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2-1、恋人への接近

 放課後、俺は言う通りにB棟の屋上にやってきた。夏のコンクールに向けて集結した頼塔高校吹奏楽有志が、校内の散らばって個人練習に励んでいるようで、楽器の音色があちこちから聞こえてくる。練習の音がうるさい、と注意される時代もあった、と教えてくれたのは誰だっただろう。……やっぱり師匠かな。

「昔の人は今では考えられないようなことに、目くじらを立てたりしてたんだ」

 俺の師匠は高校生の時から、ネットサーフィングをこっそりやってるようなワルだった。

 未成年者がネットの海に漕ぎだすというのは、社会から白眼視されるような行為であるが、実はタバコや酒のように明文化された法律等があるわけではない。しかも、師匠の場合ははあくまで「こっそり」だったので、非難の眼差しをもらうことなく、悠々とネット暮らしを楽しんでいた。

 師匠の巡り先は今の健全なネット社会ではなく、一昔前に流行し、今では廃れてしまった「まとめサイト」と呼ばれる、ネットの「郊外」とでも言うべき場所だった。恐らく、この高校に現役で在籍している生徒の中で、そんなものの存在を知っているのは俺くらいだろう。それは、ほんの短い期間、国民全員が全世界へ情報を等価値に発信できた時期があり、その時に堆積した情報の墓場なんだ、と師匠は教えてくれた。

「今でも東欧とか南米の一部の国では、そういう場所もあるらしいけど」

 現在、全国民が実名を用いているネット社会では、とある人の発信する情報はその人のプロファイルによって、その価値が決定する。サービスにもよるが、例えば東大教授の発信した情報は、一般企業の会社員の発信した情報よりも、プライオリティが高く表示される仕組みになっているのだ。

 そういう制度が施行される前のネット社会には、有象無象の文字が連なっていた。匿名の仮面を被って自らの実感をそのまま文字化し、恣意的に書き込まれている掲示板の内容を、編集してまとめたブログ。そこは人々がネット黎明期において、どのように思考し、暮らしていたのかを如実に映し出していた。

「どうしてこんなにこの人達は怒ってるんです?」

 俺はそうやって訊ねたことがあった。健全な人が見たらえづいてしまうような、ひどい書き込みを見てのことだったと思う。すると師匠はこう答えた。

「怒ることが意味を持っていた時代だったからだよ」

 たぶんね。自分は確信を持っているが、他の人はどうだか分からない。そういう自信の無さをごまかすような照れ笑いとともに、そう付け加えていた。

 そんな俺には、「吹奏楽有志の練習」にしか聞こえない騒音の狭間から、ちゃりちゃりと爪で引っ掻くような音が聞こえてくる。それがギターの弦を弾く音だと分かったのは、屋上へと顔を出した時だった。

 B棟は主に三年生の教室と一部の特別教室が詰まった建物だ。そこそこの広さがある。その隅っこ、中川と肩車してもてっぺんに届かないであろう高さのフェンスの傍らに、背もたれのない椅子に座っている女子がいた。アコースティックギターを抱えて、何かを歌っている。どうも、英語の詞のようだった。あいにく、俺達の持たされているスマホには、自動翻訳機能はインストールされていない。仮にされていたら、英語の授業を受ける必要がなくなってしまうから。

 広垣千彩都。それが彼女の名前。

 彼女は「不良」だ。中川と須々木は口を揃ってそう言っていた。

 不良のなり方はとても簡単だ。何もしなければ良いのだ。

 放課後を、社会的営為──有志の活動に参加するでもなく、友達と余暇を過ごすでもなく、ボランティアに参加するでもなく過ごす。するとその結果、社会に馴染むことができなくなり、一人で生きざるを得なくなり、するとあらゆる人から非難めいた視線を頂けるようになる。

 昔はこういう人のことをどう呼んだのか知らないが、きっと師匠なら知っているはずだ。今度会う機会があったら訊いてみようと思った。

 で、彼女は呆れるほどに綺麗な長い髪の毛を、春風になびかせながら一心に弾き語りをしていた。もう何千回何万回と歌ってきたが、まだ飽きたらないとでも言いたげに、だがどこか爽やかに。あまりにも夢中だったらしく、俺が横に立っても気付かれなかった。

 やがて広垣千彩都は、不意に弦を弾く手を止めた。それから俺の方を、見上げてくる。

 日本人形のように白い肌と、切れ長な瞳……そして乱暴に揃えたような前髪。素材は揃っているのに無頓着なようで飾り気が全然ない、そのお陰で風貌を幼く見せてしまっているが、なるほど確かに美人だった。

 ただ、その瞳に宿る挑戦的な眼差しは、俺達の社会をして異端児と思わしめるだけの威力があった。警戒心ではない、それは明確な敵意だった。言葉を使わずに、表情だけでここまでメッセージを伝えるとは只者ではない。

「なんて曲?」

 それでも俺は屈せずに、質問を飛ばした。俺の未来のキャリアがここにかかっているのだ、退くわけにはいかない。

 すると、広垣はたっぷりと黙ってから、一言だけ無表情に告げた。

「ノー・インサイド」

「……誰の曲?」

「知らない」

「知らないんだ」

「知る必要もない」

 それは俺に教えるつもりが無いということなのか、広垣自身も知らないし知る気もないということなのか判断がつかなかった。だから、俺は言葉が接げずに口をつぐんでしまう。俺が黙ったのを見届けてから、広垣は再びギターを鳴らし、歌い始めた。同じ曲だった。その様はまるで、いつまでも反復するようにプログラムされた、アンドロイドのようだった。

 それから数十分、広垣は歌い続けた。何度も同じ歌詞を聞いていれば、正確になんと言っているのかは聞き取れないものの、何を言わんとするか分かってきた。

 本当の、自分を、内側を、知りたい。

 「Know inside」。つまり、そういうことだ。

 やがて、広垣は片付けを始めた。ギターを傍らのケースに収めて、座っていた椅子を小さく畳んで同じケースに入れる。

 それからずっと傍ら立って、彼女の演奏か練習か分からないものを聞いていた俺に視線を寄越し、

「……何しに来たの?」

 不審者を警戒する子どものような声で、そう言った。やっとか、と思いながら、俺は答える。

「歌を、聞きに来た」

「……そう」

「明日も聞きに来るよ」

「ご自由に」

 そっけなく言って、広垣は立ち去った。俺はその小さくなっていく背中を見送り、見えなくなったところで振り返って空を仰いだ。なるほど、可愛い子には彼氏がいるか、そうでなければワケが有る、というわけだ。師匠という元ワルとの交友がなければ、とっくに嫌気が差してどっかに行ってしまっていただろう。

 文句なしの、札付きの不良だ。

 けれども、その気持は分からないでもない。想像はつかないけど。


 翌日の放課後も屋上に赴き、ギターを弾く広垣の隣に突っ立っていたが、その日は一度も口を開かなかった。相変わらず歌っているのは、同じ曲だった。「ノー・インサイド」。飽きずに同じ詞を繰り返し口ずさむ広垣の表情は、何かを考えこんでいるかのようだった。

 その翌日、三日目だ。俺も広垣も飽きずに放課後の屋上に居た。

 ついさっき、アカペラの有志の募集があった。半年に一回のコンペティションに参加するメンバーを集めていたのだ。俺は以前に、この有志へ参加したことがあり、そのツテで西村というソプラノ声の女子と「チームメイト」という関係を得ていた。そして、今回はその西村がリーダーとなって頼塔高校代表として出場するらしい。

 有志参加者は下記フォームから参加してください。そういう通知が『スクールパレッド』上に流れていた。

 俺はスルーしている。本来ならば、というか、俺の本能が、というか、とにかく俺はその有志に参加しようとしていたのだが、いま、苦労して黙殺している。

「昔は『有志』と銘打つものには、必ず『希望』とか『志願』という言葉が必ずセットだったんだ」

 師匠がいつか言っていた。学校の端末室、ただでさえマシンの熱で温度が高いというのに、ぽんこつなエアコンが全然冷やしてくれない、そんな酷暑の中だったような気がする。

「今みたいに適切な人材が適切な場所に、自然と自分から収まってくれるような社会じゃなかったからね」

 自らに「希望者」というレッテルを貼って、「有志」のストックとして誰かに自分を管理させておかなければいけなかったのだ。

 昔の学校には、有志活動の前身となる「部活動」という団体があって、自分のスキルとか適所とかに関わらず、好き勝手な活動に参画することができたらしい。「志望」したり、「希望」したりして。なんともピンとこない制度だった。

 今は違う。アカペラ有志を例にしてみると、俺が参加しなければ、俺の次に適切な人材がその空欄に自然と収まるだけだ。何も言わずに、何も求めずに、ただ自分がその役割に適していると判断して、その枠に収まっていく。そういう、当たり前の社会だ。

 俺はアカペラ有志の、その枠に収まるべきだったが、それ以上に「恋人」の枠を埋める必要があった。有志に参加したら、練習の関係で広垣のもとへ来ることが叶わなくなってしまう。

 もどかしい。落ち着かない。すぐにスマホを取り出して、参加フォームにアクセスしたい。

 そんな衝動をひた隠し、俺は広垣の隣に佇み続けた。俺の将来のためなんだ、と心の内で呟きながら。

 広垣はそんな俺の心中を察することなく、同じ歌を歌い続けている。お陰で俺はすっかりその曲を覚えてしまったし、昨日はうちに帰った後もこの曲が頭のなかに鳴り響いて大変だった。

 本当の、自分を、内側を、知りたい。

「歌……どう?」

 本当に不意に曲が止まって、広垣が訊ねてきた。ぼうっとしていた俺は咄嗟に反応できず、何も言えずに彼女の方を見やる。広垣は顔をまっすぐ俺へと向け、一昨日よりもずっと敵意の鎮まった眼で見上げてきていた。

「えっと……いいと、思う」

 やっと口に出た言葉は、そんな陳腐という言葉も陳腐に思えるほど拙いものだった。

 広垣は何やら言うべきことを慎重に吟味して選ぶようにゆっくりと、

「本当に、いいと思ってるの?」

「思ってるから毎日来てる」

 今のところ、俺にはそう言うしか無かったのだが、この発言が更に俺自身を締め付けることに気付く。つまり、彼女の歌を聞きに来るのをやめた時、それは彼女の歌をいいと思わなくなったことを意味する。

 妙な焦りが生まれつつあった。こんな寡黙な関係から、「恋人」などという最上の関係性に辿り着くことなどできるのだろうか。

 それでも、俺は毎日放課後にB塔の屋上へ上った。

 アカペラ有志の募集は予定通りの期日に、予定通りの人数を集めて終了した。過不足はない。それがこの社会のスタンダードだから。


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