4. プロローグ:馬車の中の少女
世の中にはいろいろな人がいるらしい。
今まで僕が知っている人間なんて、アルケー村の人か、行商に訪れる商人くらいだった。
農業をやっている人間は、基本的に働き者だ。
行商をやっている人間も、基本的に働き者だ。
なので、僕は目の前にいる少女が理解できなかった。
いや、心の奥底でこの少女を表現する言葉が浮かび上がってはいるんだけど。
「この馬車から出たくない。乗り心地最高―
出るの嫌。
めんどい。だるい。やりたくない。眠い。
あ、その本取って。
それと、ここからそこは、あたしの縄張り。
えと、喉が渇いたから飲み物取ってきてくれてもいいよ。
アンは、この本を読んで寝落ちするのに忙しいから。
この馬車の警備はアンがする。
だから、他は何もしないけど問題ないよね。
あと、これ、処分宜しく」
そう言って、僕に中身の入った尿瓶を渡そうとする少女。
僕は心の奥底から、いつもの様に引き出された言葉をつぶやいた。
「なに、この、引き籠り」
それは、僕が迎えの馬車に乗り込んでから、わずか5分の間に起きた出来事だった。
「隊長さん。あれは何ですか?」
「レ、レオ君、どうかしたかな。
いやあ、彼女は君と同じく御領主の御目にかなった人材。
君と同じくね。
だから、是非仲良くしてほしいと、自分は思うわけで、けっして世話を押し付けようなんて思ってはいないぞ」
「初対面の人間に、自分の尿を始末させようとするような女の子の世話を喜ぶような特殊性癖は無いです」
「ははは、レオ君は難しい言葉を知っているなあ。
だが、君達は長い付き合いになるわけだし、領都までの護送だけが任務の我々より、君が親しくなるほうが今後の為だろう」
「なるほど、今後の人付き合いの一環として、彼女に関わることが良いと。隊長さんは仰るのですね」
「いや、理解してくれて嬉しいよ」
「だが、断る」
「なにっ! 同じ年頃の娘がいる自分としては見るに堪えない少女を、自分に押し付ける気ではあるまいな!」
「見るに堪えないなら、大人として指導して上げてくださいっ」
「やったけど、無理だったんだ!」
「なんで、そこで諦めるんですかっ」
「・・・大人になるっていうのは、諦めることを受け入れる事なのだ」
「いえ、恰好つけたようで、全然恰好よくない台詞ですよ。それって。
負け犬が遠吠えどころか、不貞寝した寝言みたいですっ」」
「君は容赦ないな!」
よく兄達に言われる台詞を隊長さんからも聞いてしまった。
素直な感想を言っただけなのに、解せぬ。
世の中というものは不思議だなあ、と感慨にふけっている内に、隊長さんはさっさといなくなってしまった。
隊長さんが馬?に乗ると同時に、周りの兵士達も一斉に騎乗する。
軍馬として使われる馬は、成人男性の1.5倍の体高のある体躯と兎の様な耳が特徴的だ。
僕が最初に見た時は、かなり昔なんだけど、その時はでかいロバだと思った。
でも、ロバって言っても誰にも通じなかったけど。
いつもの意味不明な言葉扱いされたっけ。
周りが動き出したからには、僕も馬車に戻るしかない。
そして、馬車に戻ると先ほどの女の子と対面することになるわけで。
・・・覚悟を決めろ。覚悟は幸福だ。
そんな決意を秘めた僕が見たのは、既に寝落ちしていた女の子だった。
彼女が持っていた尿瓶が床に落ちそうになったので、反射的に拾い上げてそのまま背後に投げ捨てた。
馬車の外から、悲鳴が聞こえた気がしたけどきっと気のせいだ。
少なくとも僕のせいでは無いと思う。
こうして僕は、領主様のもとに向かう同僚らしい少女と出会った。
きっと、何十年たっても最低の出会いだったと思う事になるだろうな。
「へえ、そうなんですか。だからこの馬車はこんなに揺れないんですね」
「そうなのだよ。開発には結構苦労しているけど、さすが領主様のアイデアでね。
最初は半信半疑だったけど、今じゃ、開発局の主要課題の一つになってる。
試作試験は今回の実検証で最後だから、次は量産化なんだよ。
振動吸収用のバネを作るための材料と、車輪に巻く軟体樹液の入手がネックなんだけどねー」
僕は馬車の中では無く、御者席に座っている。
話相手は、御者をしている人。領館の開発局に所属している技術者だと言っていた。
今回僕達が使用している馬車は、最近開発された技術で作られた試作品らしい。
そこでは、領主様の指示で色々な物の開発研究を行っていて、今回はこの新型馬車の運用試験に参加して、実働データを収集しているそうだ。
開発主任のゴンさんは、実に楽しそうに色々と説明してくれた。
車軸の回転をスムーズにする軸受、ゴムの様な軟体物を巻いて衝撃を緩和する車輪、揺れによる振動を吸収するダンパーを装着した馬車は、今までの物と比べて半分の馬で運用することが可能になった上、乗り心地が大幅に改善されたそうだ。
「それにしても、レオ君は凄いな。
僕の説明をあっさり理解できるなんて。
兵士達《脳筋ども》は魔法の馬車だー、とかしか言わないし。
これは技術の成果で、馬車には魔法何て使ってないのにね」
「魔法を使っても同じようなことはできるの?」
「出来るけど、めちゃくちゃ高価。作るのも維持するのも」
「それじゃ、こっちの馬車の方が将来は安くなるんだ」
「その通り。いやあ、レオ君は判っているねえ。
魔法使いになんてならずに、将来は開発局においでよ」
開発局は楽しいよー というゴンさん。
こういう技術開発は好きな人は楽しいだろうなあ。
領主様に魔法使いの教育を受けるために召集されているけど、教育を受けても大した才能が無かったらそういう仕事も面白そうだ。
少なくとも、終わっている女の子の相手をするよりは、ずっと。
「だけど、乗り心地が良すぎるのも問題かもね」
「いや、それはあれが特別変なだけかと」
「だよねー。僕のせいにされても困るよね」
隊長さんは、ゴンさんにもアンを何とかしろと言ってきたらしい。
この馬車を用意した責任があるからとか言って。
どこまでアンを相手にしたくないのだろうか。この分隊の責任者だから自分でしっかりと対応してほしい。
勿論、僕を巻き込むのも無しでお願いしたい。
とはいっても、何時までも御者席にいるわけにもいかない。
僕とアンの寝床は馬車の中と指定されている。
座席を倒すと簡易的な寝台になる機能がついているからだ。
ちなみに、兵士さん達は行軍訓練中なので、地面に敷いた毛皮のような袋にくるまって寝ている。
技術者のゴンさんは簡易テントで寝床を確保している。
兵士さん達は大変そうだけど、ゴンさんの簡易テントは快適そうだ。
僕もそっちで眠らせてほしいけど、安全性を考慮して、子供は馬車の中で寝泊りすることになっている。
なので、どうしてもアンと顔を合すことは避けられない訳で。
もっとも、顔を合せるも何もアンは寝転がって本を読みつづけている。
本なんて、昔は最低でも一冊金貨1枚くらいしたらしい。
今では銀貨で買うことができるほどに値段は下がっている。
それでも日用品と比べると、遥かに高いけど。
本の値段が下がったのも、領主様が手掛けた活版印刷という技術の御蔭だと聞いたことがある。
本当に、領主様は凄い人だ。
あ、また思考が逸れた。
僕は、本当にこの少女と話すのが嫌なのかもしれない。
「アン、この本片付けてくれないと、僕の寝るところがないんだけど」
僕が声を掛けると、アンは驚いたようにこちらを向く。
「片付け・・・苦手。超苦手。
というわけで、宜しく!」
しゅたっと手を挙げて、にっこり笑うアン。
ぴきっ
「わかった。じゃあ、馬車の外に捨てておくから」
「それだけは、それだけは、ご勘弁を~」
「じゃあ、片付けて」
「宜しく!」
こいつ、殴ってもいいよね?
「いや、冗談だし。
拳を握りしめて振りかぶるのは止めてくれるとアンは嬉しい」
「なら、さっさと動いて」
「年端のいかぬ少女にベッドの上で動けとは・・・卑猥なのはよくないとアンは思う」
とりあえず僕は一発殴っておいた。軽くだけどね。
「うう、軽い冗談だったのに。レオは容赦がない。ひどい」
「よく言われるから、それ。ほら、さっさと動く」
「う・・・急に動いたら足の筋と肩の筋が」
「いつから、同じ姿勢で寝てた!」
急に動いたら寝違えていたのに気付いたらしい。
動かないのにもほどがある。
「馬車に乗った最初から?」
「筋金入りの引き籠り!」
「だって、知らない場所に知らない馬車で連れていかれるのだよ。
不安になるのも、しかたがないとあたしは思う」
「それは、判らないでもないけど」
「そう。不安になったら、自分の体臭のする寝床に閉じこもりたくなるのも当然。
だから、アンは何も悪くない。ああ、この匂いは落ち着く~」
そういや、この馬車の中は結構臭う。
臭いの発生源は、目の前の少女らしい。
「いつから風呂にはいってない。というか、うちの村で入ったんじゃないの?」
「大丈夫、風呂に入らなくても人は死なない。あと、最近、体を拭いた覚えもない」
「せめて、体ぐらい拭けっ」
「めんどい」
「いい加減にしろ。このアホが」
なぜ、僕はこんなに終わっている女の子の相手をしなければいけないのだろうか。
とりあえず濡れた布を貰ってきて、アンの顔面に叩きつけた。
そのまま強引に体を拭わせる。
なんか、絵面が酷い。
僕達の年齢がもう少し上だったら、完全にアウトだ。
「おお、体のかゆみがなくなった。凄い」
別に凄くは無と思う。ものすごく汚れた布はもう見たくないので、馬車の外に放り投げた。なんか、外から悲鳴が聞こえた気がしたけど、気のせいだろう。
「はいはい、凄い凄い。これからは小まめに自分でしてね」
「うん、レオがあたしの世話をしてくれれば素晴らしいということがアンには判った。
楽ができるって素晴らしい~」
こいつ、何も判ってない。
とりあえず、僕はもう一発殴っておいた。それくらいは許されるだろう。
きっと。