東方世界6
拓也達が拘束され、馬車の上で尻を痛めている頃から時間は少々先へ流れる。
その時、北海道では束の間の落ち着いた空気が流れていた。
先のエルヴィス公国軍と王国との紛争は、公国軍の勝利で幕を閉じ、暫くは軍事的な動きはないとの予想が世の中の主流であった。
そんな情勢下、大統領である高木は、先の紛争で焼かれ、今は復興目覚ましい礼文島に来ている。
紛争時に灰燼に帰した礼文島北部は、大陸への出島として整備する為に大々的な資源が投下され、恐るべき勢いで設備が拡張されている。
そんな礼文島に作られた多目的ホールに、高木はある目的を持って訪れていた。
エルヴィス公国との和解と融和、そして経済交流の準備。
その二つこそ今回の彼女が来た目的であった。
そして、それを円滑かつ効果的に演出する為に、彼女は2人の同行者を連れている。
一人は金髪の麗人……のようにも見えるエルヴィス公国の元首、クラウス・エルヴィス。
もう一人は、警察の制服を着た、流れるような黒髪の美しい少女だった。
「次の区画が北海道物産の見本市会場です」
少女は、透き通るような声で高木とクラウスをエスコートする。
会場内では超VIPの来訪に人だかりが出来るが、注目度でいえばその少女も他の二人には負けてはいない。
何故ならば、サイズの小さい制服に煌びやかに輝く勲章は、北海道連邦英雄第一号の証。
そんな豪華な勲章を持ち、観衆からフラッシュを浴びるその少女の名は、平田信吾。
その可愛らしい外見の人物は、礼文騒乱時に人命救助で活躍した平田巡査のなれの果てであった。
礼文島での騒乱の際、彼はクラウスの兄であるアルドに刺されたが、その場所が運悪くも肝臓への一突きであった。
致死性の重傷。
一度は止まった心臓だが、彼を生かそうという政府の意向と中途半端に進んだ医療技術によって、彼は義体への脳移植によって回復を遂げた。
だが、転移が起きた2025年の日本において義体化技術は最先端医療であり、その拠点は道内には無かった。
辛うじて北大の医学部に小規模な研究施設があった程度である。
関係者によると、不十分な施設での成功率は五分と見られていたが、政府の意向もあり手術は強行。
最終的には無事に脳を義体に乗せられるように処置することには成功した。
だが、命を繋いだ代償はあまりにも重かった。
手術をしたのは、もともと研究用の施設であって義体のストックなど十分有るはずも無い。
暫定的に脳を乗せることが出来たのは、研究用として大学の倉庫に転がっていた少女型の一体だけだった。
手術後、そんな中身と外見のアンバランスに、付き添いで着ていたという婚約者の女性は彼の外見を見て卒倒するという騒ぎも起きたが、何はともあれ彼は復活することが出来たのだった。
そして、プロパガンダとして流れている彼の活躍話(当然話は盛られている)もさることながら、義体の外見により彼の人気は高い。、
そんな彼が、礼文島に侵攻した当の本人であるクラウスと歩いているのだ。
騒乱で負傷し義体化した平田と、その時に実証された技術でもって、ゴートルムとの戦いで失った手の代わりに神経接続型の義手をつけたクラウス。
被害者と加害者という二人の関係は、被害者による報復ではなく、傷ついている加害者への遺恨を乗り越えた支援と言う平和的なアクションにて修復されたと道内には宣伝されるのだ。
それこそが、今回、高木に二人が同行している理由だった。
プレスルームで握手をする二人の写真は瞬く間にニュースになり、報道関係者は他のシャッターチャンスも狙って高木たちによる礼文島内視察にも付いて回る。
だが、カメラを抱えて彼らを追い回すのは何も報道関係者だけではない。
今、フラッシュを焚いているカメラの中には明らかに報道関係者ではない人間も多数混じっていた。
「あなたは凄い人気のようだ」
光の嵐を浴びる平田を見て、クラウスは笑いながらそんな事を言う。
だが、当の平田は笑顔こそ崩さないものの、その内心は複雑であった。
「……これも新しい義体が出来るまでの辛抱です。
元の姿に合わせて作られた義体に乗れば、こんな中身がおっさんのサイボークに誰も興味は示しませんよ」
全ては一時的なもの。
そう考える事で精神の安定を保つ平田であったが、現実は厳しかった。
「平田さん。
それなんですが、義体の納入は暫く遅れそうなの。
一部のセンサーに使う部品を作るのに、ある種のレアメタルが必要なんだけど、道内ではその資源は産しないから義体の主要部を作る事が予定されているロボット工場が稼動できなくて……
なので、大変でしょうけども、もう少し我慢してもらうことになるわ」
高木は、平田の希望とは正反対の現実を包み隠さず彼に告げる。
転移前に完成していた道内唯一の人型ロボット工場は、物資の不足のために休業状態が続いていた。
仮に採算度外視で本格稼動させれば、道内の労働力の不足問題は一挙に解決するのだが、現状でそれは出来ずにいる。
もっとも、失業率との兼ね合いで転移前の世界と同じく、ロボットの導入に一定の規制はかけるのであるが……
平田は、そんな現実を聞かされてガックリと肩を落とす。
「そうですか…… うぅ…… 何時になったら元の姿に戻れるんだ」
彼は泣きたい気持ちで一杯だった。
あの騒乱がキッカケで、秘かな思い人であった幼馴染と結婚しようかと思ったら、自分はこんな少女の姿になってしまった。
これでは、いつ愛想を尽かされるか分からない。
早急に元の姿をベースにした義体に乗り換えるのが彼の悲願だった。
「まぁ こればっかりはどうしようもないわね。
資源が無い事にはどうしようもないし。
さて、気を取り直して見本市の視察に入りましょうか。
もしかしたら、向こうの商人の持ち込んだ鉱物の中に目当てのものがある可能性だってあるんですから」
高木はそう言って平田を慰めると、二人を引き連れて見本市会場へと向かう。
礼文島で開催された第一回目の見本市。
ドアを開けたその瞬間、むせ返るような会場の熱気が、プレスを引きつれて訪れる彼らを迎えた。
「これは盛況ですね」
クラウスは会場内を見渡し、素直に感心する。
今回の見本市のブースは大きく分けて二つ。
クラウスが領内の商人を引き連れて設営したエルヴィス公国エリアと、北海道の物産エリアがある。
そして、そのどちらもが大変な盛況であった。
クラウスからの事前情報もあり、公国商人が持ち込んだものの多くは北海道では産しない物品。
綿、羊毛、生糸等の繊維からオレンジ等の果物。
そして、匠の技で装飾された魔導具などであった。
それに対して道内企業の側はというと、定番である道産の高品位食品に始まり国後産の原油を元にした石油化学製品や電卓などの小規模な電子機器など。
この世界の人間にとって物珍しい物ばかりである。
そんなお互いにとって魅力的な物品を一同に会して商談の場を設けることができたのも、公国の官僚達の頑張りがあってこそだった。
寝る間も惜しんで北海道から派遣された顧問団の知識を学び、怒涛の勢いで最低限の商法を整備。
民主制ではありえない速さの立法その他が、道内企業が安心して商売が出来る環境を整えた。(あくまで法律上の話だけ、公国内では混乱も生じているが……)
そして、そんな公国の努力に対し、北海道側も一定の後押しをしている。
例えば、道内で元々弱かった繊維などの労働集約型の軽工業では、現地生産が可能なように政府として技術移転の認可を出した。
そのため、ただ繊維材料が売れれば良いと思っていた公国商人に対し、現地生産は可能か?現地視察は行けるか?OEMではどうか?等
彼らの想像を超えたレベルで北海道側が交渉に臨む姿も多々見られた。
エルヴィス公国を只の資源供給地としてみるのではなく、(北海道経済との競合の少ない)産業を興すのを支援し、win-winの関係になれば
総貿易額が増すとの政府の試算通りに事は進んでいた。
そんな熱気溢れる会場の中、高木らと共に会場内を歩いていたクラウスは、顔見知りの商人見つけると、彼を捕まえて調子を尋ねる。
「首尾はどうだ?商売は上手くいきそうか?」
にこやかに商人に声をかけるクラウス。
それに対して相手の商人は、深々と礼をしてクラウスの質問に答える。
「これはクラウス殿下。
今回は、このような素晴らしい機会も設けていただきありがとうございます。
おかげさまで、我がカスターニャ商会も、このような物珍しい物品や素晴らしい製品の数々を仕入れさせていただければ
どれだけ利益が生まれるか想像もつかないほどでございます」
「ほう。
かなりの利益が見込めそうか?」
「それはもう!
大陸全土を探した所で、ここまで素晴らしい商品群をそろえることが出来る国は見当たりますまい。
殿下は食べられましたか?この熊カレーと言われる保存食を!
中身の肉は熊意外にも色々と変えられるそうですが、この金属容器に入った食糧は小型で長期の保管が可能な上、美味!
今まで肉の長期保管と選ったら、燻製か塩漬けしかなかったのが、コレによって選択肢が広がります。
これは隊商や船員の食料、はたまた軍の糧食として売れますよ。
他にもプラスチックと呼ばれる容器等、我々の生活を変えてしまいそうなモノがいくつもあります。
ですが……」
「ですが?
どうした?何か問題があったのか?」
何か言いにくいことでもあったのか眉を顰めながら言葉尻を濁す商人に、クラウスが問う。
「なんといいますか、決済方法が異質すぎて、本当に信用して良い物なのか判断がつかないというのが本音です」
クラウスはその言葉を聞いて納得する。
交易を開始するに当たり、北海道側が出した条件は円建ての決済だった。
そして、2025年時点で高度に電子マネー化が進んでいた北海道に合わせるように、エルヴィス公国側にもそれに対応するように求められていた。
技術の進歩はキャッシュカードを高機能化させ、タッチパネル付きのソレは、銀行サーバーへと繋がる無線通信網の範囲内ならカード同士の現金送受も可能としていた。
そしてその無線通信網の整備は、簡易的なものではあるが公国中に広がりつつある。
調査隊が設置した気球が中継局となり、公国の主要エリアでは高機能キャッシュカードによる取引が可能となっていた。
北海道側はそれをエルヴィス公国の商人も携帯するように求めたのである。
だが、未知の決済システムの導入は、信用などの問題ですぐには浸透しない。
そこで公国側がやらされたのは、中央銀行の創設と保有している金を担保にした円と従来金貨の交換による信用の裏づけであった。
急に転移してきた北海道と、それまで交易で栄えていたエルヴィス公国では、商人に対する信用が桁違いである。
そんな北海道側の要望を公国側が丸呑みしたことにより、一応の下地を公国は整えることが出来たのだった。
その準備にかかった苦労をクラウスは思い出し、商人が困惑するのも無理は無いと考えた。
「確かに従来の金貨や銀貨の現金取引から、こんなカードの数字をやり取りしろと言われても困惑するのは無理は無い。
だが、今までも手形による決済とかはしてたのだろう?
公国が準備金で信用を裏付ける以上、そこらの手形よりは信用はあると思っているのだが?」
「はい。
それはそうなのですが……
決済の度にカードに書かれた額面が変わると言うのが何とも……
いかなる方法で表示を変えているのかは分かりませんが、勝手に改竄されたり不正が行われる心配は無いのですか?」
商人はカードでの決済の根本的な信頼性を心配する。
公国による裏づけ以前に、このシステムは信用に足るものなのか。
もっともな疑問を商人が口に出すと、何時の間にやらクラウスの後ろに立っていた高木が、クラウスと商人の話の中に割って入ってきた。
「あぁ そういうことですか。
紙に書かれた手形と違い、書かれた額面が変わるのが心配なんですね?
それについては問題ないわ。
カードを作る際に口の中に綿棒を入れられたと思うけど、あれは魔法の儀式とかそういうのではなくて、DNAっていう生命の設計図をチェックするためなの。
DNAが登録されたカードは契約者以外は使えなくなるから盗難にあっても大丈夫。
DNAと暗証番号の二重チェックで、不正に資金が引き出されることは無いわ。
それにカード自体の信頼性も、我々の元の世界で電子取引の発達に伴って何十年にも渡ってセキュリティを強化し続けているから
口座の金額を不正操作することは、まず無いと思っていいわよ」
そう言って高木は、商人を安心させるように説明する。
もし、こちらの商人に不信感を持たれ、決済システムが信用されなくなると北海道側が困るのだ。
北海道側には交易用に使えるような金銀の備蓄は殆ど無い。
資源を輸入しようと思ったら、工業品を輸出してこちらの世界の富を蓄えなくてはならないのだが、それでは取引の増加量は中々引き上げられないし
そもそも金・銀貨もしくは現物債権での決済と言うこの世界のシステムは、旧式すぎて不便すぎるというのが困る理由であった。
「なるほど、北海道では実績のある方法なのですね。
よく分かったような分からないような……」
高木の説明を聞いて、知らない単語の羅列に商人は首を傾げるが、そんな様子の商人の肩をクラウスは笑いながら叩く。
「どちらにせよ、莫大な利益が出そうな北海道の製品を仕入れるのには新しい決済法が必要なのだろう?
君ら商人にとって見れば疑って商機を逃すか、信頼して富を得るかの二つに一つだ」
「ふむ…… そうでございますね。
公国が裏づけをなさっている以上、あまりに疑うのは不敬というもの。
我々カスターニャ商会も、他の商会に遅れを取らぬよう頑張らせていただきます」
「あぁ 成功を祈ってる」
そう言ってクラウスが片手を上げると、商人は熱気渦巻く会場に戻っていく。
クラウスたちはその後姿を満足そうに見送った。
「色々な不安はありそうだけど、滑り出しは好調みたいね」
「えぇ、これで経済が更に潤えば、我が領内の近代化も加速すると言うもの。
大統領閣下には感謝しております」
クラウスの感謝の意に高木は微笑で応える。
この世界において唯一の友好国(実質は属国であるが)の発展は自分達においても有益なものであり、嬉しいものであった。
そんな高木の美熟女の笑みを向けられ、思わずクラウスもドキリとする。
この"美熟女の笑み"は、高木の支持率の源泉の一つでもあるのだが、これは外交関係にも有効なようであった。
心を落ち着かせようとするクラウスに、それを面白がってクスクスと笑う高木、それと彼らの視界の片隅で写真のフラッシュをビシバシ浴びる案内役の平田。
そんな終始なごやかな視察日程を消化する一向であったが、平和な日々を願う彼らの心境を裏切るように、問題と言うのは唐突にやってくる。
最初の情報を持ってきたのは、周りの人垣を割いて現れた緊迫した表情の秘書官だった。
彼は、高木の傍までやってくると、周りに聞かれぬように耳打ちする。
「軍からの連絡です。
東方の未開エリアで、活動する調査隊の視察に出ていた将校が、他国の軍と接触しました。
これについて安全保障会議が招集されましたので、ご足労願います。
報告では、調査隊の一部がその軍隊に拉致されたとの事です」
高木は、その報告に思わず眉間に皺を作る。
ただ他国と接触しただけなら兎も角、邦人の拉致とは穏やかではない。
高木は秘書官にすぐに行くと応えると、クラウスや平田に向き直った。
「すいません。
緊急の要件が出来ましたので、私はこれにて失礼します。
この後の予定については、申し訳ございませんが私抜きで視察をお続けください」
丁寧な口調で視察から抜けることを詫びる高木。
そんな彼女の様子を見て、クラウスは即座に何かが起きたことを察した。
「どうかなされたんですか?」
「現時点で詳しいことは教えられません。
東方で何かがあるとだけ言っておきましょうか」
そう言って高木は頭を下げると、秘書官の後を追って足早に去る。
そして、その後にはクラウスと平田の二人だけが残された。
「大統領はどうしたんですかね?」
足早に会場を去る高木を尻目に、平田は残されたクラウスに何があったのかと話を振る。
「それは分かりませんが、東方と言うからには異教徒関係の問題が起きたのでしょう」
「異教徒?……ですか」
「まぁ 魔法の使えない異教徒なら、さしたる脅威も無い。
ささ、我々は視察を続けましょう。
今は、公国領にとって交易の拡大による技術移転ほど大事な物はないのです」
そう言ってクラウスは平田の小さな肩を持つと、背中を押して視察ルートへと戻る。
報道陣+ファン?のフラッシュを浴びながら、彼等は高木とは別に北海道とエルヴィス公国の未来へ向けて歩み続けるのであった。
その一方で、二人と別れた高木は空港へと移動する車内において事態の報告を受けていた。
後部座席に座る高木の眼前に設置されたモニターに映るのは、副大統領、外相である鈴谷、それと国防相の3人だった。
高木も含めたその4人は北海道版NSCの中核メンバーである。
「それで?
一体何が起きてるんです?」
高木は、モニター前に全員が揃っていることを確認して聞く。
そして、その声を皮切りに、事態の推移に関する副大統領の説明が始まった。
「報告によりますと、民間委託した調査隊の視察で東方大陸を訪れていた軍の将校が、偶然にも他国軍部隊と接触した模様です。
この軍は、サルカヴェロ帝国軍を名乗っておりまして、現在のところ南方平定と銘打ってエルヴィス公国より海峡を挟んで東側の陸地全域を制圧しようとしているそうです。
そして、何が原因かは定かではありませんが、調査隊の一部がサルカヴェロ軍に逮捕されたとのことです」
副大統領の口から発せられた言葉に、高木は頭が痛くなる。。
「平定ですか…… それは、穏やかじゃないわね。
というか最初は拉致と聞くから何かと思えば、逮捕ですか?
その調査隊は何か現地で何をやらかしたの?」
「それについては現状で情報が纏まっておりません」
「……そう。
では、引き続き情報を集めてください。
例え現地で法を犯していようと、邦人を勝手に処刑させるわけにはいきませんから。
それじゃぁ次の質問ですが、以前の説明によると彼の地には亜人の集落が点在するくらいで国は存在しないと聞いてたけど、そのサルカヴェロに対して彼らはどうしているかわかる?」
「それについても情報を収集中です。
何分、この世界の調査はエルヴィス公国領を中心とした西方をメインとして展開しており、東側については未だ十分な調査が行えていません」
「ふぅ……
じゃぁ 何ですか?
とりあえずの第一報ということで情報は収集中と」
「そうです。
ですが、報告の重要性から考えまして、先に当該案件の概要を国家安全保障会議の基幹メンバーにはこの場で報告をさせていただいてます」
副大統領の言葉のとおり、今のところ北海道側に東方に関する十分な情報は無かった。
一応近隣の亜人の集落に対して何度かの接触は行ったものの、集落ごとに独立し国と言うまとまりが無かった亜人の居住地では思ったほどの情報は集まらない。
その上、人的、物的な制約もあり、この世界の調査では後回しにされていたのだ。
だが、そんな状況の中にあって、何時までも情報が無いという状態を維持しているほど転移後の北海道の腰は重くない。
副大統領の説明に区切りがつくやいなや、今度は国防相が二人の間に割って入る。
「詳細な情報についてですが、20分前に空軍のRF-15偵察機が発進しました。
航続範囲内の情勢はこれから重点的に収集を行います。
航空偵察情報は逐次集まってくるでしょう」
「わかったわ。
変化があれば逐次連絡して頂戴。
……だけど、未接触の国と遭遇したとなれば、外交の窓口も開かなければならないわね。
外務省には緊急対応可能な人的余裕はある?」
高木は外相である鈴谷はチラリと見る。
しかし、高木から話を振られた鈴谷の表情は明るくない。
「その質問に対しては、残念ながらイエスとは言い辛いです。
新編から間もない組織であるため、外交経験のある人材が潤沢とは言い切れません。
転移で取り残された各国の領事館の職員から、希望者を募って新国家の外務省に組み込みましたが、それでもエルヴィス側との遣り取りと
各国を周る予定の外交使節船団編成に人員を大きく割り振ってますので……」
「なら、船団の航海の途中でサルカヴェロに寄る事はできない?
西側諸国を巡る為に編成中の船団なら、必要なもの全てがそろっているでしょう?」
「それについては調整を実施します」
「なら、そこは鈴谷さんに一任するわ。
そして、サルカヴェロ側へ使節派遣の通達については、既に接触している軍の将校を通じて彼にお願いするのが早いと思うの。
国防相もそれで良いかしら?」
「問題ありません」
高木は、そこまで暫定的に決めると一つ溜息を吐く。
先日のエルヴィス公国とゴートルムの紛争から然程間が開いていないにもかかわらず、またも火種が降ってかかる事に彼女は辟易していた。
何がトリガーになっているのかは知らないが、亜人の地の平定に軍隊が動いているならば、また難民が発生することも考慮しなければならない。
北海道にとって平穏な日々はまだまだ遠いようであった。
そんなことを想像しながら、他に打つべき手はないかと彼女が考えていると、彼女の持っている携帯端末にメッセージが入る。
「あら、メッセージが……
至急?……ステパーシンから?」
官給品の端末に届いたのは、重要度が高い事を示す色で識別されたメッセージ。
その差出人を見ると、それはこの会議に招集されていないステパーシンからのものだった。
"過去の交通量から推測して、エルヴィスと東方間の海峡は本世界におけるジブラルタル。
国土防衛のみに囚われず、領土未確定の亜人居住地は今後の国益を考えて確保すべき"
短いたった2行のメッセージの内容は、今まさに高木たちが話しているサルカヴェロへの対応を示唆するものだった。
それも、政府内でもまだ一部の人間しか知らない事であるにも関わらずだ。
高木は、一体どこから情報を得ているのだろうと元ロシア連邦保安庁長官であるステパーシンの情報網に呆れると共に
高木はその内容を見てしばし考える。
それは、参加者が全員日本人であるこの会議では、誰も思いつかなかった物の見方だった。
サルカヴェロは何処の国家の所属でもない亜人居留地の征服に動いている。
ならば、全てをとられる前に自分達の領土も確保しておけと言うことなのだろう。
確かに短期で見た場合には、領域確保の為の軍の派兵やインフラ整備などは未だ腰の据わらない北海道には負担が大きいかもしれない。
だが、50年、100年先を見た場合はどうか?
そこに有益な資源があった場合は?
ステパーシンが言うとおり、海峡を押さえると交通の要衝を管理下にできる?
考えれば考えるほどに何もしなければ確実に失われるであろう権益が高木の頭を駆け巡る。
「……皆さん。
ちょっと検討していただきたい事項があります」
「なんでしょう?」
メッセージを見た直後から顔色が変化した高木に、3者が揃って返事をする。
「報告によれば、サルカヴェロ軍は亜人居住地の平定に動いているそうですが
彼らが亜人居住地全域を制圧するより先に、エルヴィス公国に近い海峡を中心としたエリアだけでも先に抑える事は出来ませんか?」
その言葉を聞いた途端、モニター越しに会議に出席している全員の顔色が変わった。
誰もが高木の提案に何と答えようかと迷っている中、最初に口を開いたのは鈴谷だった。
「大統領。
例え領土の未確定地帯だろうと原住民がいる土地に軍を送れば、それは日本人の感覚からすれば侵略になります。
拉致された邦人保護の名目で派兵しても、部隊が居座るのであれば国民が黙っていません。外征は危険ですよ。
これで今まで押さえ込んでいたマスコミや市民団体に火がつけば、次回の大統領選で負けます。
只でさえ経済統制によって政党支持率が低下している今、悪手としか言いようがありません」
新政府は大統領制となり、議院内閣制よりは世論の影響に敏感ではないとはいえ民主国家であることには変わりはない。
あまりに民意を無視した行動を取りすぎると、次の大統領選で政権の座を失いかねない。
そして、北海道は元々左派の新聞社や北教組がアカの猛威を振るった地域。
軍の防衛出動にも慎重になるのに、権益確保の為に軍を動かしたとなれば、彼らが声を大にして騒ぎ立てるのは想像に易い。
安定的な政権の維持を考えれば、鈴谷の言うように静観するのが一番である。
だが、高木は考えてしまった。
政権の維持と言うミクロな視点を超え、一世紀先の国家利益を。
それは、北海道の生存権確立という目標に取り組むことにより、政党間の政争より重要なものの見方をするようになった高木には、簡単には無視できなくなってしまった考え方であった。
「確かに世論は紛糾するでしょう。
それに、有益な資源があるかも分からない。
だけど、検討に値しない訳でもないわ。
最終決定がどうなるにしろ、準備だけは進めても構わないでしょう?
コレについては大統領として軍に命じます。
名目は抑留された邦人保護で部隊編成を進めてください。
但し、内情は拠点確保も可能な装備でお願いします。
同時に各省庁についても外地獲得の影響を試算してもらいましょう。
その結果と、全大臣を交えた閣僚協議によって私が是非を判断します。
ですが、本件は機密とし、事前の情報公開はしないため、情報の取り扱いには注意してください。
いいですね」
「「……はい」」
外征は政権にとって危険球だと言うのは3人に共通する思いであったが、高木の大統領としての命令に、3人は渋々ながらも頷く。
これはまだ最終決定ではない。
高木が札幌に戻ってからでも叛意させることは可能だろうと彼らは思っていた。
だが、彼らは知らない。
高木に決断を迫るために、既に道内で動いている影の存在が居るということを……




