治療。
「凄いな」
「うん」
貴族の奥方が家を出て来て、大丈夫なのか?
そうマスタシュと最初は考えていたのだが、目の前で行われる治療の淀みなさに、感謝を感じるほど、奥方の治療師としての腕は鮮やかだった。
決行の日、怪我人はそれほど多く存在した。
怪我人を運び込んだ神殿は、歩く場所もないぐらいだった。
「とにかく、傷口を綺麗にしてっ!」
「後は今夜、体力が持つかが鍵よっ!」
「少し失礼させて頂きますわ」
「奥方?」
切羽詰まった言葉が飛び交う中、ススッと進み出た奥方は怪我人を見始めた。
「アントラキノンはございます?」
「ございますっ!」
「この方にはアントラキノンを使って下さい」
「はいっ!」
更に隣の怪我人を見る。
「トリテルペンはございます?」
「はいっ!」
「トリテルペンを粉末にして、酒で伸ばして下さい」
「これぐらいで宜しいでしょうか?」
周りを一回り見回した奥方は、少し吐息をついた。
「大量に必要になるでしょう。すぐに粉末に出来る物を、酒で伸ばして貰えますか?」
「主様! 私しますっ!」
「伸ばす割合は覚えているわね? 手伝って下さる方に伝えて、いっぱい作って頂戴」
「はいっ!」
「サキシフラギンと精油はあるかしら?」
「精油はございます。サキシフラギンは……」
「裏の畑から摘んで来るよっ!」
「木が枯れない程度でよろしいわ。新しい葉がまた使えますからね」
「分かったっ!」
次から次へと指示を出し、怪我人を診察し、手当を指示する。
その見事な手際に、最初は呆気にとられた。
だが、すぐに気付かされた。
目の前に居る人は、今まさに必要として居た、腕の良い治療師なんだと。
「どんな天の配剤だ?」
「誠に神は見て居られますな」
怪我人を力づけに回って居た神官長が、僕の独り言に相槌を打つ。
「我が神殿の者も治療の術を持ちますが、あの方ほど深い造詣は無いでしょう」
「僕もです。屋敷を出て来る程、奥方が追いつめられていた事に、感謝したい位です」
「全くですな」
ただ見ているだけじゃ、能が無い。
更に怪我人を力づけに回る神官長と分かれて、僕は奥方の元へ向かった。
「何か手伝う事はありますか?」
「さすが神殿ですわ。精油は間に合いそうです。ただ怪我人が多すぎます。薬草が不足しそうです」
「薬草ですか」
「ポリガリトールやゲラニインでもよろしいのです。ありましたら、お願い致しますわ」
「何とかしてみます」
そんな僕の横から、ラスルさんも声を掛けて来た。
「神殿で保管している物がございます。どうぞお使い下さい」
「ありがとう、使わせて頂くわ。……そうよ。あまり強く押さえつけない様に」
「はいっ」
治療に戻っていく奥方を見ながら、どこに行けば薬草が手に入るか、僕は考えだした。
まずは館の畑の薬草だ。
こんな時こそ使わなくちゃ。
後は、何処かにあるだろうか?
「兄弟子がオレの傷の上に、葉っぱを血止めだって乗っけてくれたけど、貰って来ようか?」
そうだよっ!
どこの家も救急用の薬草を植えてある。
そこから少しずつ分けて貰おう。
「今日はもう遅いから明日にね。明るくなってから、貰って来てくれるかい?」
「分かったっ!」
まずは館の畑に植えた薬草を摘んで来ようと、神殿から出た僕の目の前に、切羽詰まった目をした人の群れが映った。
「島の人だっ!」
「頼むっ! どうなってるのか教えてくれっ! 助かるのか? 助からないのか?」
一斉に縋り付く目を向けられる。
「本当に運が良かったよ。腕の良い治療師が付いてくれた。きっと皆何とかなる」
方々から安堵の吐息が漏れ、辺りの雰囲気は一気に解れる。
本当なら看護人として、怪我人の心の支えとして、目の前の彼等から人手が欲しかった。
とはいえ集めれば、現状じゃ神殿に迷惑を掛ける事になる。
怪我人を神殿が保護する事は良い。
神殿の功徳になるからだ。
だが、これ以上の人を匿うと神殿は政治に巻き込まれ、元老院や貴族達から口出しが入る様になるだろう。
そうなれば情報入手の要に、神殿を据え続けられない。
しかも、ケラスィンの大切な息抜きの場まで失ってしまう。
「君達にお願いがある。工事現場に向かって欲しい」
「しかしっ!」
「工事現場の近くに、居住地を作ってある。そこへ動ける様になり次第、彼等を動かさなければならない」
僕が振り返った神殿を、彼等も一緒に見つめた。
「……行ってくる」
「頼む」
「待っている」
口々に呟き、後ろ髪を引かれつつも、彼等は工夫の集合場所へと向かってくれる。
「案内を頼むよ」
「エイブは?」
「僕は館に戻る。薬草を集めなくちゃね」
「それなら、来たぞ」
「え?!」
マスタシュに指差された方を見ると、青年の家の子供達が薬草を抱え、笑っている。
「怪我に使いそうな薬草を集めて来たよっ!」
「あと痛み止めとか、熱冷ましとかっ!」
「熱冷まし?」
「大怪我したら、熱が出るって聞いたから」
「そうなのか?」
「薬草摘みを手伝ってくれた、侍女の人達が言ってたよ」
それにしても大量だ。
「根が付いている物はあるかい?」
「これとか、これとか?」
薬草の山から、何個か引っ張り出してくれる。
上手い具合に、土も付いている。
「それを何か入れ物に入れて、工夫の人に渡してくれるかい?」
「工事現場で育てるの?」
「居住地の方かな? 工事現場も怪我が多そうだからね」
「分かった~!」
「それが終わったら、帰って寝るんだよっ!」
「え~っ!」
「あとは怪我人の手当てだ。明日も忙しくなるよ」
「しょうがないなぁ。エイブも早めに休むんだよ~!」
「了解~! 明日は頼んだよ~!」
「は~い!」
爺とお嬢
この人で怪我人の診察は終わり。
やっと一息つける。
そんな気持ちで、患者を見つめた私は顔を歪ませた。
なんて事。
「爺」
「お久しぶりでございますな」
「今までどこに?」
「同じ屋敷内に居りましてございますよ」
本当に、なんて事。
「ごめんなさいね」
「いいえ。お嬢様こそ御無事で何よりです」
良かった。
思っていたより元気そうだ。
同じ屋敷内で偶に見掛ける、奴隷達の健康状態が、余り良くない事に気付いていた。
だが、何もする事が出来なかった。
屋敷で閉じ込められていたからだ。
本来なら、王家の妃の1人として、嫁いでいるはずだった。
だが祟り病はその運命を変えた。
兄弟達は皆亡くなり、私は元老院の一員になれる貴族の、家付き娘になってしまった。
だから親の言うまま、婿を取らざるを得なかった。
本当は治療師になりたかったのだが。
「まだ私に手を出せないらしいのよ。我が夫なのに情けないわ」
私に手を出せない鬱憤を晴らすかのように、奴隷や家人を虐げる様になった夫。
見ていたくなかった。
閉じ込められたのを、目を背け続ける理由にして、部屋からほとんど出る事もなく……。
「そこが宜しかったのでは?」
「そのつもりだったわ。でもさすがに情けなくてね。家を出て来てしまったわ」
「お嬢様こそが御本家でございますれば」
だから今回の騒動を良い事に、屋敷から抜け出した。
そして屋敷に居ては、碌な結末にならないだろう、こんな私を慕ってくれる、あの子の未来の為に。
「名誉を無くした本家など、我が夫に熨斗をつけて差し上げるわ」
「それも宜しいかと」
「あらっ! お墨付きを貰ったわっ!」
「それでもお嬢様はお嬢様でございます」
「ふんっ! 沁みるわよ」