6-6、俺のポジショニング
3周めが終わった。すぐに4周めが始まると思い耳をそばだてていたが、なかなか始めない。
妙に思って顔を上げると、千彩都が真剣な表情で画面を見つめていた。どうした、と声をかけようとして、慌てて口をつぐむ。まだ生放送は続いているから、声を入れるわけにはいかない。
と、そこでポケットに入れていたスマホが振動を始めた。俺は息を呑む。
今、俺のポケットに入っているのは、千彩都のスマホだ。
俺のものは、配信を始める前に廊下に置いてきた。人が近づくと、自動的に何らかのアクションを起こすアプリを起動させた状態で。それは師匠自作のアプリで、いつか俺のスマホに入れてくれたものだった。
俺はそのアプリを用いて、誰かがそのスマホの傍を通ったら、千彩都のスマホに電話をかけるように設定しておいた。千彩都のスマホに、こんな時間にかけてくる奴は居ないから(と、本人が言っていた)、まあ、まず誰かがあの廊下を通ったとみて間違いない。
誰も居ないはずなのに明かりのついた、この部屋を見に来るために。
まだ10分ほどしか配信をしていないが、こうなってしまった以上、続けることは不可能だ。
俺は急いで端末に走り寄り、画面に映らないように電源コードを引っこ抜いて、もう一度差す。初心者みたいにひどい電源の落とし方だが、悠長にシャットダウンしている暇はなかったので仕方がない。三十秒もしないうちに、誰かがこの部屋へやってくる。
「中止だ、誰か来る」
「……これだけうるさくすればね」
千彩都は取り乱した様子も見せずに言った。
やがて、遠くから足音が聞こえてきた。トツトツと、早歩き気味で近づいてくる。明らかに、目的地が決まっている歩き方だ。足音の主は確実に、この部屋へやってくる。
この部屋は地理的に、袋のネズミだ。唯一のルートからやって来られたら、外へ逃げるためには〆切られた非常口の戸を叩き壊して出るしか無い。
「どうするの」
千彩都が訊ねてくる。流石に、器物破損をするわけにいかない。
一応、危険を顧みなければ、ここは2階だから窓から飛び降りることも可能だ。
俺は窓を開けて、あらかじめ近くの机の脚に括りつけておいたカーテンを外に向かって垂らした。千彩都の方を向くと、嫌そうな顔をしていたので、
「これはフェイクだ」
安心させてやる。これを頼りに逃げようとしたところで、どのみち間に合わないだろう。
俺は急いでWebカメラとマイクを回収しながら、
「ここから逃げたと思わせて、隠れる」
「どこに?」
千彩都がぐるりと室内を見渡す。端末が並んでいる以外は、他の教室と大して変わりがない。パッと見た感じでは、昔ながらのロッカーなどには隠れられそうな感じがする。でも、相手がこちらの存在に感づいていないならともかく、気づかれている場合は真っ先にガサが入る場所だし、そもそも二人withアコギでは容量オーバーだ。
それよりも、もっと良いポイントが有る。
10秒後、戸が思い切り開かれると音と共に、威勢の良い声が飛び込んできた。
「こらぁ! 何してんだ! ……って、あれ」
警備員のようだった。誰も居ない部屋に面食らって、今見せた威勢の良さをすっかり失ったらしい。
それから、トツトツと、足音。
部屋の中を丹念に見まわっているようだった。
「……ええ? ホントかよ……」
そんな声が聞こえてくる。
恐らく、フェイクの窓に引っかかったのだろう。あそこから逃げ果せたのだと、素直に信じ込んでいるようだった。カーテンを引っ張り上げる音の後に、窓をピシャリと閉める音がする。
俺と千彩都は身を寄せ合って、その雑音を聞いていた。『スクールパレッド』のすぐ真横で。
──『昔、この端末室には幽霊が出るとかなんとかいう噂があったんだ』
師匠の初講義。あまりにもありふれた、学校の怪談にもならなさそうな シンプルな噂話。
幽霊ということはつまり、人影が出たり消えたりするのである。師匠はそのタネを教えてくれた。
「このサーバーで、『スクパレ』を運営してるんだけどね」
そう言いながら師匠は、壁みたいにでかいサーバーをペシペシと叩いた。知らない人が見たらそういう壁だと絶対に思うであろう大きさの筐の中で、『スクールパレッド』が管理されている。
「鍵が壊れてるみたいで、この筐簡単に開くんだ」
師匠が壁の一部に手を押し当てて力を込めると、ずるりと、筐体に穴ができあがった。
俺はその時にひどく驚いた記憶がある。
なんといったって、その筐体の中身がスッカスカだったからだ。中は縦長の本棚1つ分の機材があるだけで、他は全て空洞だった。
「他の学校のSNSはレンタルサーバーで運営してるらしいんだけど、頼塔は学校にサーバーを持つことをウリにしようと、サーバー用の大規模な筐体を大学から払い下げてもらって、ここに置いたんだって。ところが、思ったよりも機材が少なく済んだから、すごいスカスカになっちゃったらしい」
コンピューターが出来たばかりの頃は、少しの容量を確保するにも風呂桶みたいな大きさが必要だったのに、技術の発展に従って病的なまでの小型化に成功していった。今ではテラという単位はよく目にするが、近い将来はペタという単位が日常的になる風景もあるかもね、と師匠は言っていた。
しかも、学内向けのSNSなんて利用者が限られているもので、利用者はせいぜい1000人とかそこらだ、そこまで大規模な容量は必要ない。かなりの余裕を以って導入してみても、これだけのスペースで済んだらしい。
俺達は、そうして生まれた空間に身を潜めて、警備員が去るのを待っている。
筐体内は極端に寒かった。サーバーの排熱を抑える機構が筐体に備わっているのだが、空間がスカスカなせいで設定温度よりも随分冷えているようだった。
だから、俺達の身体は自然と寄り添い合っていた。
「ねえ」
千彩都が、沈黙に飽きた子どもみたいに耳元へ囁いてきた。「もし、この機材を壊したら、私とあなたの関係性を社会に証明するものは、何も無くなってしまう」
「そうなるな」
俺達のすぐ真横で稼働するサーバーには、『スクールパレッド』の全情報、即ち頼塔高校に所属する全生徒の全プロファイルが保存されている。それが無に帰すということは、この高校に息づく社会が死ぬことと同義だ。
「こんなものに、私達の社会って依存しているのね……」
千彩都は感情の捉えにくい調子で、そう言った。
「俺達も関係性もな」
「……本当に、そうだと思う?」
千彩都は、俺の手に触れてきた。おっかなびっくり、という風に指を絡めてくる。
その手は、とても熱かった。
「あなたは、ここに収められた情報だけで、私達の全てが記述されうると思う?」
俺はその温度に驚きつつも、しっかりと手を握り返して答える。
「……思わない」
「良かった」
千彩都は安堵したように、言った。
当たり前の話だ。
だからこそ、彼女の手は、これほどまで熱っぽい。俺達が「恋人」として成就したあの日に握った手は、冷たくも温かくもなかったのに。
ふいに、心臓が高鳴った。俺は、千彩都とずっとこんな風にしていたいと思った。誰の目にもつかないところで、ひっそりと、ただ二人きり、小声で話をする、そんな人生を──。
「誰も居ませんでした。盗まれた痕跡もありません──」
警備員がそんな報告をしながら、端末室を出て行った。しばらく様子見をして、戻ってこないことを確認すると、俺達はサーバーから這い出していく。
「やれやれ……、結局10分くらいしかできなかったな」
俺はさっきまで配信をしていた端末の前まで歩いて行った。それから、千彩都の方を振り返って、
「それで、どうだった? コメント数的に」
「釣れた」
「……え」
「一本釣り」
そう言って、千彩都は相好を崩した。それは俺が今まで見た千彩都の表情の中で、とびきりの可愛さを誇っていた。