望郷の香り。
「ここは海の香りだね~」
「海の幸を干してるからな」
「海の香りは、苦手?」
「いいや、好きだよ」
「じゃあ、何故?」
「どうしたんだい?」
久しぶりの海の香りが嬉しくて、始終干し場に足を運び、香りを堪能していた僕は、周りの子供達の様子がおかしい事に、何故と問い掛けられ振り向くまで、全く気づけなかった。
「何でそんな顔をしているんだい?」
「オレ達は、もう要らないのか?」
「は?」
「島に帰っちゃう?」
海行きで、すっかり仲が良くなった王子を先頭に、子供達が上目がちに僕を見つめてくる。
「え~と? 島に帰る予定は無いんだけど?」
「本当に?」
「うん。本当に」
どうして島へ帰るなんて話になっているんだろう?
不思議に思っていると、更に尋ねられた。
「じゃあ、何故元気無いの?」
「僕?」
「そう」
「普通に元気だよ?」
そう答えても、子供達の表情は晴れない。
「普通じゃないよ」
「てっきり海の幸で、実験をするんだと思ってたのに、何もしようとしないしさ」
「干し場にはちょくちょく来るのに」
「それに、何だかぼ~っとしてる」
「体調悪くない?」
いっせいに畳み掛けられ、本当に心配させてしまっていたのだと気付かされた。
「大丈夫。元気だよ。ただ海の香りが懐かしくてね」
「懐かしい?」
「僕は、海の傍で生まれ育ったからね」
頷いた僕に、子供達は不思議そう。
「海の傍で生まれ育つと、海の香りが懐かしくなるの?」
「どうだろう? 僕は懐かしく感じるけど、人によるんじゃないかな?」
「人による?」
「海に楽しい思い出があれば、懐かしく感じるんじゃないかなぁ」
「そっか~」
僕がまた海の香りを堪能し始めると、周りの子達もいっせいに堪能を始めた。
「海の香りだねぇ」
「楽しかったねっ!」
「また行きたいな~」
じ~っと見つめて来る子供達。
「まあ、美味しいご飯を作ってくれたら考えるよ」
「本当に?!」
「さあ! どうするどうする~?!」
今度は逆に僕がじ~っと子供達を見つめ返した。
途端に子供達が焦り出す。
「だ~っ! どうする~?!」
「おかみさん達は? 海の幸を教えてくれた、おかみさん達」
「それで行こ~っ!」
「大勢でいきなりお宅に訪問するのは失礼だよ」
「じゃあ、おかみさん達に、料理教えて貰えるかまず確認する?」
「お宅じゃなくて、神殿で料理を教えて貰うのも有りかもね」
「何故神殿?」
「大量に料理するには、大量の料理が出来る設備が必要だからね」
「かまどがいっぱいあるとか?」
「そうそう。それに神殿に居る友達も、海の幸の料理に興味あるんじゃない?」
「絶対あるっ!」
「ちゃんとおかみさん達の都合を聞いてから日程を決めるんだよ~!」
「分かった~!」
年長の子供達が数人街に飛び出していく。
「残っている皆は、海の幸の手入れだよ。しっかり引っ繰り返して乾かして~」
「「は~い」」
今回は異臭騒ぎや小火騒ぎを起こす事なく、街のおかみさん達の協力も得て、料理教室を神殿で大々的に行い、保存食を無事作る事が出来た。
煮詰めすぎちゃって、ちょっぴり焦げた部分もあるけど、ご愛嬌という事で。
「少しずつ貰って行って良いかな~?」
「何にするの~?」
「ケラスィンに食べて貰う~」
「は~い。姫様によろしくね~!」
出来上がった物で、お湯で戻したりしなくていい物を、皆から一口ずつくらいもらい、僕は早速ケラスィンの所へ、直に届けに行く。
「これがこの前持って帰って来た食材で作った物なのね?」
僕の顔ではなく、保存食を見て、ケラスィンはとっても嬉しそう。
うん!
やっぱりケラスィンは笑顔でなくっちゃ。
「そうだよ。少ないけど、味見してみて。濃い味付けの物が多いけど」
「そんなの平気よ、頂くわ。これは私も一緒に採ったものかしら?」
海行きでの事を思い出しているのか、表情は楽しそう。
こんな顔をされると……。
「また海へ行こうね、ケラスィン」
「ええ、ぜひ誘って頂戴」
「……ケラスィン様」
そこへお茶を持って帰って来た、ナラティブさんが制止の声を上げる。
それを見たケラスィンは朗らかに笑った。
「冗談なのだから心配しなくても大丈夫よ、ナラティブ。そうよね、エイブ?」
う~ん、やっぱり今回の海行きだけ特例だったって事かなぁ。
「じゃあ神殿になら、どうかな? また料理教室をする予定なんだよ。日常に食べている物とは、また違った料理が出来るかも知れないよ」
ケラスィンに提案しつつ、ナラティブさんの様子をちらり。
今度は困った顔。
それとも、仕方ないって諦め顔かな?
とりあえず厳しい顔はしていないから、行けそうだ。
「エイブ。そういえば、ちゃんとお礼を言っていなかったわ。気を遣って、私を誘ってくれたのでしょう? 本気にした私を、海へ連れて行ってくれてありがとう」
「本気で海に誘ったんだよ。それに密馬車するのを選んだのはケラスィンだ」
改めて言われ、照れた僕に、ケラスィンは続ける。
「行く前は気分が塞いでいたけれど、海へ行って、皆と仲良くなれて、本当に楽しかった」
とっても良く分かります。
ケラスィンの表情がすっごく晴れやかで、見惚れちゃいます。
「本当に私は何も出来なくて、それでもロウノームスの王族である私を、街の人は慕ってくれる。政の事には全く携われないけれど、私なりに少しでも動いていこうと思い直せたの」
「うん」
「恨まれてもおかしくないのに、ロウノームスを助けようとしてくれて、エイブには感謝してもしきれないわ」
「ロウノームスが助かっても、ケラスィンから笑顔が消えてしまったら意味がないよ」
「それなら私はずっと笑ってなくちゃいけないのね」
「そうだけど、そうじゃなくて……」
「大丈夫よ、ありがとう」
にっこりとケラスィンは笑ってくれたが、絶対本気に取って無い。
真剣に言ったのになぁ。
冗談で流されてしまったよ。
おかしい……
「どうだ?」
「動いてない」
「あんなに一杯、収穫出来たんだ。いつもの変人なら、嬉しさの余り、更に変人になると思ってたんだけどなぁ」
「何度も何度も干し場に来ては、ただぼ~っとしてる」
「返し作業は?」
「ほとんどしてない」
「一番しそうな人が……」
「やっぱりおかしいよなぁ」
「どうしたのです?」
「姫様」
「何でもないよ」
「皆揃っているではないですか。あら? エイブ?」
「見ちゃダメ!」
「何があったのです?」
「……何も」
「何も無いんだ」
「エイブの元気が無いと聞きましたが、本当だったのですね」
「姫様」
「海を見て、島に帰りたくなっても、おかしくありませんものね」
「ケラスィン様?」
「エイブは街の者に島の人と呼ばれています。何故そう呼ばれているのか知っていますか?」
「クロワサント島の人だから」
「そう。クロワサント島から無理に連れて来たのです。ロウノームスへエイブを」
「無理に?」
「辛い思いは自分だけで良いと、たった1人、船に乗り込んだそうです」
「1人きりで?」
「そんな風には見えないでしょう? 本当に強い人なのです」
「でも、好いてくれている」
「ええ。恨まれて当然の私達を好いて、大事にしてくれる。そんなエイブに何を返せば良いのでしょう?」
「姫様……」
「本当に、分からないのです」