2-2、恋人への接近
『スクールパレッド』における、広垣千彩都のアカウントは真っ白だった。ボランティア活動記録も、有志活動記録も真っ白。ポジショニングも真っ白。成績は人並み。
とはいっても、そういう閉鎖状態のアカウントの持ち主、つまり「不良」は、彼女以外にいくらでもいる。社会に馴染むことの出来ない「そういう人たち」は、既に内申点を諦めて自宅でせっせと勉強をしているのだ。広垣が他の不良と際立って違うのはここだった。
大体9割の生徒は内申点を求めて、成績の維持と同時に、ポジショニングの維持、有志イベントへの参加、自発的な社会貢献に努める。が、それができない人は当然存在する。人と関わることが苦手な人。嵌るべき役割に嵌ることができず、社会に溶けこむことができず、ずるずると不良と呼ばれるようになっていく人。
そういう人たちが縋るのは一般入試という、推薦とは違った、もう一つの入り口である。これは成人後の生涯教育の機会を潰さないように、文部省の通達によって私立大学のみに設置された勝手口だ。
推薦に比べて遥かに門戸が狭く、その上に浪人生や勉強をしたくなった社会人なども押し寄せてくるので、倍率がとんでもないことになっている。最上位の大学に入りたいと思おうものなら、机に身体を固定してでも勉強に励まねばならないが、逆に言えばペーパーテストの結果のみで結果が決まるので、人と関わるのが苦手でも学歴を手にすることが出来る。
だから、不良達は必死こいて勉強するのだ。高校生活で失ったものを、大学生活で取り戻すために。もう一度、社会に馴染むチャンスを掴むために。だから、余計に学校での社交性を失っていく。そんな彼らは『スクールパレッド』に報告するべきことなど何もない。だから、不良たちのプロファイルは真っ白になる。
でも、広垣千彩都は余裕そうだった。毎日放課後にギターを掻き鳴らす時間を勉強に充てていたら、一週間でどれだけの時間が確保できただろうか。それに付き合っていた俺ですらも勿体無く感じる時間の使い方。それが、広垣の他の不良と異なる点。
俺は、広垣千彩都という人間は、一体この世界のどこに位置しているんだろう、と思い馳せる。人は、「あなた」がいるから「わたし」になれる。「君」がいるから「僕」になれる。その網目のような膨大な関係の内で、ようやく自分の居場所を確保できる。
真っ白なプロファイル、真っ白なポジショニングの世界の中、関係性の網目を持たないあの子は、どこに位置しているのだろうか。真っ白な地平に佇んで、広垣は一体自分をどこに見つけているのだろうか。
俺は初めて屋上に上った日のちょうど一週間後に、告白をした。
一週間前に初めて名前を知ったような子、しかも会話は簡単に思い起こせるほどしか交わしていない。そんな交流のうちで、恋心を芽生えさせるなんて無茶な話だった。
だから、半ば捨て鉢だったことは認める。動機が愚劣であることも認める。俺は、俺の「恋人」ポジションを埋める相手が欲しかった。そしてあわよくば、広垣の、あの真っ白なポジショニングに俺の名前を刻んで欲しかった。あれではあまりにも寂しすぎるから。切なすぎるから。こんなに大きな声で毎日歌っているというのに、真っ白とは、虚しいだろう。
「……俺がさ、ここに毎日来るのはもちろん、その歌を聞きたいからだったんだけど」
俺はそうやって切り出した。いつものようにギターと、小さく畳んだ椅子をケースにしまい込んでいる、広垣の背中に向かって。広垣はぴくりと動作を止めて、首だけ振り向いて俺を見る。
俺はその眼差しに向かって、告白をした。
「それだけじゃないんだよ。君のことが……どうも、好きみたいなんだ」
屋上が、しんとした──ような気がしたが、それは俺の錯覚だったんだろう。それだけ俺は集中していた。全身を研ぎ澄まして、彼女の言うことを聞き逃すまいとしていた。
広垣はさっと身体をこちらに向けて立ち上がり、俺に真っ向から向き直った。驚くほど綺麗だが驚くほど乱暴に切り揃えられた髪の毛が、遅れて彼女の顔にふわりと着地する。
そして、その口を開いて言った。
「それは、『恋人』というポジショニングが欲しいからでしょ」
「……!」
こんなにも鋭く刺すような言葉を受け取ったのは、生まれて初めてだった。肺腑を何者かに握られたかのような息苦しさと、全身の血液がすとんと身体から抜け落ちていくような感覚に、俺は立ち竦んだ。瞬きすらできなかった。
やっぱり、ただの不良ではなかった。
俺はうん、とも、いや、とも言えなかった。事実も嘘も言うことができず、突っ立っていた。
欺瞞に満ちた俺の告白は、彼女の一言で呆気無く瓦解してしまった。
──ところが、広垣は冷淡だが、あっさりとした口調でこう言った。
「まあ、私を利用したければ、利用すればいいよ」
「……え?」
俺はすっかり意味を取り逃して、そんなマヌケな声を出してしまった。広垣は同じセリフは言いたくないと言わんばかりに、口を固く結んで俺をじっと見つめている。
仕方なく、俺は具体的に問い直した。
「えっと……じゃあ、『恋人』になってくれるってこと?」
「そう言ったつもり」
その至極あっけらかんとした態度に、俺は不安を覚える。
「……一応訊くけど、俺が誰だか知ってる?」
もしかして、彼女は本当に社会に興味が無く人にも興味が無いから、来る者を拒むことなく、俺の形式的な告白を受け入れたのではないかと思ってしまったのだ。
だが、広垣はそれすらも見透かしたかのように、告げる。
「東御真。あまりいないポジショニング制覇寸前の男子生徒」
俺は彼女の口から発せられた自分の名前を聞いて、ごくりと唾を飲む。知っていたのか。
「ちなみに、それはいつ知った?」
「一週間前」
「同じだ。俺も君のことは一週間前に知った」
そのセリフに広垣はすっと目を眇めると、
「アカペラの有志に乗らず、私のところに来たでしょ」
話を大きく変えてきた。
「よくご存知で」
「それがあなたの『選択』だったの?」
「センタク……?」
何だ、それ。俺は一瞬、混乱する。
まさかこの流れで「洗濯」ではあるまいし、それ以外の漢字の組み合わせがパッと出てこなかった。
突然の謎の単語に焦る俺を見て、広垣はスマホを取り出す。頼塔高の生徒全員に支給されるスマートフォン。アカウントのプロフィールが真っ白とは思えないほど、手際よく指を動かしていき、俺に画面が見えるように突き出してきた。
そこにあったのは文部省のデータベースの検索結果だった。未成年の俺達が、唯一アクセスできるネット空間。
検索:選択 意味
せんたく【選択】-二つ以上のものの中から、目的にかなうものをえりわけ、また、とり出す。
──そうか、俺は選択して、彼女のもとへ来たんだ。俺は何となく納得してしまった。
「そう」
だから、確信を持って言った。「恋っていうのは、それだけのものだ」
何だかよく分からないけど。
「そう。じゃあ、よろしくね」
あまりにも簡素にそう言って、広垣は手を差し伸べてきた。唐突に伸びてきたすらりとした腕もそうだが、その指先にできたタコの方に目を取られて、俺は一瞬、その手の意図が分からなかった。
「……ギターの弾き過ぎで」
広垣は俺の視線から察したのか、そのタコを同じ手の親指で撫でた。それを見てすぐに、握手を求められていたことに気づき、俺は慌てて腕を差し出す。
彼女の手を握る。冷たくも、温かくも無い手──その手は俺の手と同じ温度だった。
彼女は確かに不良だが、それでも、俺と同じ温度で生きていた。
こうして、俺にとっては最後のポジション枠が、広垣千彩都にとっては最初のポジション枠が、お互いの名前で埋められたのだった。




