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6-3、俺のポジショニング

 相変わらず女子の部屋とは思えない様相の部屋で、俺は千彩都が兄の部屋から帰ってくるのを待った。老婆心から、せめて散らばってる服くらいは畳んでおいてやろうと思ったが、何勝手に触ってるのと文句を言ってくるビジョンしか見えなかったので、大人しく出してくれた大福を頬張って待つ。

 大福を食べきって手持ち無沙汰なってしまったので、手元に落ちている本を拾って中身をめくってみた。「都市」と「郊外」についてを、並べて論じている社会学の本だった。

「その本、あんまり大したこと書いてないの」

 2ページほど読んで、飽きかけてきたところで千彩都が戻ってきた。俺は本を閉じて、さっき落ちていた位置に置く。

「だからほっぽり出してあるのか」

「そう」

「そして見られても恥ずかしくない」

「……あの本棚に入っているのは、兄からもらった本なの」

 俺と千彩都の視線の先には、例のピンク色の布がかかって中身の見えない本棚があった。あんまり見ていると、あの日の顛末を思い出して気恥ずかしくなってくるので、俺はすぐに千彩都の方に向き直る。

「それで、何かあった?」

「仕事用のパソコンはパスワードがかかってて開けなかった。持ってたスマホとタブレットは見当たらなくて、それに関する情報は、その、製品番号っていうのを含めてなんにも残ってなかった」

「そうか。えっとじゃあ……、何かお兄さんが使ってたサービスのこと、何か知らない?」

「サービス?」

 そう反問されて、俺自身もあまりそういうものについて知識がないことに気付く。

「例えば、SNSとか動画サイトとかオンラインゲームとか、そういうやつ」

「私、あんまりネットに詳しくなくて、よく知らない」

 というか、現代の高校生でネットに詳しい奴なんて居ない。師匠のような例外的な人がいるくらいだし、その師匠だって見て回っているのは過去のサイトばっかりだから、現在のネット世界について詳しくは知らないだろう。

「……早くも行き詰まった」

 と、失望を露わにする俺に対して、千彩都はあくまで冷静な様子で言った。

「でも、何かしらのサービスを使ってたのは間違いない。そうでなければ、あんな長時間端末をいじってられないと思う」

「ん、そんなに使ってたのか?」

「兄は成人してから、ネット中毒者になった。休みの日はほとんどパソコンに向かってた」

「……そんな中毒者なのに、お前は兄さんと、いつコミュニケーションを取ってたんだ」

「夜、ベランダに出て星を見てると、兄もやってきて色々喋ったりするの。それが、私達の過ごした時間のほとんどを占めてる」

「なんとまぁ、ロマンチックな」

 俺はそう呟きながら、スマホを取り出して『スクールパレッド』を立ち上げる。今の会話から、千彩都の兄に至るまでの手立てが、まだ残されているとわかったからだ。

 俺は自分のポジショニングから、「趣味同人」氷野啓のアカウントに飛び、メッセージ入力画面を開いた。

『突然すまん。お前の兄貴って、ネットにすごいハマってるんだよな。もしよかったら、「ネット中毒者なら、これは絶対にやってる!」ってサービスを、訊いてくれない? よろしく頼む』


 氷野から電話があったのは、その日の晩のことだった。

「もしもし、真、起きてる?」

「起きてる。ゲーセンで会ったぶりだな」

「そうだね。あれから広垣さんとゲーセン行ってるの?」

「いや、あんまり。ちょっとゴタゴタしててな。それで、訊いてくれたか?」

「うん。リストもらったから、読み上げていくね」

「分かった。ちょっと待って、メモ準備するから」

 俺はボールペンとメモ帳を引っ張り出してきて、氷野の声を待つ。

 氷野の兄は既に社会人となっていて、地元で公務員をしている。昔も今も安定志向といえば公務員だが、都市で公務員ともなるとその倍率は相当高い。筆記試験も難易度が高いので、ポジショニングによる内申点頼りの俺には、なかなか厳しい。

 で、成人となった氷野の兄は、大学生の時からネットにドハマりし、一週間に40時間はディスプレイを眺めるヘビーユーザーだったらしい。一時期、氷野がしきりに愚痴っていたのを覚えている。未だに仲が悪くて、訊いてくれなかったらどうしようかと思ったが、今は一応和解しているらしくて助かった。

「──まあ、こんなところかな、だって。それをひとつでもやってねえやつは、長時間ネットを眺めるなんて無理だって」

「なるほどな。すごい助かった、ありがと」

 メモ用紙に8つほど並んだサービス名を見ながら、俺は礼を言った。このサービスの中に、千彩都の兄の名前が無いか師匠に調べていってもらえば──。

「ねえ、それって、広垣さんのためにやってることなの?」

 氷野が突然に訊いてきた。俺は一瞬答えに窮したが、別に氷野に隠すことはないと思って、

「ああ、そうだけど」

「やっぱりそうなんだ。……僕さ、君たちのところのカップル、凄すぎると思うんだよね」

「なんだよ、いきなり」

「広垣さんは真のために音ゲー始めちゃうし、真は広垣さんのために……何かやってるみたいだし。まず、不良って呼ばれてる人が、誰かの恋人になっちゃうのも凄いと思うし、なんか……もう、全部凄いと思ってるんだ。ごめん、言葉が貧弱で何言ってんだ、って思うかもしれないけど」

「別に、凄くもなんともないと思うけど」

「僕にはそんなの出来る気がしないよ。真にはそういう才能があるんだと思う。……あのさ、僕、去この高校入ったばっかの時、この3年間のうちで絶対に不良になっちゃうと思ってたんだよね」

 俺はその告白に、思わず息を呑んだ。

「……そうなのか」

「うん。たまたま頼塔なんて高校に入れたのは良かったけど、正直に言ってついていける気がしなかったんだ。勉強的にも、人間的にも。そんな不安だった時に、話しかけてくれたのが真だったんだ」

 そうだ。去年、氷野とはクラスが一緒だったのだが、俺が一番最初に話しかけたのは、こいつだった。

「でも、お前に話しかけたのは、俺だけじゃないだろ」

「そうだけど……でも、あの時すごい安心したのを覚えてる。よくわかんないけど、それで自信がついたんだ。なんだかんだやっていけそうだ、って思えた。そしたら、いつの間にか音ゲーを勧められてあれよあれよとこんな感じに……」

「悪かったよ」

「別に責めてないよ。むしろ感謝してるんだ。だからさ、広垣さんのこと、そんな感じで守ってやってね」

「……言われなくても守ってやるさ。恋人なんだからな」

 それから、中間テストや定期的試験の話をしたあと、俺は氷野との電話を切った。そのまま、師匠のアカウントを開いてメッセージ入力画面を開く。

『以下の主要サービスに、登録している可能性が高いようです』

 氷野から教えてもらったサービスの名前を列挙していく。そして、最後にその名前を打ち込む。

『千彩都の兄さんの名前は、「広垣浩太」です。よろしくお願いします』


「広垣浩太は『ラフィングビデオ』と『スカイビューシネマ』、それから『HMMゲーム』でアカウントを取得してるみたい」

 師匠は大きな椅子に身体を沈め、頭にタオルを巻きつけて、コーラ味のアイスを左手で持って言った。その格好が通常運転のスタイルだ。その結果を聞いた千彩都が、神妙な表情で頷く。

 日曜日、俺と千彩都は師匠の部屋を訪ねていた。調査の結果を直接聞くためだ。千彩都がそう希望したのだった。ちなみに千彩都は、この部屋に入った瞬間、驚きを隠さず「生活感があるのに片付いてる……」と呟いていた。俺は別に片付いてるとは思わないが、通じ合うものがあるのだろうか。

 で、名前が挙げられた「ラフィングビデオ」、「スカイビューシネマ」、「HMMゲーム」、はそれぞれ動画投稿サイト、映画視聴サイト、ポータルゲームサイトだ。それらの中から、名前だけでアカウントを特定することができてしまうとは、まるで魔法のような手管だ。

「スゴイですね、どんな仕組みを使ったらそんなの分かるんですか?」

 なのでそう俺が訊ねると、師匠は笑って、

「普通に検索しただけだよ。例えば、ラフィングビデオ、スペース、広垣浩太、みたいな感じで」

「え……そんなんで出るんですか……」

「出るよ。今のネットは基本的に本名登録本名公開が原則だからね」

「なんだ……」

「で、こっからは自作のツール使って解析したんだけどさ」

「やっぱりスゴイ」

 師匠は画面上に、表計算ファイルに打ち込んだデータを表示させた。それはアクセス日時の記録のようだったが、師匠はその端っこの数字を指さして、

「ここが最新のアクセス日時。今年の2月26日なんだけど、千彩都ちゃん、お兄さんの失踪した日はいつ?」

「2月28日です」

 千彩都が即答する。二ヶ月と、少し前。千彩都はこの日付をずっと意識して過ごしてきたのだろう、そうでなければ正確な日付をぱっと言えるはずがない。

「っていうことは、どういうことか分かる?」

 そう言いながら、師匠は俺の方を見た。

 そんなの、嫌というほど分かる。

「千彩都の兄さんは、失踪した後に、このアカウントを使ってログインしてない。だから、これ以上解析しても現在の居所の情報は掴めない」

「そういうことになるね。失踪してから、ネット環境の無い場所にいるか、別のアカウントを他人の名義で取得したか」

「兄はネット無しではいられません。だから、恐らく別のアカウントを使ってるんだと思います」

 千彩都が確信に満ちた口調で言った。「……多分、アカウントから端末の情報が漏れて、居場所を特定されるのを避けるために」

 師匠はふぅ、と息を吐いて、一口アイスを頬張る。

「徹底してるね。まるで、千彩都ちゃんならネットを利用してでも自分を探しにくるだろうと、確信していたみたい。普通の人間なら、こんなの気が回らないよ。これ、食べる?」

「何か、他に探す手立てはありませんか? すいません、食べかけはちょっと……」

 また行き詰まってしまった。やんわりと師匠の食べかけアイスを拒否する千彩都を見やりながら、俺は見たこともない広垣浩太という男像に思いを馳せる。千彩都に、この社会を選ばせないほどの影響を与えたのだから、本人もきっと不良と呼ばれていたんだと思う。そして、ジャーナリストとしての仕事もうまくいっていなかった、その矢先の失踪。順当に考えると、「郊外」へ行ってしまったんじゃないかと考えるべきだ。高校生の時に、「郊外」へ行って送り返されたというエピソードも、この可能性をより濃厚にしている。

 ただ、仮にそうだとしたらせめて一報くらい、妹や両親にしてやるのが自然なんじゃないか。それも無いということは──一体、どういうことだ?

 いずれにせよ、もう手がかりは無くなってしまった。警察が捜索しても見つからなかったのなら、一介の学生が自分の脚で見つけられるはずもないだろう。

「他に探す手立てかあ……」

 師匠は冷凍庫から新しい棒アイスを取ってきて、千彩都に手渡しながらぼやいた。千彩都は、思案顔で受け取って、包装を破り、思ったよりも小さな口でアイスにかぶりつく。それをゆっくりと溶かすように咀嚼し飲み込んでから、静かに言った。

「兄はネット中毒者です。いかに行き先で困ったとしても、必ずネット環境だけは整えて、これらのサイトを巡回しているはずです」

「あ、そっかあ、なるほど」

 師匠はぽん、と手を打つ代わりに、千彩都の頭に手を置いた。千彩都は鬱陶しそうに、その手をしっしと払いのける。

 師匠は自分の手を邪険に扱われたのを気にすることなく、

「つまり、このサイト群のサービスを使ってお兄さんにメッセージを伝えることができれば、レスポンスを貰える可能性があるってことだね」

 そして、そのレスからアカウントを特定し、居場所を特定する、か。

 しかし、そんなことが可能なのだろうか。俺は手元のメモに目を落とした。

「動画サイトと映画視聴サイトと総合ゲームサイト……か」

「映画視聴サイトは無理ですね。映画の感想欄で、兄へのメッセージを書くことは可能なようですが、兄は同じ映画を一年以内に再び観ませんし、本当にどんなジャンルでも見境なく観るので、次を予想して先回りすることもできません」

 千彩都が滔々と言った。気持ち悪いくらい、兄の趣向を知悉している。彼女の言を信じるならば、「スカイビューシネマ」ではまず不可能だ。

「HMMゲームは、まずプレイヤー間のコミュニケーションがほとんど想定されていないゲームばかり置かれてるね。プロファイルの一言コメントで、メッセージを送信できないこともないけど、それがいろんな人の目につくほど高ランクになるには時間もお金もかかるし、だいたいお兄さんがやってるゲームを特定するのが難しい時点で、全く現実的じゃないや」

 師匠はがっかりしたように言う。「HMMゲーム」でもまず無理、と。

 すると残されたのは、「ラフィングビデオ」しかない。ユーザーが自由に動画を投稿し、リアルタイムに画面上を流れるコメントをつけることができる、老舗動画サイトだ。動画投稿サービスの他、生放送や画像イラストの投稿、アプリの配信、ブログ等のサービスが利用可能。3つのサービスの中で、こちらのメッセージを千彩都の兄の目につかせやすいのは、ダントツでこれだろう。

「でもさあ、そもそもの話、これだけ周到に自分の痕跡を消してる人が、千彩都ちゃんからのメッセージを見た程度で、レスポンスをするかなあ」

 師匠が椅子を揺らしながら言った。「実名のアカウントにログインしないようにしてるってことは、アカバレしたら自分の居場所がバレるって分かってるわけじゃん。それなのに、わざわざレスなんてしてくれるかなあ」

 本当にそもそもの話だった。

 俺達は三人して押し黙る。パソコンに起動音がうるさく感じるくらいの静寂が、部屋の中に満ちた。

 ──あっという間に、俺達のプロジェクトは座礁した。その後も、有効な打開策が出ることなく、今日のところはお開きになってしまった。

 部屋を出るとき、師匠は申し訳無さそうな顔をして、

「ごめんね、千彩都ちゃん……」

「いえ、気にしない下さい。アイス、ありがとうございました。お邪魔しました」

「うん、また来てね」

 そういえばこの二人、今日が初対面なのに、ずっと前から知り合いだったように接していた。見た限りでは俺よりも、千彩都の方が師匠の弟子というような感じがする。

 俺達は階段を下りて、帰路についた。空はすっかり暗くなっているが、西の空はまだ仄明るい。俺と千彩都は肩を並べて、静かな道を歩いて行く。

 なんとなくこのまま帰るのはもったいない気がした。

「腹、減ってない?」

 なので俺が何気なしに訊くと、千彩都は頷いた。

「うん。お腹すいた」

「何か食べたいのある?」

「ハンバーグ」


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