東方世界8
サルカヴェロとグルジア正教という驚きの事実が発覚後
エルダリ司令とツィリコ大佐は、正教会と言う意外すぎる共通点を見出し、最初の接触は成功に終わったかに思われた。
北海道連邦内の非日本人コミュニティとして他勢力と繋がりが欲しかった所に現れた、信仰と言う繋がり。
どういう経緯でこちらに伝播したのかは分からないが、カトリックでもプロテスタントでもない正教会である。
それは、連邦内に居る非日本人を合計すると過半を超えてるとはいえないロシア人が、これからも影響力を持ち続ける事が出来る重要な要素だった。
詳しい教義の違いは両国の教会の人間で確認してもらわねばならないが、これをキッカケとすれば相互理解も促進されるだろう。
そのような事を考えながら、司令と更に少々の談笑を交わした後、互いに握手を交わして宿泊予定の船へと戻ろうとするツィリコ大佐。
この成果は、一刻も早くステパーシンに報告せねばならない。
だが、そんな上機嫌な彼の前に立ちはだかる影が一つ。
ポニーテールに束ねたブラウンの髪に、肩にかけられた黄土色の軍用コート。
鬼気迫る表情をしたエレナが、小銃を手に大佐の進路を塞いでいた。
「大佐…… 何かお忘れじゃありません?」
ニッコリと笑うエレナが、ツィリコ大佐に問いかける。
護衛と言う任務上、依頼主の様子は常に監視している。
詰まる所、大佐が中でしていた会話は全てインカム越しにエレナに筒抜けであった。
無線に魔法的な効果は乗らないため、エルダリ司令の言葉は分からなかったが、ツィリコ大佐の言葉にある単語が全く出てこなかった事に対しエレナは怒っていた。
「ん? 忘れ物は無いぞ。
帽子もちゃんと被っている」
「そうじゃなく!!
ウ・チ・の・旦・那!!!」
エレナにそこまで言われて、大佐もポンと手を叩いた。
実際の所、いろいろと驚きの連続があった為に、優先度の低い事項はうっかり忘れていた。
恐らくは、鬼気迫る表情で彼女に言われなかったら、夜、寝る前にふと思い出すとかそんなレベルだったであろう。
「いや、それはだね。
……別に忘れていたわけじゃないぞ?
これから話をするだけだ。
色々と君の夫には国後で頑張ってもらっている。
忘れるわけが無いじゃないか」
大佐は乾いた笑いをしながら、一度出て来た道をそそくさと戻る。
そんな彼の背中に鋭い視線が突き刺さるが、彼はそんな視線から逃げるようにエルダリ司令の居る部屋へと戻っていった。
出て行った相手がすぐさま戻ってきたのを見て、司令は大佐に何事かと尋ねるが、大佐から用件を聞くなり「そんな事か」とすぐに了承してくれたのだった。
「なるほど、あの異民族の男は大佐の国の人間だったか。
彼は、我が国の重要犯罪人と一緒に居たため逮捕したのだが、これからの貴国との関係を考えて丁重に扱ったほうがいいかもしれないな。
現在、彼は帝都へ移送中だが、取調べが住み次第こちらへ戻すように書状を書こう。
書状を帝都へ報告に行く早馬と一緒に持たせれば、帝都到着前には追いつくだろうから安心していてくれ」
「ご協力感謝する」
大佐の要請に、迅速に対応すると約束するエルダリ司令。
だが、大佐は今回の事の顛末について全てを理解しているわけではなかった。
上に報告されている情報では、逮捕された"邦人"は一人。
元難民であるアコニーやカノエは、邦人としてカウントされていない。
その上、司令の言う重要犯罪人が拓也達の仲間であるとは思いもしていなかった。
しかし、そんな事とは露とも知らず、大佐はエレナに対し全て大丈夫だと説明する。
大佐に拓也の安否の太鼓判を押されるだろうエレナ。
そんな彼女に出来る事は、拓也の無事を信じ、ただ待つことだけである。
「……ホント、しっかりしてよぅ」
空を見上げながら、この空の下のどこかに居る拓也の心配をするエレナ。
何かとトラブルの尽きない夫を思つつ、彼女は船に戻ろうとする大佐の後を続くのであった。
一方その頃、帝都へ向けて移送中だった拓也達の待遇は劣悪を極めていた。
ガタガタ揺れる馬車の乗り心地は最悪であり、ずっと檻の中にカンズメである。
特にすることも無く暇な上、ゆっくり出来るほど乗り心地も良くない。
そんな乗り物に乗せられた拓也達4人のストレスは着実に高まっていく。
だが、バトゥーミで待つエレナから心配される拓也より、もっと精神が擦り切れ始めているのが一匹いた。
目の下にクマを作り、不機嫌な顔で座っているアコニーである。
檻の中に入れられて以来、彼女に心が休まる暇は無かった。
昼間は昼間でタマリにおちょくられ、激怒と宥められるパターンを何度か繰り返し、アコニーのイライラは蓄積されていった。
そしているうちに夜になり、やっと休めるかと思いきや、彼女の願いは木っ端微塵に砕かれる。
ニノ、タマリ、アコニー、拓也の順で馬車に横になっていたのだが、馬車の御者である小人族の兵士とニノの二人が、馬車の端でヨロシクやっているのである。
コレには彼女は参った。
兵士からサルカヴェロの説明を受ける際に、何やらニノ達が変な話をしていたのは覚えていたが、まさか本当におっぱじめるとは思っても見なかった。
ただ煩いだけなら注意すれば良いが、こういった事にあまり慣れていないアコニーは、顔を真っ赤にするばかりで声に出して注意が出来ない。
アコニーは堪らず拓也に助け舟を頼もうと彼の方を見るが、日頃の戦闘訓練のお陰で眠りの浅いアコニーとは違い
寝つきの良い拓也は、ニノがコトを始めるより先に早々と夢の世界に旅立っていた。
馬車の反対側では他の兵士に気付かれぬ様、押し殺した妙な声やら水音がしているのに全く気づいていない。
アコニーは拓也は役に立たないと諦め、反対側へ振り向くと、今度は呼吸が荒いタマリと目があった。
じーっとアコニーの方を見るタマリ。
どうにも目付きが尋常じゃない。
一度アコニーと視線が会うと、その後、彼女は舐めるようにアコニーの全身を見る。
そして視線をアコニーの顔に戻し、ニコッと笑うタマリであったが、アコニーはそんな彼女の視線に悪寒を感じ、最終的に彼女は狸寝入りをする事に決めた。
出来るだけ何も考えないようにし、ニノ達の行為が終わるのをじっと耐える。
顔を真っ赤にしながら長い長い時間を耐える。
やがて、それも終わりが来て、ようやくアコニーが寝付けたのは夜半をかなり過ぎての事だった。
だが、彼女の苦労はそれで終わりではない。
ようやく寝れたと思ったのも束の間、夢の中にて腹部に圧迫感と胸に違和感を感じる。
そんな変な感覚の中、アコニーは寝続ける事が出来ない。
半ば強制的に目が覚めてしまった。
だが、そのタイミングが最悪であった。
目を開けた瞬間、何故か自分に馬乗りになっているタマリから、胸から顔にかけて謎の液体をぶっ掛けられた。
最初はそれが何か分からなかったアコニーだが、茫然自失としながら自身に何が起きたか悟った時、凄まじい勢いで彼女はタマリに向かって行った
アコニーは激怒した。
騒ぎを聞きつけて、周りの兵士が集まってくるくらい彼女は激怒した。
そんな彼女に対して、スッキリした顔のタマリが言った「なかなか良かったよ」という全く悪びれる事のない一言は、アコニーを更に激上させた。
最終的に一人騒いでいるアコニーが兵士達にボコられて騒ぎは収まったが、一方的な被害者であるアコニーの精神は擦り切れようとしていた。
「うぅ…… 早く、助けて……」
アコニーは、毛皮がカピカピのまま馬車の片隅で膝を抱えて一人泣く。
「まぁ その…… 元気出せよ。
今後は奴等が変な事をしでかさないよう見張っててやるからさ」
しくしくと泣くアコニーに対し、拓也は肩をポンと叩いて慰める。
だが、アコニーはそんな事では安心できなかった。
エレナの存在がある為、こっちに手を出してこないのは良いが、直ぐ横であんな事があったのに全く意に介さずに爆睡していた拓也。
彼のあまりの寝つきの良さに、アコニーは拓也には夜の見張りなど無理だと確信していた。
それに、一連のニノの行為やタマリのセクハラについて、静かにしないと魔導具のネックレス(と言う設定のエレ○バンだが)を作動させるぞと拓也に脅して貰ったが、その効果は疑問だった。
彼女ら曰く「ちょっと、イタズラした程度で殺されちゃ命がいくらあってもたりない」
だの
「そんな小さな事で奥の手を使っちゃうのかい?」
と舐めた様子である。
彼らの言い分は、別に本気で害を及ぼそうとしていないのだから大目に見ろとのコトだった。
その上、「今ここであたいらを殺したら、周りのサルカヴェロ兵があんたらを如何するかね?」と鼻で笑ってくる始末。
拓也達の優位性は、奥の手(の設定)が究極過ぎて使うに使えず、ここでは限定的に失われているのだった。
最終的にアコニーと拓也が交代で寝てニノ達を見張ると言う事にはしたが(拓也が居眠りしないかは別として)、そんな取り決めをしてもなお意味深な笑みを浮かべるタマリ。
アコニーの受難はまだまだ続きそうであった。
そして、時間は少々流れる。
バトゥーミ方面へ少々離れた街道上。
エルダリ司令より伝令として書状を預かった二人の兵士は、鳥にまたがりながら一路帝都に向けて急いでいた。
「今頃、輸送隊はドコまで進んでますかね」
「そうだなぁ 騎兵と馬車の集団なんで、移動速度は結構ある。
だからもう暫くは…… って、あれは炊事の煙。輸送隊に追いついたか?」
そう言って歳若い兵士は中年の兵士に尋ねた丁度その時。
空に向かって立ち昇る幾筋の煙が視界に入った。
煙の下、道の向こうに見える大勢の影。
それを見て、兵士達は輸送隊に追いついたかと彼らは思った。
だが、予定より早い合流に中年の兵士は疑問に思う。
こんな所でまごついているとは、何かトラブルでもあったのか?
彼は目を凝らして前方の集団を覗き込み、前方の集団を観察する。
「こんな近くに居るわけないんだが、何か問題でも……
って!いや、まて、あれは輸送隊じゃない!
あれは…… サテュマ人の部隊だ!!」
視線の先に映るのは、丸に十字。
それは今、東方で一番武名と悪名を轟かす一団。
サテュマ人の部隊であった。
「糞、奴等に関わったら面倒だな。
しかも、既に見つかっているか……」
見れば、見張りとおぼしき数名の兵士が、こちらを指差して何やら話している。
この状態でわざわざ迂回すれば、向こうにとって見れば怪しさは満点だろう。
余計な勘繰りをされて時間を浪費する可能性がある。
「如何します?」
「そうだな。
とりあえず、面倒なことになりそうになったら俺が対応する、お前はその間に書状を持って帝都へ向かえ」
「はい!」
サテュマ人の気質から荒いと有名だし、文化が一般的なサルカヴェロ人とは根本的に違う。
ちょっと話をしたつもりが、トラブルになり無駄に時間を拘束されてはたまらない。
中年の兵士は、仮に面倒が起きた場合の保険として、兵士はもう一人の兵士に預かっていた書状を手渡す。
自分がサテュマ人の対応しているうちに、若い兵士だけでも帝都へ向かわせようと言うのだ。
若い兵士は、苦笑いする中年の兵士の表情からその言わんとするところを察すると、受け取った書状を懐にしまい、先ほどと同じように道を進む。
味方と言えど、サテュマ人に関わるのは面倒。
そう考えた彼らであったが、彼らに近づけば近づくほど、それと共に大きくなる騒ぎ声。
彼らの想像は悪い意味で的中しているのであった。
明らかに普通の食事とは違う騒ぎっぷり。
恐らく酒を飲んでいるのであろう。
昼真っ赤ら酒を飲んで部隊行動する彼らに兵士達は眉を顰めた。
だが、それでもサテュマ人たちは見張りだけはちゃんと置いているようで、兵士達が部隊に近づくと、見張りのサテュマ人兵が誰何の声を上げる。
「おう!おはんな、どっからきした?」
非常に強いサテュマ人の訛。
あまりに異なるフレーズは魔法により翻訳されるが、ギリギリ翻訳されない訛りも混じって混沌とした言語となっている。
一説によると、彼らの文化的祖先の言葉が色濃く残っているそうだが、それにしても異質な訛り方である。
このサテュマ人というのは、見た目は人と狐が半々の人狐族であるが、その文化・思考形態は明らかに異質であった。
帝国の一部になったからには、緩やかに教会の教えや帝国の文化が浸透しているはずなのだが、いまだその効果は表立っては見られない。
そもそもにして、周辺の部族とは明らかに文化のルーツが違う。
周りがこの世界に一般的に伝わる精霊やら何やらを信じているのに対し、彼らはオイナリサマーとかいう異教の神を信仰している。
そればかりか、一般の服装から食生活、剣術に至るまで独自のものを持っていた。
恐らくはサルカヴェロ人に文化を教えた人々の存在があったように、サテュマ人にも文化の伝道者が居たのかもしれない。
全く別系統の文化。
その片燐は、兵士の態度を見ているだけで実感できるものだった。
「我々は第五軍から帝都へ報告むかってる最中だ。
そちらの部隊は?」
「おい達のサテュマ人第二師団は、補給のためバトゥーミへ向かって移動中ござんで。
本隊は、そろそろバトゥーミに到着すう頃はずじぁんどん、師団のげっじゃぁおい達部隊は、炊爨のための小休止中でごわす」
正直な所、何を言っているのかは余りわからないが、周りを見ると、食事と言うよりは宴会に近い事をやっているのは分かる。
辺りには米の蒸留酒の匂いが漂っている。
ここには軍紀も何も無いのかと兵士が眉を顰めていると、不意に発砲音が響き渡る。
ドーン!
急に聞こえた発砲音に二人は身を屈めて辺りを見渡すが、目の前の見張りも含めて誰も気にした様子は無い。
逆に、発砲音が聞こえてきた方から笑い声がこだまする。
「わはははは」
兵士達の野太い笑い声。
見れば円陣を組んで飲み食いしていた者の一人が血を流して倒れている。
そして、信じられない事に、円陣を組んで飲み食いしていたサテュマ兵達の中心に、木の枝から紐でつるされた銃が、銃口より白煙を上げていた。
やつらは、いつ火がつくか分からない銃の周りで酒を飲んでいるのだ。
それも、死傷者が出ても助けるどころか逆に笑っている始末。
彼らの文化に馴染みの無い者達からすれば、狂ってるとしか言いようの無い光景だった
「こ、こいつらおかしいですよ」
「いうな。コレでも味方なんだ」
彼らの狂気に、味方であっても恐怖を感じる二人。
だが、怖気づいてると思われないように、精一杯の虚勢を張っていると。
見張りのサテュマ兵の後ろから、一人の仕官が歩いてきた。
「お勤めおやっとさあ!どこの部隊かは知らんが、てのん一杯どうだ?」
見れば、その仕官は既に酒が回っているようで妙にご機嫌である。
だが、二人の兵士はその誘いに乗るわけには行かなかった。
キチガイと酔っ払い。
最悪の組み合わせである。
この先何が待っているか分かったものではなかった。
「いや、何分、我々も急いでいるものでな。
早急に書状を帝都まで届けねばならんのです」
「まぁ そう、ぎをゆな」
「いや、そういう訳にも……」
そう言って、中年の兵士が誘いを断ろうと二度三度の問答を続けていると、次第にサテュマ人仕官の表情が変わる。
「おい達の酒が飲めんとは、正規軍は帝国の為に身を粉にして働くおい達に対して何か思う所があっとですか?」
ギロリと睨む狐顔の男。
その迫力に、兵士達は思わずたじろいだ。
「ま、まぁ
そこまで誘っていただいて断ると言うのも失礼に当たる。
だがしかし、この書状をすぐさま帝都に持っていかなければいけないのも事実。
と言う事で、私の部下は失礼させてもらうが、私だけご相伴に預からせていただくよ」
中年兵士は若い兵士に目配りすると、若い兵士はスミマセンと一言謝って鳥に跨る。
「この書状を帝都まで持っていけ、別に俺を待つ必要は無い。
帝都でまた会おう」
中年の兵士は若い兵士に懐から取り出した書状を渡すと、若い兵士はそのまま振り返りもせずに駆け出した。
後に残ったのは一人の兵士と、ポカンと口を開けながら駆け去る鳥を見送るサテュマ兵達。
「あー…… まぁ急いでいうならしよがなか。
あん兄ちゃんは可哀想だが、帝国軍同士、一緒に一杯やろうほいならんか」
一人には逃げられたが、もう一人は逃がさんと言わんばかりに、サテュマ人の仕官は兵士の腕を掴む。
そうして連れてこられた食事の席は、彼の理解を超えるものだった。
木から吊り下げた銃の周りで、兵士らが各自の料理を突いている。
それも撃鉄の所に細工がしてあり、いつ暴発してもおかしくない。
そんな狂った状況の中で食べている料理は、野外炊爨での食事という事もあり、動物の腹に内臓の変わりに米を入れて焼いただけというシンプルなものだった。
本来なら米に染み込んだ肉汁が美味い逸品であるが、目の前を暴発の危険性がある銃口がグルグル周っている状況下では、まともに味を感じなかった。
「旨いか?
正規軍ではこげん馳走は出んだろう?
それにこん飯の食い方は、兵士の気合を鍛ゆっ訓練いもなう。
逃げてはならん。避けてもならん。痛がってもならんが鉄の掟だ。
いけんした?はごと食わんか?」
彼には理解できなかった。
サテュマ人達は訓練とはいっているが、食事の度に兵数が減耗していきそうな狂気の宴。
帝国のためを思えば、兵士は極力無駄な損耗は避けるべきなのに、そんな気遣いが一切無い。
そんなサテュマ人の実態を見て、彼の心は恐怖よりも蛮族に対する侮蔑感が生まれてきたのだった。
「何だこの野蛮な宴会は……
帝国の大切な兵士を何だと思ってるんだ」
兵士はぼそりと小声で零す。
だが、その声は酔っているサテュマ人の耳には入らない。
しかし、何かを言った兵士の顔を見て、何を思ったのかニヤついた顔で絡み始めた。
「なんだ?何を怪訝な目で見てう?
お強いはずの正規軍様でん、怖くなったのか?」
「……」
兵士は何も答えない。
ただ、愚かな行動にたいする抗議を、目によって語るだけ。
本来ならば、口頭で注意をしたいが、彼の階級では上官に対しそこまで言えない。
その為、質問には沈黙で答える事になったが、これを怖気づいたと見て、おちゃらけた表情で突っかかってくるサテュマ人仕官に対しては、ただただ不快感しか感じない。
狂った者達に対する恐怖よりも、あまりにも野蛮な彼らの行動に対する嫌悪感の方が強くなっていく。
「なんだそん目付きは?
気に障ったか?」
兵士の抗議の視線を受けて、サテュマ兵仕官も表情が変わる。
どこか侮蔑を孕んだ兵士の視線に、向こうも不快感を得ているようだ。
だが、それでも兵士の視線は変わらない。
口では言わないものの、それでも目は口ほどにモノを言っていた。
「……」
視線で抗議し、何も言わない兵士。
本人としては、無言の抗議のつもりであったが、対するはサテュマ人。
通常の道理が通じるはずも無かった。
「そんな目をしたぁ!」
いきなり激高したかと思うと、腰の刀を抜いて袈裟懸けに切りかかるサテュマ人仕官。
急な展開に、対する兵士も剣を抜こうとするが、あまりに早い斬撃に彼の抜刀は間に合わない。
ガキン!
打ち合わされる刃と剣の鞘。
抜刀こそは間に合わなかったものの、鞘ごと受け止めた事で刃が兵士の体にめり込む事態だけは避けられた。
「何をなさる!?」
急に切りかかってきたサテュマ人仕官に、兵士は何事かと尋ねる。
いきなり切りかかってくるとは正気ではない。
兵士の質問に対して、刀を止められたサテュマ人仕官は、舌打ちを一つすると刀を腰の鞘に納めた。
「おっと、すまん。
ついうっかい剣を抜いてしもた。
まぁ いつもの事だ。気になさらんでくれ」
いつもの事……
彼らはいつも些細な事で切り合いをしているのだろうか。
兵士はその事について、想像のはるか斜め上を行くサテュマ人の実態に戦慄するも、周りからの視線を受けてハッと我に返った。
抜刀沙汰が起きたため、全員の視線がこちらに向いている。
先ほどの和気藹々とした雰囲気は消え、戦場にでも居るかのような緊迫した沈黙が辺りを支配している。
「……どうやら、私は空気が読めないのでこの宴席には居ない方がいいようだ。
お誘いいただいた身で申し訳ないが、ここらで失礼させていただきます」
そういって兵士はサテュマ人仕官に謝ると、連れていた鳥の所まで戻る。
振り向いた途端に斬られるのではないかと冷や冷やするが、幸いにも誰も彼を追う者は居なかった。
勢いよく跨ると同時に走り出す愛鳥。
サテュマ人の視線を背中に受けながら、彼は逃げるようにその場を離れるのであった。
彼は手綱を握り、愛鳥に速度を求める。
それに応えて鳥も駆ける速度を上げていくが、そんな中で中年の兵士は先行した若い兵士の事を考えていた。
「今から追いつかなくては……
……っと、しまったな。
彼に輸送隊向けの書状を渡しそびれたな。
帝都に行く前に其方によるか……」
彼は急いで若い兵士に追いつこうと考えるも、輸送隊向けの書状を渡しそびれた事に気が付いた。
帝都に向けて一直線に向かう若い兵士と、輸送隊に寄って書状を渡さなくてはならない彼。
最早、どんなに急いでも追いつくことは無理だと彼は思ったが、それでも彼は出来るだけ急ごうと騎乗する愛鳥の手綱を繰るのであった。
そうして彼がサテュマ人の宴から逃げてから一昼夜。
地平線の彼方まで続く平坦な平原の中をはしる街道の上を風のような速さで彼は走った。
草原を帝都に向けて走るにつれ草原に木々が増えていく。
何度かの休憩を挟みつつ平原を疾走してきた彼とその愛鳥は、街道沿いにある林の中の泉で輸送隊に追いつく前の最後の休憩を取っていた。
そこは余り知られていない街道沿いで数少ない清水の湧く泉。
普通の旅人は、近場にあるより大きな泉で休憩を取る事が多いのだが、より水の綺麗な穴場スポットを知っていた彼は、迷わずそこを訪れていた。
林に分け入り、目当ての泉を見つけると、彼は鳥を降り、兜を取って泉に近づく。
「ずいぶんと飛ばしてきたから、恐らくこの休憩が最後だな。
そろそろ輸送隊に追いつく頃だ。
……お前も疲れたか?たっぷり水を飲め」
そう言って彼は、泉に顔を突っ込んで浴びる様に水を飲む鳥を撫でる。
そうして暫く愛鳥を撫でながら、その疲れを労わってやっていると、彼の脳裏にふと別れた年若い兵士の事が浮かぶ。
「もうそろそろ輸送隊に追いつくはずなんだが、アイツは寄り道せずに帝都に向かってしまっただろうか。
まぁ 書状を受けとって無いんだから、輸送隊で時間を潰しているはずもないか」
最初から追いつけるとは思っていなかったが、それならそれで自分の仕事を果たすまで。
恐らくもういくばくもしないうちに輸送隊には追いつける。
彼はもうひと頑張りだと、ごくごくと水を飲む愛鳥を撫でた。
「うまいか?
それにしても災難だったな。
サテュマ人なんて蛮族共に絡まれなければ、2羽で一緒に帝都を目指していたんだが……
それにイキナリ抜刀してくるとは…… 奴等、狂っているとしか言いようが無いな」
いきなり斬りかかってきたサテュマ人に対し、自分だったから受け止められたものの、もしあれが部下だったら死んでたかもしれない。
そういった意味では先行させておいて良かったと彼は思った。
サテュマ人への不信感と、何事も無かった事の安堵。
だが、彼の不幸はまだまだ終わりを迎えたわけではなかった。
ヒュ……
ゴ!
真後ろから音も無く投擲された何か。
油断していた彼はそれをよける事も出来ず、まともに頭に喰らってしまう。
暗転する視界。
任務を果たそうとする彼の意識とは裏腹に、彼の意識は唐突に途切れてしまうのであった。。
清水の泉からほど近い林の奥。
そこには拓也達が捕えられた輸送隊を追うイワンたちの姿があった。
ブッシュに隠れながら、大きな泉の近くで休憩中の輸送隊を監視する彼等。
そんな彼らの後ろから、大きな荷物を担いだ影が忍び寄る。
「ただいまー」
その正体は、イワンと共に輸送隊を追う盗賊団の一人。
イラクリと一緒に追跡隊に参加したハイエナ族の女であった。
女の肩には大きな肉塊がある。
彼女はそれを近場の岩の上に置くと、輸送隊を監視している仲間に見せた。
「うわ!でっかい肉だね」
彼女が持ってきた肉に、思わずイラクリが驚く。
女性の方が体格の良いハイエナ族にとって、狩りは女の仕事。
彼女は自分の仕事の成果を誇る様に胸を張って今回の狩りの成果を話した。
「いいカモ(強盗的な意味で)がいたんだよ」
ふふんと鼻をならして自慢する彼女。
ニノやタマリには戦闘能力では遠く及ばないが、盗賊の一味だけあって戦いのセンスはそこそこある。
ちょっとした強盗程度ならば、彼女一人で問題は無かった。
だからだろう、彼女らが盗賊稼業でよく使っていたカモと言う言葉を、イラクリもいつもの意味で認識していた。
「へぇー それは良かったね。でも、ちゃんと後始末(被害者の死体的な意味で)してきた?」
「それはもう。ぱぱーっと鳥を捌いて、要るもんだけ取ったら、適当に穴を掘って埋めといたよ」
「それならいいや。
イワンさん見てください。
でっかい鳥肉ですよ」
そう言って、イラクリは双眼鏡で輸送隊を監視していたイワンの肩を叩き、彼女が運んできた肉塊を見せる。
岩の上に置かれた巨大な鳥の腿。
地球基準で考えたなら余りに常識外れたその肉に、イワンは呆れながらに感想を言う。
「……随分とでかいカモ(鳥的な意味で)だな」
こっちの世界にはこんなにデカイ鴨もいるのか。
何でもアリなこの世界に、イワンは最早深く考えるのを止めていた。
魔法や獣人も有りのこの世界。
巨大な鴨が生息していても不思議じゃないと考えたのだ。
「今回は当たりだったね。良いモン持ってるカモだったよ(奪った金銭的な意味で)」
彼女はニヒヒと笑いながら、腰に付けたジャラリと音のする袋を自分の荷物に仕舞い込む。
そしてそれと入れ替わりに、ナイフを持ったイワンが、大きな肉塊を捌きだした。
「そうか。肉質は良さそうだな。
さっさと食うか」
そう言ってパパッと肉を切り分けるイワン。
火が通りやすいように薄くスライスした肉を、彼はアウトドア用のフライパンと携帯ガスコンロで手早く火を通す。
これが焚火なら輸送隊に煙が見つかってしまうが、無煙の燃料なら遠くから見つかる様な煙は出ない。
気を付けるべきは、匂いが拡散する風向き位である。
最初は、そんな魔法に頼らない文明の利器にイラクリ達は目を丸くしていたが、何度か一緒に調理をすれば彼らも慣れたモノである。
今では、さも当然の様にガスコンロを使い、至福の表情を浮かべて肉を頬張る。
旨い旨いと肉汁を滴らせながら食べる彼らは、食事中にも拓也達の救出の機会を伺いつつ、監視中の輸送隊について無線での定時連絡を送る。
だが、彼らは知らない。
彼らが大きな鳥肉を食べた事が、巡り巡って拓也達の救出が遅れる事になるとは露程にも思わなかったのであった。




