人称(視点)について
今回は人称について語りたいと思います。
人称ってなに?
なんて人もまだ多いとか多くないとか。
小説における人称とは物語の語り手(視点)を決める大事な事柄です。
人称は大きく分けて三つ。
【一人称】
一人称とは物語の登場人物が進行を勤める人称です。
僕、俺、私、あたし、うち、わし、などなど、多くの場合人物自らが物語の語り手を引き受けます。
『一人称のメリットデメリット』
○メリット
一人称は登場人物や世界に接近した位置につけることができ、尚且つ語り手の感情を描写することも出来るので、物語の味付けを幅広く選択することが出来ます。
●デメリット
一人称のデメリットは語り手が登場人物であり、しかも現在進行形で自分が体験していることしか語れないことです。
例えばどこか別のところで発生している事柄、あるいは自身が認識していない事柄について、語り手は絶対に語れません。
感情の投入で物語にいかようにも味付け出来る一人称ですが、しかし決して柔軟ではないのです。
【二人称】
二人称とは語り手というより『聞き手』になります。
君、お前、貴方、そちら、おい、ねえ、などなど、物語を語るのではなく直接読者に語り書けるようなものを二人称と呼びます。
あまりにも特殊な人称のため、これを使う方はかなり少ないです。形成出来る物語も限られちゃいますしね。
実のところわたしもあまり詳しく知らないので二人称のメリットデメリットは避けさせて頂きます。
【三人称】
俗に『神の視点』とも言いますね。
三人称は登場人物でも聞き手でもなく、物語とは関係ない第三者の視点です。言うなれば書き手の視点とでも言いましょうか。
しかしかくいう三人称にも実のところ様々な形式があり、決して上記がすべてではありません。
【三人称の視点】
●三人称(神の視点)
語り手は第三者ですが、登場する人物への感情や主観の代弁者となれ、時には読者に語りかけるような二人称になる書き方も出来るまさに神の視点。
●三人称(第三者の視点)
語り手は人物に一切の感情も主観も移入せず、ただ状況を淡々と語る視点。
●三人称(接近した視点)
語り手が固定の人物の感情や主観を代弁し、進行させる視点。一人称に近い三人称。
三人称を使う多くの小説はこれを使っているとかいないとか。
『人称についての私見』
よく『初心者は一人称を使って書いた方が良い』というお言葉を聞きます。確かに一人称は簡単な表現でも物語に色をつけて見せることが出来るので、初心者には使いやすい人称でしょう。
しかしわたしは初心者だからこそ三人称を使って物語を作ってみた方が良いと思うのです。
あくまで私見ですが、初心者が使う一人称ほど見るに耐えない文章はありません。
特に携帯小説サイトなど、利用者のほぼ十割が初心者の投稿作品で溢れかえっているような場所で閲覧する小説は、ほとんどが一人称で描かれています。
こちらのサイトのように毎日数百数千の小説があげられる大型サイトで、昨日今日小説を書き始めたばかりの雛にもなれぬ卵があげた一人称の小説に、他者との差別化が可能なほど魅力を感じれる何かを生むことが出来るでしょうか?
無理です。
才能とは経験を活かすことの出来る人間が持てるもの。誰もが始めは雑魚なのです。優れた能力を得るためには多くの時間を要すものです。
ですから初心者が他者との差別化をはかるためには時に棘を踏む覚悟もいるでしょう。
『初心者風一人称とプロ風三人称(あくまで風ですよお)』
○一人称
俺は太陽の光を覆うほど深く繁った森に足を踏み入れた。いやになるほど視界が悪い。しかも足場が抜かるんで最悪だ。
●三人称
○○(人物の名前)はその森に踏みいった。天道の光をも飲み込むほど深く繁った森。視界は極めて悪く、まさに一寸先は闇。湿気のせいか足場の土はぬかるみ、少し強く踏み込んだだけで足をとられる。
まあこんな例はないのですが、わたしがこのサイトで見る作品のほとんどは前者の文章っぽいものがほとんど。
作品としてどちらが良いとか悪いとかはないけれど、他者との差別化としてみれば三人称の方が良くない?
なあんてね!
ではまた次回。
三人称について一部修正。少し細かくしました。