第2話
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時計を見ると、十時を回っていた。
いけない、打ち合わせに遅れてしまう。
有希はコーヒーを淹れたカップを手に持って、部屋の片隅に置いている机に向かう。
部屋は1Kでそれほど広いわけではない。それでも在宅で働くためにと、部屋の一角に仕事用スペースとして机を置いていた。
仕事をするときはできるだけ快適に作業をしたいと思って、それまでの会社を辞めて独立する時に作業スペースがしっかり取れる大きな机を買ったのだ。それで小さな部屋はますます狭くなってしまったが、有希はそんなことは気にしなかった。快適に仕事ができることの方を喜んで選択した。
大きな机と、その上のマックのデスクトップパソコン。そしてその横においている併設モニター。机の上の棚にはプリンターも置かれている。そこが、今の有希の仕事場だった。
有希は現在、フリーランスの動画編集者として、自宅で仕事をしている。
クライアントは中小企業が多く、有希はそれらの企業のPR動画や紹介動画を作成している。動画の方向性についての打ち合わせを行うときは、そのクライアントの企業まで出向くこともあったが、基本的には自分の家で仕事をしていた。仕事で外に出る場合と言ったら、クライアントの担当者と打ち合わせをするときくらいだった。
有希は机の前の椅子に座り、パソコンを起動させる。
そしてすぐに、WEB会議システムにアクセスした。
画面に、待ちくたびれたような顔をした二人の映像が映された。
「もう、有希さん、遅いですよ」
その中の一人、小林優奈が少し口を尖らせて言う。
彼女は有希と一緒に動画編集を行なっている。
大学で映像制作を専攻し、卒業後は映像制作会社に就職して、その後にフリーランスとして独立したと本人の口から聞いている。映像制作会社では音楽ビデオやドキュメンタリー映像の編集を行なっていたらしく、一度その当時の映像を見せてもらったのだけど、細部まで作り込まれた、見る人の目を惹く動画だった。
真面目で几帳面。仕事に対する情熱が強く、妥協を許さない性格。
そこが仕事のパートナーとして有希は好きだった。
「まあ、まあ、山下さんも色々と忙しいんですよ」
優奈よりも一回り年上の藤田健一が、優奈をとりなすように言う。
彼にはカメラマンとして、動画編集に使う様々な素材動画を撮影してもらっている。
写真専門学校を卒業後、広告写真スタジオに勤務して、その後に、映像撮影を手掛ける制作会社に転職。だけど数年後にフリーランスとして独立して、主にドキュメンタリーや広告映像の撮影を行なっていたという。
彼が撮影する映像はセンスが良く、映像に対する美的感覚が優れていた。それに何よりも、現場で何か不測の事態が起きた時でも冷静に、そして臨機応変に対応してくれる。
仕事のパートナーとして有希にはとても頼もしかった。
有希が新卒で就職したクリエイティブ・エージェンシーを退職して、フリーとなってからもう二年が経つ。
クリエイティブ・エージェンシーでは映像ディレクターとして数々の広告キャンペーンを手掛けていた。仕事も充実していたのだけど、もっと自由に、そして自分のペースで仕事をしたいと思い、二年前に会社を辞めたのだ。フリーとして活動を開始しようとした際に、一緒にチームとして働いてくれるメンバーを探した。そこで、それまでの会社員時代に有希が培ってきた様々なツテから、優奈と藤田を紹介してもらった。
有希がディレクターを兼ねるような形でクライアントとの打ち合わせを行い、どのような動画を作っていくかを詰める。その内容に沿って、優奈と藤田に作業の指示を出す。そして出来上がった動画の最終的な調整や修正を有希自身が最後に行って、クライアントに納品する。今は、そのような流れで仕事をしていた。
有希は、パソコン画面に向かって、
「会議に遅れて、ごめんなさい」
と頭を下げる。
モニターの上に設置したWEBカメラを通して、有希が頭を下げている様子は画面の向こうの二人のディスプレイにも映っているはずだ。
「ちょっと考え事をしていて……」
「考え事ですか? 仕事のことですか?」
優奈があっけらかんと聞く。
有希は「色々とあってね……」と答えた。
そう、色々とあったのだ。
美咲の通夜式に出席してから、まだ二日しか経っていない。
「何があったんですか?」
画面に藤田の少し心配そうな顔が映った。
いけない、今は仕事に集中しなければ。
有希は、「いや、何でもないの」と首を横に振った。横に振りながら、頭に残っている二日前の通夜式の光景をむりやり自分の頭から追い出した。
「それよりも、今の案件についてだけど……」
有希はフーと息をつく。
机の上の時計を見ると、二十二時を回っていた。
いけない。作業に没頭していたら、こんな時間になっている。
修正作業をしていた動画ファイルを保存し直し、パソコンをシャットダウンさせる。
「今日もよく頑張った、私。えらい、えらい」
自分自身を褒めるように、小さく呟く。一人暮らしの有希には、自分で言わないと他に言ってくれる人はいない。たとえ自分自身からの言葉だとしても、その言葉があるとないとでは大違いだ。その言葉があるだけで、また明日も頑張ろうという気力に繋がる。
フリーとして自宅で仕事をするようになってからの二年間、いつの間にか仕事終わりに自分を褒めることが、有希の日課になっていた。
モニターがブラックアウトするのを確認してから、椅子から立ち上がる。そして頭の中で冷蔵庫の残り物を思い出しながらキッチンへと向かった。
確か冷蔵庫に豚肉と野菜が残っているはずだから、今日の夕食はそれを簡単に炒めて、肉野菜炒めにしよう。
冷蔵庫を開けると、思った通り、豚肉とキャベツと人参が入っていた。あと、その下にチーズが少し残っているのを見つける。
そうだ、まだチーズも食べ切っていないんだっけ。肉野菜炒めにチーズも入れよう。肉野菜炒めにとろけたチーズが絡んで、抜群に美味しくなるのだ。
少し得した気分になって、冷蔵庫を閉じた。
肉野菜炒めとご飯、そしてコップにはお茶を入れてテーブルの上に並べる。
「いただきます」
有希は両手を合わせてから、箸を手に取った。
テレビも付いておらず、静かな一人だけの部屋で自分の咀嚼音だけが聞こえる。
その音を聞きながら、二日前の美咲の通夜式のことを思い出していた。何もしていない時間が訪れると、どうしてもそのことを思い出してしまう。
明子の話では、美咲は事故に遭う三日前から会社を休んで自分の部屋に閉じこもっていた。
体調が悪くて休んでいたのなら特に不自然なところはない。だけど、心配した明子が体調のことを尋ねても、美咲は、
「何でもない。大丈夫だから」
と言うだけだったという。
何が大丈夫だったのだろう。そもそも、なぜ「大丈夫だから」と言ったのだろうか。その会話を交わす前には、本当は大丈夫ではないと思えてしまうような何かが起こっていたのだろうか。美咲に何があったのだろう。
色々と考えてはみるのだけど、有希には何も思いつくものはなかった。
一番不可解なのは、五月三十一日の夜に美咲は家を飛び出していき、その日の深夜に自宅から遠く離れたT市の路上で事故にあったことだ。
なぜそのような時間に、美咲はそんなところに行ったのか。明子が言ったように、そこに行かなければならない何らかの理由が美咲にはあったのだろうか。
いつも見ていた美咲の笑顔の裏側に、誰にも見せたことのない何かが隠れているような気がして、少し怖かった。
夕食を食べ終えると、食器をキッチンに持っていきそのまま食器を洗っていく。
その時ふと、クライアントの藤乃屋から、現在、有希たちが仕事として受けている動画作成に関してメールをもらうことになっていたのを思い出した。藤乃屋は宮城県S市にある老舗旅館で、その旅館のPR動画作成の仕事依頼を二週間前に受けていた。
食器を洗い終え、手を拭き、今日一日中座っていた仕事用デスクの前の椅子に舞い戻る。
メールが来ているかどうかくらいは、今日中に確認しておこう。
デスクトップパソコンを再び立ち上げ、メールソフトを開く。
今日はずっと動画編集作業に没頭してメールソフトを開いていなかったので、今日一日だけでも仕事関連のメールが未読のまま大量にたまっていた。それらのメールの送信者と件名が表示された一覧を新しいものから順に目を通していきながら、藤乃屋からのメールを探す。画面を下にスクロールしていき、今日より前のメールも確認したのだけど、藤乃屋からのメールはまだ来ていなかった。
「え?」
画面をスクロールしていた有希の指が止まった。
有希の目は、メールの送信者と件名が表示されているその一覧の一つの行に釘付けになっていた。
そのメールの送信者の欄には、「佐藤美咲」と表示されていた。
件名は「無題」だった。
大量の仕事関連のメールに埋もれて、そのメールを完全に見落としていた。美咲とはいつもメッセージアプリでメッセージをやりとりしていたので、パソコン用のメールアドレスに美咲からメールが来たことなんて今まで一度もなかった。
有希は、その行の「送信日」の欄に視線を移す。
その送信日の欄には、五月三十一日の十六時十三分と表示されている。
五月三十一日は、美咲が事故に遭った日だった。
ディスプレイに表示される「佐藤美咲」の文字。
その四文字を、有希は黙って見つめていた。
事故の当日に、つまり美咲の死の前日に送られたメール。有希にはそれが、あの世から送られてきた死者からのメッセージであるかのように感じられた。
メールを開くことに逡巡する。
開いていいのだろうか。もし開いてしまったら何か取り返しのつかないことになってしまうのではないか。そんな気がしてならなかった。
だけど、美咲は有希に何かを伝えたくて、事故の当日にこのメールを有希に送ってきたのだ。開かないわけにはいかない。そのことも、痛いくらいはっきりと有希には分かっていた。
意を決して、開封ボタンを押す。
美咲からのメールには次のように書かれていた。
送信者 佐藤美咲
件名 無題
ごめんね。
有希、本当にごめんね。
突然こんなメールを送ってしまって驚いているよね。
だけど、このメールを送った理由は、事情があって言えない。
私は今日、五月三十一日の深夜に、T市で事故に遭って死ぬことになっている。
この運命には誰も逆らえない。
この運命は誰にも変えられない。
それでも、この三日間、その運命を変える方法をずっと探していた。なかなか見つけることはできなかったけど、さっきようやく見つけることができた。もう大丈夫だと思う。
だけど、それには有希の助けが必要なの。
ごめん、有希。
もし、有希が私のことを信じてくれるなら、このメールの下に添付したリンク先の動画を見てほしい。本当に、見るだけでいいから。
このことは誰にも言わないでほしい。
本当に、ごめん。
送信日 2024年5月31日 16時13分
有希は何度も何度もその文面を読み返した。
何度読んでも、その内容をうまく理解することができなかった。
「私は今日、五月三十一日の深夜に、T市で事故に遭って死ぬことになっている……」
無意識のうちに、メールの文面を口に出して読んでいた。
これはどういうことなのだろうか。
美咲がメールに書いていることが、にわかには信じられなかった。
もし美咲の事故死という事実がなければ、タチの悪い悪戯だと思っていたと思う。だけど、現実に美咲はT市で事故に遭い、その翌日の朝に亡くなったのだ。
もしかして、誰かに命を狙われていたのだろうか。
例えばストーカーに付き纏われていて、そのストーカーに命を狙われていた。それを有希に伝えたくて、このようなメールを送ってきたのだろうか。だけど、もしそうだとしたら、美咲のメールに書かれている、「この運命には誰も逆らえない」の一文が持つ意味とつながらないような気がした。
そもそもとして、美咲はなぜこのようなメールを有希に送ってきたのか。「有希の助けが必要」とは、どういう意味なのか。
有希は、美咲のメールの末尾に添付された一つのリンクを見つめる。
そのアドレス名は、次のように記載されていた。
https://www.eclipse-realm.org/......
「エクリプス……リアルム……?」
今まで目にしたことがない、見慣れないアドレス名だった。
カーソルをそのリンクの上に移動させる。
あとは、人差し指を下に下ろすだけだった。
そうすれば、死の前日に美咲が「見てほしい」と書いて送ってきた、そのリンク先を開くことができる。
だけど有希の人差し指は、マウスの上で固まったまま動かなかった。
やっぱりおかしい……。
どう考えても、おかしいよ……。
このリンク先を開いたら、駄目だ……。
有希の中の何かが、彼女にそのように警告していた。
有希はカーソルをメールソフトの左上の「×」に移動させる。クリックすると、美咲のメールは、メールソフトと一緒に画面から消えた。
パソコンの電源を落として、仕事用デスクの前で立ち上がる。そしてそのまま浴室に行って湯を出した。湯が溜まるまでの時間、掃除用のモップを手に取って、フローリングの床掃除を始めた。いつもはそのような時間に掃除をすることなんてなかった。だけど、何か体を動かすことによって自分の気持ちを落ち着かせたかった。先ほどの美咲からのメールを自分の意識の外に追い出したかった。
風呂から上がり、デスクの上に置かれた時計に目をやると、もう二十三時三十分を回っている。普段であればそこからテレビを見たり、ネットで動画を見たりしてリラックスできる気分転換の時間を一時間くらい過ごしてからベッドに入るのだが、今夜はそんな気分ではなかった。有希は部屋の電灯を常夜灯に切り替えて、ベッドの中に入った。
目を瞑って、眠りが訪れてくれるのを辛抱強く待つ。
だけど、眠りは有希の上になかなか訪れてはくれない。
瞼の裏側では、先ほど目にした美咲のメールの文面が映し出されていて、消えてくれることはなかった。
なぜ美咲はあのようなメールを送ってきたのか……。
「有希の助けが必要」と書いてきたということは、美咲の身に何かよくないことが起こっていたのではないのか……。
もう美咲はこの世にはいないのだけど、美咲のために今の自分にできることが何かあるのではないのか……。
有希、助けて!
美咲の、声にならない声が聞こえた気がした。
むくりとベッドから起き上がり、仕事用デスクの前に歩み寄る。デスクの上のライトを点けると、薄暗い部屋の中でデスクの上だけが切り取られたかのように光に包まれた。
有希はパソコンを立ち上げる。
立ち上がるのを待つ間、それは十秒もかからなかったのだけど、その十秒ですら非常に長い時間に感じられた。パソコンが立ち上がると、メールソフトを起動させ美咲のメールを開く。メールの末尾には、やはり依然として「https://www.eclipse-realm.ofg/……」というリンクが添付されている。
有希はカーソルをそのリンクの上まで移動させると、今度は迷うことなく人差し指を下に下ろした。
WEBブラウザが立ち上がる。ディスプレイいっぱいに黒い画面が浮かんだ。
そのサイトは英語表記で作られていた。
黒い背景の中で、サイトの左上に「Eclipse Realm」という白い文字が浮かび上がっている。装飾がなされているわけではない。逆にどこか不気味さを感じさせるくらい簡素で、無駄を削ぎ落としたようなサイトだった。
中央には四角く囲われた枠があった。
枠の中は、背景と同じように黒く塗りつぶされている。枠の左下の隅に「再生」を意味しているのか「▶」というボタンが設けられている。何かの動画投稿サイトのようだった。
有希は、美咲がメールの中で「リンク先の動画を見てほしい」と書いていたことを思い出す。この動画のことだろうか。
その枠の下には「Related Content」という欄が設けられていたが、そこは空白になっていた。
そしてその枠の上には、このコンテンツのタイトルを意味しているのだろう、次のような文字が記載されていた。
Date: June 18. 2024
「二〇二四年……六月十八日……?」
有希はデスクの上に置いてある卓上カレンダーを見る。
今日は、二〇二四年六月四日だ。
つまり、そこに表示されていたのは、二週間も先の日付だった。
二週間も先の日付がタイトルになっている。
未来の光景を映しているという設定の、創作動画だろうか。
有希は「▶」ボタンの上にカーソルを合わせて、クリックする。
サイト中央の四角く切り取られた枠の中に、突然、ある場所が映し出される。枠の右下には、動画を撮影している時間を表現しているのだろうか、時計のような時刻表記が表示されていた。
06/18/24 01:42:13 PM
二〇二四年六月十八日の午後一時四十二分を表しているようだ。秒の表記は一定間隔で増えていき、流れていく時間をカウントしている。
映し出されている場所は、部屋の一室のようだった。
畳敷で広々とゆったりした部屋で、二脚の椅子が置かれている。椅子の向こう側の部屋の壁は全面がガラス張りになっていて、そこからは緑豊かな山々が見えていた。
どこかのホテルの一室だろうか。
音は聞こえない。
動画を再生しているデスクトップパソコンの音量を確認したところ、音量はオフにはなっていない。動画内の音が小さいのだろうか。試しに音量を上げてみたのだけど、それでもその動画からは一切音は聞こえてこなかった。音声はなく、映像だけの動画なのかもしれない。
そこに、画面の右側から一人の見知らぬ中年男性が現れた。
紺色の和装のような服を着ており、腰には臙脂色の前掛けを巻いている。
その男性は画面の右側から左側に向かってゆっくりと歩いていき、その動きに合わせて、カメラの視点も動いていく。男性はカメラを見ながら、ガラス張りの壁に右手を差し向けていた。口が動いているのが見える。何かを説明しているのだろうか。
どこかのCMの音声を消して切り出したような、何の変哲もない映像だった。その映像が延々と続く。
なぜ美咲はこのような動画を見て欲しいと言って、リンクを送ってきたのか。有希にはその意図が全く分からなかった。これ以上見ていても仕方がない。「▶」ボタンを押して動画を停止させようとする。
その時だった。
足元への注意が疎かになっていたのか、歩いていた男性が自分で自分の足につまづいて派手に転んだのだ。
その勢いのまま、男の体が畳の上で一回転する。カメラマンがその様子に驚いたのか、カメラの視野が一度大きく揺れた。
そして画面の手前側から一人の女性が現れて、その男性の元に駆け寄るのが映った。その女性は背後から映されていてその顔は見えなかったが、若い女性のようだった。
だけど有希は、その後ろ姿にどこか見覚えがある気がした。
女性は男性の前でひざまづき、男性に何かを訊いている。男性は少し苦笑いを浮かべながら、言葉を返していた。
ふいに、突然、女性の頭が何かに驚いたように持ち上がる。
体もそれに合わせて、一度びくっと伸び上がる。そしてその女性はカメラの方を振り返った。
「あ!」
有希は声をあげていた。
そこに映っていたのは、驚愕の表情を浮かべた有希自身の姿だった。
そこで唐突に動画は終了した。
有希はしばらく呆然として、すでにブラックアウトしている四角い枠を見つめていた。
「あれは……私……?」
だらしなく開いた口から言葉が零れる。
なぜ自分が映っているのか。
何よりも不可解だったのは、そのような映像を撮影された記憶が全くないことだった。映像で映されていたような場所に行った記憶もないし、そこで転んだ男性に駆け寄った記憶もない。
画面に映っていた女性の姿は、二十代後半のように見えた。つまり、今の自分とそれほど年齢は変わらない。
有希は首を横に振る。
そんな訳がない……。
あれが自分な訳がない……。
きっと、他人の空似だ……。
「そうだ、美咲は私によく似た女性の映像をたまたま見つけて、そしていたずらのつもりでこの動画のリンクを私に送ってきたんだ」
自分自身に言い聞かせるように言葉を口にする。
もう一度確認してみよう。
有希は「▶」ボタンを押す。
再び部屋の一室が映し出され、しばらくすると画面の右側から先ほどの男性が現れる。男性が転び、若い女性が駆け寄る。そしてその若い女性は、驚愕の表情とともに振り返る。
有希はそこで「▶」ボタンを押して動画を停止させる。画面の中の女性は、驚いた顔でこちらを見つめたまま動きを止めていた。
有希はその女性の顔を見つめる。
その女性は、本当に有希にそっくりだった。
何度見ても、自分の姿のように見えた。
ふと、四角い枠の右下の時刻表記に視線が移る。
そこには、「06/18/24 01:58:13 PM」と表示されていた。