野望はいかにして生まれたか-女の嫉妬1-
私がお父様からオーウェンとの婚約を聞かされた後。
当然の事ながら、婚約の事はあっというに貴族社会のみならず、庶民の間でも広まった。
そしてそれと同時に、私に対する嫌がらせも始まった。
それはかなり長いこと続いた。
「あら、申し訳ございません」
ドンッ!という音ともに、私は城の中庭の小さな池に落とされた。
相手はさる侯爵家のご令嬢だ。濃い赤毛が、きつく巻いていたことを覚えている。
「大丈夫ですか?嫌だわ、公爵家のご令嬢が池の水に濡れる打なんで…」
「みて、髪に藻がついているわ。汚らしい…」
「あら汚いだなんて。レイラ様に失礼よ?」
「でもほら、見て。レイラ様、何とも感じておられないようよ?いつもと同じ、あの無愛想な顔」
赤毛の令嬢が言う。すると他の二人はなにがおかしいのか、哂いながらそうねぇ、でも、という。
「殿下やヒギンズ様、アズ様の前ではよくお笑いになるそうよぉ?」
「まぁ、殿方のまえでは私たちとは違いますのねぇ」
「ただの殿方ではありませんわ。素敵な殿方、ですわ」
ヒギンズ兄様の名前が出たことにから、この間のルイーズの誕生会にこの子達が来ていた事が伺える。
(親しい方の前でなら、男性だろうと女性だろうと表情が豊かになるのは普通じゃないのかしら?)
そう思っても口には出さない。代わりに、別の言葉を投げかけた。
「池に落ちたこと、気になさらないで。私、城にはよく来るものだから、着替えもいくらでもあるもの」
そう言って彼女たちの言う無愛想な顔を向け、髪についているという藻を彼女たちの足元に放り投げた。今日のドレスは気に入っていたから、このくらいはやってもいいはず。
きゃぁっ!という可愛くもない叫び声を無視し、城内へ戻ろうとする私の背中に、赤毛の令嬢が声を飛ばす。
「なによ…貴女なんて公爵家というだけで殿下の婚約者になっただけなのに!私だって、私が公爵家に生まれていれば!」
はぁ。
ため息がもれる。もう何度目だろう、こての手の嫌がらせにこの口上。
「なぜなんのとりえもない貴女なの?せめて、妹なら良かったのに…!」
これも最近の決まり文句のようなものらしい。
ルイーズの社交界デビューからこちら、あの愛らしくも美しい妹の容姿を引き換えに私を罵ることが増えた。まあ、ルイーズが相手なら自分が負けない、とは言えないものね。彼女たちの気持ちも少し分かる。
とはいっても、ここで何を言い返しても何かが変わるわけではない。私は彼女を一瞥すると、宣言どおり城内の私室に帰った。
「またですか?!レイラ様、いい加減キルウェスト公か、殿下か、ギースウィル様でもいいです。せめてこのような事が起こっていることぐらい、申し上げた方が…」
「いいのよ、セラ。言ったところで彼女たちの気持ちが変わるわけではないんだもの」
「気持ちは変わらなくとも、少なくとも態度は変わります。未来の王妃にこのような事、」
「ほんとにいいの。気にしていないから。それよりも聞いて!今度のルイーズの社交界デビューの意匠なんだけど」
にっこりと、無愛想な顔に意識して笑顔を浮かべ、セラをみる。納得したわけではないのだろうけど、態度の変わらない私に諦め、セラは首を振って私を着替えさせ、話を聞いてくれた。
私はこの一連の嫌がらせに対して、もはや誰にも、何も言う気はなかった。セラには気付かれてしまったけれど、他の誰かには決して知られまいと、心に決めていた。
誰が悪いわけでもない。強いて言うのなら、婚約を決めたお父様と、それを唯々諾々と受けた私が悪いのだから。
王子の婚約者として幼い頃から特に登城して勉強や作法を学ぶことが多かった私は、同世代の女の子が通うスクールに顔を出すことは少なかった。故に、同世代の友達もほぼいない。
私が王子の婚約者となった10歳のとき。はじめに受けた洗礼は、久しぶりに行ったスクールでの学友だと思っていた子達からの無視。ときどき、辛らつな言葉。たまに、かるい暴力。
理由は簡単で、最初はただの嫉妬だったんだと思う。大して親しくもない、たまにスクールに顔を出す家柄しか取り柄のない女の子が、将来の王妃、つまりこの国の全ての女性の頂点に立つのだ。しかもその相手である王子は、非常に端正な顔をしている。
私はあまり感じないが、確かにオーウェンは非常に整った顔をしている。信念のこもった二重で切れ長な瞳、高いはな、快活に笑う口元。勉強はいまいちだけど、剣や馬術の腕はあり、武力でならしている
サウズスト家の子供たちにも引けを取らない。
そんな王子が、自分たちよりちょっと身分が高いといういう理由で、婚約者に選ばれたのだ。
(実際はもっといろんな理由や勢力争いの結果で婚約者の座が決まったはずだけど)
それは面白くなかったに違いない。
それに対して私の反応はというと、正直にいえばどうでもいいと思っていた。その頃の私の世界はとても狭くて、愛する妹と仲のいい幼馴染、ちょっと怖いけど優しいお父様で出来ていた。特に妹ルイーズへの溺愛っぷりは今から思い出してもちょっと異常だったかもしれない。
5歳の頃頃お母様をなくして、私も小さかったけれどルイーズはもっと小さかった。毎日のように泣いていたルイーズを抱いてあやした時、不意になきやんでそれはもう可愛い笑顔で私に笑いかけた彼女を見たとき、私が守らなくちゃと思った。
そう思うことで、私もお母様の死から立ち直ろうとしていたんだと思う。
そんなわけでルイーズは可愛いし幼馴染たちは優しいし勉強は大変だし、で、スクールの子達からの嫌がらせなどたいして気にしていなかったし、そもそも彼女たちに興味がなかったのだ。
それがよくなかったのか、嫌がらせはどんどんエスカレートしていった。
一度だけ、反応してみたことがある。どうしてこんなことをするのかと。しかし彼女たちの返答は要領を得ないものだったし、それ以降嫌がらせがひどくなったので、反応したことが間違いだったと学んだ。彼女たちへは、極力無反応とするのが一番良いのだと思った。
所詮子供のすることだし、何せ彼女たちと会うことすら少なかったため、気にせず時間は過ぎていった。