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試される大地  作者: 石達
第2章 発展期
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回天4

最初の目的地へと到達したオスプレイは、さしたる妨害も無く北海道第二の都市、軍都旭川に降り立った。

着陸地点は科学技術復興機構。

そこは元々、旭川市科学館サイパルとして使用されていた建物であるが、今は転移前の世界の技術を保管する知識の殿堂となっている。

そして今、その建物内には高木の招集の求めに応じた理事の武田勤と第二師団の師団長が集まって要る筈であった。


高木は、オスプレイが着陸するや否や、拓也を含めた配下を引き連れて建物の中へと入っていくが、それとは別にオスプレイから降りた一団が高木らとは離れて旭川市街へと向かっていった。

拓也に手を振りながら別行動を取ったのは、拓也の嫁であり副社長のエレナをトップとする武装集団。

彼らは疎開してきた拓也の息子の武や、アコニーの子供らを確保しに行ったのだ。

旭川駅と科学技術復興機構は近い。

彼らは道行く車のドライバーに奇異の視線にさらされながらも、その道のりを一気に駆け抜け、程なくして駅についたのだった。


「さぁ 駅についたし、あの子達を探す……って、その必要は無かったわね」


駅で汽車が立ち往生している事もあり、駅前は汽車から降りた人や目的の汽車に乗れなかった人で溢れていたが、それでも駅前のロータリーの中で人混みとは若干離れて待機している彼らを見つけるのは容易かった。

4人で固まり迎えを待っている子供の姿(そのうち一人は成人のドワーフであるが)、彼らは非常に悪目立ちするエレナ達の集団を見つけると、自ら駆け寄ってきたのだ。


「ママァ!」


迎えに来た面々を見るなり、アコニーの娘であるソフィアがいの一番にアコニーに飛びつく。


「こら!まだ安心って決まった訳じゃないんだから。

飛びつくのは後にしなさい!」


緊張感の足りないと叱られつつも、そんなアコニーを気にもせず、満面の笑みを浮かべるソフィア。

やはり、子供は自分の親が迎えに来た事がうれしいのだ。

それは、他の二人も例外ではない。

ソフィアの双子の片割れヴォロージャも無言でアコニーの足に抱き付いているし、武も頭を撫でられながらエレナの到着に喜んでいる。

実に微笑ましくなる光景であった。


「よし、これで合流できたわけだけど、迎えを要請した内務省の方はどうなってるの?」


「合流予定時間は15分後です。

あと、私たちの他にも政府関係者で移動中だった方々が巻き込まれているみたいで、そちらの方も一緒に移動すると」


エレナの質問に素早く答えたヘルガは、ロータリーで待機している他の集団を指さした。

そこには、汽車が何時動くか分からない中、駅前に出てコンビニやビジネスホテルを探す一般旅客とは離れて待機している一団がいる。

日系に混じって大陸系の人間もチラホラと見えるスーツの集団。

数は20人弱と言ったところ。


「先ほど、ちょっと話をしたんですが、なんでも出張で稚内経由で礼文に行こうとしてた外務省やら何やらの職員さんらしいです。

出張費ケチられたらこうなったと笑ってました。

そんな大所帯の彼らと一緒なので、移動にはバスが手配されてるそうです」


「そう。

私たちも一緒に同行したいけど、いきなりこの人数が増えるのもね……

別の車がいるわね」


護衛として同行するにあたり、エレナは車をどうしたモノかと考えた。

状況の急変により急遽こちらへ回ってきたのだから仕方ないのでもあるが、まず間違いなく、内務省は自分たちが来ることを考えていない。

よって、迎えに来るバスにも十分な余裕はないものと考えた方がいいだろう。

そして、エレナと同じ結論に至ったのはアコニーも同じであった。


「じゃぁ 車を調達してくる」


アコニーは、そう言うと銃を片手に駅前の通りへと歩いていった。

そんな事、別にそんな事は大したことじゃないとばかりに良い笑顔を浮かべてアコニーはロータリーの車を物色し始めるが、それを見て悪い何かを感じ取ったヘルガは、強引に彼女の腕をつかんでそれを止めた。


「ちょっとアコニー!何するつもり?!」


「いや、非常時なんだし、こいつでチョチョッと……」


ちょちょっと銃で貸してと言えば済むと思ったのだろう。

確かに色々とユルい大陸では、ターゲットを追う時等、臨時に車両が必要になった時は多少無理くり徴発しても、後で金を渡せばそれで何とかなった。

だが、ここは北海道本国。

大陸などと言う野蛮な外地ではない。


「……絶対やめて。

大陸のノリで問題解決しないで。

内地である北海道でそんな事すれば、一発で犯罪者だから。

武装してると言っても、私たちは別にギャングでも盗賊でもないの。

ここは私に任せて」


余計な事はするな。

ヘルガの刺すような視線に、アコニーは思わず一歩後ずさる。


「あ……うん。いいけど……」


大陸で縦横無尽に活躍していたアコニーと違い、道内暮らしが長いヘルガに北海道での常識を問われると、彼女は何も反論できないのだ。

ヘルガはアコニーを納得させると、エレナに向き直る。


「ということで副社長。

ちょっと車を調達してきます」


そう言ってヘルガは、アコニーに絶対に問題を起こさないでよと釘を刺しつつ、夜の旭川の町へと消えていった。

後に残されたのは、呆然とそれを見送るアコニーとその他の面々。

彼らは只々ヘルガの消えていった方向を見ながら佇むだけであった。


「いっちゃった……」


「まぁいいわ。彼女に任せましょう」


エレナが思うに、穏便に何かを調達するなら常日頃から営業兼購買として銭勘定に特化して教育を受けたヘルガなら適役だ。

だが、エレナ達護衛の車両の調達をヘルガに任せたとしても、後に残されたエレナ達はヘルガが帰るまで手持ち沙汰だった。

どうしたものかとエレナが考えていると、そんな彼女の袖を武が引っ張る。


「おかーさん。

いきなりユジノクリリスクに行けとか、何があったの?」


武は不安げな顔でエレナに聞く。

彼らにしてみれば、普通に大陸生活をエンジョイして毎日楽しく暮らしていたのに、何故急に移動しなければならないのか理由が解らなかった。


「あー……

ちょっと、大人のゴタゴタがあってね。

あなたは心配しなくてもいいわ。

ちょっと国後に戻るだけだから」


そう言ってエレナは武の頭をなでる。

全ては大人のゴタゴタである。

余計な事を言って、子供に無駄な不安は与えたくない。

なので、今は大丈夫だと言って安心させる以上の言葉はかけなかった。


「ほんと?」


「本当よ。

この一軒が終わったら、またメリダに直ぐに戻れるわ。

そうね……今年のヨールカまでには収まってると思うわ。

それまで我慢して頂戴ね」


ヨールカ……ロシア式のクリスマス。

それは日本では正月の時期に行われるものだが、それまでには終わると何の根拠も無かったが、エレナは子供達を安心させるために言って聞かせた。


「うん。わかった」


「いい子ね」


エレナはそう言って武の頭を撫でた。





「……あら、どうやら丁度迎えが来た見たい」


見れば駅のロータリーには1台高機動車に先導された2台のバスが入ってくる。

バスは、駅に着くなり乗っていた職員が同乗予定者の点呼を取りながら彼らをバスに乗せ始めた。

まるで長距離バスの乗車案内のように人々の列はバスに消え、政府関係者が全員乗り終わると、エレナ達もバスの入口へと並んだ。


「石津製作所の方ですか?」


「ええ。

この子達をお願いします。

それと、同行者が一名いるんですが……」


職員の誰何に、エレナは答える。

子供は全員要るが、車を調達しに行ったヘルガの戻りを少々待ってほしい。

流石に内務省警察の護衛も有るとはいえ、子供だけ預けるのは不安なのだ。

エレナはヘルガに早く戻ってこいと祈るが、なかなかヘルガは姿を見せない。

そんな時だった。

乗り込もうとしていたバスの一つがガラリと開き、武の見知った人物が顔を出した。


「武くん!」


「あ!真紀ちゃん!」


元気な声で武を呼ぶのは、メリダで仲良くなった高木の姪である真紀だった。

武は窓の下まで駆け寄ると、笑顔を浮かべて真紀に聞く。


「どうして真紀ちゃんがここに?」


「それがよく解らないの。

家にいたら内務省警察の人が迎えに来て、あれよあれよという間にバスの中なの」


真紀はここに来た経緯を武に話した。

彼女の話によると、どうやら内務省は要人の関係者は今回の騒動の成否にかかわらず、一時的に危険な札幌から彼らを避難させる予定だったらしい。

バスには彼女の他にも要人の家族が乗っていて、移動中だったそのバスを旭川で立ち往生した政府関係者のピックアップに流用したそうだ。

まぁ、彼らにしてみたら一時的な避難の予定がそのまま札幌からの逃避行になってしまったが……


そんな彼女の話を一通り聞いていると、今度は1台のトラックが駅のロータリーに入ってきた。

運転席に座る見知った顔は、窓から手を振りながらこちらへ向かってくる。

それは車を調達しに行ったヘルガだった。


「副社長。

駅前のオリックヌでレンタカー借りてきましたよ。

返却は網走店でOKです」


「ドワーフがいすゞのエルフに乗ってきたわね……

冬にトラック移動って…… 他に無かったの?」


幌付のトラックであるため、吹きっ曝しではないが、荷台に乗るのは実に寒そうだ。

それが一目見たエレナの感想だった。


「大人数が乗れて緊急時に即応体制が取れるじゃないですか。

ミニバスだとそうは行きませんよ。

むしろ幌がついてるだけ儲けものだと思ってください」


「まぁ……それもそうね……

じゃぁ私が助手席に乗るから、誰か運転手をお願い。

残りは荷台ね」


「えぇ~」


エレナが指揮官権限で自分の席を指定したため、暖かい席の残りは運転席の1席のみ。

残りは荷台となると、皆から不満が漏れたのは当然の事で、免許を持つ者たちが狙う所はただ一つである。


雪もちらつき始めた寒空の下。

寒さは嫌だという一心を込めたジャンケンの声が、旭川の夜に木霊した。









それから2台のバスは先導の高機動車と後続のエレナ達の乗るトラックに挟まれるように移動を開始した。

旭川から網走までおよそ200km。

途中、峠を越える為、3時間少々はかかるであろう。

ここは旭川から道東へと抜けるルートの一つ。

石北峠を越える道だ。

本当なら遠軽を経由する高速道路を使いたかったが、非常時の為に現在は軍の戦闘車両以外は通行が規制されている。

本当は政府の関係と言うことで高速を使う選択肢もあったのだが、戦闘に巻き込まれては元も子もないと言うことで一般車両に紛れて行くことになった。

そう言う訳で、車列は層雲峡を抜け、峠への下道をひたすらに東進しているのだ。

明かりの疎らな郊外の道をゴトゴト、ゴトゴトと雪の轍にそってバスは進む。

色々あった一日の後に、心地よいバスのエンジン音。

出発から1時間もするうちに、バスの中は人々の寝息が響くだけとなった。


「みんな寝ちゃった」


バスの最後列。

子供達の占拠する座席でポツリと真紀は呟いた。

横を向けば、武、ソフィア、ヴォロージャと並んで寝息を立てている。

真紀と合流する前、彼らは止まった汽車の中で何時間も待っていたそうであるから疲労が溜まっているのだろう。

そんな彼らの寝顔を見ながら、彼女はため息交じりに呟いた。


「つまんないなー」


足をバタつかせながら彼女はそう呟いた。

皆寝ているので話をする相手もいない。

だが、先ほどから妙にドキドキして真紀は眠れずにいた。


「なら私とお話しする?」


ふと前の座席に見えていた頭が動いたかと思うと、一人の女性が微笑みながらこちらの座席を覗き込んで話しかけてきた。


「お姉さんは?」


「私はメディア。よろしくね」


「あ、はい。

真紀です。よろしく」


メディアと名乗る女性に真紀は姿勢を直して挨拶する。

美人ではあるが、明らかに日本人ではない外見のメディア。

そんな彼女に、真紀は何だか面白そうだと退屈しのぎに色々と聞いてみることにした。


「えーと、いろいろ質問していいですか?

お姉さんも政府の人ですよね。

名前からして、大陸のかたですか?」


「ええ、元はエルヴィスの魔術師。

でも、今は外務省で働いてるわ」


「魔術師……」


その言葉を聞いて、真紀は魔女のコスプレをした彼女を想像し、まじまじと彼女を見た。

メリダで魔法の実演を見て以来、彼女の中では魔法・魔術に対して憧れがあったのだ。


「えぇ。

この国には元々魔術の基礎がないから、外交官が魔術で洗脳されたりするのを対抗魔術で防いだりするのよ」


「へぇ、なんだか格好いい……

でも、そんなに凄い魔術が使えるなら、メディアさんは何で北海道に来たんです?」


「それは…… なんていうか、礼文騒乱の時に捕虜になってね。

その時に、色々と思う所があってこちらへ転職したの。」


「色々ですか。

それって聞いてもいいです?」


「別に構わないわよ。

と言っても、大切な人が紛争で怪我をして、彼を治療してもらう為にこちらに来たって簡単な理由よ」


「簡単って……

でも、国を捨てても治したいって事は恋人か何かですか?」


真紀は、それは一体どんなロマンスがあったのかと彼女は目を輝かせてメディアに聞いた。


「いえ、そんな関係じゃないわ。

あの人は父親みたいな人ね」


「父親ですか」


色恋話かと思いきや、真紀の声色はトーンダウンする。

だが、そんな真紀の様子を気にもせず、メディアは自分に語り掛けるかのように遠い目をしたまま語り続けた。


「まぁ その人も結局目を覚まさないまま昨年亡くなったけどね。

でも、ここまでどっぷりこの国に浸かったら、もうエルヴィスに戻るつもりはないわ。自分に出来ることで、この国に一生を捧げるつもりよ」


相手が既に他界したという話を聞いて、真紀は悪い事を聞いたと思い押し黙る。

正直な所、真紀はそんな思い話が来るとは思っても居なかった。

だが、真紀が押し黙ってしまってもメディアは相変わらず凛とした佇まいで微笑みかけている。

つらい過去が有ろうとも、現実をしっかりと受け止め、自分の信念に真っ直ぐ生きているメディア。

そんな彼女の姿を前にして、真紀はドクンと胸を打たれた。


「……お姉さんは強いですね」


それから一通りメディアの苦労話や、北海道と向こうの違いなどの話を聞いた後、真紀は静かにそう言った。

だが、そんな真紀の感想にもメディアは笑って首を横に振る。


「そんな事ないわ。

私の境遇は恵まれてる。

エルヴィスにいるかつての仲間たちに比べたら、ぬるま湯の生活よ」


メディアは真紀の言う強さを、異邦人として異国で暮らす苦労と捉え、真紀の言葉を否定した。

確かに、エルヴィスに残っている魔術師の知人などとは、北海道の出現以後に明暗がくっきり分かれた。

主に魔導具作りで生計を立てていた物は、精神に作用するもの以外の大半が北海道産の便利な道具に取って代わられた。

そこで、自らのスキルを北海道からの外資か合弁企業に身売りし、一介の労働者に転身出来た者は生き残るものが出来たが、それが出来ぬ者は極貧生活に落ちた。

そして、それは魔導具を制作していなかった他の魔術師も同じである。

軍や、民間企業に入ることが出来たものは生活レベルは以前より向上した。

だが、北海道産の道具類より役に立たないと判断された者は、資本主義の原理に則り、同じく極貧生活へと落ちた。

中には、どこぞの村で尊敬された女魔術師だった者が、借金を膨らませて娼婦にまで転落した者もいる。

そんな彼らに比べれば、早々に北海道から衣食住を保証された自分は楽な生活を送っている。

だが、真紀の言っている強さはそう言う事ではない。


「いえ、強いです。

私はお父さんとお母さんが死んでから、自立しようともせずに叔母さんに我儘言ってばっかりだったし」


大切な人を失う悲しみは解る。

だが、その後の歩みが自分とは目逆だ。

悲しみを乗り越え自立するメディアと、他者に依存してきた真紀。

真紀はメディアを見ながらこういう強い女性になりたいと思ってしまったのだ。


「あなた、ご両親を亡くしてたの……

ごめんなさいね。

私、知らなくてそんな話題振っちゃって。

あと、あなたくらいの年なら我儘言っても普通だと思うわよ」


「でも、あまり我儘ばっかり言う女って嫌われますよね?

私、前まで一人では何もできない癖にわがままばかり言ってて……

でも、この前、とある子と会ってから、せめて年下の前くらいでは頼れる人間になりたいなって思ったんです」


そう言って真紀は隣で寝息を立てる男の子方を見ながら、ため息をついた。


「そう。

貴方がそこまで思ってるんなら応援するわ。

でも、自分を変えるのは中々大変よね。

頑張って、……武くんだっけ?に、いいとこ見せなきゃね」


「いや!別にたけるの為とは言ってないし!」


「あはは。隠さなくてもさっきまでの態度見てれば分かるわよ」


「うぅ……」


真紀は顔を真っ赤にして俯いた。

だが、そんな真紀の方をメディアは優しくポンと叩く。


「別に恥ずかしがることはないわ。

良いじゃない。年下の彼が好きだって。

強い女は自分の想い位、照れずに飲み込むものよ」


「……はい」


真紀はメディアに茶化されつつも、顔を赤くしながらそう頷くことしかできなかった。










そんな前方を走るバスのホンワカした空気とは裏腹に、後続のトラックの荷台は極寒であった。

冬の峠越え。

まだ寒さはあまり厳しくない時期とは言え、それでも車外の気温は-10℃以下だろう

幌の荷台では、体感気温は更に厳しいに違いない。

古い映画を知るものなら、「神は我々を見離したか」とか叫んだり、雪の進軍を歌いだすだろう。

なにせ、荷台で震える彼らは、こんな事態を想定した装備ではないのだ。

ヘリで現れ、標的を確保したら、そそくさとヘリで離脱。

そんな作戦が、いつの間にやらトラックの荷台で冬の峠越えである。

ラッツのような武装ピーターラビットは、もふもふした毛皮の為に寒さもへっちゃらの様だが、他の中途半端な獣人や人族の社員達は一か所で丸まって暖を取っている。

エレナはそんな様子を暖かい助手席から眺めながら、本格的な冬季訓練が必要だなぁと考えていた。


「この程度の寒さで根を上げるなんて……まだまだ訓練が足りないかしら?

ホントだらしないわね。

私の実家なら冬は普通に-40℃位まで下がったわよ。

あんな腑抜けじゃ、シベリアで生きてはいけないわ」


エレナはため息を吐きながら視線をバックミラーから前方へと戻す。

その表情は、まだまだ訓練が足りなかったかと不満気だ。


「そうは言っても、色んな地域の人間が集まってますから。

昔はゴートルムから追われてきた難民だけでしたでしょうけど、今や社員には温暖なアーンドラ出身者やら色々な国が居ますからね。

私だってこちらに来て数年ですが、今も結構きついですよ」


そう言ってハンドルを握るのは元アーンドラ難民の人族の社員。

エレナは確かに多種多様な所帯だなぁと思いつつ、キツイと言う割には平然と運転を続ける男を見た。


「その割には余裕そうじゃない」


「そりゃ運転席には暖房もありますし」


そりゃそうか。

エレナは一人納得し、ヘッドライトに照らされる前方のバスに視線を戻した。

ゴトゴトゴトゴトとバスは走る。

夜の峠道は特に見るべきものも無く、実に暇だ。

そうして会話も無く時間だけが過ぎていると、ふとドライバーの男が有る事に気付いた。


「社長。

後ろが何か呼んでますよ」


エレナはそれを聞いて振り向くと、後ろの窓にべったりとアコニーが張り付いていた。


「副社長。

子供達、ちゃんと行儀よくしてますかね」


我が子の様子が気になるアコニーは、笑いながらエレナに話しかける。


「ここから見る限りじゃ、大人しくしてるようよ。

それより、気付かない内にウチの子は手を広げてたようだけど、あんたの娘もうかうかしてられないわね」


エレナはバスに乗る際に武に話しかけてきた女の子を思い出し、アコニーに娘の事を冗談めかしく言う。


「大統領の姪ですかぁ……

こりゃソフィアに発破かけないといけないかなぁ」


「まぁ、子供同士の事だし静観しましょう。

大丈夫よ。

うちの武に変なマネしてくれたら、大統領の姪だろうが容赦しないから」


「怖っわ……」


容赦しないその言葉を発する時のエレナの目つきを見て、アコニーは一歩後ずさる。

冗談の会話をしているつもりであったが、最後の目つきだけ冗談には見えなかったからだ。

だが、そんな中にあっても子供の話題は良い時間つぶしにはなった。

双方の子育て中の出来事や現状を面白おかしく、時に話を盛って語り、時間は過ぎていく。

それは今が非常時だと言うのを忘れるくらい平和な時間であった。


だが、それも何時までも続くものではなかった。

一通り笑いあい、次の話題を考え始める頃……東へ進む車列が石北峠を越えた辺りで変化は起きた。

予兆として伝わった空気の振動により、アコニーの猫耳がぴくぴくと動く。


「……ん? なにか聞こえませんか?」


アコニーは周囲を伺いながら耳をピクピクと動かして音源を探る。


「いや…… ラッツは?」


アコニーが何か聞こえると言っても、エレナには何も聞こえない。

猫科の獣人とベースが人族のエレナとでは可聴域が違うのだ。

そこで、更に聴力の優れる獣人であるラッツにエレナは聞いてみた。


「谷に反響してますが…… これは、ヘリのローター音です。

こっちに向かってきます」


流石と言うべきか、武装ピーターラビットは微かな音でも即座に判別して見せた。

だが、接近してくるものが分かっても、音だけでは解らない事が有る。


「味方だといいけど……

一応、みんな武器の点検よろしく」


接近してくるヘリは敵か味方か……

先導の高機動車は何も言ってこないが、それはただ単に彼らがヘリの接近に気づいていないだけかもしれない。

エレナは無線でその事を通告しようと思ったが、ヘリの接近速度がそれを無用とした。


「来た」


幌から顔を出して上空を伺っていたラッツが指差すのは、漆黒の闇に浮かぶライトの明かり。

それは崖の向こうからぬっと現れたかと思うと。

目を覆いたくなるような光量を車列に向け。

大音量で音声を放った。


『走行中の車列。直ちに停車しなさい!繰り返す、停車しなさい。

要人の身柄引き渡しを要求する』


「敵だったかぁ……

それも、ブラックホークがお出ましとはね……

それにしても、旭川を超えて敵が来るなんて、拓也とあのバカ年増は一体何してるのよ」


エレナはそう言いつつも小銃のスライドを引き、弾丸が装填されて居ることを確認する。

こうなれば選択肢はごく限られたものだからだ。


『大統領の親族を乗せた車両は直ちに停車せよ

なお、警告に従わない場合は発砲も許可されている』


ぎゃんぎゃんと上空から騒ぎ立てるヘリ。

だが、それでも車列は止まる気配を見せない。


「どうするんです?

あの娘だけが狙いなら引き渡したいですけど……」


「先導車次第だけどね……」


今の決定権は自分たちには無い。

出来ることなら自分たちの子供達だけ確保したいが、状況が状況だ。

エレナは先導する高機動車の回答を待つことにした。

……その時だった。

上空を飛ぶヘリの側面から、閃光と発砲音が響き渡り、先頭を走っていた高機動車が鉄を削る火花を上げる。


「副社長!!撃ってきた!」


「警告射撃すら無し!?」


突然のヘリの発砲に天井を撃ち抜かれた為か、高機動車は一発も応射することなく道路脇へと転落し、そのまま雪の中へと突っ込んでいった。


「高機動車がやられた!」


脱落した高機動車を横目に、車列はなおも道を進む。

だが、ヘリの射撃はそれっきりで更に射撃を加える様子は無かった。


『走行中の車列。直ちに停車しなさい!繰り返す――』


脅威と思われる車両を消し、尊大な態度で停車命令を繰り返すヘリ。

だが、車列は尚も止まらない。

エレナ達の前方を走るバスの運転手は、停車したくてたまらなかったかもしれないが、それを許さぬ車両がアクセルを踏めと無線で叫んでいるのだ。

車両の最後尾から空に銃口を向けて……


「全力射撃!!!

命に代えてもバスを守るよ!!」


エレナの号令が下った。

民間の普通のトラックに見えたソレは、幌を切り落とすと構えていた銃口を空に向けて放った。

漆黒の夜空に浮かぶサーチライトの光。

それに向かって数多の5.56mmの弾丸が吸い込まれていく。

着弾箇所が火花を上げ、機体のアルミを削り取る。

ヘリ側も、無関係の一般トラックかと思っていた車両からの突然の射撃に、吃驚したように進路を変え、上空から離脱する。


「引き上げていく?」


「後続の普通のトラックが武装しているなんて思わなかったんでしょ。

体勢を立て直してまた来るはずよ。

それにしても小火器じゃ駄目ね。

アコニー奥の手を出すわよ」


結構な数を当てた筈だが、やはり小銃でヘリを落とすのはキツイ。

そう思ったエレナは、助手席から荷台のアコニーに迷わず指示を出した。


「はぁい♪」


アコニーがずっと肩に担いできたバックを開ける。

その中には、スタイリッシュなマスケットの様な銃があった。


「こいつも久しぶりだなぁ」


「実戦での使用はサルカヴェロ脱出以来ね」


それは、サルカヴェロから脱出する際、地下の遺跡から持ち出した魔導兵器であった。

液化魔力を封入したパレットを射出するという装置。

着弾したパレットが割れ、中の液化魔力が漏れると大爆発を起こすという高威力火器だ。

装置自体は、政府に提出することなく石津製作所が秘かに保管していたのだが、これはソレに持ちやすいよう銃床をつけたのだ。

その威力は、小型ながらにして絶大。

今回は小火器だけでどうにもならなかった事態を想定して、一丁だけ持ってきたのだ。

アコニーはそれをバックから取り出すと、ローター音の聞こえる空に向けてしっかりと構えた。


「来た!2時方向」


誰よりも早く、聴覚で一番すぐれるラッツがヘリの正確な方角をアコニーに伝達する。


「……一発で撃ち落とす」


そう呟いたアコニーは、ドットサイトの光点をヘリに合わせる。

急速に接近するヘリ。

それに対し慎重に狙いをつけるアコニー。

どちらの武装も必殺の威力があるものだが、ヘリが発砲するよりも早く、先に必中の狙いを付けたアコニーが、迷うことなく引き金を引いた。

光を帯び銃口から飛び出る魔力の封じられた球体。

それはまるで、一直線に伸びる稲妻の様であった。

見る者の目に一筋の光跡を残し、狙い通りに目標に吸い込まれ大爆発を引き起こした。


「はぁ!!」


「やった!」


巨大な火球を発生させた爆発と共に、原型を留めぬほど変形し、火達磨となって墜落するヘリ。

車列に迫る脅威を消し去ったことは、だれの目にも明らかだった。

だが、襲い来る敵意は消せても、消えないものもある。


「あっ!でもヤバい……」


ヘリは火達磨になりつつも、慣性にのって車列の方に向かって落ちてきたのだ。

とっさの事にハンドルを切る各車。

だが、そこは冬の峠道。

アイスバーン上での急ハンドルにより、墜落したヘリを躱したと思われた一台のバス…… 武達を乗せたバスはスリップしたまま斜面側のガードレールを突き破った。


「ああぁあー!!バスが!」


斜面から転落するバスを見て、アコニーの絶叫が冬の峠に木霊する。


「武ぅ!!」


そしてそれはエレナも同じであった。

目の前で、自分の子供が乗るバスが事故を起こしたのである。

誰しもがロールしながら斜面を転がるバスを見て我が目を疑った。
















目が覚めた時、真紀が最初に感じたのは、頬に当たる冷たさだった。


「いたたた……」


真紀は腰を摩りつつ、ゆっくり上半身を持ち上げる。

周囲を見れば、所々に点在する燃える破片に照らされて折れた木々や何か大きなものがが転がったような雪の跡が目に入った。


「そうか……

バスが事故を起こしたんだ」


次第にハッキリしていく記憶。

ヘリの音や銃声が聞こえたと思ったら、目の前に大きな火の玉が現れて、バスが斜面から転落したのだ。

この雪の跡もバスが斜面を転がった後なのだろう。

自分は窓が割れた為に車外に放り出されたのだ。

それでも幸運な事に、外はパウダースノーの深雪。

雪に衝撃が吸収され、運よく真紀は無傷である。

だが、いくら無傷と言ってもこんな寒い場所にいつまでもいるわけにはいかない。

冷気は確実に体力を奪うのだ。


「バスは……

皆の所に合流しなくちゃ」


皆の場所はすぐわかる。

この雪の痕に沿って歩いていけば、バスにはたどり着くし、なにより真紀が歩きながら斜面の下を伺うと、目的のそれは簡単に見つかった。

降り積もる雪のカーテン越しに、300mほど先にヘッドライトをつけたままバスが横転しているのが見えたのだ。

真紀は体に付いた雪を払うと、バスが有ると思われる方向に向けて歩きだした。

雪がチラついているとはいえ、月明かりと燃えるヘリの残骸により、雪上は明るい。

雪上にはバスから脱落したと思われる部品や、誰かの荷物がポツポツと見て取れる。


「私の荷物も落ちちゃったかなぁ。

ゲーム機も入ってたんだけど……」


事故の直後だというのに、頭は酷く澄んでいる。

恐らく脳殻に伝わった加速度から、非常時を悟った自分の電脳殻が、落ち着かせるための化学物質を放っているのだ。

かつての自分が電脳化するきっかけになった事故の後、電脳にはそう言う機能もあると言うことを医者が説明していたのを真紀は思い出した。

その為、普段以上に落ち着いて、自分の荷物を心配するだけの冷静さが彼女にはあったのだ。

雪に足を取られつつ、雪上も見渡して一歩一歩真紀は進む。

そうしてしばらく歩いた後、真紀は雪上に転がるあるものに気が付いた。


「あれ?」


雪に埋もれる黒い物体。

最初は何か分からなかったが、近づく度にそれはあるものだと確信する。


「人!?」


間違いない。

真紀と同じように車外に放り出された人間だろう。

だが、その人物は頭から血を流し、首をあらぬ方向に向けてピクリとも動かなかった。

恐らくは車外に飛び出した際に障害物にぶつかったか何かしたのだろう。

真紀は目の前に転がる人の死体を見て思わず口を押えた。


「死んでる……」


真紀は怖くなった。

電脳化した脳殻から化学物質が放たれ続けている為、失神すると言うことは無いが、それでも恐怖は抑えきれなかった。

真紀は必死でバスの方へ向かって走った。

雪に足を取られつつも、恐怖に駆られて必死に走る。

前方に見える横転したバスのヘッドライトを目指して一目散に。

そうしてようやくの思いで50m程移動したころ、闇になれてきた目にあるものが映った。

目の前に横たわる黒い影。

それは間違いなく人型であった。

真紀は、これ以上人が死んでいるのは見たくなかった。

だが、生きていたら助けなければならない。

真紀は恐る恐る近寄り、横たわっていた人影を仰向けにし、驚きに目を見開いた。


「え…… 武くん?」


その目に映った人物は、先程まで自分の横に座っていた少年だった。

彼は抱き上げられると苦しそうに呻くが、目を開く様子は無い。

真紀は、彼に怪我は無いかと彼の体を見回し、雪と彼を抱いていた自分の手に黒い染みが広がっているのに気が付いた。

真紀はその染みを手に取り、その染みの正体を理解する。


「血が…… このままじゃ死んじゃう」


それは武の血であった。

明かりが足りない為、真紅の血液は黒い染みに見えていたのだ。

そして、その染みは今もドンドン広がっている。


「誰か!た、助けて!」


真紀は力の限りバスに向けて叫ぶが、その声は段々と時間と共に強くなる雪に吸収され、いくら叫んでも全ての音量はゼロとなり消えた。


「どうすれば……

彼を抱えては歩けないし…… 一人で助けを求めに行っても、そもそも病院に行かなきゃ……」


打つ手がなかった。

このままでは彼は死んでしまう。

真紀は幼い頭でそれだけは理解したが、しかして、どうすれば彼を助けられるのか解らなかった。

彼女の顔が絶望に染まる……そんな時だった。


『……あ……なた……聞こ……え……』


倒れている武のどこかからか細い声が聞こえる。


「誰?」


真紀は必死で武の上着をまさぐった。

そして、それはすぐに武の携帯端末からの声だと言うことに気が付いた。


『よかった。あなたは無事ね。

ところで他の子達は無事?』


端末を手に取ると、画面には前にメリダに行ったとき同じようにモニター越しに見た一人の女性。カノエの姿が映っている。

真紀はこれで連絡が取れると、泣きじゃぐりながら画面のカノエに訴えた。


「武くんが!武くんが死んじゃう!!」


脳殻から放たれる化学物質では抑えきれぬほど、高まった感情で真紀は叫ぶ。


『落ち着いて。まず、彼の容態をよく見せて』


真紀は涙をぬぐいながら、彼女に言われるがままに武の上着をめくり、出血している部位を彼女に見せる。


『……これは良くないわね。早急に治療しないと命に係わるわ』


「そんな!」


カノエに見せたことで、一瞬、これで助かるかもと思った真紀に対し、カノエの一言はそんな希望を打ち砕いた。


『これは止血をした程度じゃ駄目ね。

血の色的に肝臓にダメージが有る』


「どうにかならないの?!!」


ヒステリックに真紀は叫ぶが、画面の中のカノエは目を伏せて顔を振った。


『手術道具も無いここじゃ無理よ』


「でも……目の前でみすみす死なせちゃうの?!いやよ!折角の友達なのに!!」


真紀は必死に懇願しながら画面の中のカノエを見た。

その目からは大粒の涙が溢れ、鼻水まで出ているが、そんな些細な事は彼女は気にしなかった。

彼女にとって、今頼れる人間はカノエの他に居ない。

彼女も必死なのだ。

そんな真紀から懇願を受けた後だった。

しばしの沈黙の後、カノエは慎重に口を開いた。


『手は無い事は無いわ』


「じゃぁそれをやってよ!!」


『いいけど、貴方にも相応の代価が必要になるわよ』


「なんでもするから!お願い!彼を助けて!」


今は対価など気にしている余裕は無い。

目の前の命を救う…… それで真紀の思考は一杯だった。


『貴方……電脳化してるのよね。

今から私の記憶を制限したコピー人格をあなたの電脳と融合させるわ。

そうすれば貴方は私の知る救命手段の知識と技が手に入る。

……でも、あなたはあなたでいられなくなるけどいい?』


「わたしでなくなる?」


急に融合だのなんだのと言われても、真紀にはそれが何だか理解が及ばなかった。

だが、カノエは真紀に対して淡々と説明を続ける。


『私は自分の人格のコピーを作成するだけで影響はないけど、貴方は二つの人格が混ざるんだもの。

今までと同じには行かないわ。

でも、過去の例からすると主導権は取れるかもね。

それでもいい?』


自分が自分で無くなる恐怖。

真紀はそれを聞いて一歩引くが、それでも自らの足元で今も赤い血を流している武の姿を見て口を真一文字に結んだ。


「……やる」


『ホントに?』


「混ざるだけで消え去る訳じゃないんでしょ?

それで友達が助かるなら……」


『わかったわ。

……あなた、すごく良い子ね。

普通はとても勇気のいることだと思うけれど……

でも、そんなこと言っている時間も無いわね。

早速始めるわよ』







……


…………


………………




カノエが始めると言った後、真紀の意識は暗闇に浮かんでいた。


「ここは……」


真っ暗な空間。

熱量を全く感じない空間に浮かんでいても、不思議と寒さは感じない。


「ここは私たちの意識の中」


声がした。

だが姿は見えない。

だが、その声の主がカノエであり、見えなくとも彼女が非常に近い距離にいることは真紀には分かった。


「これから私の複製体と融合するわ。

……覚悟はいい」


「……うん」


そう言って真紀は頷く。

正直いって彼女は人格融合についてどういうものかは深く理解をしていないのかもしれない。

だが、今は消えようとしている命を助ける為、彼女の決意に揺らぎは無かった。


「始めるわ」


その言葉と共に、真紀の中に様々な記憶が流れ込む。

まるで風を受けるように、カノエが経験した様々な記憶を真紀は一身に受け止めた。

それは、まるで他人の人生を追体験するかのような事であり、異星起源の種族であるカノエの知識の全てが、ハッキリとした記憶として真紀の中に刻み込まれていくのだった。







……真紀に流れ込んだ記憶の内、最初の記憶は何万年も前に遡る。

どこか遠くの星で、真っ黒なゲジゲジのような知生体が、生き残りをかけて他の星系へと飛び立った話だ。

元々の星の環境が悪化したため、一か八かの賭けに出たゲジゲジは2隻の船で地球圏に来たらしい。

そして当時、数光年まで接近していたこの星まで何十年もの月日をかけてたどり着いたそうだ。

それが数万年も前の話。

そんな真紀が今見ている記憶は、その当時のゲジゲジの記憶がカノエまで代々継承されてきたものらしい。

彼女の種族が持つ記憶を継承する能力によるものらしいが、こんなゲジゲジがどうやったらカノエまで姿が変わるのかとも真紀は思ったが、その疑問は次から次へと流れ込む記憶で解決していった。

この星系にたどり着いた2隻の恒星船は、環境の安定していた第三惑星と第四惑星に降りた。

軌道上からの観測では地表に文明等は無く、この地で繁栄出来ると彼らは思ったのだが、そんな彼らの夢は出だしから躓くことなる。


始まりは第四惑星に降り立った仲間との通信が途絶えた事だった。

機器の不調を疑い、対策がゲジゲジの中で話し合われる中、今の世の中でイグニスと呼ばれる存在が動き出したのだ。

イグニスは原理不明のエネルギーと技を使い、何もない所に眷属を無尽蔵に出現させ、ゲジゲジに襲い掛かったのだ。

突然の急襲に大混乱に陥ったが、それでもゲジゲジは恒星間移動の技術を持ち合わせる種族。

南半球のとある大陸に巨大な人工物の存在を確認すると、反撃に打って出た。

だが、大陸全土を不毛の地に変えた攻撃もイグニスには通用しなかった。

多少の機能不全をイグニスに与えたようではあったが、その代償として恒星船は破壊され、ゲジゲジたちは地下に潜った。

それから数万年はひたすら耐える日々だった。

地下でイグニスの謎の力を研究し、時々新技術を開発するたびにイグニスに挑むも、虫のように駆除される日々が続いた。

転機があったのは3千年近く前だ。

イグニスが、人間をこの星に召喚し始めたのである。

ゲジゲジ達には到底不可能な時空間を操作する技を使い、どこからともなくイグニスは人間たちをこの星に送り込んだ。

そして、それと同時に、イグニスは生命を創造し、召喚した人間たちとは微妙に異なる種族を世界に撒き始めた。

それから千年。

世界に人が溢れ、繁栄する中で転機は訪れた。

第四惑星に漂着した同胞が、彼らも彼の惑星で同じような境遇に遭っていたが、そんな逆境の中でも不断の努力で技術を鍛え上げ、イグニスの技に干渉したのだ。

今では不毛の荒野と化している南方大陸に、イグニスが起こした時空のひずみを利用して第四惑星とこの第三惑星を繋ぐ回廊を築いたのだ。

それからはイグニス教の教えにもある通りの大戦争であった。

最終的に同胞たちは敗れ、この星で繁栄こそできなかったが、それでも数万年ぶりに接触した仲間からは有益な情報がもたらされた。

この星の他にもイグニスと同種の存在はいること。

環境に順応すれば攻撃してこないこと。

そして一番重要なのがイグニスの技に干渉する技術である。

カノエたちの一族は得られた情報を基に切磋琢磨した。

敗れた同胞たちは、彼らの脳にして最強の個体がイグニスとの戦いで活動を停止したことにより、今でも微かに繋がる回廊から湧き出る獣の様になってしまったが、それに代わるようにカノエたち一族の進化は進んだ。

イグニスの攻撃…… 戦争後はそ眷属であるエルフの攻撃から身を守る為、ゲジゲジの様であった姿形を限りなく人間に近づけ、生殖可能なほど彼らに似せた。

そして、イグニスの技に干渉する技術を鍛え、イグニスの操る力を借りて魔法のように使いこなして見せた。

そうしてカノエの一族は繁栄する。

地下のトビリシ遺跡を見つけ、サルカヴェロを支配し、帝国を築くがエルフの手によってあっけなく崩壊。

最終的に最後の一人となったカノエが各地を彷徨いつつも北海道まで流れ着いた様子が自分の記憶のように真紀に流れ込む。


それは膨大な記憶が大河のように流れ込んできたようであったが。

全てを受け入れてみれば、それはもともと自分の記憶であったかのような感覚であった。

真紀はそんな不思議な感覚の中、いつの間にやら閉じていた瞼をうっすらと開けた。


「…………」


恐らく目を瞑っていたのは瞬きほどの時間だろう。

目の前に横たわる武に変化は無い。

覚醒した真紀は、誰に何を指示される訳でもなく武の傷口に手を当て、その能力を十二分に発揮した。

生身の大脳を経由してイグニスの力に干渉する技術。

それを用いて魔法を言われる力を使って見せたのだ。

即座に修復される武の傷口。

更には服についた血や、破れた衣類まで完璧に元通りに修復されていく。

数秒後、真紀は、一切の無駄な動きを見せずに治療を終えて見せた。


「これで治ったわ」


抑揚無く作業の終了を告げる真紀。

だがその表情には、嬉しさも悲しさも何もなかった。


『おめでとう。

そして気分はどう?』


「今はごちゃごちゃしてるけど……

貴方の事、今はよく理解できるわ。

助けられた拓也さんへの恩返しに、彼の息子を助ける為、自己の複製体を私にくれたのね」


『色々と理解が早くてうれしいわ。

まぁ一部とはいえ、私の記憶と技能を持った複製人格を融合させたんですもの。

当然よね』


「えぇ

今の私は貴方の記憶を受け継いでいるもの。

でも、それも完全じゃなかったわね」


『それは仕方ないわ。

オリジナルだけで秘匿しなければならない情報もあるもの』


「この魔法……

イグニスの力を使っていることは分かったけど、まるでクラウドみたいなのね。

脳を経由して接続し、無尽蔵な力を引き出す……だけど、各個に特別な力は要らず、必要なのは精神力とい名の集中力のみ」


『でも、その力を使うアクセスキーを不正作出するのに私の一族は膨大な犠牲を払ったのは見たでしょう。

故にイグニスに繋がるアクセスキーは、オリジナルである私が管理するわ。

肉体を手に入れるためとは言え、人格融合は不測の事態が予想されるし、いつ暴走しないとも限らない…… というか既に仲間の一部は暴走してるけども……

だから貴方も他の仲間と同じように基幹情報は封印し、削除した。

私以外が勝手に力をつかえないようにね』


「それでもいいわ。

他の仲間は利用法すら封印したのでしょう?

貴方のアクセスキーは、治療完了と共に私の脳内から消されてしまったからもう使えないけど、利用法に関する知識は残してあるし」


『それはオリジナルである私の目的と、貴方の願いが重なるところがあったからよ。

ならば分かるでしょう?

今、私たちのやらなきゃならない事が』


「そうね。

私のやることは……

タケルと一緒に道東へは行かない。

今の追跡してきている部隊の目的は私だし、敵の元へ行って時間を稼ぐ。

彼らとしては、私を大統領への人質に使えると思ってるんでしょうから、別に殺されることは無いし……

何より、向こうでやらねばならないことが出来た」


『そう。

でも、行くなら早くした方がいいわ。

エレナが貴方達を探して近くまで来ているし、彼女に捕まったら単独行動なんて出来ないでしょ?

私の複製人格と融合したとは言え、身体は子供なんだし。

それに、私たちがここでまごついている間に追跡部隊以外の動きも活発になっている。

特に何者かの発破工作によって、上川国道と旭川紋別自動車道が雪崩で通行止めになった事で、紋別方面に向かおうとしていた部隊が全部こちらへ向かってきてるわ。

貴方が捕まれば追跡部隊はこれ以上追ってはこないけど、後続の通常部隊は止まらない。

前方からは国後から来た戦車隊が向かって来てるし、後続部隊に追い抜かれ、戦闘が始まれば危険すぎて抜けられない……東進のしようが無くなるわ』


「そう……

色々と時間がないのね。

じゃぁ 私はもう行くわ。

はるか叔母さんたちには、人質は気にするなと言っておいて」


そう言って真紀は雪の中へと駈け出した。

斜面を登り、峠へと向かっていった。

そして後には真紀の足跡と静寂だけが雪に残されたが、それと入れ替わるように雪の中から声が聞こえてくる。


「タケルゥ~!!!」


力の限り、喉が潰れんばかりの声量でエレナが叫ぶ。

我が子を探す必死の叫び、そして、それに応える様に雪上に置かれたカノエの端末はピカピカと光を放ち、その場所を伝えた。


『エレナ!こっちよ!』


雪の中に輝くカラフルな光。

それに導かれるように、エレナは光と声のする方へ駆け寄った。


「カノエ? あぁ!武!!」


エレナは武を見つけると、全身の力を込めて武の体を抱きしめた。

だが、気を失った武は母親に抱擁されてもその眼を覚まさない。


「武!!どうしたの!?ど、どこか怪我は……」


目を覚まさない我が子にエレナは武の身体を弄って異常を確認する。


『大丈夫。気を失ってるだけで無事よ』


「そ、そうなの……

良かった……本当に……」


エレナはカノエの言葉に胸を撫で下ろした。

それはまるで傍から見ていると魂の抜けたかのようであったが、エレナは直ぐに武を抱えて立ち上がると、カノエの端末を拾って歩き出した。

いつまでも安堵の気持ちに浸っている訳にはいかない。

我が子を確実に救うためにも、今必要とされるのは迅速な移動だと彼女も承知しているのだ。


「転落したバスはもっと下の斜面で止まってたわ。

政府関係者に少し死傷者が出てたけど、うちの人間は全員無事よ。

あぁ…… 武。 本当に良かった」


『エレナ。

喜んでいるところ悪いんだけど、敵の追跡部隊が来るわ。

早く逃げないと』


「……距離は?」


『あと10㎞程……

先ほど大統領の姪御さんが、皆が脱出する時間を稼ぎに来た道を戻っていたわ』


「なんですって?

あんな子供が?」


エレナは予想外なカノエの言葉に思わず立ち止まって聞き返した。


『非常時が色々と人間を成長させたのよ。

それより、早く負傷者を収容して東に向かいましょう。

今から追っても遅いし、何より彼女の決意が無駄になるわ。』


今から追っても遅いと言うのはカノエの嘘だ。

精神面でずっと強くなっとは言え、真紀の体は子供そのもの、エレナ達が本気を出せば追い付けない事は無い。

だが、それでは真紀の行動が無駄になる為、カノエはあえて嘘をついた。

そして、それはエレナに対し有効だった。

感情的には幼い少女一人を犠牲にすることは憚られるが、それでも今から追っても無理だというカノエの言葉と、何より優先しなければならない背中の我が子の事を考えれば、答えは一つだった。


「……そうね。

あの子には悪いけど、我が子を救うために利用させてもらうわ」


そうしてエレナは、再びその歩を進めた。

事故現場に戻ると、何人かの死傷者は出ていたものの大半はもう一台のバスに移乗済みであった。

荒事専門の部下たちはこういうケースにも慣れていたのが幸いした。


『エレナ。

真紀が分かれる前に死体を一つ発見していたわ。

これで全員の生死が確認が取れた筈よ。

情報によると、敵もかなりの戦力で東進しているわ。

こんなバスで戦車戦に巻き込まれたくなければ、急いで移動しましょう』


カノエは、自身が表示されていた画面に戦闘が予想される予想日時を映し出す。

エレナはそれを見て、一瞬眉を顰めるも、次の瞬間には笑って言った。


「そう。

じゃぁ北見に入るまでは必死に逃げましょうか。

……でも、逃げるばっかりじゃ脳がないわ。

追ってくる敵の顔面に思いっきり殴りつけないと気が済まない。

サーシャに連絡して。

製造部と拓也が趣味でコソコソ作ってたのが有るでしょう?

それをもって迎えに来させなさい」


『……知ってたの』


「男共が女相手に隠し事なんて100年早いわ」


そう言ってエレナはこの場にいない夫の顔を思い浮かべてニヤリと笑う。

降り積もる雪の中、バスのヘッドライトに浮かび上がるエレナの横顔は、不安も迷いも一切なく、ただ美しかった。

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