうちでも変わらなかった。大雑把というのもなんだか違う気がする。なんだろう、拘らないところはとことん拘らないのだろうか。

 やがて、千彩都はお盆を持って戻ってきて、それを小机の上に載せる。

 麦茶の入ったグラスが二つ、大福が4つ並んだ皿がひとつ。それは、ひどくシンプルな光景だった。

「私、大福が好きで」

 千彩都は言い訳をするように言った。

「そ、そうなのか。じゃあ今度来るときは、差し入れで持ってくるか」

「次は私があなたの家に行く番。来週の日曜に行くから、その時に買っていく」

「え、うち来るのか」

「恋人同士なら、相手の家に遊びに行くものでしょ」

 千彩都はさも当然とでも言う風に予定を決めつつ、俺の向かい側に腰を下ろす。そして、すっと大福に手を伸ばしてぱくりと頬張った。この部屋の主とは思えない女の子らしい口の小ささに、俺はなんとなくホッとしてしまった。

 そして、何気なしに訊ねてみる。

「大福のどこが好き?」

「表面が、女の子の肌みたいにすべすべしているところ」

 やっと普通のカップルらしい話題に戻れると思ったら。

「君も女の子だろ」

「そうね。確かめてみる?」

「……気分がノッてきたら、考える」

 言葉のキャッチボールをしているはずなのに、思い切り左右に振られているような気分だ。理知的な容貌をしているから、俺をわざとおちょくっているように思えなくもないが、でも大福をしきりに指で撫でているのを見ると、どうもそうは考えにくい。

 変な子だった。こんな子が社会に馴染めるわけがない。

「ねえ、どうして私を恋人に選んだの?」

 大福の最後の欠片を口に放り込んだ千彩都が、突然訊ねてきた。

「えらぶ?」

「選択したの、ってこと」

 俺は咄嗟に言葉が出なくて、横を向く。

「何でだろう」

 第一、『どうして』という問いがしっくりと来ない。俺は広垣千彩都の存在を知って、すぐに恋人にしたいと思ったのだ。確かに、今こうして千彩都と俺が「恋人」でいるのは『選択』の結果ではあるけれど、その理由を訊ねられても咄嗟には出てこない。

「当ててあげる。顔が良かったからでしょ」

 俺が首を捻っていたら、千彩都にズバリと言われてしまった。あまりにも身も蓋もない理由だし、それを自分で言うのもどうなんだ。

 ただやっぱり、恋人選びの条件で、優先度が一番高かったのはそれだ。俺は素直に頷いた。

「……否定はしない」

「可愛い子には彼氏がいるか、そうでなければワケが有る。でも、可愛い子が良かった。だから、私を選んだ」

 俺は思わず息を呑んだ。その格言は師匠が教えてくれたもので、うちの学校では俺しか知らないと思っていたものだったのに。

 俺の驚嘆を特に気にすること無く、千彩都は話を続ける。

「昔は国を動かす政治家を決める時に選挙というものがあったの」

「せんきょ?」

「これから歴史の授業で教えてくれることなんだけど、国民が一人一票を投票して、誰に政治を任せたいかを選ぶ制度のこと。その投票の比率が、民意を反映していると考えられていた時代だった」

「……今みたいに自然に決まっていたわけじゃないのか」

「自然に決まるはずがないでしょう。昔は国民の一人ひとりが等価値に情報を発信できる時代だったんだから」

「等価値に情報を発信できなくなったから、選ぶ必要がなくなった?」

「選ぶ必要がなくなったというよりも、人々が『選ぶ』ということを忘れていったの。何故かは知らないけどね。思想家達はこの先進国特有の社会のありようを、『選択の消失』と言って論じている。その中で確かにわかっていることは、『都市』住む人々は選択自体行っているけれど、そこに選択しているという意識はない、ということ。この傾向が最も顕著なのは日本みたい」

 いきなり引き合いに出してきた、「思想家」というワードに俺はたじろいだ。周囲に散らかっている本の題名をよく見てみると、俺だったら読もうとすら思わない、文系大学生が読んでいそうな厳しいタイトルばかりだった。

「別にその原因なんてどうでもいい。今生きている世の中は、そういう世の中なんだもの。ただ、私はどうしても選択してしまう。誰もがすとんと自分の役割に自然と入り込んでいく社会を、私は選ばなかった。だから、私は不良の烙印を押されている」

「……何でこの社会を選ばなかったんだ?」

「そうね……あなたは『都市』における年間の自殺者数がどれくらいか知ってる?」

 そんなもの知っているわけがない。「自殺」なんていうものものしい字面にすら、嫌悪感を覚える。

「そもそも死にたいと思う人がいるのか?」

「いないわ。そう、都市での自殺者数はゼロ。じゃあ、『郊外』では?」

 「郊外」? 俺は咄嗟に「郊外」の、とある自治区の形を思い浮かべた。

 「都市」と「郊外」。高1の政経の時間に、嫌というほど勉強した単元だった。

 20世紀末に起こった平成景気は、その景気の良い笑いの止めることなく、都市開発をまるでゲームのように推し進めていった。その結果、都市部の人口過密が問題となり、一時期は都市部だけで他の地域の二倍近くの人口を抱ることとになったらしい。

 それを承け、神がかり的な好景気によって豊かな財源を得た政府は、大規模な地方創生策を講じた。それが、「都市」と「郊外」の分化だった。「都市」での生活が苦しくなったり、辛くなったりしたら、皆さん、「郊外」へ移住しましょう。クリアな青空、豊かな自然、都市にある人間関係から逃れて、ゆとりのある、競争のない閑静な土地で暮らしませんか?

 それは、生活保護制度の拡張版のようなもので、「都市」での生活に苦しくなり、「郊外」に移住したいという人へ補助金を充て、また現地での就職も斡旋するという制度だった。

 その制度が施行された結果、「都市」の人口過密は解消されて治安は良くなり、地方と過去に呼ばれていた「郊外」にも人が増えて、経済が活発になったという。

 そうして、「都市」と「郊外」という区別が出来た。以来、人の流れは不可逆的に、都市から郊外へと流れ続けている。

 今の「都市」に住む俺には、「郊外」の人々がどのような暮らしをしているのか想像がつかなかったし、まして自殺者数なんて考えたこともなかった。

 だから、俺が首を振ると、千彩都は麦茶を一口飲んでから、そっけなく言った。

「だいたい一万人」

「え」

「多いと思った? これでも、21世紀初頭に比べれば3分の1まで減ったんだけど」

 逆に21世紀の始めは、3万人もの人が自ら命を絶っていたのか。その事実にも俺は愕然とした。

「……それで?」

「どうして、郊外の人たちは自殺するのか、分かる?」

「分かるわけないだろ」

 今の今まで忘れていた人々の、自殺の理由など知る由もない。

 千彩都はふぅ、と溜息のような息を吐くと、麦茶に口をつけてから言った。

「それは、死を『選択』することができるから」


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