自己紹介。
掴まれた手が離れたのは、その人と馬車の中に乗り込んでからだった。
離れたと同時に、僕は矢継ぎ早に尋ねる。
「あのっ! 貴女は誰ですかっ? これから、どこへっ? 僕はどうなるんでしょうっ?」
「……」
しかし残念ながら、この人はクロワサント島の言葉が通じないらしい。
使者達でさえ、その内の1人しか島の言葉が話せなかったし、偉い人なら、そういう人に通訳してもらえば良いので、自分が覚える必要がないのだろう。
使者達は偉そうに見えたけど、謁見の順番を待たされた事といい、王に直接声を掛けられない事といい、ロウノームスでの地位はそれほど高くなさそうだ。
良く考えれば、島への使者役なんて、下手したら、
「ふざけた事、言ってんじゃね~っ!」
グサ~ッと、僕達に殺される事も想定内だっただろう。
大船団を引き連れて、島に向う事が出来る人なら、
「勝って当然、手柄は自分のもの~っ!」
と、征服し、島の領主になっていたかも知れない。
そう考えると、新たな奴隷発掘の為に渋々とはいえ、前回の使者も今回の使者も、ある意味で勇気ある人達なのかも知れない。
ところがクロワサント島には連れて帰れるだけの、人口が居なかった訳で。
アテが外れて、ガックリだっただろうなぁ。
使者役を成功させて、少しでも偉くなりたい! とか思ってたんだったり……?
だからって騙した事を悪かったと、僕は思わないけど。
だって、僕達は奴隷になんてなりたくなかったし、これからどんどん良くなるだろう島から、離れたくなかったんだから。
本当なら、僕だってロウノームスに来たくなかったよ。
あともうちょっとでお祭りの準備が終わって、大々的に全島祭りを開催できる所だったのに~っ!
記憶に残る大勝負が、一体どれぐらい繰り広げられたんだろうと思うと、地団駄踏みたくなるぐらいとても悔しい。
スィーザが僕の代わりに、全島祭りを開催してくれただろうけど、僕も参加したかったなぁっ!
それにしても言葉が通じないって、不便だなぁ。
困ったなぁと僕が思っていると、この人も困り顔を浮かべていた。
困り顔、だよな?
ロウノームスでは言葉どころか、表情まで違う意味を持つ事は無いよな?
こんな表情をするって事は、この人が僕とコミュニケーションをとってくれる気があるからだと思う、たぶん……。
試しにちょっと会釈をば……。
おやっ!
好反応っ!
少しだけだが、表情が緩んだっ!
おお!
小首を傾げて返してくれたっ!
うわぁ~!
可愛いなぁ~!
自己紹介、して……みようかなぁ?
うん、しちゃおうっ。
僕は自分の事をぽんぽん叩いて、
「僕はエイブです。クロワサント島から来ました」
と、覚えたばかりのロウノームスの片言語で名乗った。
そして、貴女は~? と、手のひらを向ける。
「私はケラスィン。ロウノームスの……」
おおっ、返事来た~っ!
最後の方、何を言ってるか分かんなかったけど、ケラスィンって名前だよな?
王様とか島長とかの、役職名じゃないよな?
僕は思わず、にこ~っとする。
「ケラスィン?」
試しに名前らしき所を繰り返すと、ケラスィンから笑みが返された。
名前っ!
決っ定っっ!!
つい顔を向け、にこにこ笑い合った。
それにしても、ケラスィンは一体何者?
王と直接話が出来るこの人は、ロウノームス的には、かなり位が高いはず。
位が高ければ高いほど、位の低い者と会話をする時、間に人が入るのが、僕の知ったロウノームスにおける常識。
でも、ケラスィンは、僕と直接話をする。
しかも、今、馬車の中は2人きり。
ロウノームスの人達にとって、クロワサントの島長など不審者だ。
その不審者を、高貴な姫君と馬車の中とはいえ、2人きりにするなど、常識的にはありえないと思う。
ケラスィンは一体誰なんだろう?
多分僕には意味不明だった、さっきの自己紹介返しの後半に、この疑問に答える言葉があったのだろう。
本当にケラスィンが高貴な姫君なのだとすると、この密室に2人きりなシチュエーションは絶対マズイ。
だが、いまだに僕とケラスィンの邪魔をする人間は現れない。
ケラスィンも、無礼者! と怒って来ないし。
とりあえず、顔を見てもOKらしい。
こうしてゆっくりと、人と向き合えるのは久しぶりな気がする。
僕よりは若そう、かなぁ?
バナと同じくらいか、それより上だろうか?
いや、待て。
バナを基準にして、年齢を推察するのは危険か……。
何せ、僕よりスィーザと年が近いのに、スィーザとバナは、僕と同じぐらい年が離れている様に感じる事があるからだ。
あれ?
バナと比べると、僕とスィーザが同じ位の年になってしまったよ。
僕が幼いのか、スィーザが老けてるのか、どっちだ?
いやいや、違うって。
だから、ケラスィンの年はいくつなんだって話のはず。
ちょっと聞いてみたかったが、年齢を聞くロウノームスの言葉が分からない。
楽しそうに見つめられて来るから、期待に応えて会話をしたかったんだけど、会話になりそうなロウノームス語の単語も思いつかない。
まぁ、結局ケラスィンとそれ以上の話はちっとも進まなかった。
けど、ケラスィンを見続けるのは止めておいた。
ケラスィンが偉そうな立場だからというより、礼儀作法としてだけどね。
初っ端ケラスィンに見下ろされるわ、下顎を掴まれるわしたけれど、同じ事をやり返すのは小心者の僕にはとても無理!
というか同じ事をクロワサント島の女性陣にやったら、僕のお腹に拳がめり込むんじゃないだろうか。
あ~、くわばらくわばら。
王と話していたケラスィンは、ちょっと島の女性陣と雰囲気が似てたから、絶対何かが降って来るに違いない。
でも、こうして向き合って座っていても、名乗り合ったせいだろうか、ほんの少し前と今とじゃ印象が違う。
宮廷でのケラスィンは完全に、いかにも制圧者な態度だった。
命令するのは当たり前。
自分がした命令が、実行されるのも当たり前って気配をまとっていた。
それなのに今は、僕を見下してくる感じだけはしない。
それどころか、そのうち楽しい話が聞けるかもっな視線を、ケラスィンが向けて来るのを感じるほどだ。
その視線を感じ、僕はロウノームスに対する嫌悪が薄れている自分に気付かされた。
さっきまで、僕はロウノームスがどうなろうが全く関心がなかった。
島の皆が助かれば、それで良かった。
なのに、ケラスィンが居るロウノームスを混乱させる事に躊躇を覚える。
ロウノームスに来て、僕を人として扱っていると初めて感じるケラスィンが、傷つくのは嫌だと感じるのだ。
人の内心など僕は読めない。
だからケラスィンが本当に個人的に、僕を自分と対等だと思っているのか分からないし、あくまで僕の感触でしか無いんだけど……。
ケラスィン
「何ですって?」
「クロワサント島の住民が、ロウノームスに無理やり連れて来られたそうです」
「無理やりっ?」
「どうなさいますか? 今日、王と謁見するそうですが」
「謁見の間に行くわ。支度を」
「はい」
私は急いで王宮に向かった。
連絡なく来た私に、宮廷の者達が浮足立つが、無視だ無視。
「お久しぶり、従兄殿」
「やあ、従妹殿。元気そうだね」
「無理やり、クロワサント島の住民を連れて来たって聞いたわ」
「無理やりではなく、自分から来たらしいよ。彼がそうだ」
楽しげな従兄殿を無視し、島からの賓客を確認する。
何て事っ!
このやつれ具合は酷過ぎるっ!
どこからどう見ても、無理やりじゃないっ!
病気になってないか、あちこち確かめさせて貰ったが、大丈夫そう。
「……従兄殿?」
「いやいや、我は連れて来いと命じた訳じゃないから」
「そんな逃げ口上など認めませんわ」
「お~~~~い」
「従兄殿。この方は私が引き取りますね」
「ケラスィ~ン」
「我らと同じ血を引くと思われる方を、蔑ろに出来る訳ありませんっ!」
「そうなんだがな~」
「義兄上だって、本音ではお手元に残したいくせにっ。私が引き取りますっ!」
「でもなぁ~」
「問答無用っ!」
後ろから引き止められるけど、無視よ!
無視っ!
彼を館に匿う為に、急いで馬車へと引き上げたけど、問題が発生した。
相手の喋る言葉が分からないのだ。
「どうしよう……」
困っていると、相手の方は自分の胸をポンポン叩き、
「僕はエイブです。クロワサント島から来ました」
たどたどしいながら、名乗ってくれたっ!
そうよっ!
ゆっくり言葉を覚えて貰えばいいんだわっ!
お迎えが来るまでっ!
希望の光が見えた瞬間だった。