6-4、俺のポジショニング
日曜の夜のファミレスは家族連れで混んでいた。4人がけのテーブルは尽くファミリーで埋まっていたので、俺と千彩都は、隅っこの2人がけのテーブルに案内される。
「あの人、不良だったの」
メニューを開きながら、千彩都が訊ねてくる。他でもない、師匠のことだ。
「らしい。俺は全然気づかなかったけど」
「つくづく、あなたって不良に対して鈍感ね。私のことも知らなかったって言うし」
「お前って有名だったのか」
「……自分で言うのもなんだけど、学年で私の事知らない人なんていないと思ってた」
そう言いながら、千彩都は注文ボタンを自然な動きで押した。あまりにも当然のように押すものだから、俺は愕然とする。
「おい! 俺まだ決めてないのに!」
「あ、ごめん。手癖が悪くって」
「手癖悪くてボタン押すんなら、会計までに何回店員呼び出すか分かったもんじゃないな」
「……もしかして迷ってるの?」
その千彩都の一言に、俺はメニューから顔を上げる。
「ん……? あ、ほんとだ。俺、迷ってる。いつもはさっさと決めるのにな」
「ご注文お伺いします~」
そこで店員がやってきたので、俺はちょうど目についたナポリタンを何食わぬ顔で注文する。千彩都は何の臆面もなく「ハンバーグ」と言って、「えっと……スタンダードハンバーグでよろしいですか?」と店員に困惑気味に訊き返されていた。
それから、彼女は店員が持ってきてくれた水に口をつけて、憂いを滲ませた表情で言った。
「あなたは私のせいで、意識的に『選択』するようになってしまった」
「そうみたいだな」
「やっぱり、もう私に関わらないほうがいい」
千彩都は、手の中のコップで揺れる水面を見つめながら、「兄探しは行き詰まった。これから先、闇雲に探し続けることもできるけど、その分、あなたは私にもっと深く関わることになってしまう。時が過ぎればいずれどんな形であれ、兄の消息を掴むことができるかもしれないけど、その時にあなたが不良になってないなんて、そんな保証はどこにもない。だから──」
「前にも言ったが、別に俺はお前を不良だとは思ってないぞ」
俺は千彩都の言葉を遮って、言う。「なのに、どうやって不良になる」
もちろん、千彩都も黙っていない。ムッとしたような視線を俺に向けると、すぐに反論すべく口を開く。
「でも、それはあなたの主観的な判断であって社会的には私は不良であって──」
ムキになってそんなことを言う千彩都を見ていたら、なんだかもどかしい気持ちになってきてしまった。そうじゃないんだよ、そういう話をしたくて、俺はそんなことを言ったんじゃないんだよ、と。
だから、俺は言ってしまった。
「分からないか。俺、お前のことが好きなんだよ」
今度は虚を突かれたように、千彩都は口を閉じた。びっくりしたように目を見開き、発言の意図を掴もうとするかのように、俺をじっと見つめ続ける。
それから、千彩都はちょっと間を置いてからおずおずと、
「何、突然……『恋人』なんだから、相手のことが好きで当然でしょう」
「そういうのに関係なく」
「関係なくって……どうして? だって、あなたは内申点のために、顔で私を選んだんでしょ?」
「それは切欠だよ。例えば、朝遅刻しそうで走っていたら曲がり角でぶつかったり、図書館で本を取ろうとしたら手が触れ合ったり、故障したエレベーターに二人きりで閉じ込められたり、そういう少女漫画みたいな出会いとそう変わらない、切欠」
「!」
千彩都は、露骨に驚きを見せた。「あの本棚の中……見たの」
あの本棚、とは、千彩都の部屋にあったピンク色の布がかかった本棚のことだ。
俺は正直に、頷いた。
「見た。あれ、本当に兄さんから、もらったのか?」
「う、うん……子どもの頃、だけど……」
恥ずかしそうに目を伏せて、千彩都は言う。
初めてのデートの日、ピンク色の布のかかった本棚の中身を、実のところ俺はばっちり見てしまっていた。で、その後、突然千彩都に声をかけられひどく驚いたせいで、そこに並んでいる本の題名もばっちりと覚えてしまっていた。気になった俺は、家に帰った後、データベースでその名前を調べてみた。
そして、それが一昔前の少女漫画であることを知った。ごく普通の少女の、ごく普通な恋を巡るお話。
その時、俺は千彩都がごくごく普通の少女であることを、改めて知ったのだ。
少女漫画みたいな恋愛に憧れる、一人の、少女であることを。
それを隠して孤高の不良を演じるため、あんな読みもしない難しめな本を散らかしておいた、彼女の本当の可愛さを知っているのは、俺しか居ない。
「最初は確かに内申点と顔だったよ。でも、今は別だ。いつの間にか、好きになってた。広垣千彩都という人を」
「……そんな……」
「だから、お前に興味を持つのは自明のことなんだ。もっと知りたいってさ。仮にそれで俺が不良になっても構わない、社会に貢献できなくても構わない、って思うようになったんだ」
俺がはっきりとそう思ったのは、例の生徒会長に警告をもらった時のことだが。
「お前にとって、兄さんがどんだけ大きな存在か、曲がりなりにもわかってるつもりだ。だから、お前の手助けがしたいんだよ。打算だけが動機じゃない。俺は本当にお前のことが好きでやってるんだ。俺を拒否するのは別に構わないが、それだけは分かっておいて欲しい──って、おいどうした」
「……え? あ……やだ……」
千彩都は慌てて目を手で抑えた。その手から逃れた涙が一筋、彼女の頬を伝っていく。それを必死で隠しながら上ずった声で、
「……もう、バカなんじゃないの、こんなところで、そんなこと言うなんて……」
「わ、悪い……」
俺が謝ると千彩都は首を振って、落ち込んだ声で言った。
「今まで『恋人』ごっこをしてたのは……私の方だったの……」
「……ずっと俺がごっこをしていると?」
「当然でしょ……会って一週間で告ってきた人を……信用できるはずがないでしょ……」
まあ、それはそうだ。俺はぐうの音も出ず、苦笑するしかない。
それでも彼女が俺の「告白」を受け入れたのは、憧れがあったんだろう。少女としての恋への、憧憬。不良と呼ばれるようになってしまった自分の身分では、叶えることのできない「恋人」としてのポジショニングを、ごっこ遊びでもいいから体験してみたかったんだろう。
──なんとも面倒くさい関係だ。俺と、彼女のポジションは。
「あの……失礼します」
そこで料理を持った店員が気を使うように現れて、俺達は慌てて居住まいを正した。店員はそさくさと料理を俺達の目の前に置くと、小さく頭を下げて去っていった。
「……いただきます」
なんとも言えない空気感の中、千彩都は小さくそう言って、ハンバーグにナイフを入れ始めた。俺もそれに倣ってフォークを手に取り、黙々と食事を始めた。
次に会話が生じたのは、千彩都がハンバーグをさっさと食べ終えてしまった時だった。
「あげる」
そう言って付け合せのブロッコリーだとか玉ねぎ、にんじんを押し付けてきた。
「野菜嫌いなのか?」
「……嫌い」
「子どもかよ」
「……そうかも」
やけにしおらしい態度だったので、単純な俺は素直に応じてそれらを平らげてやった。
俺の貢献によって、綺麗になったプレートを千彩都はじっと見つめて、
「うちの家族、みんな野菜嫌いだから、綺麗な食器をあんまり見たことないの」
「とんでもない家族だな」
「そう。うちの家族はとんでもない。他にも例えば、兄はJKが好きなの」
「え? JKって……女子高生?」
千彩都はこくりと頷く。
突然、兄の嗜好を暴露する妹。冗談でなく、本当にとんでもない。
「高校生の時に郊外へ行ったのも、都市のJKが見飽きて郊外のJKを見たかったから」
……なんとなく象徴的だと思っていたそのエピソードだったのに、その実態にはすごくしょうもない動機が潜んでいた。あまりのしょうもなさに、俺は呆然とする。
「ホントかよ……とんでもない兄貴だな……」
「別に、兄は優れた人間じゃない。基本的にダメ人間。だけど、たまに強いところを見せる。だから、好きだった」
「家族だから、ではなくて?」
「家族だから、っていうのは、ただの切欠。……そんなこと言ったら嫉妬する?」
「……微妙に」
なんと言ったらいいか分からず、曖昧にそう言ったら、妙にリアルな感想になってしまった。見つめてくる千彩都の視線がなんだかこそばゆく、とりあえずこの話題を終わらせるために、
「それで、兄さんがJK好きなのがどうしたんだよ」
「私、JKでしょ」
「間違いない」
「私を餌に、一本釣りする」
そう言って、千彩都がテーブルの上にごとりと置いたのは、黒っぽい人工の眼球のような物体と、棒状のメタリックな物体。俺はそれらに見覚えがあったが、こんなところでそれを見ることになるとは思いもよらなかった。
「──パクってきたのか、師匠の部屋から」
「うん」
それは、Webカメラとマイクだった。 Webカメラはともかく、そのマイクは師匠がネットラジオをやるのに使っていたものだ。毎週土曜日、俺と師匠があの暑くて寒い端末室で話していた時、ずっと筐体の横に転がっていた。
「私がやろうとしていることは、社会から強く反感を買う行為。だから、水方先輩を巻き込むわけにはいかないと思って、こっそり持ってきた。できれば、あなたも巻き込みたくない……けど、私はあまりこういうのに詳しくないの」
「……」
俺は、毎週土曜日、これを使って師匠がネットに配信しているのを見てきた。20歳の大学生を演じている未成年を、ずっと。
「だけど、これが唯一の方法かも知れない。兄に近づくための。だから……あなたに手伝って欲しい。こんなの、あなたにしか頼めない。本当は頼みたくないけど……あなたにしか頼めない」
この期に及んで、千彩都はまだ俺の事を案じている。だけど、俺がさっき本心を伝えてなかったら、手伝ってくれ、だなんて言ってこなかっただろう。
千彩都は、ようやく俺の事を信頼してくれたのだ。
「いいよ、やろうぜ」
俺は即答した。「ダメ兄貴を引っ張りだしてやろう」