助教
訓練兵に常に模範になるようにしている助教たちだけど、彼らも基本的には訓練兵と変わらぬ人間だ。
彼らはただ他の訓練兵たちよりは早めに軍に入って、その役職を配当されただけの人々だ。
そういう事実は訓練兵の目線からは中々見えないものだ。
しかし、1ヶ月もいれば、いやでもその事実を知ることが出来る。
いや、助教が転生者に仕事を任せっきりにしなかったら、もっと早い段階でも知ることができただろう。
普通にお互いを知って、こいつも人間なんだなと知ることが出来たはずだ。
だけど、俺たちの助教はそういう努力を怠った。
だから、俺たちが彼という人間を知ることになったのは偶然だった。
夕飯を食べる時のこと、俺は話し声が聞こえてそこに目を回した。
そこは建物の隅っこでかなり暗い場所だったけど、二人の人間が立っていたことはわかった。
どちらも目立つ赤い帽子を被っていて目立っていたのである。
一方は見たことない人だったけど、もう一方ははっきりと分かった。
俺たちの助教だった。
俺は食事の待機時間中、特にやることもなかったので、その光景を見続けた。
詳しくは知らないけど、どうやら俺のところの助教は他の助教に説教をしているらしかった。
俺たちの助教はそこそこ上級者なのかも知れない。
俺がそんな推測をしている内にも事態はどんどん進んでいた。
そして、終いには…
「!!」
助教は他の助教の頭を手でぶっ叩いたのである。
俺がその暴力行為に驚いていたところで横槍が入って来た。
「兄貴見ました?」
チビだった。
どうも、チビも先ほどの光景を見たらしい。
俺は特に嘘を付く気もなかったので素直に答えた。
「うん?ああ、見た。」
そして、その時は何事も無く終わった。
本当の事件は食事の後に発生した。
当時の韓国軍では心の手紙というものが流行っていた。
これは軍内の暴力行為やイジメを無くす為のもので、ここに名前を書かれたら、そのまま軍監獄に行くことで有名だった。
運命の悪戯かは知らないけど、俺とチビが助教の暴力行為を見たところで、それを実施するとお達しがあったのだ。
最初、心の手紙を受け取った俺は、そこに助教の名前を書くか悩んだ。
人並みには義憤を感じ易い俺は基本的にそういう行為が大嫌いだったのである。
俺が渋い顔をしているところ、チビが近づいて来た。
「兄貴、どうするんですか?」
「ふむ、どうしたものか悩んでた。」
俺としてはそういう行為が良くないと思う一方で、こういう特殊な環境だから必要悪とも思っていた。
射的訓練の時とかを考えればよく分かる。
もし、あの銃が誰かに向かって撃たれていたら、大惨事だった。
だから、そういうものを厳しく取り締まる必要は絶対ある。
そうしないと軍ではすぐに命に関わる事故が起きるから。
「兄貴、ちくりましょう。」
何故かチビは助教を告発せずにはいられないらしい。
それからもチビは俺をしつこく説得してきた。
説得というよりは駄々を捏ねてきたというのが正しいけど。
俺はそういうチビの態度に辟易した。
「じゃあ、じゃんけんで決めよう。お前が勝ったらお前のいう通りにする。」
俺は考えることを諦めた。
どちらの選択も俺には一理があると思ったからである。
だから、運命任せにすることにしたのである。
結果、俺は負けた。
俺は助教を告発する内容の手紙を書いた。
1時間後。
俺は急に助教に呼ばれていた。
これまではこんなことがなかったから、何かまずいことでもあったのかと思った。
「頼むこの通りだ。君が書いたこれを取り下げてくれ。」
そう言って助教は俺に心の手紙を見せてきた。
「…」
俺は呆れてものが言えなくなった。
まさか、当事者がそれを見たとは。
そして、それが可能な軍のシステムに呆れるしかなかった。
本当に吐き気がする気持ちだった。
「頼む、俺はもうすぐ兵役が終わる。ここで監獄に行くのは…」
俺に頭を下げてくる助教。
だから、俺たちの訓練に手を抜いたのか。
終わったら関係ないもんな。
しかも、この状況でも被害者よりは自分のことばかりなんだな。
俺は本当にこの人が好きになれないなと思った。
助教はそんな俺を見て何か言い訳をして来た。
「それは伝統なんだ。俺も、俺の前の人たちも皆んなそうして来た。だから、頼む。」
それが何の言い訳になるんだ?
それに心の手紙って、その悪習を断ち切るためのものではなかったのか?
なのに、伝統だから許せとは…
本当に馬鹿らしいことだった。
こんな奴がいるから、軍は何時迄も良くならないと、そう思った。
それから、助教は自分の可哀想なところをいっぱい吐き出した。
俺は何時迄になっても終わらなさそうなそれに嫌気が刺して、考えますと答えて彼を返した。
その後はチビが助教に呼ばれて行った。
俺はその間、助教の提案について考えることにした。
俺と言っても別に助教の彼に恨みはないし、それが必要悪ということも理解はある。
だけど、彼が言っていた伝統とやらを無くすには、彼に痛い目を見てもらう必要がある。
「本当にどうしたら良いんだ?」
俺としては成る可く正しい選択をしたい。
自分に誇れるような選択をしたいのである。
俺がそんな悩みで頭を痛くしているところで、チビが帰ってきた。
チビの顔は晴れやかそのものだった。
俺はチビに意見を聞くことにした。
「あ、俺は撤回しました。これであいつもこれ以上は俺につけあがることは出来ないだろうから。けけけ」
「…そうか。」
俺はまんまとチビに利用されたのである。
チビにはそれが正しいとかそういうことは全く気にしなかった。
自分が生き残るための選択をしたのだ。
つまり、この選択には何の正義も道徳的な正しさもない。
あるのは、浅ましい策略だけだった。
ここで、俺だけが前走って助教を告発しても何も意味はないと思った。
俺は心の手紙を撤回した。
そして、二度とこんな事がないように、俺はもっと賢く慎重になろうと決心した。




