3-1、師匠の反応
俺はポジショニング覇者となった。全てのポジショニングを埋めることができるのは、どの期生も卒業までに一人か二人なものらしいから、これは俺が思っている以上に快挙なことだった。
何故、覇者が少ないかと言えば、ポジショニングを確定させるのに、その手続きが煩雑だからだ。お互いがそのポジショニングに就くことを同意するのはもちろんのことだが、それを学内SNS担当者に第三者の証人を立てた上で報告しなければいけない。「恋人」ができれば誰でも即刻報告しに行くが、例えば「ブレーク友達」とか「趣味同人」という関係は細々としていてなかなかに面倒くさいから、あまり申請する人がいないし、きっと内申点の序列も低いだろうと予想される。
それでも俺がポジショニングを丁寧に行っていったのは、そういう信念があったというわけではなく、単純に運が良かったんだと思う。たまたま相手が快諾してくれて、たまたま証人もすぐに見つかり、たまたま体の良い申請理由も思いつくことができたから。が、千彩都曰く、「それはあなたの才能だと思うんだけど」。俺の才能がこんなもので良いんだろうか。
俺が告白して千彩都が受諾し、晴れて契りを交わしたその翌日、ポジショニング申請を須々木を介して行った。「恋人」の申請理由はとりあえず「否応なしに相手に特別の感情を抱いてしまうから」で、万事通る。これは「ブレーク友達」の丹山から教えてもらったことだ。10人の女子と「恋人」関係になったことがあるらしい丹山が言うのだから説得力がある。
そして、彼の言った通りすぐさま認可が通った。こうして正式に俺と千彩都は「恋人」同士になった。まあ、SNS担当教員の下田は終始鋭い視線を千彩都に浴びせていたが。不良に対する眼差しは常にこんなものであり、千彩都も慣れたものなのか、取り澄ました顔をしていた。
で、その晩、俺のもとへ生徒会長の安藤和奈からメッセージが届いたのでめちゃくちゃに驚いた。俺はそこで初めて、ポジショニング制覇が注目に値することなのだと、思い知ったのだった。
『こんばんは。あなたのことは常々気になってましたが、ついにポジショニングを制覇されたのですね、おめでとうございます。昨年度末から制覇にリーチをかけていながら、なかなか「恋人」の埋まらない状態に私までやきもきしていましたが、ついに結ばれたその相手が「彼女」とは驚きです。どういう経緯があったのか詳しく知りませんが、「彼女」が社会に馴染んでいけるよう、パートナーとしてサポートしてあげて下さい。それでは、おやすみなさい』
……生徒会長が、毎日全生徒の動向を『スクールパレッド』を通じて把握していると、という噂はあったが、どうやら本当らしい。3月に須々木と「取引先」の関係を得て制覇に王手をかけたのだが、そのことを知っているとはなんだか凄さを通り越して気持ちが悪い。
俺は当り障りのない返信をしてから、安藤和奈のプロファイルを覗いてみた。
自己紹介にはさも当然のように「生徒会長」の文字。ポジショニングの項を見ると、もちろん空白無くぎっちり埋まっている。大学側に提出する、定期的に行われる試験の結果もここで閲覧できるのだが、そこにはバケモノみたいな数字が掲載されていた。ボランティアの経歴は画面に収まりきらないほど羅列され、有志のキャリアは文化系の活動を中心に成果を収め、運動もできますよ、と言わんばかりに水泳大会の記録がさりげなく混じっている。
それに加え、ほぼ毎日のコラムと呼ばれる日記の更新、生徒へのダイレクトメッセージ等、コミュニケーションはこちらがげんなりするほど活発に行っている。こんなド派手な社会的貢献が無くとも、成績と生徒会長というキャリアだけで、余裕で旧帝など行けてしまうはずだが、それでも徹底的に会長として動き続けるのは、やはりそういう才能があるからなのだろう。
生徒会長安藤和奈は全ての生徒を相手に、自らをポジショニングしていた。ようやく制覇にこぎつけた俺なんかとは比べ物にならない、傑物。
そして、千彩都のことを「彼女」と代名詞で呼ぶこと──、今後の立ち回り如何ではこの人を敵に回してしまう可能性があることを意味する。この超人的な生徒会長に目をつけられるとか、どれだけの札を付けた不良なんだと、俺は嘆息した。
で、俺と千彩都が「恋人」となった次の日曜日、俺は師匠に呼び出された。師匠はこの春に頼塔高を卒業したばかりで、推薦によって志望大学に進んだ大学一年生だ。専攻は情報工学。
卒業生も『スクールパレッド』は継続的に使えるが、新規ポジショニング追加やブログの投稿ができなくなる等の機能制限がある。メッセージのやり取りはポジショニングしている相手にだけ可能で、解消もできるがそうしたらもう二度と関係を取り結べない。
土曜日の晩に俺に届いたのは、「アスウチニコイ」という短い文面。ロボットみたいな文体だが、師匠曰くこれはポケベルという1990年代の連絡手段へのリスペクトらしい。読みにくいからやめてくれと言ったことがあるが、もちろん聞く耳をもってくれなかった。
俺が「日曜日は俺達の記念すべき初デートだから邪魔しないで下さい」と送ったら、「その後で良いから」と来た。良いかどうかを判断するのはあなたじゃないでしょ、と思ったが、まあ「余裕があったら行きます」と告げておいた。
返信に曰く、「カナラズコイ」。さながらホラーだ。
それで結局、俺が師匠宅に着いたのは19時程だった。シャッターの閉まった家屋の裏側に回りこみ、安っぽい金属製の階段を上ると、とってつけたような安っぽい扉が一枚だけ待っている。
扉の脇にある前時代的なインターホンを押すと、一秒も待たずに、
「はーい」
「俺です」
「いいよ、入って」
間延びした声に入室許可をもらえた。
薄っぺらい扉を開けると、そこは亜熱帯だった。
まず視界に飛び込んでくるのは、天井をのたうち回るように伝っている白黒忙しない伝線の群れ。売り物にならなくなった端末の筐体が玄関脇に靴入れの代わりに置かれ、ごく狭い靴置きのスペースには外行き用の靴とクロックスが窮屈そうに横たわっている。廊下には栄養ドリンクやら栄養剤やらの瓶が山盛りになっていて、看板のように置かれたマガジンラックには一年分の少年誌が干物のように突っ込んである。
そうやって書くと混沌としているようだが、視覚的には何故かスッキリして見えるから不思議だ。でも、締めきってる上にパソコンの排熱のせいで、おおよそ春先の日本とは思えないこの気候はいくらなんでも酷い。
居間にたどり着くと、そこにはどでかい椅子に身を沈め、モニターをじっと見つめる師匠の姿があった。
「意外と早かったね」
そう言いながら、くるりと椅子を回して俺の方に向き直る。2週間ぶりくらいの、師匠の姿を見て──俺は絶叫した。
「え、ええ! か、髪!」
「ん? ああ、これ。染めてみたんだ」
師匠は少し誇らしげに、まっ金に染まった自分の髪先を摘んでみせた。なんとも初々しい感じがする。確かに高校生の時は、ちょっと髪については不精だったとはいえ、それを大学進学を機に一気に変えてしまうとは相変わらず変な人だ。よく見たら軽くウェーブもかかっている。美容院に行く師匠の姿を想像して、さぞかし頑張ったんだろうなあ、と俺は思った。
そういうわけで、この女子大生が俺の「師弟」にあたる水方瑞恵だ。「師弟」という関係はポジショニングの中で一番難易度が高く、なかなかそういう相手を見つけるのには苦労するし、ポジションとして結んだ後も継続するのが大変だったりする。
ポジショニングで内申点がつくなら、わざわざ解消する必要も無いのだが、それはあくまで俺の考えであって人それぞれで発想が違う。あまりポジションによる内申点を重視しない人は、関係性を忠実に表示しようとして、「違うな」と思った人との関係はすぐに解消してしまう。
「師弟」なんて大袈裟な役割は、そんな風に解消されてしまうことが多いんだとか。これは須々木情報だ。
そんな「師弟」という関係性だが、俺の初めてのポジショニングがこれだった。俺と師匠が出会った経緯はまたいずれ、余裕がある時にでもしよう。
「似合ってる?」
「めっちゃ発色いいですね、髪が伸びたら生え際がすごい目立ちそう」
「似合ってるか訊いてるんだけど」
「……めっちゃ似合ってますよ」
俺がそうやって言うと、途端に機嫌良さそうに頬を緩めて、手に持っている茶色い棒アイスをぱくつく。コーラ味。もぐもぐと咀嚼しながら、それを俺に突き出して、
「食べていいよ」
「食べかけじゃないですか」
それでも、俺はそれを受け取って食べる。もうこんなやり取りには慣れっこだ。知り合った頃はこういう所作に、多少はドキドキしていたものだったが、やがてこの人は自分が女だという自覚が無いんだと気がついた途端に、なんとも思わなくなった。人間の実感などその程度のものだ。
そういうわけで、俺は遠慮無く脇のベッドに腰掛けながら、
「で、何の用ですか」
と、訊ねた。
ついでにちらりと見えたディスプレイには、いつものようにまとめサイトが映し出されている。「あたし、この時代に生まれたかったなあ」と愚痴るくらいに、この混沌を好んでいるのだ。そして、当時存在したグレーな技術──例えば、誰かの住所特定だとか、P2Pという仕組みを利用したダウンロード法とか、疲れることを知らずに誰かと永遠に口喧嘩ができるAIとか、そういうものを学んで現代で活きる手管にしては、散々楽しみ回っている。
「あんたさあ、何で恋人作っちゃったの?」
師匠はタオルで首をごしごし拭きながら、訊いてきた。「当面作る気ない、とか言ってたくせに」
この異様な耳聡さ。俺のポジショニングを監視していたのは、生徒会長だけではなかったらしい。
「この話、電話とかじゃダメだったんですか」
「電話は嫌いだから。それに久しく会ってなかったし、この際会っちゃえ、と思ってね」
「会うために足を運ぶのは俺なんですけど。それにしては非情な日時に設定しましたね」
「大学がそこそこ忙しくてスケジューリングが大変なの。まあ、あたしのことはどうでもいいんだ、あんたの彼女の話」
そうやって促され、別に隠す必要も無かったので、俺はこの一週間の出来事を話した。
師匠は意外そうに目をしばたたかせて、
「へぇ、あれって序列あったんだ」
ポジショニングのことだ。
「分からないですよね、そんなの」
「まあ、知らなくても平気だったけど。それにしてもそうと分かったら、すぐ行動に出るのはあんたらしいわ」
呆れた風にそう言うと、師匠は頭にタオルを巻きつけた。さながらラーメン屋の姉御という感じだが、体格はひょろひょろなのでラーメン屋のコスプレみたいだ。せめて無地ではなく女の子らしい柄が入っていれば、まだ救いようがあったろうに。
「で、今日が初デート?」
「そう言ったじゃないですか。千彩都の方から誘ってきました」
「ふぅん、愛想悪そうな子なのに、少し意外だね」
「しかも告ったその日の晩にですよ。俺もちょっと意外に思ったんですけど、場所はもっと意外でした」
「どこ?」
「彼女の家です」
「わお」
「チューまでいきました」
「訊いてないよ、そんなの」