7-2、安置
端末室を誰かが勝手に使っていたらしい、というような時に、その場に誰かの持ち物が落ちていれば真っ先にその人物が疑われる。そんなのは、恐らく文明のあるところでは必定のことだ。あの後、俺は廊下に出て設置しておいた俺のスマホを探したが、見つからなかった。恐らく警備員に回収されてしまったのだろう。
そうなると、次に起こるイベントは決まっている。
案の定、月曜日の朝、俺は早速、職員室に呼び出された。
「すいませんでした、これ反省文です」
「まだ何も言ってないんだけどなあ」
担任且つ英語教師の城田は、一応俺のこしらえてきた文章を受け取りつつ、そう言った。それと引き換えに、俺のスマホを手渡してくる。
それから俺の反省文を見ずに折りたたむと、
「……広垣の例のやつ、本当にお前がやったのか」
「はい。あいつはああいうことに、そんなに詳しくないですから」
俺の自供を聞いた城田は、何やら言いづらそうにこめかみを押さえた。
「俺はお前のことをよく知っているつもりだ。品行方正とまでは言わないが、学年で初めてポジションを制覇するだけの対人能力がある。その一環として、広垣の信頼に応えようとしたんだろう。ただ……、学校というのは、そういうところじゃない」
そういうところじゃない。つまり、内申点で全てが客観的な数字となって評価される場所であり、端末室の不正利用という行為の「不良性」は動かせない、ということだ。
「だから……、内申点には相当の傷が付くだろうな」
相当の傷。内申点の減点自体初めてだから、それがどの程度差っ引かれる表現なのかは知らないが、そのニュアンスからして、今まで積み立ててきたものの半分は持って行かれただろうと、直感した。
「分かりました。スマホ、ありがとうございました」
俺はそれだけを告げて、職員室を退室する。
で、放課後、俺と千彩都は端末室管理責任者の教員に、しこたま怒られた。全体的な叱責についてはまあその通りで、こう言って良いのならどうでも良いのだが、一つだけ言い返したいことはあった。
どうも、あのスカスカなサーバー筐体について、この人は知らないようだった。あの巨大な筺の中には、ぎっちりと機材が詰まっていると思い込んでいるらしく、あの晩俺達は窓からカーテンを伝って逃げたと信じて疑っていなかった。あんな危険なことを! と言っていたが、そんなこと千も承知だったからやりませんでした、と、そこだけは訂正しておきたかった。結局、黙っていたが。
「堪えた?」
解放された後、千彩都から開口一番にそう訊かれた。俺は少しだけ考えた後に、
「子どもが、大人は分かってない、って思うようになるメカニズムは分かった」
「大人は分かってない、って思ってるの」
「思うようになるってことが、分かった」
「思ってるのね」
「思ってるよ」
渋々、俺がそうやって言うと、千彩都はくすくすと笑った。
俺達はそのままの足で、B棟の屋上へと向かう。いつものように、吹奏楽部有志の練習する楽器の音色が聞こえてきた。でも、いつものあの曲は聞こえてこなかった。
「もうあの曲、歌わなくていいのか」
「うん。兄に届いたなら、もういい。次に歌うのは、兄が死んだ時」
それは、兄が最初に所望した歌の使い方だった。鎮魂歌のリクエスト。痴話喧嘩の歌を死んだ時に歌ってくれ、とリクエストするのはどうかとしか思わないのだが、この兄妹は真面目にヒューズが抜けているところがあるので、そんな指摘は何の意味もない。
フェンス際に、並んで立つ。地上の小さな景色が、網の合間から見える。
千彩都は指をフェンスに絡めると、顔だけ俺の方に向けて訊ねた。
「それで……、スマホは返ってきた?」
「ああ。内申点と引き換えに」
「そう……」
千彩都の顔が曇る。それはそうだ、自分のために俺が将来を捨ててしまったようなものなのだから。
でも、俺は何も捨てたつもりはなかった。知ってしまった以上、俺には行動するしかなかった。たったそれだけのことだ。俺が今までせこせこと内申点を貯めてきたのは、これまで内申点稼ぎ以上の行動をする契機が無かったからに過ぎない。
そして、「今」がその時だった、というだけのことなのだ。
「だから……実はもう、俺がお前と『恋人』やってる必要がなくなったんだよな」
俺は多少の自嘲を込めて言った。
ポジショニングによる内申点の加算は累積型で、結ばれた関係性に従って毎週一定量の数字が加わるものだ。
そして、俺が千彩都と「恋人」をやっていた理由は、内申点稼ぎに他ならない。それは旧帝という目標に必要だったという理由からなのだが、今までに貯めた内申点に傷が入った今、最早恋人が居たところで旧帝には届かない。
だから、俺が千彩都を「恋人」にしておく理由がなくなってしまったのだ。
「それってつまり……別れ話?」
俺の言葉を聞いた千彩都は、意地の悪い目つきをしてそう言った。そんな風には思っていなかったが、言われてみれば形式上はそうなる。
「そんなもんじゃない。けど……お前も、そう思ってるんだろう? もう理由がないって」
「まあね。もともと私は、ポジショニングなんてバカらしいと思ってた。最初から私のうちに、理由なんてないの」
「でも『恋人』ごっこがしたくて、俺の告白をOKしたと」
「それは、私の……、黒歴史」
千彩都は顔を紅潮させる。「……それに、『恋人』なんて、もう銘打たなくていいと思ってる」
俺はそれを聞いて安堵すると同時に、少しの高揚感を覚えた。
「俺も、そう思ってる」
ポジショニングで証明するまでもない、「俺と千彩都」という関係。
それが、この誰もがその時その時、適切な役割へと嵌っていくという、誰もが互換可能なこの社会での、「安置」なのだった。この「安置」がある限り、俺に内申点など必要ないし、「恋人」などというものも必要ない。社会で疲れても、挫けそうになっても、孤独になっても、戻ってくることができる避難所のような「場所」。
この「安置」を見つけて、俺はようやくポジショニングの覇者となったのだった。
千彩都と、いっしょに。
彼女は、ゆっくりとはにかんで言った。
「それじゃあ、これからも、よろしく」
「ああ。こちらこそ」
そうして、俺達は「恋人」の解消手続きをした。ポジショニングの解消は、離婚届みたいな書類に署名をして提出するだけで済む。
書類を提出したその日の晩、俺と千彩都の「恋人」欄は白く染まった。
安置の、表象として。
「バカね」
俺達がポジショニングの解消をした、次の日の昼休み。生徒会室に呼び出されたかと思ったら、いきなり千彩都の兄みたいな言葉が頂いてしまった。
「あれだけの大立ち回りをしておいて、広垣千彩都との『恋人』関係を解消するだなんて。あなた、将来を棒に振るつもり?」
威風堂々そのものの姿で、大きな椅子に腰掛けているのは、生徒会長安藤和奈。威圧的な眼差しを、惜しみなく俺に浴びせている。
「将来を諦めたわけではありませんし、終わったわけでもありません」
俺は努めて、誠実さを込めてそう言った。
生徒会長は値踏みするように俺の顔を凝視した後、手元にあるハンドアウトを手にとって視線をそちらに向ける。
「会長権限であなたの内申点の内訳を寄越してもらったわ。おおよそ4分の1の減点。更に『恋人』の解消。これであなたは目標の大学へ到達することが困難になった」
「そうですか」
「あなたに傷を負わせた千彩都とも、ポジショニング外での交友を図々しく続けていくつもりなのでしょう? あなたは一体、どうするつもりなの?」
内申ついた傷は思ったよりも軽かったが、会長の言う通り目標の大学へ行くにはかなり難しい。だが、努力次第では私立の良い所に行ける可能性があった。
だから、今の所の目標は、千彩都と一緒に同じ大学に入ることにしている。将来については──、その後に考えれば良い。
それよりも、もっと重大なことが。
「会長」
俺は、その質問の語尾を捉えてしまったのだった。「俺に意図を問うているのですか?」
『相手にその選択の意図を問う、他ならないその行為が、不良への第一歩なの』
と言ったのは、他ならぬ生徒会長本人だったはずだ。
その彼女が、面と向かって俺に意図を問い質してきた。
一体、どうするつもりなの──、師匠が不良であったと告白した時のことが、脳裏に蘇る。
まさか──。
「気づいたわね」
しかし、生徒会長は愉快そうにそう言った。まるで、「合格だ」と言わんばかりに。
「ど、どういうことですか」
「あなたは私と『同じ』よ。東御真君」
俺は本気で、彼女の言っている意味が分からなかった。
生徒会長は、そんな俺に追い打ちを掛けるように言葉を接ぐ。
「あなたは、広垣千彩都と出会うまで、彼女のことを知らなかったでしょう?」
「……はい」
正確に言えば、中川と須々木に教えてもらうまで、だが。
「そして、あなたの師匠筋にあたる、水方瑞恵。彼女が不良だったの、知ってる?」
「知ってます。……この前、知りました」
「実は彼女、私の『取引先』なの」
「……はい?」
あまりにも意外過ぎることを突きつけられて、俺は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「私の関係性『取引先』に、彼女の名前が載ってるわ。知らなかった?」
「ぜぜぜ、全然……」
「私がそれを知ったのは、昨年の冬のこと。本当にたまたま気づいたのよ、不良であるはずの瑞恵に、私以外のポジショニング登録者がいるって……、このことが、何を示しているか分かる?」
生徒会長は窺うように俺の顔を見る。俺は唾を飲み込んだ。夏はまだまだ遠いというのに、湧きでた背中を汗が伝っていく。
結局、生徒会長が何を言わんとしているのか、さっぱり分からなかった。
「……分かりません。どういうことですか」
そして、会長が教えてくれた答えは、俺の常識を簡単に覆してくれた。
「私達は、『不良』が見えないのよ」
「……不良が、見えない?」
「そう。そして、ポジショニングも見ることができない。枠組みを枠組みとしてしか、見ることができない、って言ってる意味分かる? 枠組みの内に名前があるのを見ただけじゃ、その中身を想像することができないの。全て、現実に即して物事を把握しようとしてしまう。あらゆるレッテルの透明化をしてしまう。『言葉』によるフィクションありきで、ものを感じることが出来ない。そういう病気なのよ。私と、あなたは」
「病気……」
「だから、私とあなたは、『不良』になることがないわ。どれだけ選択しようと、どれだけ選択の意図を問おうと、ね。確かに選んだり意図を問うことはあるけれど、そうして現れるシークエンスを、物語を、私達は見ることができない。後付のフィクションで物事を判断するのではなく、本当に、いま、目の前にあることでしか、現実を見ることが出来ない……そういう『病理』」
俺は愕然とした。そう、師匠のプロフィールを見れば、すぐに師匠が不良であることも分かったはずだし、生徒会長のポジショニングを見た時に、師匠の名前に気づけたはずなのだ。しかし、俺はポジションを「色」で判断していた。
欄の色が、白色か、そうでないか。
欄の中身を見る、という発想は持ち合わせていなかった。
そういう価値判断系の中で、物事を認識していくことが……俺の病気だというのか?
だから、そのことに気づいた生徒会長は、わざわざ『スクールパレッド』で俺にメッセージなんか送ってきたんだ。
そして、──俺と千彩都のいる屋上までやってきた。
「あの日、俺と千彩都に向けてあんなことを言ってきたのは……」
「あなたの反応を見たかったのよ。そしてあわよくば、広垣千彩都を社会に戻せないか、とね。結果は共倒れだったけれど、あなたは確かにこの社会の枠組みに囚われない行動をした」
会長はシニカルな笑みを浮かべる。「広垣千彩都が自ら不良を選ぶ理論は分かるわ。この社会に馴染めない弱い人達を郊外に追い出すことによって、私達は都市での繁栄を謳歌している。それに対する嫌悪。でも、そういう風に社会が成り立ってるなんて、私も知ってるわ。そして、だからこそ、『不良』を見ることのできない私達が、追い出されるべき『不良』を救わなければならない……それが、私達のこの社会での役割なのよ」
「……それが、役割……」
「そう。だから、あなたには内申点が消し飛んだ程度で、立ち止まってほしくはない。だから──」
ガタリ、と音を立てて、生徒会長は立ち上がった。二つに結った髪が揺れ、その毅然とした眼差しが、俺の目と同じ高さまでやってくる。
そして、審判を告げる審理のような声音で、高らかに宣言したのだった。
「──私は、あなたを次期生徒会長に推薦します」