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6-1、俺のポジショニング

「そういうわけで知恵を貸してください」

 俺がそう言って頭を下げた相手は、結局超えることの叶わなかった師匠だった。

「……人の帰りを待ち伏せして、何かと思ったらそれかぁ」

 師匠の機嫌はすこぶる悪かった。とりあえず、俺を部屋に上げてくれたものの口数少なく、パソコンのスイッチをつけると、俺に一瞥もくれずに椅子に腰掛けた。そんな師匠の姿を見たのは初めてだったので、俺は当初の気勢を挫かれていた。

 時刻は23時半、もうとっくに高校生の出歩く時間ではない。親には「ブレーク仲間」の丹山と泊まりがけの勉強会を行っている、と伝えてある。丹山にも口裏は合わせてあるから、アリバイは大丈夫だ。


 屋上から立ち去った俺は、その足で真っ直ぐに師匠の家へと出かけた。

 師匠の家は技術屋だった。小売業はそこそこに、オフィスや施設や備品の設置やメンテナンスを主な業務として生計を立てている。師匠が機械周辺に興味を抱き、技術者となりたいと思うには十分な環境が、身近に整っていた。師匠の両親が一階の店舗兼事務所兼住居で暮らし、師匠は2階をまるまる与えられている。俺は両親に見つからぬよう、そっと2階に上がって呼び鈴を鳴らした。

 返事はなかった。留守だった。

 すぐさま俺は丹山に連絡、事情を伝えて、その日一晩のアリバイを確保した。こういうやりとりは「取引先」と行うイメージがあるが、須々木の役割ではない。月ニ回は朝帰りをするという丹山だからこそ、融通が必要なことを頼める。俺は彼に感謝しながら、母親へと偽造した予定を伝える。今日の夕飯はビーフシチューだったのに、残念。

 で、俺はずっと待ち続けた。もう師匠のことを頼るしか無い家出少年みたいに、ドアの前に座り込み、LED照明の遠慮ない明かりのもとで、待った。神の降臨を待ちわびる人達の気持ちが分かりかけてきた頃合いに、俺は予め買っておいたあんパンを食べて餓えを凌いだ。あんこの味を感じる度に、俺は千彩都とのキスを思い出すようになってしまった。なんというか、随分としょうもないことだけど、今はこの味が舌に沁みた。

「あんた、何してんの」

 師匠が帰ってきたのは23時を過ぎたくらいだった。だぼだぼのパーカーとジーンズを合わせただけの格好は、一見至極シンプルに見えるけど、普段家に居る時はTシャツにジャージかスウェットの師匠を見慣れていたせいで、気合を入れて選ばれた、よそ行きの格好に見えた。

「呼んでもいないのに、何でいんの」

 座り込んだ俺を見下ろして、師匠が問う。確かに俺は、師匠が呼ばない限り、師匠のもとへ赴くことは無かった。

 だから、機嫌が悪いんだろうと、最初は思っていた。無許可で勝手に師匠のもとを訪れたから、そのことが師匠の心証を悪くしたのだろうと、思ったのだ。


 俺と師匠の付き合いは、俺のポジショニング内では最も長い。もう一年ほどの関係になる。

 その日、俺は何故だか覚えていないが休日の学校に居た。確か土曜日だった。理由を覚えていないのは、本当に大したことのない野暮用だったからだろう。入学したばかりでこの学校のことを知らなかった俺は、この際詳しい位置関係を知っておこうと思い、その用事を済ませた後にぶらぶらと校内をさまよっていた。

 休みの日は、何かしらのイベントが近い有志のメンバーが居る以外に生徒はおらず、廊下は閑散としている。俺は適当に歩いては、行く手にある教室を順繰りに覗いていったが、どの教室も誰もおらず、鍵も掛かっていて扉が開くことはなかった。

 だから、端末室を覗きこんだ時、俺は固まってしまった。明かりがついていて、誰かが一人でパソコンに向き合っていたのだ。その状況もさることながら、やっていることの異様さも俺の興味を引いた。その人はマイクのついたヘッドホンを装着して、画面に向かって話していたのだ。ときたま笑い声を上げながら、何かを喋り続けている。画面越しに、誰かと会話をしているわけではなさそうだった。

 俺はじっとその様子を見守っていた。その人はやがて喋るのをやめるとヘッドホンを取り外し、今度は一転、静かに画面を見つめ始めた。つまらなさそうにマウスを動かし、たまに思い出したようにクリックしながら、黙々と。

 そして、ちらりとこちらを見た。きっと、先生か誰かが来ないか警戒していたのだろう。俺は心臓が飛び出るほど驚いて、すぐさま身を隠した。ひんやりとした廊下に座り込んで、バレなかったかとドキドキしながら身を固くする。

 が、気づかれていたようだった。少し間を空けて、ガラリと戸が開いた。

「……何だ、一年か。何してんの」

 それが、師匠との初対面だった。何で俺の学年が分かったのか一瞬わからず、パニくりかけたが、上履きの色で学年は判別できるのだと思い至る。俺は目の前にあった師匠の上履きを見ると、赤いラインが入っていた。三年生だ。

 随分と無愛想な対応だったけれども、必死だった俺はわぁわぁとまくし立てるように、正直なことを話した。あまり覚えていないが、たまたま通りかかった時に、何かしているのが見えて、何をしているのかなと気になってつい覗いていたんです、みたいな旨を言った気がする。

 すると、師匠の顔色が変わった。

「え、もしかして興味ある?」

「え? あ、まぁ、はい」

 師匠はきょとんとする俺を端末室へと引っ張り込み、戸を閉めて鍵をすると、使用中のパソコンまで連れて行った。当時、高校生となり、人生初めてのスマートデバイスを支給され、インターネットという未知の世界に慣れ途中であった俺には、そのディスプレに表示される世界はとても刺激的だった。

 基本的に、未成年のネット使用は制度上できないことになっていて、高校生になると、一人一台国からスマートフォンが支給され、それを用いてネットリテラシーを学んでいくのだが、その端末は基本的に学内SNS(うちの学校では『スクールパレッド』)と文科省の運営するデータベースへのアクセスしか出来ない。高校を卒業して成人として認められるとこの制限から解放されるが、多くの人はこの三年間で学んだリテラシーを元にネットを利用するので、結局変わらないようなネットワーク環境が構築される。つまり、リアルで人と会うのと変わらないようなコミュニケーション空間。利用者は漏れなく、実名を見えるところに貼り付けておかなくてはいけないサイバースペース。

 そういう制度があるお陰で、なんとなく「未成年がネットサーフィングをするのは悪いことだ」というような通念があり、ブラウザをインストールしてネットの海に漕ぎ出すことは、あまり堂々とするものではない。決して法律に触れるとか、誰かの迷惑になることではないのだけれど、暗黙の了解的に忌避される行為になっている。

 だから、師匠は誰もいない毎週土曜日の午前に、学校の端末室を借りて、こそこそとネットラジオの配信を行っていたのだ。一人で喋っていたのは、ラジオの収録だった。2010年代のネットラジオが好きで、自分もやりたいと思って始めたらしい。

 そして、それを終えると、ぼんやりとまとめサイトの巡回をしたり、プログラミングの勉強やソフトの練習等を時間一杯やる。大学生になった今でこそパソコンを与えられているものの、当時はまだ自分専用の端末を与えられていなかったから、学校の環境に頼らざるを得なかったのだという。

「君さ、興味が有るのなら、あたしが色々教えてあげようか? 勉強とかはもちろんだけど、端末のこととか、昔のネットのこととか、色々知ってるから──」

 年上の女の人に、「色々教えてあげようか」なんて言われて、断れる男子高校生なんていない。

 慣れない環境で、ようやく右と左が分かりかけてきた俺にとって、師匠はとても魅力的な人に見えた。年上だからこう言ってしまうのは何だが、やっぱり可愛かったのだ。

 そういうわけで、俺は犬のしっぽみたいに首を縦に振った。

 で、その日の講義は、師匠の基本的なプロフィールの紹介と、さっきまで何をやっていたかの説明(つまりネットラジオとかサイト巡回とか)、そして端末室についての概要だった。端末室は授業で使うほかに、将来コンピュータを用いた技術職に就きたい人のため、条件を満たせば個人でも使用が許される。で、師匠は他の生徒が絶対に来ない土曜日の午前に借りて、好き放題やっているのだという。

 パソコンの本体である筐体と、そこから伸びるケーブルの役割。ここにマウスを接続し、ここにキーボード、スピーカー、ヘッドホン、マイク、LANケーブル、モニタ、電源コードを──。個々の端末は、前方にある教員用のパソコンにつながっていてモニタリングができるようになっているが、電源を落としていれば見ることはできない。履歴を消せば、ネットサーフィングをしていることはバレっこない。部屋の隅にある大きな箱は、学内SNS『スクールパレッド』を管理しているサーバー。壁かと思うくらいめちゃくちゃでかい。

「昔、この端末室には幽霊が出るとかなんとかいう噂があったんだ」

 そして、師匠は椅子をぎこぎこ揺らしながら、得意気に言った。

「幽霊ですか」

「そう。そういう噂がね」

 それが、俺が初めて師匠に教えてもらったことだった。


「あたしは協力しないから」

 あれから一年。

 髪を金色に染めて、早くも生え際の黒色が見え始めた師匠は、床に座った俺に背を向けて言った。

 千彩都の兄の捜索に、知恵を貸して欲しい、という打診は、一発で跳ね除けられた。渋られるとは思っていたが、まさかそんな冷たい対応を取られるとは思っていなかったので、俺は少したじろいだ。

 けれど、そう簡単に引き下がるわけにはいかなかった。

「難しいのは分かってるんです……でも、千彩都のために、俺はどうしても──」

「うるさいな。協力しないって言ってるんだよ」

 師匠は低い声で不機嫌さを隠さずに言う。「あたしは警告したよ。生徒会長を敵に回すなって。あんたの話を聞く限り、あんたの彼女はありえないほど適切な対応をした。だから、あんたはその通りにしてりゃいいんだよ。これ以上かき回す必要はないと思うんだけどね」

「でも……そんなのフェアじゃないですよ。俺は千彩都に何もしてやってない──」

「何かしてやるつもりで『恋人』になったの? そんなの嘘だね。あんたは内申点目当てで告ったんでしょ。にも関わらず、相手が健気にもあんたの社会的出世のために協力してやるって言ってる。それに甘えるのがあんたのすべきことじゃないわけ?」

 確かに、そうかも知れない。けれどもそんなことは──、別に、今でなくてもできることじゃないか。

 でも、千彩都の兄のことは違う。千彩都が兄のことを諦める前にどうにかしなくちゃいけないことなんだ。

 俺はぐっと手を握りしめて、藁にも縋る思いで、言葉を紡いでいく。

「俺には見てみぬふりなんてできないんです。あの子のことを知ってしまった以上、俺は何としてでもあの子の兄貴を見つけなくちゃいけない。せめて、手がかりだけでも!」

 俺の言葉を聞いた師匠は、相変わらず憮然とした様子で眉をひそめて、

「あんた……可愛さと内申目当てに告った子に、どうしてそこまでするの。どうして、そこまでやろうとするの!」

 どうして?

 執拗なまでに絡みつく、「何故」と問う言葉。

「えっ」

 俺はその音の響きに、頭を強く殴られたような心地がした。

 ──なんてこった。その言葉が、師匠の口から出てくるなんて。

 俺はつんのめるように身を乗り出して、師匠に近づき、

「どうして、って……師匠……」

「……っ」 

 師匠はしまった、という風に口を手で抑えた。

『相手にその選択の意図を問う、他ならないその行為が、不良への第一歩なの』

 不良は誰かに、選択の理由を問うのだ。

 どうしてあなたは、そんなことをしたの? 何を考えて、あなたはそんなことを? ……故に、凋落する。

 自他共に認める不良の千彩都は、俺に問うた。どうして、私を選択したの。

 そして俺の師匠は、俺に問うてしまった。

 内申点目当てで「恋人」相手を助けるような『選択』を、どうして──。

「師匠……」

「うう……ずっと、隠してたのに……あたしの……バカ……」

 それはさっきまでの攻撃性とは打って変わった、ひどく震えていて、怯えるような声だった。「あんたにだけは……知られないようにって……」

 そして、師匠は泣き始めた。子どもみたいに。椅子の上で膝を抱えて。頼りない声を上げて。嗚咽を混じらせて。

 俺はおずおずと立ち上がって、そんな師匠に近づいていった。もともとひょろひょろだと思っていたけれど、今はそれ以上にその身体は小さく見えた。

 師匠は不良だった──いや、「不良」と呼ばれていたのだ。


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