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5-2、生徒会長の挨拶

 生徒会長は静かに千彩都を睨めつけると、肩で大きく息を吐いてから踵を返し、去っていった。

 俺と千彩都、二人だけがその場に残される。空は徐々に青さを失い、夕焼けに飲み込まれつつあった。時が静かに、夜へ飲み込まれていく。

「……危なかった」

 ぽつりと、千彩都が言って、俺の方を向いた。その瞳からはさっき見せていた敵意がすっかり抜け落ちている。あれだけの罵倒を食らった後なのに、どうしてこれだけ爽やかな表情を見せることができるんだろう。

 そして、安堵に満ちた眼差しで俺を見つめながら、千彩都は言うのだ。

「あなた、生徒会長に歯向かうつもりだったでしょう」

「っ……」

 ──図星だった。俺は歯噛みする。

 千彩都は全部をお見通しだ、と言わんばかりに、

「降参すると見せかけて、それでもやんわりと拒絶するつもりだったんでしょう。ダメだよ、生徒会長を敵に回すなんて」

「何で……分かった?」

 俺はすっかり参った様子を、演じきれていたはずだ。誰がどう見ても、生徒会長に屈服する寸前に見えたはずだ。

 それなのに、どうしてわかったんだ。どうして俺を庇うことができたんだ。

 千彩都は小さく息を吐き、ギターの和音を鳴らした。

「当然でしょう、恋人なんだから」

 そして、聞き慣れたあの曲を弾き始める。

 「ノーインサイド」。本当の、自分を、内側を、知りたい。兄が、鎮魂歌としてリクエストした曲。

 俺には会長が言っていたことの、半分も理解できなかった。確かに、崇高なことを言っていたのかも知れない、理想の社会の具体的な姿を語っていたのかも知れない。だから、素直に彼女の言うことに耳を貸していればよかったのかも知れない。そうしたら、俺もその理想の社会の一員となって、誰かのために貢献できたかも知れない。

 でも──、今更、恋人ごっこなんてできる筈もなかった。

『彼女に関心を持ってはダメよ、「恋人」らしいことをただ、淡々とこなしなさい』

 その命令を、唯々諾々と承けるわけにはいかなかったのだ。

 何故なら、俺はここに至って、自分の気持ちの正体に気づいてしまったから。俺はもっと、千彩都のことを知りたかったのだ。どんな子なのか、もっと深く知りたかったのだ。それをやめろと言われて、今更やめられるわけがない。

 「不良」とレッテルを貼り付けられ、周囲から白い目で見られ、たった独りで彷徨した挙句、生徒の代表に口汚く罵られた、広垣千彩都という女の子は、確かに「不良」かも知れない。

 だが、ただ、それだけだ。不良であるということだけだ。

 その「不良」という言葉は、なんにも、なんにも意味をしていない。

 広垣千彩都という魂に関して、ただの1ミリたりとも本質を突いていない。

 俺は知っている。広垣千彩都の汚い部屋を。大福が好きなことを。慕っている兄が行方不明なことを。見られたくない本棚に布を張っていることを。その手の温もりが俺と変わらないこと。キスをする時は顔を真赤にすることを。恋人の趣味を理解しようと、行動できることを。音ゲーを楽しそうにプレイできることを。

 そして、誰かを守るために、怒り狂う龍を前に身を挺す強さを持つことを。

 だから、俺は今猛烈に怒っている。安藤和奈に匹敵するくらい。あんな無責任な罵詈雑言を浴びせた、あの生徒会長に対して。何も知らない癖に。何も、何も知らない癖に。

 そして、何もできなかった自分自身に。知っていた癖に。知っていた癖に。どうして。

 俺は、怒っていた。

『どうしてこんなにこの人達は怒ってるんです?』

『怒ることが意味を持っていた時代だったからだよ』

 師匠。今の時代の、俺のこの怒りは意味のないものなんですか。俺にはとてもそうは思えない。

 別にこれはそんなに教養のない俺にでも、知っているようなことだ。「師は超えるために存在する」。俺は師匠を超えるために、この怒りに意味があることを証明したい。あの生徒会長を、見返してやりたい。「ごめんなさい」と言わせてやりたい。

「千彩都……、俺は今……悔しい」

 俺がそう言うと、千彩都は歌うのをやめ、ギターを弾く手も止めた。

「お前が……社会不適合者とか、小者だとか、そんなことを言われて──」

「前にも言ったと思うけど」

 だが、俺の言葉を遮ったその声は、とても鋭かった。どうせそんなことを言うんだろうと思った、とでもいう風に、呆れと怠さを滲ませた声だった。

「同情は無用よ。そんな感情のために、私は生きているわけじゃない」

 千彩都はその一言で、俺の怒りをすっぱりと拒絶してしまった。驚くほど呆気無く。呆れるほどに味気なく。行き場を失った怒りは、俺の中で求心力を失って四散していく。さっきまでの昂ぶりが、嘘のように消え失せてしまった。

 そして残ったのは、情けなさと、やるせなさだけ。

 俺は、いつの間にか震えだした口を使って、なんとか追いすがってみせる。

「……悔しく、無いのかよ」

「悔しかったら、どうするの」

「……見返してやりたいと、思わないのかよ……」

「見返してどうするの。見返して、満足して、何かが変わる?」

「でも、あんなこと言われてこのまま黙ってるなんて──」

「真、私はあなたに、そんなことを思って欲しくて庇ったわけじゃない」

 肩透かしを食らったような感覚に、俺は思わず息を呑む。俯きがちな千彩都の姿が、何だか得体のしれない何者かのように見えてきた。彼女から少しでも目を離したら、大きな怪物と化して俺に牙を向くんじゃないかと、無根拠な恐怖に包まれる。

 千彩都は言った。

「安藤和奈の言う通り、あなたはこの社会にきっと貢献できる人材。確かに、私を変えるだけの能力はなかったけれど、彼女に、この社会に欠かせないと言わしめるだけの、何かを持っている。私もそう思った。だから、あなたが安藤和奈に反旗を翻して、彼女から敵と見なされることは避けたかったの。それが、あなたのためと、思ったから」

「でも……お前は、俺の身体が社会のものじゃないって言って庇ってくれたじゃないか」

「それは安藤和奈を怒らせるためのブラフ。彼女の言う通り、今の社会はそういう意識を問題としないフェイズまで来ている。あなたは、あなたの将来のために私を必要としたけれど、あなたの夢見る将来は、どんな形をしているの?」

 俺の夢見た将来──それは、千彩都の家だった。あの典型的な中流階級の家庭を、俺は夢見ていた。

 良い大学に入り、良い企業に入り、良い生活を送ること。

 たった、それだけ。それ以上でも、以下でもない。

「それはそのまま、この社会への貢献を意味している。より良きを目指し活動することが社会の改善に繋がり、その改善が自分の生活の豊かさに繋がっていく。あなたの身体は、既に社会のものでもあなたのものでもない」

「じゃあ……誰のものなんだ」

「私は、その答えを持たない。でも、その答えを知りたい。だから、あなたを庇った」

 そこでようやく、千彩都は顔を上げて俺の顔を見た。「たった、それだけのこと。これが私なりの社会貢献なの。だから、あなたは安藤和奈の言う通り、私に興味を持つのはやめた方がいいと思う。私達は所詮、枠の中の恋人に過ぎないのだから」

 それだけ言うと、俺から顔を背けて再び歌い出した。

 「ノー・インサイド」。

 鎮魂歌への反逆。消えた兄を、呼び戻すための歌。

「……悪かった」

 俺はそれだけ告げると、屋上から立ち去るべく歩き始めた。

 曲は止まらない。哀切に満ちたコードとメロディが、俺の心へ直に流れこんでくるようだった。一歩一歩、千彩都から遠ざかっていくにつれて、その声は遠ざかっていく。

 俺が今、悔しいのは、千彩都に嘘を吐かれたことだった。敢えて生徒会長の逆鱗に触れてみせたかのように言って誤魔化していたが、それでも結果だけ見れば、千彩都は彼女にいいように懐柔されていたのだ。

 だって、私に興味を持つのはやめた方がいいと思う、だなんて、一時間前のお前が言ったハズがないだろう。

 お前は、誰かに話したがっていたはずだなんだ、自分がどういう気持でいるのかを。兄がいなくなって寂しいという気持ちを、誰かに打ち明けたかったはずなんだ。誰かに分かって欲しかったはずなんだ。そうでなければ、お前はこんなところで歌なんか歌ってないだろう。誰かに聞いて欲しくて歌ってるんだろう、その歌を。

 そして、お前は生徒会長に言われて、初めて気づいたんだろう。

 その欲望を叶えることは即ち、俺の将来を潰すことになるということに。

 選択の意図を問うことは、不良化に繋がる。俺はお前にお前の不良化の理由を訊ねてしまった。だから、お前は動揺した。そして、生徒会長の言葉をその反抗的な態度とは裏腹に、真摯に捉えてしまったんだ。お前は自分が自分のことを話してしまった故に、俺から俺の将来を取り上げてしまう事になるかもしれない、そのことを恐れたんだ。

 社会貢献なんて嘘っぱちだ。全部、俺のためなんだ。

 敢えて、その「選択」をした理由を問うたとしたら、千彩都は臆面もなくこんな風に言うだろう。

 ──恋人なら、相手の夢を一緒に見るのは、当然だから。

 そして、そのために臆面もなくあんな嘘を吐く。

『私に興味をもつのはやめた方がいい』 

 で、そんなことを言った直後に、歌い出したあの曲のタイトルは何だよ。

 「ノー・インサイド」。

 ──私の内側を知って。

 笑えてくる。矛盾しまくりだ。

 恋人だからという理由だけで、俺がああやって守られるのであれば、恋人だから俺がお前のために何かしてやることだって、許されるはずだ。むしろ、やるべきだ。そこに選択の余地なんてない。

 俺が社会に役立つ人間? 

 そりゃあ、ありがたいお言葉です、生徒会長。

 生徒会長様直々に言われてしまっては、あなたの言う通りに、俺が千彩都に興味を持つことをやめざるを得ないじゃないですか。俺は千彩都のことをもっと知りたかったけど、仕方がない。俺は社会の役に立つために、不良になってはならないんだから。

 でも──あなたの言うような不良って、一体どこに居るんですか?

 俺にはさっぱり分からない。皆が口々に噂し、白い視線を浴びせる「不良」って、一体誰のことなんだか、教えてほしい。

 俺は断言する。

 千彩都は「不良」なんかじゃない。俺達と同じ、人間だ。

 でも、百歩、いや億歩譲って彼女が「不良」だとしよう。彼女と付き合っていると俺が「不良」になる、というのも正しいとししよう。

 仮にそうだとしても……、やっぱり俺は、千彩都のために何かしてやらなくてはいけない。

 千彩都が自分のことを話せるのは、俺をおいて他にはいないんだ。「私」について語れる人間が、俺しか居ない。そのことが、問題なんだ。

 だから、本当の千彩都のことを知っている人を、増やすことぐらいしてやらなくちゃいけない。

 千彩都の兄を、見つけ出す。

 俺が千彩都にできる、最高のことだ。


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