文字。
部屋に入って、マスタシュと僕の正面にアクスファド先生がいる形で、3人とも座った。
「では、改めまして。初めまして、アクスファドです。ケラスィン様には先生と呼ばれています」
まずアクスファド先生は島の言葉で言って、次はマスタシュに聞かせる為にだろう、ロウノームスの言葉で繰り返す。
僕とはもう自己紹介済みだし、マスタシュにだけ言っても良かったのになぁと思っていたが、先生の狙いは別にあったらしい。
「耳で聞くと全く違いますが、それぞれを書くと……」
おぉ、アクスファド先生は島の言葉を話すだけじゃなくて、書く事も出来るのか~と感心するも、つかの間。
「『えぇっ? あれっ? えぇえええ~~~~っ?』」
僕は思わず声を上げ、まじまじと2つの文を何度も見比べ、そして先生を見た。
隣でマスタシュも同じ動きをしている。
「驚いたでしょう?」
アクスファド先生は僕とマスタシュの反応に、してやったりな表情を浮かべているが、本気でビックリだ。
2つの文は、並ぶ順番こそ違ったが、文字そのものや綴り方は、ほぼ同じものだった。
ロウノームス側の単語のどれがどの意味なのか分からないのに、音としては出せる。
ホントかなぁ?
からかわれているんじゃないかと、ついつい疑ってしまった。
「ははは。本当ですよ。見て分かる通り文法的には全然違います。しかし、これがロウノームスの公用文字です」
疑り深い生徒2人に気も害さず、先生は答えてくれる。
「少ないですが音がほぼ同じなのに、意味としては全く違うものもあります。逆に、音も意味も共通の言葉がありますよ。例えば、島・帆・コメ・干物・くじ引き……」
わぁ! わぁ! わぁ~っ!
ロウノームスでも、くじ引きって言葉があるのか~っ!
何だか、笑みが浮かんでしまう。
急にニヤニヤした僕に、マスタシュが変なものを見る目で見て来るが気にしな~い。
そんなニヤニヤしている僕を余所目に、今度は先生がマスタシュに説明を始めた。
『嘘だぁ』
『本当ですよ。クロワサント島とロウノームスの文字は良く似ているのです』
多分そんな話をしてるんだろう、先生とマスタシュの喋りを聞きながら、僕はロウノームスについて知ろうとしていた最初を思い出していた。
ロウノームスに来る前、北の大陸へ行った事がある人を探したが、北の州にはおらず、ロウノームスについて分かったのは、書類に残っていた物だけ。
だからこそ、今度の全島祭りで大陸に行った事がある人を探しだし、ノウロームスについて教えて貰おうと思ってた。
「使者達が予定より早く来るのが悪い」
アクスファド先生に聞かれないよう、小声でブチッと呟いた。
確かに文字が同じなら、商品取引がしやすかっただろう。
だからわざわざロウノームスまで商品を運び、高値で捌く事が定着していったのではないだろうか?
でも……。
驚きが過ぎると、自然と疑問が沸いてくる。
「『どうしてですかっ?』」
再びマスタシュと声がハモった。
ついお互い顔を合わせる。
案の定ふんってされちゃったけど、マスタシュもアクスファド先生の答えが気になって仕方ないらしい。
「よろしい!」
おおっ。
先生も話してくれる気、満々だっ。
何か熱くなってないかっ?
「昔々の話です。この大陸にクロワサント島からの、遭難者が流れ着いたのです。その中にはロウノームスの王族の先祖と結ばれた者がおりました」
「?」
う~ん、昔々がどれくらい昔なのかは分からないけど……。
そうするとロウノームスの王族と島の誰かとは、遠~い親戚だって事に。
それなのに奴隷にしようとするなんて、血筋大事なロウノームスにしてはおかしくないかなぁ?
またまた、疑ってます顔がそのまま出てしまったらしい。
「無理もありません。確かに今のは、あくまで私個人の推論です」
「えっ? 推論~?」
という事は、実証されてるわけじゃないのか~。
「いえ。もはや、でした、と言うべきでしょう!」
アクスファド先生が強気だ!
僕は黙って続きを聞く。
「近年クロワサント島から商人達が訪れるようになり、文字が同じだという明確な事実が分かりました! これこそ私の推論を裏付ける物っ!」
「何故です?」
「王族が使う文字だから、公用文字と成り得た筈っ。私の推論以外に、どうして多種民族国家であるロウノームスが、公用文字として島の文字を導入したかの説明が付かないっ!」
う、うお~っ?
確かにっ?!
僕は先生に圧倒される形で、自然と賛同の拍手を送っていた。
続けて、分からないだろうに、マスタシュも僕に釣られる形で拍手っ。
「あぁ、失礼しました。この話になると、昔から熱くなってしまうのです。私の悪い癖で」
ちぇっ。
アクスファド先生が我に返っちゃったぞ、つまらん。
先生が熱くなるのを見越してか、それとも勉強が長時間になると踏まれたのか、部屋には既に飲み物が用意されていた。
それをコップに入れて、僕はアクスファド先生に差し出す。
「ありがとう、エイブ君」
コップの飲み物を先生は一口呷った。
「たまたま同じ様な文字が発達したという可能性も、ゼロではありません。私の推論の正誤は関係なく、ロウノームスの王となってからの血筋が大事なのだ、という考えが主流です」
さらに、もう一口呷る。
「でも私は知った。建国前ロウノームスに文字は無く、全て口伝の文化であった事を」
さらに、一口。
「だからこそっ! クロワサント島の遭難者が漂着し、島の文字が伝わった時、一気にロウノームスに島の文字が広がり、そして公用文字となったのだとっ」
もう一口。
お、スイッチ入った!?
「私は信じているのだっ! 島の文字や相互扶助を始めとする島の精神は、建国に至るまでのロウノームスで大いに役立ち、そして多くの信頼を勝ち得ただろう事をっっ」
「おおおおおおおおっ!」
相互扶助か~っ。
アクスファド先生はどこまで島の事を知っているんだろう?
「先生っ! 先生はどうやってクロワサント島の言葉を覚えたんですか?」
また一口コップから飲んでいた先生が、こちらに顔を戻した。
「相互扶助は島の根本的な精神ですが、その精神を言葉として捉えている島の住民はそう居ません」
途端にアクスファド先生がむせた。
「先生は誰からそれを聞いたのですか?」
「いやはや、げふごふ……」
「ここまで流暢に話せる様になるには、相当なご苦労をされたはず。先生の先生はどなたです?」
アクスファド先生は咳払いで誤魔化して、僕に答えをくれなかった。
まさか、僕の想像通りか?
ロウノームスへ商売に来た島の人を探しては、引っ捕まえ、あれこれと聞き出している先生の姿が目に浮かぶ~。
そんな僕から逃れる様に、先生はマスタシュに顔を向けた。
『私個人の推論ですが、昔々この大陸に、クロワサント島からの遭難者が流れ着き、ロウノームスの王族の先祖と結ばれた者が居たのだと思われます……』
さっぱり内容は分からないけれど、ただもう圧倒されているっぽいマスタシュに、ロウノームスの言葉で語り出していた。
……口調穏やかに、だったけど。
アクスファド先生
「観念して付いて来なさい。一緒に勉強しましょう」
はぁ? って思った。
ケラスィン様のお情けで、裏町から連れて来られた人間に、誰が勉強を教えるんだ?
この人は、宮廷からケラスィン様が引き取ってきた不審人物に、ロウノームスの言葉を教える先生の筈。
「……一緒じゃ奴が嫌がるだろ?」
そう自分には関係無い話だと、切って捨てたのに。
「それが、エイブ君が一緒にって言ってるんですよ」
「何でぇぇええっ」
奴が変な奴なのは分かっていたが、それを鵜呑みにして、ボクに勉強を教えようとする目の前のこの人も変だぞっ!
「しょ~がない。見張るにはその方が便利だしな」
ぶつぶつ零しながらアクスファド先生に付いていく。
案の定、変な先生だった。
何故か先生は本来の生徒である不審人物に対してより、只のオマケのボクに対し、熱心に授業を始めたのだ。
確かに、説明は不審人物に初めに説明する。
「意味がさっぱり分からない」
そう思ってても、不審人物が感心する様に頷いたり拍手すれば、合わせて同じ様にした。
それこそがボクに求められる態度だと思ってた。
だが、不審人物への説明が一息つくと、ボクに向き直りすごく丁寧かつ熱心に説明をして来るのだ。
「何故ボクを?」
いくら考えても分からない。
「でも負けてられないよな」
不審人物が、ロウノームスの言葉を使い出した。
その内、ロウノームスの言葉だけで授業は進行するだろう。
「それまでに文字を覚えるぞっ」
「頑張れっ」
館の人達から応援を受け、不審人物の後ろを付けつつ、今日もボクはアクスファド先生の授業を受けに向かった。